シカゴ&ワシントンDC訪問の皆さんとラスベガス旅行帰りの私達は4/14の夜にサンフランシスコで合流。日本に帰る前日の4/15(金)の一日を目一杯サンフランシスコ観光で楽しんだのでした。たくさん撮った写真の中からセレクトしたものをご紹介。2番目の写真は、ご存知ゴールデンゲート(日本語では確か「金門橋(きんもんきょう)」と訳されるはず。これでだいたい年がばれますね)。サンフランシスコと言えば、ここでしょ!というわけで、早速ここへ。実はこの周辺はゴールデンゲートパークという巨大な公園エリアでその中にいくつもの美術館や博物館、そして植物園などがある娯楽エリア。花の季節で橋の周辺は花盛り。最初は歩いて橋を見学(母と私は端っこに立ってそれだけで満足)。
そしてせっかくなのでということで、車で橋を渡りきり、そこの見学エリアからサンフランシスコの街の全貌を眺めたのでした。その橋の下には、かつての海軍の駐屯所(?)見たいなところがあり、そこがハイクラスのヨットハーバーに現在なっているのでした(最初の写真はそこで水兵さんの銅像と女性軍はパチり。写真を撮ってくださったのは、もちMr.Takano)。
その後、再び車で今度はこれまた観光名所の「Fisherman Wharf (漁師波止場)」へ。まずかつての倉庫群(現在観光スポットのマーケット場や博物館になっている)の中から、一番人気の倉庫へ。(ここでも義援金支援ポスターがあちこちに。)近くにアルカポネも収監された有名な牢獄島「アルカトラズ」への観光ボートが出る波止場がある。そして広場へ。政治的な集会が始まろうとしているのか、たくさんの警官が大きな公共彫刻の前に並んでいるのが少し不思議な光景(写真)。
その後、再び車に乗り込み、いよいよ有名はケーブルカーへ(漁師波止場の端っこに乗り場あり)。ただすごーい列で、皆さん見るだけで満足ということで、そのままショッピングへ。ここはお土産屋さんが所狭しとずっと並んでいるところでも有名。もち母も私もここでおみやげを。そして小腹がちょうどよいくらいにすいたところで、夕食、ディナーへ。もち場所は考えてある。私達がここによる時は必ずと言って良いほど寄るイタリアンのお店。名前はいつも覚えていないのだけど、場所だけはしっかり覚えている(今回はじめてその名前がPonpei、、、ということを発見)。実はここ、2002年、私がチコで始めて企画した「奄美大島展」に奄美の方々と渡米した時にも、最後に立ち寄ったお店。その時に食べた魚介類パスタのことを母は今でも懐かしく語ることが多いので、ここにしようと決めていた。そしてその日は母の79才の誕生日でもある。お店の人にそのことを告げると、食事の後、デザートの時にアイスクリームに線香花火(よりもちょっとはでにきらめく)をたてて、ハッピーバースディの歌とともに持って来てくれた。それにあわせて、レストランにいた人たちも一緒に合唱。こういうところはアメリカの良いところ。皆で祝ってくれる。
お腹も気持ちも満腹の身体を抱えて、少し散歩。これまた有名は Sea Lion(あしかやあざらし)がたむろしているところへ(下から2番目の写真がそれ)。たっくさん。これでも少ない方で夏になると遠くから匂いでそれとわかるほどたむろっています。そして空港近くの宿へ。(ここで道に迷ったりしてちょっとたいへんだったのですが、一応無事到着)その夜は高野さんのご主人がフィッシャマンワーフの倉庫マーケットで買われた赤ワインで乾杯。最後の夜に乾杯。
最後の写真はサンフランシスコ国際空港。母も一緒のアメリカの旅。たぶんこれが最後かな。そう思うとちょっとさびしいけど、良い思い出締めくくることができて私は(そしてたぶん母も)満足。皆さんのおかげで良い旅になりました。多謝。
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