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2010年10月16日土曜日

October 16th My Birthday Happy Hour:祝10月16日の飲み会!

また誕生日が回って来た。毎年その早さが気になるけど、もう誕生日会なんてそう言う年でもないからとは言うものの、やっぱり「おめでとう」という言葉には頬がゆるむ。たぶん憶えていてくれることにうれしく有り難く思うからかな。

昨日は久々に芸術学部の女性の同僚たちとキャンパスから歩いてすぐの「トレサンブレ」というメキシカンレストランに飲みに出かけた。今年始め火事で内装をやられ修復中だったのが最近ようやく終了。外にもテーブルが置かれてより開放的な感じに。そうしょっちゅうでもないけれど、女性同士で仕事のきりにちょいと一杯という感じで利用するところだったから、ここんとこご無沙汰してた。私の誕生日というのを口実に(でももちろんうれしい)5、6人声をかけあって急遽の飲み会件おしゃべり会に。

私はここのハッピーアワー(夕方4〜6時の間は飲み物が半額になる ^_^)が大好きで、というよりこの時にしか出かけないという方が正しいかも。頼むのはいつもマルガリータ。それもフルーツ、特にブルーベリーやブラックベリーがお気にいり。誕生日という事で皆におごってもらった。ダブルの特大サイズ。最後にウェイターの若者が小さなケーキに1本のろうそくをたてて持って来てくれた。「36の誕生日だから〜」と同僚の一人彫刻の教授シェリーがそのウェイターにささやいている。皆でワハハ状態。ハハハ。気を使ってくれてるのか、からかっているのか(笑)。

皆久々の2時間程金曜日の夕方の集い、10月の中旬というのに例年よりまだまだ夏の日差しのよう。来週から少し秋の気配になるとか。紅葉が待ち遠しい季節。

そういえば修復後、ハッピーアワーはなくなってしまったとか。ちょっと残念。

2010年10月5日火曜日

いよいよグリーンカード更新!: Renewal of Green Card (10/5/10)

今日サクラメントへ行って来た。グリーンカード更新(10年毎)の指紋登録のため。申請書を出したのが確か8月の10日前後だったから、2ヶ月目にしてやっとということになる。

まず申請書をオンラインで提出して(これは思いのほか簡単だった)、書類受理の通知の知らせはすぐ1週間後くらいに手元に。その後、この指紋登録手続きの日程連絡の通知が届いたのが、さらにそれから一ヶ月くらいしてのこと。希望日をこちらから指定する事はできないので、届いた通知に記載されて日にちにいくしかチョイスはない。都合が悪い場合は、もちろん変更を依頼することは可能だけど、そうするとまたいつになるかわからないので、普通はたぶん休みをとってでも行くことになるのだろう。私ももちろん授業をキャンセルして、ハイウェイに飛び乗った。約1時間半のドライブで、その登録手続きをする「Application Center 」へ到着。

指定時間は11時のところ、10時半頃に到着したので、待つつもりでセンターに入ったら、そのまま通知書が受理されて、待つこと約10分程で順が回って来た。左右の指の指紋を高いテーブルに備え付けのスキャナーのようなところで、ひとつひとつ丁寧に撮られた。横にさらに低めの机と椅子があり、そこに座って顔写真もパチリ。結局最初の予定時間の11時にはすべて終了。おかげで、この後、ゆっくりと日系のスーパーマーケット「Otos」でショッピングすることができた。(そこで売られているソフトシェルの巻き寿司ランチをテイクアウトして、店内のテーブルでお昼も出来た ^_^)

この指紋登録手続きの後、しばらくして新しいグリーンカードが届くことになるのだけれど、それがいつになるのか、、、今日は指紋登録後、古いグリーンカードの後ろに「6ヶ月延長」のシールが貼られました。ということは、6ヶ月以内には届くということ?

新しい更新カードがなくても、この古いカード+延長証明シールで、アメリカ国外へ出国(そして入国)が可能ということになる。

11月中旬に日本に帰国予定なので、どうなることかと思っていましたが、どうにかなりましたね。よかった。

2010年10月2日土曜日

2010 YoYo National Competition in Chico: 2010年ヨーヨーアメリカ大会


チコは小さいな大学町だけれど、いろいろ他のことで有名な街でもある。(個人的にはもちろん地ビールでアメリカ売り上げトップを誇るシェラネバダビール!それはともかく、、、)

そのひとつがヨーヨーのメッカの街であること。たかがヨーヨーなんだけどされどヨーヨー。その高度な技に見ほれてしまうほど。ヨーヨーの祭典とも言えるヨーヨーアメリカ大会がここチコの街で毎年秋10月第一土曜日(今年は10/4の今日)に街の中心にある広場で開催される。アメリカ中からヨーヨーファンや、競技者が集まって来る。5つのカテゴリーがあり、下記のビデオはその中で最も競争の高いもので、3位入賞者の演技。高度な技がばしばし。(一つのヨーヨーに糸がついている一番シンプルなスタイルで技を競うもの。カテゴリー名は失念 >_<,,,)、。)

海はチコのヨーヨークラブ(アメリカ大会を主催している玩具や「Birds in Hand」が毎週土曜無料で店内で実施)の属していて、初心者ながらといっても初めてもう1年、さすがに毎日勉強そっちのけでやっていただけあって、順調にレベルアップし、今年の夏前には競技者グループにアップ。残念ながら、今日はサッカークラブの試合とも重なってしまって、サッカーを選んだみたい。ちょっと残念。ヨーヨー大会は年一回だけど、サッカーの試合は毎週あるのにね。(子どもながらいろいろあるのかも、、、)それはともかく、目の保養にはとてもよい一日。そういえば、私は見逃してしまったのだけど、別のカテゴリーに日本からの参加者もいて、その日本人が優勝したとのこと。アジア系はヨーヨーがうまいと定評があるけど、実際見てみるとほんとその通りって感じで、全体的にレベルがうーんと高かった気がする。

ハイパー&メランコリー海

海の様子がちょっと不思議へん。急にハイパーになったり、ぶすっとあいそよくなかったり。12歳のお年頃。この年のことをアメリカでは10代の「Teenager」ならぬ「Tweenager」というそう。恋する年頃なのかも。きっと自分自身でもアップダウンの感情を持て余し気味、、、とまではまだかな、でももうすぐそうなる、そのちょい前の年頃なんだろうな。私はとうの昔に忘れてしまったけど、あのどうにもならないいらいら感は憶えているもの。う〜ん、こればっかりは誰も助けることはできないわな。ジョン!君にまかせるからね。

2010年9月30日木曜日

ただ今「引きこもり」5日更新中

思う所あり現在引きこもり中。といってもちゃんと職場(大学)へ行っているし、授業もやってる。同僚達ともわきあいあいとソーシャルライフ中。でもでも引きこもりなの。うちの家族から。きっかけ?なんだったか忘れた、とは言わないけれど。多分回りからみたら結構くだらないこと。理由なんてどうでもよいの。そんなささいなことがつもりつもっていく様子をある時ふと感じてしまって、これはいけないと自問自答。このままだといつものようの何事もなかったかのように、いつもの生活にもどってしまう。そしてまた、ある日、、、というように同じ事を繰り返し、最後には、どっかーん!だ。

それをさけるため、理由と今後を一人考えることにした。だんなのジョンも息子の海も、なんだなんだと思っているに違いない。それでよいの。狭い家の中で一人になるために「引きこもり」。これが思ったより結構大変でしんどいのにも気付いた。

何年も引きこもりをやっている人は、本人自身がしんどいのだと思う。それでも「引き込まずにいられない」何か、それはきっと他の人にはわからないのだろう。それが一番しんどいのだと思う。

今日は本当に雑感、、、、

2010年9月26日日曜日

JCWC Full Moon gathering (9/25): お月見会の集い

中秋の名月かな?満月は9/22(木)でしたが、最近例年恒例の行事となった、JCWC (Japan-Chico Women Club)主催、お月見ポットラック会を、いつものようにワイルドパークのピクニックエリアで開催。私たちメンバー家族だけでなく、日本語クラスのある高校や大学のクラスの学生達にも声かけをしているせいか、年々参加者が増えているような気がする。

たくさんの料理がテーブルに広がって、みなわきあいあいと談笑しながら月の出を待っていました。(皆よかったけど、その中アメリカ人の高校生が作ったという餃子はあっという間になくなっていましたね。私は見逃してしまいました。残念。)

夕方7時頃に遠くの山並みからオレンジ色のまるで夕日のようなまあるいお月様がゆっくり顔を出し、天上にのぼるころにはすっかりあたり一面暗くなり、皆ぼっーと月を眺めていました。(真実をひとつ。ジョン曰く、山際から顔を出したお月様のロマンチックなオレンジ色が実は大気汚染にせいでそう見えるのだそう。そういえば、天上に上がるにつれて、白っぽく輝き始めたのはその汚れた大気から少し逃れたせいかも。)

そういえば、アニバサリー(結婚記念日)で出かけた中華のレストランのウェイターが「満月の光は知のパワーを与えてくれると中国では言われているので、今日何か作ったり書いたりする仕事をするといいものができますよ〜」と教えてくれた。

写真のお月様はジョンが仕事先、Nature's Centerから借りて来てくれた、望遠鏡を通して撮ったもの。満月から少し日がたっているので、ス少ーしかけているのがわかります。

パーティがお開きになり、かたづけを終わって、帰ろうとする時、ジョンがジュピター(木星)がよく見えるはずだから、近くのビッドウェルパーク内にあるオブザベトリー(観測所)に行って、見てこようと言い出す。せっかくなので、家族で行く事に。(実はジョンと海は頻繁にいっているらしいけど、私ははじめて)。結構多くの人たちが来ていました。(といっても10人くらい)大きな望遠鏡が観測所と外に設置されていて、説明の人もちゃんといて、いろいろ教えてもらいました。風も穏やかな9月の宵のひと時。お月見最後のデザートは、「極上の宇宙」至福の夜。

上はその観測所(小さい小屋のような感じ)とお月様。そして左は外に設置されたテレスコープから見えて、チコの夜空。

13th Anniversary (9/22): 13回目の結婚記念日


あっという間。もう13回目だなんて。よくここまで持ったね〜という本音をお互いぐっと飲み込み、笑顔に変えて、三人で近くのチャイニーズのレストラン「トゥーランド(金公主)」へ。ここは日本からのゲストがいらっしゃる時に、よく来るところ。セットメニューが充実していて、お手頃だし、週末にはピアノ演奏が入るので、気にいっている。

写真はファミリーセットメニューの一つ。写真は左からナッツとエビ天ぷらのようなもののマヨーネーズ和え、鳥の巣海鮮、日本の豚カツにようなものにソース、手前が卵ドロップスープ。これに前菜のカニクリームフライ餃子のようなものとデザートがついて、一人なんと$14,99。これで3種類ある中で、一番高いファミリーコース(この他、$9,99と$11,99のコースがある)。二人から受付で、一人増えるごとにメイン料理がまたひとつ増えることになっている。今回は私たちは三人だったので、エビ料理はその追加分の料理。今円高だから、日本円に換算すると超お得って感じ。

料理だけでなくて、建物も素敵で倉庫かなんかを改造したって感じで中も広くゆったりとテーブルが配置されていて、また天井がすごーく高くて、窓も大きくて開放感がある作り。これにピアノ演奏もついた日にゃあ、ゲストでなくてもつい足が向いてしまいますよね。実はこの一年程足が遠のいていましたが、あらためて良いお店と思いました。また今度は女ともだちといこおおおっと。

ついでに、この後息子を家に残し、二人で聞きにいったケルティックのアコースティックギターとバイオリン(?)のクオッティット演奏もとても良かった。

JCWC Gathering: チコの日系ウーマンパワーの集い?


夏の終わりチコに帰ってきてから、JCWC(Japan-Chico Women's Club)のみんなでテニスと称して集う機会が結構続いた。日本人妻とその外人夫(つまり日本人でない夫ね。ここでは私たち日本人が外人なんだけれど ^_^)のファミリーの集いよ〜。

7年前に、淳代さんと美香さん、そして私の三人でそれぞれのこどもの日本語をキープするために、三人での日本語でのお話し会を始めたのがきっかけではじまったJCWC。それが、月一の図書館でのお話し会を一般向けに広げ、参加者も多くなり、JCWCのメンバーも3人からずいぶん人は増え、今は私たちの次の世代の人たちが中心にやってくださっている。(私たちの子ども達がかわいい従順な年から中坊になり、卒業ということにさせてもらい、今はもっぱら季節毎の行事やホームパーティでの参加が、特に私の場合は主になってしまいました。)

この日(8/29か8/30?)はチコ高校のコートでテニスをした後(主に男性群)にうちでポトラックのランチ。そして団らんに後、誰が言い始めたかは定かではないけれど、皆での音楽演奏会に早変わり。写真は左から、アルトサックスのジョン(うちのだんな、ナチュラリスト)、クラリネットの慶子さん(食品工学の教授よ)、フルートのしげみさん(ジャズピアニスト)、そしてギターのトーマス(数学の教授なのだよ)。その間に二人(しげみさんとトーマス)のアート作品、さやちゃ〜ん!。手前はマラカスでかわいい顔が隠れてしまっているエリカちゃん(慶子さんの娘美人よ〜)。

この後、今度は卓球のバトルもやりました。あっそうそう左の写真は我が息子海が、中学の選択科目「フード(食品」)で習ったチョコレートチップクッキーを今回のデザートに手作りしてくれました。そばにはさやちゃんがつきそい(アシスタント?)今学期は(ストレスの多い大学生活の中にも)こんな平和な時間がたくさんとれるとよいな。いえいえ時間は作るもの。みなさ〜ん!がんばって集いの時間を作りましょうね。

2010年9月18日土曜日

2010-2011 Academic RTP Committee: 大学教員査定審査会

昨年度のファロー問題も一段落、元のスケジュールに戻っての新学期を迎えて早3週間。昨年度があまりに大変だったので、元にもどっただけなのに、感覚的にはずいぶん楽に感じる。不思議なもんだ。

いつものコースワーク(course work)、いつものルーチンワーク(routine teaching and researching work)、いつものコミッティワーク(committee work)、いつもの仕事の山山々と思いきや、今年はこのコミッティーワークに、いつも以上のプレッシャー。昨年同様引き続いて RTP (Retention, Tenure, and Promotion:更新、テニュア=終身雇用、昇進)査定委員会を、そして今年はその2年目ということで、その査定審査会のチェア(責任者)をつとめることになった。

日本と異なり(たぶん)、正社員ならぬ正規採用の大学教員(つまり助教授、準教授、& 教授)のみならず、レクチャラー(Lecturer)と呼ばれる、パートタイマー(臨時講師)、そしてTA (ティーエーと発音:Teaching Assistant)と呼ばれる、コースを担当する大学院学生の査定も、そう全員の査定である。これら3つのグループによって、査定方法も異なる。が、もちろん一般的に最初の正規採用である正規大学教員の査定が厳しく、その査定内容とその方法は公平を期するために、細かく決められている。(大学全体の査定基準書式と各学部毎に作成されたものの2週類があるのが常)

だいたい4つのカテゴリーで評価:1. Teaching (授業内容&指導方法の質), 2. Professional Development (= Research 研究), 3. Contribution to Community (地域への貢献度), and 4. Contribution to University (大学への貢献度)

うちの大学は「Teaching Institute」(大学院レベルを中心においた研究母体の大学ではなく、「学部教育」つまり4年生大学としての母体を基礎とする大学)なので、1の授業内容&指導方法の質(学生評価の比重がけっこう大きいので、英語が母国語でない外国人教員にはネックになりがち >_<,,,)と 2 の研究が同レベルの比重で評価される。これが研究母体の大学院大学となると、当然2の比重が高くなる。つまり一般的に昇進基準が厳しい!!!)

うちの場合(たぶん他大学も基本的には一緒だと思うが、、、)、査定(評価審査)は「Full Professor(教授ランク)」になるまで、毎年行われ、教授への最後のプロモーション(昇進)が決まったところで、その後5年ごとの査定となる。

等々、、、今年はその査定(評価)委員会の仕事で忙殺されることになりそう。涙。ちなみにこの査定委員会は教授レベルの教員しかメンバーになれないので(当然といえば当然でランクが下の下が上を評価はできない)、ちいさい学部だと教授レベルの教員の数が限られてくるので、いったん教授に昇進してしまうと(喜びもつかのも)結果的にこういったヘビーな役回りがけっこう頻繁に回ってくることになる。これまた涙。(これ以外にもいろいろあるのだこれがまた、、、)

2010年9月12日日曜日

9年目の9月11日: The 9th September Eleven

9月11日が今年もやってきた。今でもあの日のことは昨日のように思い出す。そしてあの時の大学の授業の内容、教える予定で、あの事件を受けてキャンセルしてしまったGE(General Education) Art100: Art Appreciation: Multicultural Perspectives(芸術鑑賞ー多文化的視点から)の授業ことを今でもよく憶えている。

ちょうどその日は「Themes of Arts(アートのテーマ)」という章で、「Form & Content(形と内容)」という部分で、同じアメリカの国旗がテーマとして描かれている作品を元に、表現されている形は同じでもその作品の意図する内容(意味)は、その視点によって(立ち位置によって)解釈が異なるものである、、、というようなことを紹介する予定だった。(The Worlds as We Perceive it: Different perceptions of the same subject)

でも、、、さすがに9/11の事件の本当に直後(当日)だけに、そのテーマでその日の授業を展開するのに迷いがあって、キャンセルすることに。その通知の張り紙をクラスの前に張り出している最中に、大学自体の一日閉鎖が決まったとの連絡が流れてきた。皆自宅待機である。(その日そのテーマで話す必要がなくなったことに)不謹慎にもほっとしたのを今でも憶えている。

そして、、、この章を教えるたびに、またこの9/11の日を、そしてその時の私の気持ちをいつも思い出す。9年たった今でも、、、

2010年9月10日金曜日

海の初めてのダンスパーティ:Shall We Dance? (9/10/'10)

海の初めてのダンスパーティ。中学校にて。夕方8時半過ぎに電話があり、学校へ迎えに。ちょっと迷って予定より5分程遅れて学校の玄関口に到着。「遅れてごめんね。」に「いいよ〜」と機嫌がよい。あれっ〜?ちょっと少しいつもと違うかなあ〜と思いつつ、「ダンスパーティはどうっだった?」と聞いてみる。いつもならお年頃の息子は無視するか「まあまあ」ぐらいの回答のはず。ところが結構まともの回答で「楽しかった。」とのあと会話が続いていく。「みんなでいろいろ踊っていて、、、そして最後にスローダンスがあって、、、」「それって女の子と踊ったりするの?」「うん踊りたい子がいたら誘って、、、」「海も誰か女の子と踊ったの?」「うん誘って踊った。」「え、、、よかったね〜」等々。ちょっと気持ちが高揚しているのか、いつもと違って自分からいろいろ話してくる。私も目一杯さりげなく「どういう子〜?」と聞いてみるとちゃんと答えてくれたところがちょっと安心。息子もそういうお年頃になったのかと思いながら、夜道を車を走らせながら帰路についたのでした。(写真は全然関係なくて、この夏奄美の浜辺で、ピーナッツの投げ合いっこをして、口でキャッチしている写真。こういうところはまだまだ子どもなのですが、こどもの成長はあっという間ですね。)

2010年9月8日水曜日

A Labor Day Weekend: ヨセミテ国立公園へキャンプだ!家族でGo!

今年もレーバーディ週末を利用してキャンプ旅行へ行ってきた。ただ今年はいつもの海岸沿いのお気に入り場所、セントパトリックポイント(州立公演)ではなく、全米で3番目に人気というヨセミテ国立公園へ(ちなみに1位はスモーキーマウンテン、ちょっと予想外。2位はグランドキャニオン、4位はイエローストーン、5位はロッキーマウンテン)。南下すること約5時間。日本名を滝男君とニックネームを付けられた(もちろん私がつけた)ジョンは、数ある滝で有名なヨセミテは大好き。

今回はジョンのお母さんクラウディアも一緒。毎年この時期に孫の海に会いにやってくる。さすがジョンのお母さん。キャンプやハイキングが大好き。一年の半分をインドで過ごすだけあって、ワイルドなキャンプ生活は全然平気。田舎育ちの私の方がこういうワイルド生活が結構苦手。(不思議だよね)2日もするとテントは背中がイターイと弱音をはくことになる。(今回はさすがに義母の前ではぐっとがまんでしたが、、、)

写真は息子の海の力作。この後また写真サイトとリンクしてその時の様子が見れるようにしたいと思います。(きっとそのうち、、、)

2010年9月2日木曜日

海のブログ:A Gaijin's Travels

海がブログにこの夏はまった。奄美での旅行体験を書き始めたのである。題して「A Gaijin Travels」。これが結構おもしろい。

個人的には、「あの時のあの事件は実はそういうことだったのね。」と、思わずうなづいてしまったり、初めて知った真相にははっとするのも結構あった。息子の表の態度や表情とその内なる心情には違いがあることを改めて発見。母としてわかった気になる思い込みはいけないなあとつくづく感じた次第。あ〜あ反省。

ということで、海のブログをここに紹介。この私のブログのリンクリストの中にもアップしたので、そこからも簡単にリンクできます。時々覗いてみてね。

ついでに、だんなジョンのブログ「Jon's Journey」も改めて紹介。ここにも今年の奄美での夏の生活がいろいろ写真付きでそれもおもろいコメントつきでアップされている。ジョン、実際に話すより、文章の方がずっとおもしろい(ハハハ)。これもちろんオフレコね(^o^。。。)

これで三者三様のブログが身内で出来上がったわけだけど、同じものをみていても、その視点や表現の仕方が本当に三人で違うことにも改めて驚きました。ちょっとうれしい発見かも。

(ビデオは7/26のハピネス浦上でのバーベキューパーティ。入居者の家族も一緒に。ディサービスに参加している方々の歌や踊りで華やかな一日に。最後はもちろん六調で締めくくり。ジョンと海も参加、矢之脇の家の大掃除のお手伝いをしてくれたゆかりさんも一緒に。お父さんが同ハピネスにこの春より入られたので、ご近所になりました。)

2010年9月1日水曜日

うわっ!もう9月!

うわっ、もう9月だ。8/8に日本から帰ってきてから、3週間。その間このブログに全くアクセスしていなかったの?それより8月の一月間、一度も?

もちろん、その間何もなかったわけではないのだけれど、、、時差ぼけを理由に大学が始まる8/18(大学の授業は8/23から)まで、ぼっーとリハビリをしていました。

その後新学期が始まってからはいつものごとく、怒濤の日々を過ごしています。この夏の日本滞在記録を含めて、またブログにアクセスしないと、日本語がどんどんあやしくなってくるので、がんばるぞい!

この数日の個人的イベントは、グリーンカードの更新のこと。9月中旬に10年版のカードが更新を迎えるので、日本から帰ってきてからすぐに申請したのだけれど、、、どうもいろいろ調べてみると、更新されるまで、数ヶ月かかるらしい。まずい、すでに11月の中旬に再度日本への帰国が予定に入っている。移民局から申請書受理のお知らせは来たけれど、その後の移民局へ出向いて行う手続き(指紋等)の予定通知はまだだ。早くても2ヶ月ひどい場合には半年くらいかかるらしい。

どうしたら、、、と悶々としていたら、そういう人も結構いるようで、現在のカードに仮スタンプかなんかを押印してもらうと、それでもって米国外の出入国がオッケーとのこと。そのための面接の日にちもインターネットで簡単に予約できるとのこと。ホット一安心。

グリーンカードをとって10年。あっという間でしたね。

2010年7月29日木曜日

加計呂麻(カケロマ)島巡り: Tour in Kakeroma (7/24-26/'10)

78歳の母が急に何を思ったか、実家のカケロマ(芝)で泳ぎたいと言い出した。毎年夏帰郷のおり、私たち家族は芝行きを慣行しているのだけれど、その時誘ってもいつも「私はいいわ」の人がどうしたこと?ハピネス浦上に居をかまえてからポジティブ元気思考になったけど、これもその一環?と思いながらもこれは良い機会と、一緒にレンタカーを借りてカケロマ(加計呂麻)を一周することにした。

奄美市(旧名瀬市)から車で1時間半、古仁屋(こにや)の街に着き、そこからフェリーで約20分カケロマに渡ることになる。かつてはそれぞれの集落からいくつものぽんぽん船が古仁屋を一日数度往復(芝ー古仁屋間約1時間は「平佑丸(へいゆうまる)ね^_^)していたもの。港はそういった小さな船で、そしてそれぞれの集落の人々で賑わっていたものだけど、今はそういう景色は見られなくなった。フェリーでつなぐ2カ所の寄港地のみ、もしくは高速船の貸し切り船での往来の方法しかなくなった。

そういえば、私の子ども時代、芝では船着き場の岸壁近くの木陰でお年寄りが日がな一日海を眺めながら船の到着をそしてそこから降りてくる人々を見ていたものだったっけ。そしてお年寄りと一緒に小さな子ども達も一杯いたもんだ。今では過疎化して子どもの声や船着き場の岸壁で熱い日差しをさけるお年寄り達も見かけることもなくなった。さびしい。

カケロマの寄港地にはフェリーの時刻に合わせて、小さなマイクロバスがいくつも待機していて、そこから各集落へ人を物を運搬することになる。(このマイクロも赤字なんだそうだが、過疎化の進んだ集落のお年寄りにとっては、生命線なので、赤字覚悟で運営しているのだとか、、、そういえばこのマイクロの話がNHKのドキュメンタリーになっているのを見た事がある。)

話を戻す。ついてそうそう実家の芝ではなく、珊瑚礁で有名な「スリ浜」に直行。まずはここでシュノーケル。母にも試したら、何でもやりたいとのこと。それじゃあとマスクをつけてあげたら、さすがにちょっと無理かもということで、波打ち際で母は遊んでもらい、私たちはそのままシュノーケリングへ。ジョンのお薦めの場所だけあってやはり海の中は竜宮城ならぬ魚たちの天国。そして芝、母の実家(現在は母の弟である叔父の家)で一泊。

翌朝、祭りの前のそうじがあるとの放送を聞き、これも良い機会とジョンと一緒にお手伝いに出かけることにした。懐かしい人々に会った。その後、私が帰ってきているからと、わざわざ会いにきて下さった方々もいた。小学校の頃、毎年夏はここ芝で私は親と離れ、弟達と一夏を過ごしていたもの。その時を覚えてくださる方がまだいらっしゃる。「はれ、たるーかち思ったら、みーやのまさ〜みちゃん〜」耳に優しいカケロマ方言である。二日間をカケロマで過ごした後、帰路へ。古仁屋の船着き場のレストランで食べた海の幸丼がう〜んとうなる一品でした。(忘れちゃったけどこれで確か8百円とかそんなものだったような記憶が、、、写真の真ん中ののり部分の下にうっうにがあ!結構たくさん隠れていたのでした。1,500円のウニ丼にするかどうか迷っていた私にお店の人がこっちがお得よと勧めてくれたの。正解&至福^_^。。。)

2010年7月27日火曜日

2010 海の日:Ocean's Day (7/19/'10)

3月に名瀬小学校の卒業式に参加するために帰国して以来、数ヶ月ぶりの奄美。たった3ヶ月なのに、今回の帰郷は海にとって大きく違ったみたい。8月から新学期が始まる海と違い、みんな一足先に中学生になってしまっていたのだ。夏休みになったら一緒に遊べるとたかをくくっていた海。そう事は簡単に進まなかったのね。日本の中学生は、学校が終わっても、そして夏休みになっても、塾だクラブだとみんな忙しい。がっかりしている海に、チコでやるみたいに小学校時代の友達を誘ってバーベキューをしたらと提案。そこで夏の定番ソーメンそしてバーベキューパーティを急遽開催。これがその時のもの。私が下ごしらえをして、ジョンがいそいそとバーベキュー係に。育ち盛りの男の子の胃袋はさすがに大きい、最初は遠慮がちだった子ども達が、、、きれいに平らげてくれました。にわか作りの案で、急の連絡だったので、何人集まるかと心配していましたが、誘ったこどもたちみんな来てくれました。それがこの海の笑顔に表れています(^_^)。予想以上に楽しかった。この写真の後、子どもたちはみんなそれぞれ持ち寄ったゲームに夢中。それぞれのポケットからプレイステーションが出てきたときにちはちょっとびっくり。今時の(日本の)子ども風情(ふぜい)。きっと日本中のこどもたちがこうなのかも。それを見かねたジョンが皆を誘って近くの矢之脇公園に花火に。この時の写真はジョンのブログ(7/23付け:Amami Dog Days)に掲載されてます。後で聞いたらすっごーく楽しかったと言ってたけど、写真を見て納得。男の子の花火はワイルド!)

2010年7月12日月曜日

海と見た2010年ワールドカップ南アフリカ大会

スペインとオランダの決勝、そしてスペインの初優勝(13回出場の後、ようやくみたいだよ)で終わったワールドカップ。今年2010年ワールドカップ(南アフリカ)は例年以上に楽しかった。内容ももちろんだけれど、今回初めて息子の海と一緒に最後まで見通すことができた。1994年アメリカ大会から見始めたワールドカップ。最後まできちんと見たのは今回が初めて。

その1994年大会はちょうどイリノイ大(アーバナシャンペーン校)の大学院にいて、開催地がシカゴだったこともあり、また友だちにサッカー好きなドイツ人もいたので、個人的には盛り上がったいたけれど、なにせアメリカではサッカーはまだまだマイナーなスポーツだった頃。みな騒いでいるようにはとても見えなかったな。PKを外して天を仰ぐロベルトバッジオの顔と共に記憶に残る大会。1998年フランス大会は私が卒論ディフェンスでうなっていた頃、そして海が1月に生まれた年で、ワールドカップは全然見なかった(ジダンのことは知っていたけど、、、)。そういえばインシア東京大会もあった夏で、六ヶ月の海をつれて日本に里帰りした夏でもあったね。2002年日韓大会は日本で、共同研究者のブレンドウィルソンと一緒に日本戦を見ていた。ちょうど日本が決勝リーグに進んだ大会で、仕事の話しに身が入らず、それどころか試合に一喜一憂で叫んでいた私。それ以来ちょっと引き気味になったブレント(笑)。今思い出しても懐かしい。2006年ドイツは、ここ奄美で母と一緒に見ていた。3月父の他界。一人残った母と一緒に夏を過ごしていた。そして2010年夏。今回も奄美にて、そして今回は12歳になった海と一緒に。6歳からチコのユースでサッカーをやり始めた息子と一緒に夜更かししながらの連日のサッカー(TV)観戦。忘れられない夏になりそう。次2014年ブラジル大会も一緒に見れるかな?の質問に「わからん」と島口(名瀬言葉)で、かわされてしまった。その頃は16歳になってるけど、また一緒に見れるといいな。

多くのスター選手を始め、予想外の日本の活躍でも楽しめたワールドカップだけれど、一番感激したのは、たぶんカメラ技術の発達で、改めてサッカーが格闘技だというのがわかったことかな。引っかけ(スライディング)、引っ張り、押し倒し、に加え、ひじうち、けり、なんでもありね(笑)。次は情熱の国、南アメリカのブラジルだから、もっと格闘度は高まるかも。オリンピックもブラジルだし、時代は南米へ。ブラジルに春(しゅんだね、きっと)。

そういえば2006年、 2007年と2年続けて南米へ、そして7カ国で20回以上講演してまわったけど(あの頃は「少女マンガプロジェクト」がしゅんでした)、また行けるとよいなあ、特にアルゼンチンへ!

2010年7月7日水曜日

2010年7月奄美にて梅雨まだあがらず!

今年の夏奄美の梅雨は長かったね。でもそのおかげで、きれいになった和室で布団を三枚、親子川の字で寝そべり、雨音を聞きながら、カエルの大合唱を聞きながら眠りについておりました。

うち(矢之脇の実家)はこんなにも自然の豊かな音で満ちあふれているのだと、改めて感激。梅雨明けの後、また家族で奄美をいろいろ回ることになるのだけど、ヘンゼルとグレーテル(だっけ?)の青い鳥ならぬ、奄美に私の青い鳥がいるのではないかと悟った一夏を過ごすことになるのでした。

梅雨が長かったせいか、例年は赤しょうびん (King Fisher)の「ひゅーひゅるひゅるひゅる」という甲高い鳴き声で起こされるのが、今回はなかなかその鳴き声が聞こえず、心配していたのですが、梅雨明けとともにその声が戻ってきたので、一安心。いつも聞こえていた物が聞こえないというのはさびしいものだと改めてこれまた感じてしまいました。

2010年7月5日月曜日

2010 夏だ奄美だ!いやその前に八重山諸島さ!(6/20-6/29/10)

ジョンと海を奄美で待つ事約3週間。とうとう日本にやってきた。私は奄美から彼らを迎えに一路東京へ。6月は国際線つなぎの国内線がとても安いので、6月中に国内を回ろうと、今回は前々から希望しながらなかなか実現しなかった島巡り紀行へ。それも八重山諸島へいざゆかん!

羽田から直行便で約2時間半、石垣島へ。そこを拠点に竹富島、西表島、そして日本最南端の島波照間島を10日間で回ったのでした。いや〜お肌の曲がり角どころか、曲がりくねってしまった年も気にせず、今回はとにかく泳ぎまくり、もといシュノーケリングのしまくりでした。これこそ本当の命の洗濯旅行。今年は、春学期は公私ともにしんどい学期を過ごしたので、本当に夏が待ち遠しかったよ。

いつもは仕事を背負っての帰国ですが、今回は母の介護という表向きの目的で、仕事の部分をそぎ落とし、自分のための時間そして家族と過ごすための時間として帰ってきました。一言「やっとこの日が、、、」。うっ感無量。

*上の写真は海の友だちペンギン君達(わざわざチコから持って、もとい連れてきた)もビーチでお昼寝。
*下の写真は由布島(ゆぶじま)の水牛のマグネット(それをイヤリングにしている海)

それぞれの島の様子はジョンのブログにたくさんの写真とともに掲載されていますので、そのブログにリンクします。そこに書かれたコメントも一緒に楽しんでもらえたらうれしいです。

The Stone Gaki (July 4, 2010 Up)
Ishigaki P.S. (July 4, 2010 up)
Yubu-Water Buffalo Island (July 10, 2010 up)

2010年7月4日日曜日

2010年矢之脇の家そうじプロジェクト其の一 (6/7-13):恒例の夏本番前の一大行事

今年の夏、ジョンと海が合流するのを待たずに、3週間早く一人で帰国したのは訳がある。そう矢之脇の家(実家)大掃除プロジェクトの敢行なのだ!!!いつもが母との捨てる捨てないの口頭バトルに疲れ果て、お茶を濁したようなそうじしかすることができなかったのだが、母がこの1月からハピネス浦上(高齢者賃貸住宅ー半介護付き)に居を移したのをこれ幸いと大掃除を敢行することにしたのだあああ!でもなんせ数十年分のものがそれも3世帯に分かれていたものが一緒につまっているものを一人でやるのは不可能(といっても毎年帰郷のメイン行事はそうじだし、2年ごとに大きなそうじをしてはいたのですが、限界があったのね)。ということで助っ人を頼む事に。写真に移っているのが、そのお二人(私の高校時代の同級生のおとうとさん夫婦でごみ回収業を営んでおられる)。特に奥さんの方「ゆかりさん」が素晴らしい人で、私のゴミ処理のナビゲーターをかってくれた。箱一つをあけるたびに、手が止まったり、いろいろ読み始める私を、徳さあ〜ん、読むのは後にして、必要なものとそうでないものにわけましょうね。と優しく、そしてきっぱりと言って下さった。なんだごみを処理できないと母をしかっていたけれど、私も同じじゃないのと自問自答しながら、せっせと一週間。写真に移っている軽トラック約7台分(粗大ゴミを含めるとたぶんそれ以上)のゴミが出たのでした。

整理しているうちに、父の遺品の中から、晩年父がいろいろ習い事をしていたことや(詩吟や書道)、それで段位等をいろいろとっていたこと、そして趣味でやっていた郷土史の史料集めを熱心にしていたのを発見。父はもしかして郷土史の本を出版したかったのではなかろうか?そういう風に思えるほど充実した資料がありました。さすがにこれは箱にまとめて、できたら私のライフワーク、父の後をついで、力不足ながら努力して編纂してみようかなあと思わず思ってしまいました。できたらいいね、お父さん。あまり期待せずに待っててね。