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2011年12月31日土曜日

2011年最後に送る家族写真コラージュ:2011 End of the Year Collage

Happy Holiday Season & Happy New Year 2012!

Hope all is well with you and best wishes for the New Year! (*Please click the "2011 End of the Year Letter" below to see the letter from Jon ^_^!)

今年1年の家族の出来事を写真で紹介。今年は写真「加工サイト」でコラージュにジョンが仕上げました。うれしいこと楽しい事ばかりでなく、悲しいこと辛い事もいろいろあった2011年。それでもこうやってちゃんと生きていることに感謝。2012年が良い年でありますように。(*写真の説明は、ジョンの家族レター「2011 End of the Year Letter」をどうぞ。 Challene English ^_^!)

2011年12月30日金曜日

新しき我が家の鍵拝受:We Got a New Key!

リールター(不動産仲介人)のテリサから午前中電話あり。「おめでとう」の挨拶で始まる電話連絡は、正式に登録手続きが終了したので家の鍵を渡してくれるとのこと。2時にその家で待ち合わせ鍵を受け取る。そしていろいろお世話になった感謝と一緒に「良い年を」とお互いハグハグ。彼女とは10年前の最初の家探しの時にもお手伝いしてもらった。その時にもこちらの希望にあわせて何件も何件もそして週末返上で家を見せてくれた。その時の彼女のフットワークの軽さと6ヶ月にわたる家探しにつきあってくれたその忍耐力。そんな彼女に再びお願いをして、再び良い物件に出会うことができた。数ある仲介人の中で彼女に出会えたのもご縁(ジョンの知り合いからのお勧めがそもそもの出会い)。もしまた次回があったらその時はどうかよろしく。

今夜はその祝杯も兼ねて。今年から日米同時放送となるNHKの紅白を見る予定。夜更け過ぎ(31日未明)の2時過ぎスタートで6時過ぎまでの約4時間半とか。さすがにジョンと海はぐーすかタイム。一人でおつまみにビール&ワイン片手におこたで楽しもう。家の中はすっかり日本の大晦日気分。(写真のワインのラベルは実は私自身の高校時代のレコードジャケット用に作ったもののデザインアレンジ。市販のエビおつまみにカリフォルニアロールのアレンジでフライドチキンの残り物と一緒に巻いた「とくとくロール」。これらを一人で紅白見ながら食べてしまいました ^_^)

2011年12月29日木曜日

トムクルーズのミッションインポッシブル考察: About MIssion Impossible - Ghost Protocol

先日(12/27)にうわさの映画トムクルーズの最新第4弾「Mission Impossible: Ghost Protocol」見に行って来た。何がうわさかというと(といってもうちらの家族内の話ですが)、この手のアクション映画にしては珍しく映画批評サイト「Rotten Tomatoes」で93%の高支持率。トムクルーズの演技についても、今までのアクション演技の中でも最高の一つになるだろうとの事。むむこれは見に行くべきものかもと、オールデイ割引($5.25)の火曜日に出かけて来た。

確かに今までの同シリーズの中でも(といっても全部見ているわけではない)秀逸のでき?と言われればそうかも。内容を一言でいうと、ロシアのマッドサイエンスト(狂った科学者)が世界をもう一度浄化してやりなおすために、原爆を落として一度世界を終焉させてからやりなおしを企てる。それをテロの汚名を着せられたイーサン(トムクルーズね)率いるチームがロシアのKGB当局(?)らに追われながらも、それを阻止するというもの。

ストーリー的にはよくあるパターン。私がおやっと思ったのは、そのマッド科学者が原爆を落として世界を浄化する理由のよりどころが、日本だったこと。彼曰く「第二次世界大戦の広島と長崎を見よ。投下後は数十年も草木が生えないと言われた大地が見事によみがえり、両都市が大繁栄を遂げたではないか!」というもの。

マッドサイエンストの言葉とはいえ、(米国側がよくいうところの)原爆投下を戦争終焉の必要論としてではなく、現代社会を浄化するための必要手段と聴衆に向かって訴えている言葉に驚きと違和感。

2011年12月28日水曜日

さらに中古ハウスの更新事情:Update the used house!

今日、プレジデント主催の学年末パーティで知り合いになった韓国人のミッシェル(実は大学院学部長の奥さん)から電話が。前々から一緒にお茶でもと言ってた彼女からプレジデントの奥さんでもある日本人の泰子さんとこで今日の午後そのお茶会をというお誘い。その後、当の泰子さんからも電話。しまい込んである家具があるので、よかったら新居にどうかとのお知らせ(^_^)。おっなんとぐっとタイミングといそいそと抹茶クッキーを作って出かけることにした。

泰子さんのおうち(学長宅)はチコの街を西に車で15分程の丘陵にある「雲の上御殿」。平屋で3,800 ft2(squre feet=百坪強)もある大邸宅。何度来ても(といってもこれで3回目)ため息がでるような、学長ポールの趣味モダンアートでインテリア装飾されたセンスの良いおうち。ビッドウェル渓谷を望むベストビスタの地に建てられている。

ガレージをあけてみせてもらったそれらの家具(一つかと思ったらなんとセット)はアンティーク風装飾の日本テイストの箪笥や飾り棚ではありませんか。現在の家のインテリアにマッチしないからと使わないままでしまってあるものとのこと。こんなよいもの本当にいいのかしらと思いつつ、家具好きの私は、一二にもなく喜んで(えっいいのですかというお値段で)譲ってもらうことにした。今回の家は引っ越し前に、いろいろ痛んだところの修理修繕や模様替えを済ませる予定。これらの家具の移動もそれからということになる。

(*そう言えば、現在の我が家も2001年に購入してからの10年。いろいろアップグレードしてある。スタディルームのカーペットをフロアリングにすることから始まって、ガレージの屋根の葺き替え、キッチンのフロアを安く手にいれた大理石タイルに張り替え。バスルームの壁を塗り替え&床もあらたに。最後には家全体の周りの塗装も塗り替えた。これを全部ジョンがやった。さすがに家の外壁の塗装はプロにまかせたけど、その下準備の古い塗装をはがす作業はジョンが。今思うとすごーい。キッチンカウンターをタイルから御影石の一枚に変えるのはさすがにプロにお願い。そうこの10年いろいろ自分でやったジョンは今のうちに特に思い入れが、、、)

米国の家購入事情の続き「新築か中古?」:Concinued Real Estate in the USA

家購入について書いていたら止まらなくなった。ジョンや不動産屋におまかせして探しまわった前回10年前と違い、今回は私が乗り気でいろいろ情報を集めて自分自身で条件にある家のリスト作りをして見て回った。そういう理由もあって家購入が決まった時は感無量。

止まらなくなったついでに家に関する情報や新たなる発見を続けて記載。お時間があったらおつきあいください。

そういえば10年前にはなかった家探し情報のひとつとして、今回は不動屋さんに私たちの好みの家の条件を示した結果、条件にあう家のリストが不動屋さんから毎週メールで自動送信で送られてきた。それぞれの家の情報がインターネットにリンクしていたので、その中からさらに詳細な情報を得て、最終的に見学を希望する家を自分で絞り込むことができた。そのシステムの便利な変化もあって、私たちの決定が比較的スムーズにいったのかもしれない。この10年の時代の変化(不動産ネット時代の到来&普及)を感じます。

余談続きですが、「新築か中古か」についてもひとつ。日本では家を持つということはたぶん新築の家のことをさす事が多いのではないかと思う。実はアメリカでは、自分たちで新築の家を建てたりするのは稀。よっぽどのお金持ちか、土地をすでに持っていてその上にという他、街から離れた山奥とかに自分たちで安くでカスタムハウスというパターンもないことはないけど、一般的に中古での購入が普通。

ちなみに今の家はなんと1941年築 (約1,300 ft2/ 0.1 acre)。そう70年前!これを知った母は当時「え〜そういう家しか買えなかったのね〜」と(私たちの経済状況に)同情してくれました。苦笑の私たち。確かに日本では築35年以上の家は資産価値0とか。それを思うと母が築70年の家を傾きかけたボロ屋と思ったのもうなづけますね。ここは日本と比較して一般的に乾燥しているせいか家が持つようで、築年数で資産価値が下がったりはしないよう。むしろある程度古い方が使ってある木材がよかったりして人気がある。ここチコでも築50年の物件は普通。持ち主が変わるたびにアップグレードしているようで、ぱっと見にはその年数はわからないのが常。

今度の「新しい」我が家も実は、築50年弱の 1965年生まれ(^_^)。見て回った数ある家の中でお気に入りのフロアプラン。他にないユニークな(?)私たちらしい家かな。ゲストルームも一部屋確保(これで来客のたびに勉強部屋を提供することなく、ゲストにも専用のお部屋をやっとご提供)。全体的に少ーし広くなりました (約1,900 ft2/ 0.18 acre: *単位変換サイト)。一度遊びに来てね!

バブル崩壊「ショートセール&フォークロージャ」:After the Bubble, "Shortsale & REO (Real estate owned)"

家購入の追記情報。ちょうど10年前2001年、私たちの初めての家となった現在の住居「中古の我が家 ^_^」を購入した時と違って、(買い替えこれまた中古)家探しの手続きが今回はだいぶ違った。それは「ショートセール (Short Sale)」というカテゴリーの家を購入することになったせい。

一言でいうと、家のローンが支払えなくなった人が銀行差し押さえの前に売りに出すケース。買い手にとってお得な価格であることが多いけど、購入者が決まっても、最終的にその売値でよいかどうかを銀行側が判断するので、その許可が下りるまで、時間がかかることが多い。(私たちも不動屋さんから早くて二ヶ月へたすると2年くらいかかることもあると言われましたが、ラッキーなことにひと月でおりた。バブル崩壊後、こういったショートセールの家が増加して銀行側もあまり精査をしなくなったのが原因?と早い理由を勝手に想像したりしています。)

ショートセール(Shortsale)のカテゴリーと別に完全に銀行名義のフォークロージャー(Foreclosure/REO: Real Estate Owned )というのもあります。日本語では「強制不動産執行」と訳されるみたいですが、すでに個人から銀行名義の不動産になったものという意味かと。これらについては、将来アメリカで家を購入する人たちのために、機会がありましたら、また説明しますね。

(*チコの街に移り2年間アパート暮らしの後、2001年購入した今の家はそのバブルのちょい前で、上記の2種類ではなく一般的なカテゴリーの家でリーズナブルな価格で購入することができた。偶然とは言え、不動産バブル前の購入というタイミングで助かったのも事実。)

2011年12月27日火曜日

我が家購入もそろそろ大詰め:At a title company in Chico

年の瀬も大詰め。一時あの悪夢の日本経済バブル崩壊同様、米国も住宅投機バブル(2003-2006)にわき、家の価格がそれ以前の2倍(200%)に跳ね上がってしまったクレイジーなチコの街も、そのバブル崩壊後、家の価格がここ数年で急落。一時はその高さに家の買い替えなんて夢の夢とあきらめていた私たちも、よい中古物件があればちょっと大きめの家に買い替えても良いねと話し始めたのが去年の暮れ。
(*余談ですが、米国では家の特に中古購入や買い替えが結構頻繁。アパートの借料を払うくらいなら、それをローンの返済にあてて自分の家を持つのがベストという考え方の上に、日本より比較的楽な手続きでできるため。たぶん日本のように「連帯」保証人など必要なく、自分たちのみの責任でローンを組むことができるのが家購入に踏み切る決断の主な理由?)

その後年明け早々からいろいろあって、本格的にリールター(Realter:不動産屋)のテリサを通して物件を回り始めたのが、今年の9月。前回の家探し(現在の家)の時は確か半年以上かかった。今回は思っていたよりずいぶん早く意中の家が見つかり、購入を決めたのが10月の半ば。わずか一月半で決定。それでも回った家は20軒はくだらない。

家探しスタートから早三ヶ月。いろいろな手続きの後、最終的な購入手続きもいよいよ大詰め。今日(Tue., 12/27)はタイトルカンパニー (title company:名義替え手続きの会社というところ?)へ。ここはどうもローンを組む会社レンダー(Lender)と借りる側私たちの仲介役存在で、ここを通してローンの契約書類にサイン。何十枚もある書類を一枚一枚タイトルカンパニーの担当者が説明しながらサインする場所を指示。それに対してふむふむとサインをする私たち(ジョンは確認しながらだけど、私は言われるままにサイン。)これでこのサインした書類に不備がなければ、最終的にローンのお金が現在の家の持ち主側(今回はショートセールでの購入なので、個人ではなく銀行)へ支払らわれる。最後に名義登録変更が無事完了。そして晴れて「我が家」となる。うまく行けば、今週末金曜日に。そうでなければ、来週早々年明けに「我が家」誕生。

(追記:12/29木の午後、そのレンダーから電話あり。ローンの最終確認として、大学関係者と直接話をし、私が本当にそこで仕事をしているのかを確認する必要があるとかで、それを証明する人の電話番号を教えてくれとのこと。同僚で現在学部のチェアのテリサを紹介。無事確認。これでレンダーから銀行側への購入費用移譲無事終了 ^_^!)

2011年12月26日月曜日

2011年締めくくりに送る家族レター:2011 End of the Year Letter

2011 End of the Year Letter

Here comes another one,
Here it comes again
Here comes another one
When will it ever end?
-Monty Python

Well, another Xmas has been Xed off the calendar and I’m cleaning up the detritus, including all those tree needles. After a ten-year study, I’ve concluded that there are an average of 2,848,321 needles on a six foot Douglas Fir, 1,249,634 of them that end up on the floor. Go ahead, count them. See, I told you.

The best birthday present this year was that the world didn’t end as predicted. The rapture was scheduled to happen on my birthday, but due to a mathematical error, we dodged it again. Like Barbie says, “math is hard!”

We’re spending the holidays at home this year. We’ve had fabulous weather for hiking, bike riding, and playing tennis. You know the guy who wrote “White Christmas” lived in California. I’ve been working as Interim Director of the Nature Center for 3 months, so it's been busy for me. I’m ready to get back to teaching nature and away from deciphering financial reports. Although I have to say that having 11 bosses (board of directors) is at least 11 times as much fun as having one. The new director looks promising.

Masami got a bigger house for Christmas. I got more work. The two things are curiously related. All I ever wanted to own was a bike, a saxophone, and a Volkswagen camper van. Somehow I ended up with two houses to take care of. How did that happen? Don’t even ask me about toilets.

This spring, Masami went in for a routine colonoscopy and they found a tumor almost completely blocking her colon. She went in for surgery a few days later and made a full recovery. The doctors said that if you have to have to have cancer, that’s the way to do it. She continued to be the University’s “Outstanding Teacher of the Year” for the whole year.

We went to Europe for a month this summer, to Germany, the Czech Republic, Austria, Hungary, and Italy. Highlights were: a castle cruise up the Rhine, kayaking in the Czech Republic, the ballet in Vienna, ropes course and hot springs in Budapest, Venice at night. Other trips: Masami went back to Japan a bunch of times (I’ve lost count), Theo went with her for the rest of the summer, and we all went to LA to wish my great aunt Margot’s 100th birthday! We got to meet my brand new niece Charlie when she came to visit (with her parents) in May and my mom and Masami’s mom came in April for Masami’s fundraising event for the Japanese earthquake and tsunami survivors. Masami’s mom is enjoying her dementia for the most part, although the trip was disorienting for her, and she kept trying to walk home to Japan. So Masami thought it would be a good idea to take her to Las Vegas.

Theo has had a good year in 8th grade, doing well in all his classes, but getting an “Outstanding Gator Award” for being a “Fantastic kid and amazing artist” in his ceramic class. He has been making some great art and setting a great example for his fellow students. He’s switched to electric bass for his main axe.

Hope all is well with you and best wishes for the New Year.

Love,

Jon, Masami and Theo

クリスマス明けの海と私のデザート競争:Sweets One Day after the Christmas

超お勧めの超(手抜き)簡単ホワイトケーキのご紹介。

まず既製のエンゼルケーキ用スポンジを用意($3.99)。3段にカットして、下の段にイチゴジャム、その上の段にマーマレードを塗っておく。

そして、ホイップクリーム作り(写真2:撹拌している時に間違って床に〜>_<,,,)とスポンジの間に挟むイチゴとブルーベリージャムを。フローズンフルーツに奄美のざらめで煮詰めただけの簡単シロップジャム。完全に煮詰めないで汁気を残しておく。(写真1:そのベリーシロップを間に。汁気がスポンジにしみ込んでいる状態)。

写真3&4:その周りにホイップクリームをナイフで塗って行く。写真5:残りのベリーを上にトッピング。これだけ。でも思っていたよりずっとジューシーでおいしくて、一人で半カットを食べてしまった。 写真6:ケーキをカットした中にベリーベリーがたっぷり。

最後写真7:海のチョコチップ入りパンプキンマフィン。これまたできたてがほかほかで中のチョコがトローリとおいしい。
(*でも個人的には、スウィートはあまり作らないことにしている。間違いなく味見で太るし、家族用に作るとまず残ってしまう。それを処理するために、、、結果はあきらか >_<,,,)

クリスマスナイト一夜明けての食風景:A Food after the Christmas Night

クリスマス一夜明けての食はもちろん残り物。でも今日は七面鳥の残りではなく(いつもはこの後スープに)、冷たーいごはんの残飯処理の定番「焼き飯」。うちはネギに卵にガーリック。そして最後に海のリクエスト「かりっかりっでね!」のベーコンをたっぷりかけて出来上がり。味付けは塩とこしょうのみ。これが結構海のお気に入り(ベーコンぎらいのジョンは自分一人で七面鳥の残りでサンドイッチ!)それに海がクリスマスディナーに作った残りの「ポテトチャウダー」をプラス。これが一日置いて味かよりリッチに。

私のエナジードリンクはもち「コーヒー」。そのコーヒカップは同僚陶芸の教授キャメロン作。去年のプライベートクリスマスセールで傷物とかで$25で買ったお得品。私のお気に入りのマイコーヒーカップ。ジョンもデザイン違いで一つ。これまた彼のお気に入り(^_^)

2011年12月25日日曜日

2011年クリスマスにやった事&思ったこと: Doing & Thinking on the day of Happy Merry Christmas!

今日は朝から電話でジョンの親戚へ&からのメリークリスマスラッシュ!そしてクリスマスツリーの下に置かれたプレゼントの開封。いつもの光景。(今年は既にプレゼントは購入して渡してあるので、ほとんどが私のラップしたフェイク、形だけのプレゼント。あっという間に開封終了 ^_^。)

そしてお昼過ぎ、今年は三人で自転車こぎこぎ近くのチコ高のコートへテニスをしに行った。まっこと健康的な昼下がりのクリスマス。

その後、私は1時間程で一人うちへ。クリスマスディナーの準備といいつつ、実はNHK少年クラブプレミアム「平家派」(ジャニーズ関係のトーク番組)をだらだらとでも結構楽しんでみる。準備が進まない中、おっまずい〜ジョンと海が帰宅。今年は三人三様の一品を作ることに。ジョンはいつもの「七面鳥」担当。海は中学の選択でとったフードのコースのお気に入り定番「ポテトチャウダー」。私は今回はデザート担当。クリスマスカラーの赤の「ベリーベリーケーキ(いちごストロベリーとブルーベリーをトッピング)」と緑は「抹茶クッキー」を。

七面鳥はオーブンでセット。焼き上がったあとのつけあわせが実は大変な七面鳥。それまでは自由時間のジョンはいつものようにのんきにサックスでクリスマスソングのBGM?私は海のアシスタントでチャウダーの下ごしらえのお手伝いとデザートの下ごしらえを着々と。この後、七面鳥が、、、といつものようにいろいろありましたが、無事オーライ。お祈りも何もない無宗教の私たちでも、なんとなく特別なクリスマスの夜。電飾つららで飾られた我が家。クリスマスの夜の闇に静かに浮かんで、、、今年のクリスマスも静かに過ぎていきます。Happy Merry Christmas Night to You zzzzzzzzzzzzzz

2011年12月24日土曜日

クリスマスイブに思う事:Thinking on the day of Christmas Eve

昨日海が友達のところに急遽スリープオーバー(Sleep-over:お泊まり会)することになり、ジョンと二人きりで夕食をとることに。海の好きなぎょうざを用意していた私は、これを明日(クリスマスイブ)にまわして、これまた急遽残り物ですますことに。そして、海と一緒では滅多に作らない、自分の本当に食べたいものものを作ることにした。

半分食べ残し状態になっていますが、写真がそれ。「出し巻き卵(ネギ入り)」に「蒸したブロッコリー」のつけあわせ(これは例の大腸がんを患って以来、医者から繊維物のお野菜をとるようにと言われ、うちの定番に)。「薫製オイスターの甘辛煮」(一缶99セントのやつをあけて、奄美のざらめと醤油で甘辛く煮詰めただけ)のつけあわせに「永谷園の鮭茶漬け」(+ 写真には写ってませんが、日本から持ってきたお湯を注ぐだけの「インスタントのみそ汁」も)。そうこれだっけ。年をとってくるとこんなもので本当に十分ごちそう。(ジョンはオイスターの甘辛煮はだめだけど、私はこういったもが無性に食べたくなる時がある。)

海を含め三人での食事風景が、こういう風にジョンと二人だけで食べることも多くなっていくのだろう。当たり前に思っていた日々の生活パターンが当たり前でなくなっていく。さすがにこの春体調を崩して以来、当たり前のことがとても有り難く思えるようになった。

そういえば去年のクリスマスイブはどう過ごしたかが気になってをブログで見返してみた。去年のイブの日は翌日のクリスマスディナーの前日でもろ手抜き料理。今年も全く同じでデジャプーかと思う程。思わず笑ってしまった。今年もまたいつものイブにいつものクリスマスを家族三人で過ごせることにただ感謝。

2011年12月23日金曜日

ベストクリスマスムービー2011「Arthur's Christmas」 in Animation?

冬休みで退屈している海のお供で(というより自分も好きだから)今月はよく映画を見にいっている。先日もスピルバーグ監督の「The Adventures of TinTin」と見にいった。同タイトルの有名なアメリカンコミックの3Dシアター版。う〜ん。テンポもよかったし悪くはなかった。実写に限りなく近いアニメーションフィルムってところで、テクノロジーにチャレンジの画期的なフィルムであることはきっと間違いないのだろう。でも、見終わったあと、これだとアニメーションでやる意味あるのかなあ?とジョンも同意見。(たぶんオリジナルのコミックの絵が好きな人たち、私も含めて、はきっと同じ事を考えたと思う。)結果的に読み終わった後のストーリも残らなかった。でもあきらかに第二弾を想定しての終わり方でしたね。Rotten Tomatoes の批評は70%台。

それに反して、評判がよかったのが、この「アーサーのクリスマス (Arthur Christmas)」。同批評サイトで90%台の高記録。その割にはすでにシアターでは一日一回の朝一の放映になっていて、どうもクリスマスの日が最後。ということで、急いで家族で行ってきた。ソニーの配信。批評サイト通りこれがお〜という素晴らしいプロットに仕上がっていました。

ビジュアルもあまり好みのスタイルのアニメではないし、定番のクリスマスでサンタの話だし、どこをどう変えるのか?と思っていたら、そうかその手があったかと思わず感激。一言で言うと、サンタ一家のクリスマスイブのお話。親子(父と息子)のジェネレーション交代の話とも読めるし、できのよい長男とぱっとしない次男の兄弟の話にも読めるし、伝統と新しいテクノロジーとの折り合いの話とも読める。その他いろいろ。クリスマス夜明け前、わたし忘れた最後のプレゼント「自転車」を渡すために奔走する次男アーサーと引退した元サンタ(おじいちゃん)、トナカイ、そしてエルフ(プレゼントのラッピングが仕事)のブラウニーのかかわり合いが秀逸でした。最初の出だしが、「うわ〜アメリカ的今時発想のプレゼントのデリバリーシーン!」とおもわず感激してしまったひろいものの。お薦め。

でもきっとこれもすぐに忘れてしまうんだろうな。アメリカのフィルムの世界(特にアニメーション)は次から次へと新しいものが出てくる。量産の世界。この世界と対抗する日本の「アニメ」にはやはり宮崎さん的職人芸の世界で勝負するしかないのかも。宮崎さんのようにその名前がすでにブラント化している人以外は、商業的に成功するのは至難の業だと思う。その名前で観客を呼べるアニメーション作家といえば、実はアメリカにもそうはいない(かも?)。私の好きなのは、もちろん「Nightmare Before Christmas」のTim Burton。シュールな雰囲気が大好きだ。この人の作品なら、なんでも見にいきます。

さらにもう2枚ーなんかおかしい海のiPhoto写真:Additional two more Kai's pictures by iPhoto

これまた先と同様にラップトップのMac内蔵のカメラに向かってポーズ。それをそのまま内蔵のソフトiPhotoの機能で遊びながら加工していたもの。(トップの4コマは「ミラーイメージ(鏡)」で写真中央に鏡をおいて映るイメージができる機能らしい。下は一番最初に映したもので、単純に色を加工しただけのもの。)それにしてもこどもは早い。「習うより慣れよ」の典型。私がえ〜と考えている間に、ちゃちゃと使いながら学んでしまう。ちょっとかなわないと思ってしまった夏の日の思い出。

2011年12月22日木曜日

カウントダウンのクリスマスへ向けてどうでも良い写真を一枚:Count Down to Christmas!


この夏奄美に帰省中、新しいMacのラップトップに入っている iPhoto で写真を加工して遊んでいた時に偶然できた写真(海 作)。アンディ ウォーホールの作品(写真左:"Little Race Riot" by Andy Warhol, 1964)に似てるね〜とその多機能にちょっと感激した偶然の産物。

2011年12月21日水曜日

ジョンからちょっと早めのクリスマスプレゼント?:A fishy Christmas Present from Jon!

なんかやたらと大きな箱が二つリピングに鎮座ましましていた。何?と聞く私に、「君へのクリスマスプレゼント」とジョン。なんかにおうな、ほんとに?と素直に喜べない私。(だいたいこんな大きなプレゼントなら、前もって欲しい物を聞くのがいつものジョン。聞かれた覚えが全くない!)

ふ〜んと思いつつ、それでも「もしかしてサプライズ?」とちょっとうれしくなった。「私の方はまだ何も買ってない。何か欲しいものある?」と聞いてしまう私。それに「いや〜もう自分自身のためにカメラを買ったから」とのこと(これまた何も聞いてないぞ。ますます怪しい〜)。

翌日の今日(12/21)。あっそう言えばと思い当たるものがあったので、、、聞いてみるとその通り。「よくわかったね。」とジョン。女の記憶力を過小評価してはいけない。いつ何をいったか、特にだんなの言葉は結構覚えているのである。(だいたいだんな本人が何をいったかを覚えていないケースが多いけど。)さてそれは何かと思うと、、、写真はまた明日(ワハハでした)。

(追記12/22)何のことはない、水漏れしたトイレにかわって注文して届いたばかりのトイレ(便器)でした。思わずデュシャンプ (Duchamp)を思い出して、笑ってしまいました。(デュシャンプの作品「」Fountaion(泉)」は男性用トイレにサインを入れたものでアートの定義をゆるがす作品として物議を醸し出しましたが、ジョンのこのグレープフルーツを入れた作品はワハハの笑いをもたらしたのみ。でも、、、そのエスプリにさすがジョン「ざぶとん」一枚ね。(今日はそのトイレの取り付け作業で一日奮闘のジョン。夕方帰った私は早速使わせてもらいました。笑。)

2011年12月20日火曜日

冬来たりなば蟹食う季節の到来!:Winter finally came with Dungeness crab!

アメリカに来てみて、あらためてアメリカ人の舌の貧しさ(失礼 >_<,,,)感じることが多い。なんかひと味たらない。たぶん海に囲まれた島国日本の食は基本的にしょうゆ以上に塩味が大切(それに私は奄美大島育ち)。そういう意味で私にはしょっぱさが足りず大味感は否めないのかも。それに季節感があまりない。四季のはっきりしている日本では、温室栽培や輸入もので季節に限らずたいていのものが年中食べれるけど、それでも日本人は「初物」という言葉に弱い(のではないかと思う)。

それに比べてアメリカは、、、いやはや文句ばっかり言ってはいけない。(結構いい年になると、特に育った味に左右されがちになるのも事実よね〜。)

そんな私でも一つだけ季節をはっきり感じる食がある。心待ちのかにっ!そう「蟹」。この時期蟹好きの私の待ちに待った「ダンジェネスクラブ (Dungeness crab)」が旬の季節の到来(*日本語ではその形から「いちょう蟹」と呼ばれるらしい:西海岸の北部からアラスカにかけてが産地)。

今日スーパーに買い物にいったら、やっと会えたね〜という感じで、ガラスケースの向こうにたくさん折り重なって鎮座ましましていた。値段もそうこれこれくらいがお手頃価格のポンド(450グラム)で$4、99ドル(=約4百円)。早速三人分、一人一匹の計三匹( 計$18ドル=千五百円弱)を購入。どうやって食するかはいたって簡単。ゆでて身をとり、それを溶かしたバターにつけてそのままシンプルにがぶり。これが絶品。シンプルイズベストがやはりベスト(^_^)。(*12月25日追記:1年前はどうだったかブログを振り返ってみたら、なんと去年の今頃は$2、99ドル。今年はずいぶん高くなっているよう >_<,,,。)

クリスマスプレゼント郵便配達心待ちの季節: A Season of the Arrival of Christmas Present

師も走る「師走」の12月。日本ではお歳暮の季節。 ここアメリカではクリスマスプレゼントの小包が全米中を飛び回る季節。今日(12/20)私もこの春にお世話になった方にプレゼントを「Priority (プライオリィ:普通と速達の間くらいで米国内なら3-4日で配達)」で出しにいった。

まだ3時過ぎというのにすごーい列。何事かと思ったら、どうも今日がこのPriorityで出してクリスマスイブまでに確実に配達される最後の日らしい。私はクリスマスにはこだわってなかったけど、クリスマスまでに届くにこしたことはない。今日行ってよかった。

うちにもジョンの両親や親戚からクリスマスカードと共にいろいろ届く。それらをクリスマスツリーの足下に置いてクリスマスを待ち、クリスマス25日の朝にこれらを開封するのがお決まり。今日は海の元に大きな小包が一つ届いた。ジョンと海とで相談して、今年のクリスマスプレゼントは自転車をとネットでオーダー。それが今日無事に到着。クリスマスを待てずに早速開封して組み立てにいそしむ親子。(小さい頃は、この時期サンタに欲しい物のリクエストをメモしてドアに張っていた物だけど、いつもまにかサンタから卒業。)

2011年12月19日月曜日

名残の秋から冬支度の庭掃除

紅葉が今年はなぜか見事に感じられた。というよりきっと空を見上げる余裕がいつもよりあったということなのかもしれない。

そんな紅葉日和のチコの街。つい最近まで秋の名残でまだまだ紅葉を愛でる日々が続いていたけど、ファイナルで机にかじりついている間にすっかり紅葉も枯れ葉になってしまっていた。(12/5日本から帰ってきて以来、ジョギングをさぼって約十日。この週末に久々に走ってそれを感じました。街路樹がすっかり裸模様。)

小さな箱庭みたいなうちの裏庭もチャーニーズピスタッチオの木から落ちた枯れ葉で覆い尽くされて久しい。そんな時海に出がけのジョンから命令がくだった。「冬休みでビデオゲームにばっかり夢中になっていないで、庭の枯れ葉のそうじをしておくように!」とのこと。

やっぱり怒るとジョンの方が怖いのか、私が言うよりよっぽど効く。というわけで今日はそんな海の(珍しい)そうじのシーンをすっかり高くなった青空とともにパチリだ!

2011年12月18日日曜日

久々のテニスの後は家族でムービーナイト:A movie night after Tennis (12/18)

映画は割とよく見る。それもシアターで。日本と比較して格段に安いから。うちの小さなTVスクリーンで見るより、大きなシネマスクリーンを前にゆったりとした椅子に座り(そして予告も見れるし)、ヘルシーでないと知りつつ、私はポップコーンをほおばりながら見るのが好き。数時間の短い時間とは言え、完全なる別空間。時々異次元の世界。家族三人で見るのが我が家の慣例だったのだけど、今学期はちょっと異変が。海と二人とか私一人でも行った。

私と海はレベルが一緒で、大きなシネマスクリーンで見る価値のあるスペクタクルなものが好き(個人的には英語が完全に理解できなくても、こういった映画はだいたいストーリがわかるのもトホホな理由)。それに私は人があまりこないウィークデイのアーリーバードの格安料金でみるのがお得感があってよしというタイプ。ジョンは夕方日が落ちてからゆったりとというのが(たぶん)好み。海も中坊になって親子で一緒にという年でもなくなってきたので、思い思いで見るようになりつつある。

先週、週末を待てずにファイナルの空き時間を狙って一人で見たのが、「HUGO」。予告を見たときには、ファンタジー映画かと思っていたら、実はみなしごヒューゴの自分探し(急逝した父のメッセージ探し)の物語。後でジョンと一緒にこれを見た海も同じ事を(予想と違ったと)言っておりました。これは父と息子の二人で見るべきお薦めの映画だと思う。結果的にうちはそうなったからよかったかも。

日曜(12/18)は久々の週末テニスを淳代さん夫婦に泰子さんを加えて、うちら家族で数時間のヘルシーな一日。淳代さんのマイケルがはりきりすぎで足をひねり病院騒ぎになってしまったので、少々早めに切り上げる事になりましたが、結果足をひねっただけとのこと。ちょっと安心。(思いがけず、すっごーく楽しかったので、今後も隔週一くらいでやりたいです^_^)。

さてその後、映画をということになり、「Sherlock Holmes: A Game of Shadows」を家族三人で見にいくことに。金曜に封切りになったばかりの映画館は一杯でした。ホームズ好きな人(私も小学6年の頃にルパン同様に読みまくり^_^) にはよくご存知のコナンドイル作ホームズ作品「最後の事件(1893)」の焼き直しねこれは。ライバル、モリアーティ教授と一緒に滝壺に落ちていくシーンもこの後を知っている人には安心して見れるシーン。

ホームズ映画前作(2009)の時に「お〜あのホームズとワトソンがこんな風にまっちょでたくましい人々に変わるんだ」とちょっと感無量でしたが。イギリスものもアメリカで作るとこうなるっていう典型かも。もちさすがにテクノロジーパワー、ビジュアル的には感激ものです。映画批評サイトRotten Tomatesの評価は 65%くらい。まあまあってとこ。ちなみに先のHUGOは支持率95を超えていました。

これからもクリスマスシーズン映画封切り目白押し。成績付けのあいまに(もとい引っ越し準備もあった >_<,,,)見に行こう!

2011年12月17日土曜日

私の好きなクリスマスソング5:My favorite Christmas Song Best 5

やった〜とにかくこれで大学の義務からは解放。後は成績付けを残すのみ。メールも「自動返信(Auto reply)」で留守(Out of Office)にセット。これで学生たちからのメールの問い合わせからもしばし解放。気持ちは晴れやか〜。

先週にクリスマスツリーも買ったし。今年はこの家で過ごす最後のクリスマス(そうつい最近新しい家に、といっても中古ですが、買い替えたのでした)。腰をすえてクリスマスの準備をしよう!

私の好きなクリスマスソングベスト5を。

1、ワム(ジョージマイケル)の「ラストクリスマス」。("Last Christmas" by Wham, 1984)

理屈抜きになぜか好きなのよね。(そう思っている日本人は一杯いるみたい。でも実は歌詞は悲しい失恋の歌。)そういえばこの夏ヨーロッパ家族旅行の時、チェコのプラハでジョージマイケルのコンサートのポスターをあちこちで見ました。あの人は今?と思いきや。健在。うれしかった。

2、山下達郎「クリスマスイブ」。("Christmas Eve" by Tatsuro Yamashita, 1983)

あのアカペラのバックが最高。この歌がはやっていた頃、私は日系アメリカ人のステイシー(もち女の子よ)と東京勤務の父が奄美に帰るときに残していってくれたマンションでルームシェアをしていたのでした。その1年後1989年に私は渡米。それから音信不通。どうしているのでしょう。この歌を聴くたびに彼女のことを思い出す。


実はそんなに好きな曲ではなかったのだけれど、その歌詞の素晴らしさと共にそしてこの世知辛い世の中、だんだん好きになっていった曲。レノンはやはり天才。そしてヨーコも(日本では不人気だけど私はそう思う)。うちの旦那の名前もジョンレノンオール。(ほんとよ。ファーストネームが「ジョン」でミドルネームが「レノン」^_^)

4、ジャクソン5(マイケルジャクソン)の「ママがサンタにキスをした!」。("I saw mommy kissing Santa Claus" by Jackson 5, 1970)

これは文句なしにかわいい曲。マイケルの子ども時代の高音と共に響き渡る「えっ!ママがサンタ(に扮したパパ)にキスをした!」なんて、トホホなミッドイヤークライシス時代に突入か?の私たちにはちょっとうらやましい。あれはいつの話?ってなもんです。

5、題名は失念「真っ赤なお鼻のとなかいさんは〜」の曲。("Rudolph the Red-nosed Reindeer" in Chicago, 1930s) これまたなぜか大好き。この歌を聴くと歌うとなぜか身体がホップします(^_^)。

以上です。Happy Holiday!!!

竹内まりやの「人生の扉」: "The Door of Life" by Maria Takeuchi

今日(Sat., 12/17)大学学長主催の学年末パーティに参加。大学関係者だけでなく我が街チコや隣町のレディングの市長(二人とも女性^_^)ら行政の人たちも含めて百人以上が招待されての年忘れパーティ。アメリカにいると市長という役職を含め、今更ながら女性のリーダーが多いのに驚く。そしてその女性達(今回偶然皆50歳代)が皆素敵だ。「NPOアマミーナ」のプロジェクトとして近い将来、チコにいるこういった人たちを奄美に招待できる日が来るとよいな。きっといい刺激になるかと思う。(私自身はチコと奄美が姉妹都市になってくれることをずっ〜と願っているのですが、、、そうなると私の仕事もずっとやりやすくなるしね。)

ファイナルの成績付けにお疲れの私は、今日のパーティ参加にちょっと躊躇。でも行ってよかった。そのおかげで素敵な女性に今日は一杯会えた。その50歳代の素敵な人たちへの讃歌、私の好きな竹内まりやの「人生の扉 (The Door of Life)」をここに。

春がまた来るたび 一つ歳を重ね
目に映る景色も  少しずつ変わるよ
陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く
気がつけば五十路を 超えた私がいる
信じられない速さで 時は過ぎ去ると 知ってしまったら
どんな小さなことも 覚えていたいと 心が言ったよ

I say it's fun to be 20
You say it's great to be 30
And they say it's lovely to be 40
But I feel it's nice to be 50

満開の桜や 色づく山の紅葉を
この先いったい何度 見ることになるだろう
ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ
ひとりひとり 愛する人たちのために 生きてゆきたいよ

I say it's fine to be 60
You say it's alright to be 70
And they say still good to be 80
But I'll maybe live over 90

君のデニムの青が 褪せてゆくほど 味わい増すように
長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にでもあるさ

I say sad to get weak
You say it's hard to get older
And they say that life has no meaning
But I still believe it's worth living
But I still believe it's worth living


(そういえば、夏の終わりのあの切ない雰囲気が好きな私は、この人の「セプテンバー」が大好きで、結婚を9月にしてもらったのでした。あっそうだ。まりやさんの旦那さん山下達郎の「クリスマスイブ」も日本のクリスマスソングでは一番好きだ!どうでもよい話だけど、、、笑)

Nature Center Fund-rising Event (9/12): ネーチャーズセンター秋のファンドライジングイベント

これまたかなり古ーい話になってしまうのですが、今学期はじめ頃、ジョンの勤めるネーチャーズセンターでも恒例のファンドライジングイベントがその広大な敷地の中で開催。もちろんこどもたちのための動物タッチのお話会をはじめ、音楽あり、食あり、アートあり、そしてアートのオークションありの盛りだくさんの一日。やはりこれはちゃんとお知らせしなかればと今頃ですが、ブログに載せることに。

ここでは自然界では生きられなくなった動物達(事故で羽が折れたり等)を保護しているところでもある。いろんな小動物がいるのだけれど、これらの管理も含めて、センターの運営から学校とタグを組んで教育プログラムを組み、指導するのが教育コーディネーターでもあるジョンの仕事。私の仕事はジョンのヘルプなしではできないので、いつも引き回しの刑にあっているジョンだけれど、逆バテーンで私が彼の手伝いをすることはほとんどない(というのもヘルプをお願いされたことがほとんどない。いいんだか悪いんだかはちょっと疑問だけど、、、)。けどこういうファンド集めの時は別。行って音楽聞いて、ごはんを食べてくる「さくら」みたいなもんだからかなあ〜。とにかくこの日は行ってきた。たまには旦那の仕事場でうろうろするのも良いものね。

2011年12月16日金曜日

大叔母マヤの100歳のバースディパーティ:Mayan's 100 yrs. Birthday Party & Family Reunion in LA

(マヤとみんなシミバレー(Simi Valley)の大きな公立の公園にて。)

昨年はクリスマス直後に車で南下すること約8時間のドライブでロサンジェルスはジョンのいとこの家族ジョエルに会いに、そしてその祖母マヤの99歳のお誕生日と新年を祝った私たち。

今年はなんとそのマヤの百歳の記念のお誕生日。それを祝うため、北カリフォルニアのチコからは私たち、皆の故郷中西部のシカゴ(ジョンの出身地)からはジョエルの妹ウェンディとその息子ロスが、そして東海岸ボストンからはジョンの弟家族が参加。皆で感謝祭を祝いながらマヤの百歳を祝うファミリーリユニオン(家族の集まり)となりました。

写真上はそのマヤを中心に皆でぱちり。ボストンからまだその時はジョンの弟デリィック家族未到着で参加できずちょっと残念。(*実はこの記念のためにプロの写真家にお願いしてこの公園でいろいろ写真を撮ってもらうことに。日本みたいに写真館で記念写真をというのではなく、外に出てもしくは自宅にプロの写真家に来てもらって、いろいろ撮ってもらうというのが多いみたい。たぶん値段も日本のより格安?)

マヤは70年前のタヒチからの移民でもある。百歳というのにとっても元気で頭もシャープ。シニアタウンで一人暮らしそしてお仲間のお年寄りたちと週末に映画鑑賞やダンスパーティで日々をエンジョイ。孫娘のジュエル家族が近くに住むという理想的環境(?)。(マヤから当時小さな一人娘(ジュエルらの母親で既にガンで他界>_<,,,)をつれて、そのタヒチからアメリカへ移った理由を聞いた。ここにも歴史に翻弄された人がいる。)

その日はジョエルの家での感謝祭の七面鳥ディナーの後、皆でアートを。どれがマヤのでしょう?やったことがないというマヤにアートに関しては「門前の小僧」(なんて行ったら美術教育の先生の私が大学でなにやっているのと言われそう)の私が一応指導(?)といっても、「ほら〜こんな感じでまず水彩画用紙を濡らしておいて、そこに色をたらしていくと、それが広がっていい感じになるのよ〜。」てな具合にやった作品がマヤの作品に仕上がりました。どれがマヤのかご想像の程。他はジョエルの娘をはじめジョンも含めてどれどれと一緒にやったもの。初めてにしてはみななかなか、、、かな。

下二枚の写真は、その南下の旅の前に、海が手作りのクッキーを焼いているところ。去年はジョエルの家族が1月生まれの海のためにブランケット(軽い毛布のようなもの)を手作りしてくれたので、そのお返しの意味もあって、手作りすることに。それを私が焼いた陶器のクッキージャーに入れる予定だったのですが、、、クッキーが大きすぎで入らず、慌ててクッキー第二弾抹茶クッキーも作ることに。結果オーライで2種類のクッキーに大満足の海。もちろん皆もハッピー。一人っ子の海はジョエル大家族の5人のふた従兄弟たちと会えるのがいつも楽しみ。マヤの長寿を祈り、毎年この時期ロサンジェルスへのショート旅行が私たちの恒例行事になりそう(^_^)。そして私は今年、感謝祭の後ロサンジェルスから日本へ向かった。

2011 Last Supper in Art493 class:学年末の後の最後の晩餐の後に


Dear the class of Art493 in Fall, 2011:

It was wonderful to have you to work in the class of Art493.
I hope that the study will be helpful for you to develop your visual communicative skills to teach your own future students with visual arts in the near future.

Happy Holiday (^_^)!

Masami Toku, Ed.D.


2011年12月9日金曜日

チコの街ダウンタウンのクリスマスプレビュー (11/30): Christmas Preview Day in Chico Downtown


今学期も今日で終わり来週の学年末を残すのみ、、、今日はその前11月最終日に行ってきたチコのダウンタウンで毎年恒例の「クリスマスプレビューの夜」(クリスマス前のショッピング宣伝イベント的な催し。やはりダウンタウンのメインストリートを歩行者天国にして、そのストリート沿いの店店で客寄せのイベントをそれぞれが開催)。

なんとチコに住んでもう10年以上にもなるのに、今回がはじめての私。ジョンと海は結構行っているみたいだけれど、この時期ファイナル前でいつも四苦八苦している私は覗いてみる元気が今までなかったのね。きっと。

(写真上はショップの上のベランダでクリスマスソングを歌っているところをストリートから見上げる人々。いろんなショップの中、チコのダウンタウンはアートギャラリーもたくさん。その中心的存在の「Chico Paper Company」。クリスマスネオンで飾られたショーウィンドーの中にはカリフォルニアの絵ハガキによくなっている版画ぼオリジナルがたくさん。もちろん店内も所狭しとたくさんの作品やアート関連グッズが。その狭いなか生バンドも。ここでは私の友人ベースのクリスティンを中心にジャズ演奏。)

そして各お店ではクッキーやアップルサイダーを振る舞ってくれます。それぞれのお店を回りながら(ジョンと海はこれがたぶん目当てだ〜)いろんな音楽も聞け、目でも耳にでもそして舌でも多いに楽しめるクリスマス前のほっとするひと時な夜。思っていたよりずっと楽しかったので、来年も来れるとよいな(そう余裕がとれるような年に来年なりますように。ちょっと、もといかなり早いけど、そう願いながら私は回りました ^_^)。

2011年12月4日日曜日

奄美便り:奄美の秋はヤスデで一杯(涙)!それにも負けずいつもの同窓会(笑)!


今回の秋の奄美帰省はいつもの母の様子見に加えて、現在進行中の「NPOアマミーナ」の来年度のプラン作りにという名目。これについてはまだオフィシャルでない部分が多いので、決定後にいろいろとまたこのブログでご紹介する予定。

写真上はいつもの高校時代の同窓会。私が所属していたバスケの面々との飲み会。実は50も過ぎるというのに、男子(きゃーこの呼び方が女子ね。笑。)たちは「ダンク」というバスケのチームを組んでいまだにやっているらしい。すっごい!(写真左から川島おっちろう、昔はバレー部で今バスケの森けいじゅ、武井辰秀、そして隈元和範。)私の隣はこの飲み会場「焼坊主(やきぼうず)」の女主人、ますみ。もち女子バスケの同期。ここは安くて本当においしくて、私たちが飲む時はいつもここ。この日はあまりにお腹がすいていた私は7時集合のところ1時間も早く行き先に軽く一杯、そしてなんと12時近くまで6時間の長居。皆で多いに盛り上がったのでした。(あ〜楽しかった。おいしかった。)同期はいいね、やっぱり。あの頃は同じ体育館で男女練習をしていてもほとんど口をきく事もなかった男子と女子の私たち。年をとってこんなに楽しく飲める日が来るなんて、あの頃は想像だにしていなかった。次は来年の3月父の七回忌での帰省の予定。「ちゃ〜まさみが帰ってくるんだれば、わんなんかもバスケの試合やらんば〜(通訳:そうだよ。まさみが帰ってくるんなら、俺等もバスケの試合をやろう。)」とは元キャプテン武井の弁。バスケの試合を組むと言ってくれていたけど、、、たぶん今頃覚えていないねきっと(笑)。

下2枚は、奄美を離れる前日母と一緒に久しぶりにショッピング。その帰りにカフェラテで一服。カップの中にミルクで描かれたうさぎの模様があまりにかわいくて思わず写真を撮った私。こんな器用なのアメリカでは滅多にお目にかかれないもの。お母さん、また来年。また帰ってきますね。今度は姉弟家族みな一緒。楽しみ。