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2011年4月30日土曜日

A Lunch with International Students (4/29/11):毎年恒例留学生を招待してのランチ、今年はどう?!

大学の国際学部のイベント/プロジェクトの一環として、春に留学生を大学のファカルティやスタッフの家にランチやディナーに招待というのがある。ボランティアでの招待なので、それに参加するかどうかはもちろん自由。私は、、、自分も留学生だったのといろいろ日米文化イベントなどで国際学部にはお世話になっているので、昨年に続き今年も参加することにした。が、、、その日を4月29日(土)にリクエストしていたのを、実はすっかり忘れていた。今学期はこのブログにもいろいろ書いているように、多くのことが一度にあったので(言い訳)。キャンセルしようかとも思ったけれど、コーディネートしている人の大変さは私もよくわかるので、とにかく予定通りゴー。

私に振り分けられたのは、今回はマスターの留学生二人(Lamia & Seda)に国際学部で仕事もしている学部生一人 (Kevin)。いつものように最初の予定の世話役のアメリカ人の学生二人が数日前にキャンセル。(国際学部は留学生とアメリカ人という組み合わせにして振り分けているよう)「またか」と思っていたら、今回はちゃんと代役(それがケビン)を立ててくれた。結果オーライ。アルメニア人のシーダとアルジェリア人のラミア(モスラム)とケビン。それにけいさんも加わって、大いに盛り上がった。やはりマスターの留学生は違う(とバイアスをかけてはいけないのだろうけど、今回は少なくともそう思ってしまった。二人とも英語がとても流暢で、そして米国に留学してきた目的意識もすごーく高くて。政治から宗教、そしてそれぞれの国における女性の現状について盛り上がってしまった。

(ラミアは4回目のフルブライト留学申請でやっとゲットとのこと。意識が高いのも頷けますね。でも希望大学の選択肢はなく、希望専攻などによって、国が決定するのだそう。ということはうちの大学は優秀な学生のリクルートや留学受け入れに前向きということですね。この数年特に中東の学生がうーんと増えているのもその一環でしょうか。私自身の経験からいって、正直な所留学生は「かもねぎ」と言っては失礼ですが、個人もしくは国が全額、それもじもっちいであるアメリカ人の3倍の学費を払うことになるので、経済破綻寸前のカリフォルニア州では、留学生ゲットに力を入れるのも納得。)

アメリカ人のケビンは、学部生でまだ若いのだけど、海外への留学や旅の豊富な学生のようで(国際学部で仕事しているくらいだからそうだよね)、話題も豊富。静かな口調ですが、視野も広く自分の意見もきちんと持っているというのを感じました。

今回は準備の手抜きをごまかすために、カリフォルニア巻きを皆で作ってみよう的なランチにしたので(写真)、それでも皆で一緒だと楽しくやれました。今回は海もランチ作りを手伝ったくれたのも助かった。けいさんもいつもの如くポトラック(いなり寿司)を作って来てくれたし。感謝。(ジョンも最後にジョイントできた ^_^)

今日キャンパスでは、International Festivalも開催されていたので(このこともすっかり忘れていた >_<,,,)、それにあわせてすこーし時間を遅らせて2時にランチスタート。写真の通り。今回のメンバーとは今後も連絡を取り合う事に(^_^)。私でさえ、アメリカでサバイブできたのだから、優秀な留学生二人、シーダとラメリアはNo Problem!

2011 International Festival (4/29/11):インターナショナルフェスティバル at Chico Campus

毎年春恒例大学キャンパスで開催のインターナショナルフェスティバル。ここ数年の特徴は中東からの留学生の増加。
その中東の中でも、サウジアラビア、首長国連邦、クェート、この三国から。私の教えるGE (General Education:一般教養) 「Art100: Art Appreciation」の学生120名中20~30人が中東からの留学生とあって、私もどれ見学にということで、昨年のフェスティバル同様足を運びましたよ。いろいろ聞いてみました。中東の伝統服(というか日常服)の左右の違いわかる?左は冬服で右は夏服との事。始めて知りました。そしてこのサングラスの女子学生二人。これまた違いがわかりますか?ベールの撒き方。それに多種多様なデザインがある。伝統的に限られた条件のもとでも女性の美に対する追求心はどこの国でも同じね。最後の写真はおまけ(失礼)。チコにもあるコミッククラブの同人誌。現在美術教育専門の学生ケレン(男子中央)がその代表。みんなやはりおたくだそうで、傾いたクラブを立て直し中。がんばれ〜!

2011年4月29日金曜日

コロンキャンサー顛末記最終報告: A Final Report about my Colon Cancer (4/29/11)

大腸がんの手術(3/14)の後、なかなか日程が会わずに、術後ようやく45日目にして、やっとガンのポストトリートメントを専門とするDr. Potterに4/29(金)の今日午後、2時に会うことができた。

その間義援金プロジェクト(4/9)や母をつれてのラスベガス旅行(4/11-14)、そして母を伴っての帰国(4/16-25)。奄美まで母を無事送り届けるまでなかなか予定が組めなかった。

でも急がなかったのにも理由がちゃんとある。既に執刀医であるDr. Ludwigから手術の結果、まず間違いなくキモセラビーなどの術後治療必要ないだろうと聞いていたから、特に急ぐ必要もなかったのも事実。それに、先日4/27(水)にそのDr. Ludwigに術後2度目の検診(1度目は術後10日目の3/24)を済ませたばかりで、Dr. Potterにまだ会ってない事を伝えると、あくまでもセカンドオピニオンとしてのアポで結果は同じだろうからそう急ぐ必要もないと言われたばかり。安心して、会うことができた。

それでもちょっとどきどきして出かけた。お茶のみ話のように日本帰国の話しや私の大腸がんの原因など10分ほど話しただけで、キモ治療の必要なし、今後の再発の可能性も限りなく0に近いといううれしい話しで終了。予想通りだったとは言え、専門医からはっきりと告げられたのでほっとしたのも事実。これで2/16に内視鏡検査結果から始まった約二ヶ月半の闘病生活(?)からも晴れて開放。あっという間と言えば、あっと言う間。二ヶ月半でさえこうだもの、先の見えない闘病生活と日々闘っている方々の精神的肉体的苦痛を思うと心が痛む。短い期間で済んだ私はその人たちの分まで、ちゃんと生きていかなくてはいけないのだと思う。

その二ヶ月半の間、結果的に忙しく日々を過ごし、あまり自分の命について考えないまま(というかあまり深く考えないように)過ごしてきた。命の拾い物をさせてもらった私。せっかく延ばしてもらった寿命をどう使うべきか、これから少ーしゆっくり考えてみたいと思う。

(写真はこの内容とは全く関係ない富士山の写真。今回の帰路、羽田から関空へ向かう飛行機の中で見えた景色。今までも何度も飛行機の中から富士山を拝みましたが、今回のように近くて大澤崩れをはっきり望むことができたのは始めて。今日の最終報告を受けて気持ちは青い空。それを表現してみました ^_^)

海の中学校の中世イベント: Medieval Event at Marsh Junior High School (4/28/11)


いやー楽しかった。4/27(水)は海の中学校で「中世史イベント」のようなものが開催。なんでも歴史の勉強の一環らしい。写真の通り、中世のコスチュームを着てのタグマッチ(綱引きね)。修道士グループ、農民グループ、騎士グループ、などなど、グループにわかれてのタグマッチ。(あれっなんか去年見たような、、、と思ったら、エジプトの勉強をした時の使い回しでコスチュームやなぜか空手着の子もいるぞ、なんでもありだね。笑える〜。そう言えばコスチュームコンテストもありました。)その他、中世の武器を模倣しての戦いゲームを。騎士道を意識して、ジェントルマン的にひさをついて礼をして戦いに向かうやり方も、その前にそれぞれの武器の説明を先生方(もち中世コスプレ。笑)がちゃんとしてくれるのがうれしい。

さてさてコスプレをせずに見学や保護者のボランティアで販売されるバーベキューに舌鼓の子等も。海はもちその一人。(コスプレ参加の方がおもしろいのにねっ。)その他これ中世のコスチューム番外編?っとつっこみをいれたくなる「パンクヘアー」もおりましたぞ。それも親と楽しく会話しながら、、、日本の中学では絶対ありえない光景。

(私達は見逃したけど、手作りの「投石機コンテスト」ってのもあって、海は二日かけて力作を作ったのですが、飛ぶ距離が短くて撃沈。これまた笑っちゃ行けないけど、話しを聞いて笑えた。そしてグループプロジェクトで中世歴史ボードというのも展示されていましたね。こういう風にやってくれると、「中世」が魅力的に見えて来るから不思議。良いプロジェクトです。ちょっと感激。)

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2011年4月25日月曜日

福島にてうれしい出来事:A Happy Day in Fukushima (4/24/11)

福島県立美術館にて。美術館に寄贈される椿さん(写真右)の作成された「自転車」とヤノベさん(写真左:両者ともご存知著名なアーティストであると共に、京都造形大学でも教鞭をとられている)。百年は持つという自転車だそう。これを販売しその売り上げから作成費を除いた額が義援金に回るとの事(Great Idea! ^_^)

左記作はヤノベさんのご存知「とらやん」。チェルノブイリに訪問された時、そこに落ちていたおもちゃからインスピレーションを受けてはじまったシリーズ。今回の災害を受けてしばらく閉館を余儀なくされた福島県立美術館ではじまる常設<特別テーマ>展示会「ふるさと 祈り 再生」のメイン作品の一つ。ここでヤノベさんからインタビューをさせてもらったことは予想外の幸運。お二人の作品は私の現在執筆中の芸術鑑賞教育学の本にも掲載させてもらうことを快諾していただいた。感謝。上記右は、その後、渡邊先生のご紹介で訪問させてもらった「鯉アートプロジェクト」の「鯉」を展示してある避難所の風景。約千人の方が生活されているとのこと。ここをアートで一杯にそしてカラフルに出来れば、、、、
その後お二人とは別れ、私は福島大学の渡邊先生のスタジオへ。先生の呼びかけで皆さんのご厚意で集まった画材道具が段ボールに一杯。ただそれを目的別に分ける作業を渡邊先生お一人でやっているのが、、、人手が必要です。(このままだと先生ご自身が倒れてしまいますよ。カリフォルニア大学がもっと近ければうちの学生をお手伝いに派遣できるのですが、とても残念 >_<,,,)

こどもたち参加の「鯉アートプロジェクト」は、セラピテックアートの良い一例。こういう災害など不可抗力の天災による精神的被害者である子ども達のためへの形もあるのだと改めて感じる。感無量。これと併行して、大人(作家さんや教育者)に依頼している、「鯉フラッグ」作成に私も(付けたし?)で参加。突然だったので、どうしよう、、、と思う暇なく、夢中ではまり込んでしまいました。約10分の力作がこれ。できるだけ華やかにそしてかわいくをモットーに、如何でしょう。(椿さんと勝負になったでしょうか ^_^。) (*鯉アート、、、については「Visual Pop-Culture in ArtEd Blog」でも紹介。)

この後満員の新幹線に揺られること約2時間。東京へ。翌日(4/25)日本を後にしてサンフランシスコへ、そしてチコの街へ。日帰りの慌ただしい旅でしたが、今回の福島行きは私にとって、忘れられない旅に。渡邊先生&椿さん&ヤノベさんありがとう。またいつかお会い出来ることを信じて(^_^)。(*下記ヤノベ氏との取材ビデオノート)

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(*実はも一つ予断ですが、、、前日あの「奈良美智」さんが福島入りしてワークショップとこの鯉アートにも参加されたのですね。渡邊先生の突然の電話、「徳先生、奈良さんの大ファンだよね。実は福島にいらっしゃるんだけど、先生も来れます?」と連絡を受けたのが、なんとたった3日前。既に先約があり、それに私は奄美にいたので、今回は泣く泣くあきらめたのでした。渡邊先生、次はもっと早く連絡してね。飛んでいくから〜。この夏きっとですよ!!!!)

2011年4月24日日曜日

君へ贈る「南先生の健康体操」:Teacher Minami's Healthy Exercises

大島高校時代の体育の先生、南先生。もうすでに還暦を過ぎていらっしゃるというのに、見よ、この身体の柔らかさを!ということで、今回霧島近くの国分にお住まいの先生にお会いして食事でも〜という普通の会食にはならなかった。もち地もっちいしか知らないおいしいランチの場所を教えていただいたり、その後ドライブしながら時期があってラッキーのミヤマキリシマツツジも堪能しました。でもそれだけでは終わらないのが、南先生との一日。

その後、ホテルにもどってこのように体操教室にあいなりました。といってもただの体操ではなく、簡単にできる若さを保つストレッチ体操。デジカメでビデオもちゃんと撮りましたので、この後ここにアップしますね。しばしのお待ちを。

マミーナ番外編ー霧島にて:Other Amamina's Matter in Kirishima

自分たちにご褒美。(諸事情によりチコ行きをあきらめなくてはいけなかった)久代ちゃんと一緒に鹿児島へ温泉旅行。そこで中山さんとも合流、霧島へ皆で一泊。これらの写真(一部)がその時のもの。霧島神宮ではいろんな緑が神宮の(ハレの)赤橙に映えて美しい。まだまだ昨年のNHK大河「龍馬伝」(龍馬とお龍最初の霧島新婚旅行?)の影響があちこちに。二人の邪魔をねらって間にパチり。まるで背後霊のようになってしまった私(笑)。その他いろいろ南先生(大島高校時代の恩師)も一緒に既に春を通り越して初夏模様の霧島をエンジョイしたのでした。
国際霧島ホテルでの夕食。霧島神宮のご神木の前で。高千穂の峰(頂上に有名な矛が)とミヤマキリシマ。霧島温泉から立ち上る湯煙。(東北関東震災のことが中心でメディアには登らなくなりましたが、新燃岳の噴煙はまだ。そして現在桜島もとのこと。)

2011年4月21日木曜日

あ〜改めて「食い倒れ飲み倒れの奄美島(あまみしま)」実感:4 Nights in Amami


奄美に皆で帰郷。母をハピネスに帰して正直ホット。あらためてハピネスの偉大さに感謝。やはりこれは、理屈ではなく、身内では難しいことを再確認(身内だからこそ余計な感情がからんで難しいというべきでしょうか、、、>_<,,,)。他人でありそして介護のプロである方々に見てもらうことの必要性と有り難さを、、、何度もしつっこく繰り返して恐縮ですが、再々確認。母もベストフレンドと自他ともに認めるOさんと手をにぎりあって帰宅を喜びあっている。そうか、そうだよね。旅は楽しいけれど、帰るところがあるからこそ。しばらくはゆっくりと旅の疲れをとってね。

さてさて、和代さんのご主人にハピネスまで送っていただき、私もハピネスでおりる。スーツケースの荷物を片付け、そしておみやげを皆さんに。夕方5時頃、再度和代さんに迎えに来ていただき、矢之脇の実家へ、、、という予定が、そのまま夕食のお誘いを。「おいしい魚を食べさせてくれるところがあるんですよ。」の甘ーい誘惑に勝てなかった私。その言葉に偽りなし。浦上のちょっと先、たぶん大熊近くでしょうか「たか」という吉田さんの大島高校時代の同級生のお店。ということは私の先輩でもありますね。ご自分でとってきた魚を調理してくださる。また奥様が育てているという有機栽培の食材で作られた料理の一つ一つのおいしいこと(写真は「しぶり(冬瓜)」で奄美でよく見られるしょうゆではなく、だし汁での煮付け。絶品よ)。手術後始めて飲んだ生ビールのおいしかったこと。う〜はらわたに染み渡るというのはこのことでしょうか。とりたての魚のおさしみに、私の大好きな煮付け、それも奄美でも滅多にとれない石垣鯛(バター焼きの「とこぶし」と写っている写真の魚がそれよ)まで。(なんとご主人&吉田さんのご主人&私の三人で720ccの焼酎を二本空けたのでした。)そして最後に手作りのチーズケーキとコーヒーまで(ここの写っている料理はそのごく一部)。うわっ、これでなんと一人3千円強よ。(私は吉田さんご夫婦にごちそうしていただいたのに、値段を書いていいのでしょうか?和代姉さんにこっそり聞いて、感激したので、お知らせしておきます。奄美に行かれる方、ここは絶対お勧めですよ。私はまた行きまーす。ずえったい!)(写真のお二人が「たか」経営のご夫婦 ^_^)

Safely arrived at Japan (4/17/11): 旅を終え無事日本到着


長旅の最後は、東京にて「新高輪プリンスホテル」にて宿をとる(いつものように楽天トラベルサイトでお得にとりましたよ)。和代姉さんのご友人で関さんという私の大島高校の大先輩でもある方が、宿まで来てくださり、一緒に夕食を。(アメリカ行きの時にも来てくださったとのこと。)この方がばりばりの島口(瀬戸内弁と思ったらかさりんちゅでした。ご本人より訂正受諾 ^_^)でメールを書いてくださるのでどういう方かなあと想像していたら、お若ーいとても素敵な方で、とても還暦を過ぎているようには見えませんでした。世界は狭ーいの典型的な例で、関さんのお兄さんのお嫁さんが母の同級生だった方とかで、アメリカ行きの時の出会いの際にそれを発見し、母と盛り上がったそうです。写真にもあるように、この時も母の腕をさりげなく組んでくださっています。こんな感じで、アメリカでも皆さんに手を引いてもらいながら旅を続けることができました。無事何事もなく帰ってこれたことに感謝。そして皆さんに感謝。(写真左から、高野さんご夫婦。私と母。関さんと和代姉さん。)

(予断ですが、外にでる元気がなく、ホテル内のレストランで夕食をとりましたが、セットでついて来た、ケーキ&ムースのおいしかった事。アメリカでも結構おいしいものをたくさん食べましたが、スイーツに関しては見た目も味も日本にはかなわないとは私の個人的意見です。予断ついでに失礼ですが、震災後の自粛の影響でしょうか、ホテル内の電気も制約。レストランもかなりお休みしていました。ホテルのロビーが薄暗かったのが今回印象的でした。)

Last Night in San Francisco (4/15/11): 旅の最後はサンフランシスコで

シカゴ&ワシントンDC訪問の皆さんとラスベガス旅行帰りの私達は4/14の夜にサンフランシスコで合流。日本に帰る前日の4/15(金)の一日を目一杯サンフランシスコ観光で楽しんだのでした。たくさん撮った写真の中からセレクトしたものをご紹介。2番目の写真は、ご存知ゴールデンゲート(日本語では確か「金門橋(きんもんきょう)」と訳されるはず。これでだいたい年がばれますね)。サンフランシスコと言えば、ここでしょ!というわけで、早速ここへ。実はこの周辺はゴールデンゲートパークという巨大な公園エリアでその中にいくつもの美術館や博物館、そして植物園などがある娯楽エリア。花の季節で橋の周辺は花盛り。最初は歩いて橋を見学(母と私は端っこに立ってそれだけで満足)。

そしてせっかくなのでということで、車で橋を渡りきり、そこの見学エリアからサンフランシスコの街の全貌を眺めたのでした。その橋の下には、かつての海軍の駐屯所(?)見たいなところがあり、そこがハイクラスのヨットハーバーに現在なっているのでした(最初の写真はそこで水兵さんの銅像と女性軍はパチり。写真を撮ってくださったのは、もちMr.Takano)。

その後、再び車で今度はこれまた観光名所の「Fisherman Wharf (漁師波止場)」へ。まずかつての倉庫群(現在観光スポットのマーケット場や博物館になっている)の中から、一番人気の倉庫へ。(ここでも義援金支援ポスターがあちこちに。)近くにアルカポネも収監された有名な牢獄島「アルカトラズ」への観光ボートが出る波止場がある。そして広場へ。政治的な集会が始まろうとしているのか、たくさんの警官が大きな公共彫刻の前に並んでいるのが少し不思議な光景(写真)。

その後、再び車に乗り込み、いよいよ有名はケーブルカーへ(漁師波止場の端っこに乗り場あり)。ただすごーい列で、皆さん見るだけで満足ということで、そのままショッピングへ。ここはお土産屋さんが所狭しとずっと並んでいるところでも有名。もち母も私もここでおみやげを。そして小腹がちょうどよいくらいにすいたところで、夕食、ディナーへ。もち場所は考えてある。私達がここによる時は必ずと言って良いほど寄るイタリアンのお店。名前はいつも覚えていないのだけど、場所だけはしっかり覚えている(今回はじめてその名前がPonpei、、、ということを発見)。実はここ、2002年、私がチコで始めて企画した「奄美大島展」に奄美の方々と渡米した時にも、最後に立ち寄ったお店。その時に食べた魚介類パスタのことを母は今でも懐かしく語ることが多いので、ここにしようと決めていた。そしてその日は母の79才の誕生日でもある。お店の人にそのことを告げると、食事の後、デザートの時にアイスクリームに線香花火(よりもちょっとはでにきらめく)をたてて、ハッピーバースディの歌とともに持って来てくれた。それにあわせて、レストランにいた人たちも一緒に合唱。こういうところはアメリカの良いところ。皆で祝ってくれる。

お腹も気持ちも満腹の身体を抱えて、少し散歩。これまた有名は Sea Lion(あしかやあざらし)がたむろしているところへ(下から2番目の写真がそれ)。たっくさん。これでも少ない方で夏になると遠くから匂いでそれとわかるほどたむろっています。そして空港近くの宿へ。(ここで道に迷ったりしてちょっとたいへんだったのですが、一応無事到着)その夜は高野さんのご主人がフィッシャマンワーフの倉庫マーケットで買われた赤ワインで乾杯。最後の夜に乾杯。

最後の写真はサンフランシスコ国際空港。母も一緒のアメリカの旅。たぶんこれが最後かな。そう思うとちょっとさびしいけど、良い思い出締めくくることができて私は(そしてたぶん母も)満足。皆さんのおかげで良い旅になりました。多謝。

Life in Las Vegas (4/11-14):母と一緒のラスベガス旅行


和代さんや高野さんご夫婦が東海岸へ出かけた翌日の4/11(月)、母と私もキャンセルしかけたラスベガス旅行へ(4/11-14)。そこでシカゴ時代の恩人日山さんとそのご主人に11年振りの再会。お二人とも全然変わっていない。栞(しおり)さんは銀色のベリーショートな髪型でよりクールになっておられました。シカゴからラスベガスに、環境の変化がその影響?

写真はその最後のラスベガスを離れる日のお昼。ラスベガス郊外にある有名はお寿司屋さんのランチブッフェ。写真の通り、日本では見られないいろいろはバラエティにとんだ巻物(軍艦巻きも)が圧巻。にぎりは新鮮なねたに限りのあるアメリカにはあまり期待できないけれど、巻物はびっくりするくらいユニークでおいしいものがたくさん。(私はこれが結構気に入っている。)お寿司以外のメニューにデザートもふんだんで食べ放題。これで一人約$17(日本円で1,500円)。アメリカ人が太る理由は明白ですね。

母とのラスベガスの三泊四日の日々は、夜に居場所を把握できずに少し部屋内を歩き回ったり、鍵を開けようとしたりと、少し私自身眠れない夜と過ごしましたが、すべて想定内の出来事だったので、あまり問題なし。それよりもリオのスイーツの部屋一杯の窓から見えるラスベガスの見事な夜景やネオンに輝くホテルを見ても、ここが日本で矢之脇だと言い張るところがおかしかった。皆で「回りをみてみて、ここが日本で皆日本人に見える?」との問いに「うん。最近の日本人の顔がずいぶん変わって来たのね、、」の回答。そうか、こういうことなんですね、、、等々この数週間すごーく近くでいろいろ一緒に体験したので、新たな発見もいろいろありました。こういうことなんだと私達自身もそして回りの人たちも「認知」の症状そしてその進行について改めて確認できたことはよかったと思う。

最初の日は夜10過ぎにホテルにチェックインでその日はぐっすり。
翌日は日本人マッスルグループ「Matsuri」のパフォーマンスをImperial Hotelで、そしてその翌日は前々から見たかった Cirque Du Soleil の「ミスティア(Mystere)」 をTreasure Island ホテルで 一緒に。昨年12月のラスベガス訪問で安売りチケットなどいろいろ調べることができたので、今回は目一杯そのメリットを使いましたよ。それに母と一緒だと、席もとても良い席でパフォーマンスも目一杯楽しめました。お母さん、たぶん具体的なことは何も覚えてないと思うけど、「楽しかった」という感じだけでも覚えておいてくれるとうれしいです。

2011年4月14日木曜日

Last Night in Chico (4/10/11): 一足早い79歳のバースディパーティ

イベント無事終了。そのお祝いはちょっとお預け。イベントの翌日の今日(4/10)は朝からそれぞれ他の訪問地への移動。それにあわせて私達も早起き。早朝6時過ぎのフライトにあわせて、和代姉さんと高野さんご夫婦をサクラメント空港まで。帰路朝日を望みながらチコへ。その日はゆっくり。

そしてその夜、ジョンと海、それにジョンのお母さんクラウディアも一緒に、うちのお母さんの早めのお誕生日(4/15)を今日一足先にサプライズで。(下記ビデオはその時のもの。お母さん「Happy Birthday to You in Chico ^_^!」)

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2011年4月12日火曜日

2011 Far East Fusion for Relief Efforts in Japan (3/11/11): イベント当日 (4/9/11)


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さていよいよイベント当日Far East Fusion for Relief Effort in Japan。メインの午前の「お茶席」と午後からの「アートオークション」、そしてその間のアート作品その他の即席販売会。どんなに準備をきちんとやったつもりでも、ぎりぎりのところでいろいろあるのが常。快晴の中、野点のための畳敷きや椅子、そして裏方の水屋の準備を済ませ、いざ三席のお点前に。当初の三席異なるお点前を客は皆違うということで、結局同じ「平手前」にすることに落ち着いてスタート。最初は泰子さん、和代さん、そしてさやかさんと、つつがなく進行。一席ずつ入れ替え制にして、その間の質疑応答にも皆さん活発にするどい質問が、、、(うっもっと勉強しなくては)。(写真は左から学長のポールジンク、フィアンセの泰子さん、裏千家の教授、高野さやかさん、裏千家の講師、和代さん、そして右端は正客を何度もやってくださったさやかさんのご主人洋司さんー元民俗学教授。)

午前中から同時進行でオークション会場ではこちらはこちらで準備が進行。寄付してもらった同僚たちの作品を白いテーブルクロスの上に、University Art Galleryの学芸員のジェーソンとジェニーが作品とサイレントオークションの紙を並べておいてくれる。(茶席が終了する1時からスタート予定。)

MLを通して日本から送っていただいた被災の写真を元に急遽美術教育コースで指導したプロジェクト「What's going on in Japan?」のパネルポスターを窓際に。何が起こったのかそしてそれがアメリカにもどういう影響を与えるのかを皆で考えるために。(同じものを野点会場の入り口にも。皆が食い入るように見ていたのが印象的。)

そして会場内には、これまたボランティアでチコ在住うん年になる青(せいこう)さんが生け花(草月)で会場を飾ってくださる。(これがあるのとないのとでは華やかさが全然違いますね。)急遽「寿司コンテスト」から義援金のための「アートオークション」に変更したための宣伝不足が、こちらの方は予想程人は集まらなかったけど、とてもよいオークションになりました。これに参加した人はとてもラッキー。信じられない安価でアーティストの作品をゲットできたので本当の幸運(実は私もその一人^_^)。これらのイベントに参加して小論を書く事を義務づけていたのでたくさんの学生達が今日のイベントに参加してくれたのですが、その中中東からの学生はこのオークションにも貢献(競り勝って本人達もご満悦の様子)。

2011年4月11日月曜日

One day before 2011 Far East Fusion for Relief Efforts in Japan:イベント前日(4/8/11)


4/6(水)にチコ空港で無事到着の感激のご対面(和代姉さんのほっとしたお顔と「無事お母さんをお届けしました。」の安堵のお声が忘れられません。感謝。)その足で韓国&日本レストラン「Annie's」で昼食後、ホテルへ。夜はタイレストラン「Chada Thai」へ。

翌4/7(木)は午前中皆さんにうちに来ていただき、母と一緒にゆっくりしてもらい、午後からチコダウンタウンのファーマーズマーケットへ。私は授業後合流。4/8(金)はいよいよイベント準備へ秒読み開始。午前中はジョンにNature's Center とBidwell Parkを案内してもらい、一足先にオークション会場の準備を済ませた私と午後3時に美術教育の教室(Taylor 201)にて合流。そこでお茶会席のお手伝いに入ってくれる学生達との打ち合わせ。三席のお茶席にあわせて、学生達を三つのグループ(お運び、水屋でのお茶たて、水屋での洗い物)に分け、それを茶席毎に役割を回してやってもらうことに、そしてそれぞれの茶席でJCWC (Japan Chico Women's Club)のメンバーからこれらの学生グループを統括する責任者を一人ずつたててもらうことに。さすがお茶の先生と思ったのは、さやかさんや和代さんが学生さん達にお運びのデモと練習をさせてくださったこと。改めて私も勉強させていただきました。(最初の写真はその記念写真 ^_^)

また、青光(せいこう)さんが、同時に翌日の生け花の準備をしてくださり、それを見させていただきました(写真下)。これまたさすがです。長い事やっていないからといつも生け花のご教示の依頼にうんとおっしゃってくださらなかったのに、今回は義援ブロジェクとということで、こころよく生け花をしてくださることに。それをずっと拝見させていただいて、私だけでなく学生たちにとってもとても良い経験になりました。これまた感謝です。