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2011年6月30日木曜日

A last night in Budapest, Hungary (6/30/11): ブタペスト最後の夜

ブタペスト最後の一日はJFでの講演という仕事が待っている。
その前にブタペストでのハイライト「温泉」。そうなんとブタペストはヨーロッパの数ある歴史的大都市の中で唯一温泉施設が充実している街。いろいろ調べた結果(ジョンが)その中でもセーチェニー市民温泉が値段的にも設備的にもそして評価を調べた結果でもベストということで、早起きして行って来た。日本の温泉とはもち違い水着着用。ローマ時代の影響かオスマントルコ統治時代の影響が何れにしろハンガリア人はお風呂大好き。内風呂と外風呂(露天?)の2種類。外は巨大な温泉プールの様。ちゃんと熱め(38度&40度)もあり、日本人にはとてもうれしい。午前中一杯(9時〜昼)ゆっくりと身体を休めることが出来ました。その間温泉プール(?)の湯船の角に備え付けてあるチェス版の上でずっーとチェスをやっていた年配のグループも確かにいました。

温泉の帰り道電車を途中でおりて(実はJFのある駅と同じOctagon駅)、共産党統治時代の悲惨さを伝える「テラー博物館」 (House of Terror Museum)へ。チェコのプラハでも共産主義博物館を見学したが、そことはかなり異なる展示の仕方が目をひいた。まず入り口に犠牲者の写真で飾られた大きな四角の柱が拭く抜け3階まで貫いている。(写真は建物の外側に貼付けられている犠牲者の写真群)そしてその柱の前には大きなソビエト軍の戦車がガソリン(?)で覆われた台の上に展示されている。展示会場は当時を知る人たちの実体験のインタビューや戦争当時のフィルム、それと並行するようにソビエト軍関係の展示。コンテンポラリー作家の展示などなど趣向が凝らされていた。圧巻は地下にある実際の拷問道具や留置場後の展示(実際の歴史的場所の上に作られた博物館らしい)。ナチスの後に続けてソビエト軍共産主義統治の間イデオロギーの犠牲者となった人々の証言フィルムの生々しさ。特に乳飲み子や年端もいかない子供たちをそのまま残して強制収容された母親達の証言に思わず涙が流れた。

いつものことながら博物館で思ってた以上に時間をとってしまい、慌てて宿へもどることに。JFでの講演準備のため着物を着ねば(*海外での講演はできるだけ着物をそれも大島紬を着るようにしている^_^)。小雨が降る中、ジョンと海も一緒に再びJFへと講演予定より1時間早く5時に会場へ。すでに通訳のアニタさんは来ていました。少し打ち合わせをかねてざっとおさらいをして会場を待つ。今回のヨーロッパでのドイツ2カ所に続いて最後のブタペストでも雨に。私って雨女だったの?と思うくらい雨つづき。こんな雨の中、それも木曜日の週中日に来てくれる人はいるのでしょうか?という心配をよそに50席用意してあった席は満席。通訳のアニタさんとの息もぴったりあってスムーズ。講演中の皆さんの反応もとても良く約1時間半の講演があっと言う間に。この時の詳細は別のVisual pop-culture Blogサイトで改めてご紹介。

講演の後、JF所長の岩永さん副所長の田崎さん(ともに女性^_^)、そしてジョンと海を含めて5人で近くのハンガリアンレストランへ。あらためてハンガリーでのマンガ熱の高さとハンガリー気質(純でホスピタリティに富んでいる)、そして講演の話しで盛り上がったのでした。こうしてブタペストでの楽しかった6日間の滞在があっと言う間に終わり、最後の夜をとびっきり楽しくすごした。本当にブタペストはよかった〜。これもインシアのアンドレアそしてJFの皆様方のおかげです。感謝。

2011年6月28日火曜日

After Two Presentations at the 33rd World InSEA Budapest, Hungary (6/27&28): インシア大会発表を終えての一言感想

第33回InSEA World Congress はハンガリーの首都ブタペストにあるELTE大学で開催。メインコングレス初日の昨日(6/27)と今日(6/28)はインシア会場に缶詰。この二日間で、私の主催する特別シンポジウム(Ring of Fire Forum: Visual Culture & Literacy), そして6/28(火)は私個人のプレゼン(Voicies from Youth Culture: A Touring Exhibition of 4-panel art)終了。2つともおかげさまで盛況。特に特別シンポの方はテーマがヴィジュアルカルチャーということもあり、今回の4人のパネリストに元インシアの代表アン(Dr. Ann Kuo:台湾)とやはり同様メアリー (Dr. Mary Storocki:アリゾナ大)がいたせいもあり、大いに盛り上がった。

インシアは確かに美術教育関係の世界学会ではあるけれど、どちらかというと博覧会的で世界にちらばる古い友人達との再会の場であり、また同じ興味(研究)を持つ新しい人間関係を結ぶ場でもある。私にとってはハンガリーはイリノイ時代の同僚カティの故郷であり、今回の主催者アンドリア カバティーニ(カティの元アドバイザー)にも10年余振りに会う事ができたうれしい大会でもあった。

今回の学会はいろいろ運営に問題もあったようだけれど、アンドレアを個人的に知り、またその経済事情をそれとなく聞いていた私にとっては、一人で孤軍奮闘している彼女を責める気持ちにはならなかった。(大口のスポンサーがすべておりてしまったことや政府からのサポートなしで、すべて参加費でまかなわなければならなかったこと等々、、、)

初日のレジストレーションに2時間も並んだことでちょっと大丈夫か〜のスタートだったけれど、今回の大会間のコーヒーブレイクや昼食がすべて無料で提供されたことで、私的には大いに満足。それに学生達のボランティアによるハンガリアン的ホスピタリティにもうれしく思った。結果オーライである。(*ランチ込みそしてブレイクの食費込みの値段で$245ユーロとちゃんと書いておけば皆その値段の高さに納得しただろうにと、その宣伝の不器用さにちょっと同情。友人のハンガリアンのカティを見て感じていた、その純情さと不器用さをあらためて国民性かもと納得。もちろん良い意味。)

さて友人達との再会に喜んだのも束の間、私はたった二日(+準備の半日)のインシア参加のみで、皆とは次の再会を約束して別れ、6/28の夕方は家族と合流、ドナウ川クルーズへと出かけたのでした。(仕事はどうした徳!という疑問はこの際家族サービスということでお許しを>_<,,,)夕日を眺めながら(もちビールを片手に)ドナウ川両岸に広がるブタペストの歴史建築群とドナウにかかる橋の美しさを堪能。ドナウから見るブタペストの美しはこれからも忘れることはないと思う。それくらい感激的だった。

6/29(水)は予定していた通り、再び家族と合流、ブタペスト一日観光に出かけることに。前日ドナウから眺めた建築群を今度は自分等の足で、主にブタ地区を陸路から回ることに。洞穴教会、ブタ城、パレスと今度は丘の上からブタペストの街並を堪能。夕方再び宿のあるペシュ地区に戻り、ドナウ川沿いの(私の)お気に入りのレストランへ。私はここのハンガリースープ(グーヤッシュ:Goulash)のファンになってしまった。今回の旅行中後にも先にも2度同じレストランに行ったのはここだけでした。(*後日談:実はもう一カ所、ローマのパスタレストランで二日続けてボンゴレを食べたのでした。)
写真はインシア学会会場のELTE大学、ドナウから見たブタペストの街並、セーチェーニ鎖橋、英雄広場、国会議事堂、漁夫の砦、セントイシュトバーン大聖堂、ブタ城、グーナッシュスープ:ウィキベディアより)

2011年6月26日日曜日

Let's go back to work in InSEA, Budapest-Hungary (6/26): いよいよ仕事開始だインシアだ!


ユーロパスでの快適な約3時間の列車の旅でブタペストのメインステーションについたのは夕方7時頃。中心の駅とは思えないほどなんとなく古びた20世紀初頭ならさぞ立派だったろうと思えるような駅。インフォアメーションのおばさんがなぜかとても不親切。そう遠くないはずの宿までへのアクセスをさがしながら少しうろうろ。結局バス路線で街の中心地へ。そしてバス停で海と二人で荷物番をしながら近くにあるはずの宿を探しに出かけたジョンの帰りを待つ事に。「遅いね〜もし帰ってこなかったら米国大使館に電話だね〜」なんて冗談まじりにでもちょっと本気で心配すること約20分。(無事宿を見つけて帰ってきました。ほっ ^_^)

今回の旅行は宿は目的の観光スポットに近く足の便がよいところ(多少高くてもでもなるべく安くね)と探しましたが、今回は値段&ロケーション共に最高のところで目の前が石畳の歩行者天国の観光通り。歴史のある教会に隣接するどうも修道女院(女子学校)だったところとかで、トリプリにしてもやたら広くそして何もないお部屋。トリプル一泊37ユーロ(約$55ドル)の超安値。もちろんトイレとシャワー室共同。そして共同のダイニングキッチン付き。当然泊まっているのは学生のようは若い人たちやバックパッカーのような人々。学生にもどった寮生活みたい(と良い風にいっておこう)ここで6/25〜7/1までの6泊7日を過ごすことに。

さあて2週間あまりドイツ、チェコ、オーストリアと旅を堪能してきたけれど、ここハンガリーのブタペストではいくつか大切な仕事が待っている。一つはもちろんヨーロッパ家族旅行のきっかけであるブタペストでの第33回InSEA世界大会に参加するため。ともう一つはご縁がありJFブタペストで少女マンガ特別三人展示会(2009年に奄美で皆既日食イベントの一つとして開催したもの)を開催することである。ついでといってはなんだが、これまたご縁というか流れでその同展示会を、インシア側の責任者の一人(Co-chair)アンドレアのお誘いという形で、インシア会場でも展示することになった。

ブタペストに着いた翌日(6/26)はそのための打ち合わせと準備の日。1時にJF(国際交流基金ブタペスト:東ヨーロッパの中心事務所)で待ち合わせ。そこで所長の岩永さん(女性)そして通訳(日本語からハンガリー語)のアニタさんと会食しながら打ち合わせ。ジョンと海もおつきあい。岩永さんお勧めのボンゴレがおいしく、そしてデザートにと注文してくださったメロンと生ハムの生ハムが日本のお上品に切ったメロンの上に薄ーく一枚ずつ乗っているのと違って、どかーんと数枚ずつのっているのが印象に残った。もちろんおいしかった。

会食の後、岩永さんと私は皆と別れ、少女マンガ三人展の作品と4コマ展の展示設営準備のため、いよいよインシア会場のある名高いElTE大学へ5時前に着。学会会場では今回のインシア学会の責任者アンドレアが待っていてくれた。どうもいろいろあったらしく、連絡系統がうまくつながっていないのか、最終確認に少し手間取りましたが(ハンガリーではよくあることらしい)、学生達の手伝いで少女マンガの展示もそして岩永さんの個人的ヘルプもあり、私の方の4コマの方も7時過ぎに無事展示終了。後は明日6/27(月)スタートのメインコングレスを待つばかり。

方向音痴の私を心配して、岩永さんが一緒に電車のルートを確認しながら宿まで送ってくれました(それでも迷ったけど、、、笑)。ジョンと海も一緒にワインを一杯と称して、宿近くのドナウ沿いのレストランで夕食を。ハンガリー名物のスープ「グーナシュ」と白ワイン(一杯約$1。信じられないほど安くそしてデリーシャス!)がそして夜景もとてもおいしい(!)一日の締めくくりに。ここブタペストの街はドナウをはさんでブタ地区とペシュ地区に分かれていて、そのドナウ沿いに多くの歴史的建築物が立ち並び、個性的な橋たちで2つの地区は繋がっている。そしてまた市電がそのドナウ沿いに走るというとても粋な交通ルートで、ちんちん電車からもそしてドナウ沿いに立ち並びレストランのテーブルからも(そうそうドナウを走るクルーズからも)その美しい風景を堪能することができる。私達はブタペスト滞在中ほとんど毎日夕方ドナウ沿いで夕涼みに来ていました。(宿からも徒歩で5分足らず)。

2011年6月25日土曜日

Good-by Vienna & Hello to Budapest (6/25/'11): 芸術の都ウィーンからボヘミヤンの末裔の国ハンガリーの首都ブタペストへ

二日間の滞在はやはり短い。あっという間に時間が過ぎ去って行く。ウィーンを離れる日、午前中慌ただしく一番見たかったエゴンシーレのコレクションで有名な「Leopold Museum」とできたらクリムトのコレクションを集めている美術館へ行きたいと思っていた。

でもやはり時間切れ、レオポルド美術館だけで3時間もかかってしまった。すでに2時過ぎ。4時の列車でブタペストへ向かう予定の私達にはさすがに2つは無理。ということで、やはり予定どおりウィーン美術館とのペアで既に買っておいた(これだとファミリーチケットとして割安になる)シーレのレオポルド美術館へ。ここがまたすごかった。オーストリア出身(もしくは関連の深い)19世紀末のアーティスト達を時代を追ってその歴史とともに紹介していた。その中にもちろんクリムトもいた。今回はこれでよしとして、クリムトの美術館はまたいつの日か。

1階がシーレ専用の展示。改めて思ったけど、シーレは間違いなく、かなりのナルちゃんである(ナルシスト)。そしてあらためて私の本にシーレはやっぱり外せないと思った。

美術館を出ると小雨模様だった空が本降りに。雨宿りついでに隣の美術館(ここはミュージアムパークと呼ばれる美術館が集まっている地域)で宇宙と関連づける美術展に飛び込んだ。広告がバービー人形に宇宙服を着せたような巨大な絵画の大写しについつい目が惹かれて、、、その中に日本現代ポップアーティスト森真理子の作品(「宇宙の始まり」というような確かタイトルで、彼女の作品の特徴コスプレ姿の彼女が宇宙をバックに風船玉をいくつも膨らませている作品)があるのがちょっとうれしかった。

展示をさっと1時間程で見終わえ美術館を出たらちょうど雨が上がっていた。急いでホテルへ、そして荷物をかかえて駅へと急ぐ。いよいよブタペストへ。インシア世界学会へ。仕事が待ってる!

2011年6月23日木曜日

The 3rd country, Austria after Czech Republic (6/23-25):中欧旅行第三番目の国オーストラリア19世紀末芸術の都ウィーンへ

ヨーロッパ入りして以来なかなかメール(Entourage使用)がうまく繋がらずにいる。インターネットはどうにか(すごーくスローだけど)なので、いつもは旅行の後に思い出しながらブログにあげているのが、今回は結構まめにオンタイムでブログを更新。(自分でも珍しく我ながらちょっとエッへンという気分^_^)。それがこの四日間(チェコのクロムローとウィーン滞在中)インターネットの調子もいよいよ怪しくなってきた。エアーのシグナルが繋がる合間合間に更新続行中、、、(アメリカのように高速無線LANが充実しているか日本のように有線LANケーブルを用意いてくれるとよいのですが、ヨーロッパではどうもそこまで行っていないのが現状みたい。あくまでも個人的感想ですが、、、)

さてウィーンである。そうあの世界史でならったハプスブルグ家の帝都(というよりオーストリアハンガリー王国のといった方がよいかも)。私にとってはなんといっても19世紀末退廃の街そしてシーレとクリムトの街である。

正直プラハと比べてウィーンはさすが都洗練されている。(街のカラーは白。それもマーブルの少し黄みがかった白。)そしてホテルのお値段も洗練されていた(高い!そして今までの湄と比べて狭かった!1泊朝食付き95ユーロ=約$150。でもトリプルなので、あくまでもこれは私的に高いのである。今円高なので円に換算すると結構安いかも。)。人も(たまたま市電の運ちゃんがそうだったので、、、)結構都会的というか冷たかった。人はプラハ同様というかそれ以上に観光客で溢れ返っていた。ここではもちろん美術館巡りと音楽(クラシック)、そしてここでのコーヒーはいくつも種類があるそうですごいと聞いていたのでコーヒーを&スウィーツを楽しみにしていた。うーんさすが芸術の都。


一日目はもちあの有名な「Kunsthistorisches Museum」へ。さすがハブスブル家である。すべての時代のアートを網羅しているという感じ。私はあの「バベルの塔」で有名なブリューゲルティントレットを狙っていったのだけど、、、想像以上に美術史に燦然と輝くアーティストの作品が巨大なスペースに集約されていて圧倒。その中でもルビン(Rubin)の巨大な絵や、特にハブスブル家に実際に飾られていたように再現された壁中を埋めるように絵画が飾られている部屋(展示室)を見た時にはくらくらっと思わず目眩がしそうでした。ここの美術館だけでほとんど初日を費やしてしまった。(*7/8追記:ルビンの絵と言えば、あの岡野玲子先生のマンガ「両国花錦闘士(おしゃれりきし)」単行本の表紙絵(ルビンのパロディ)を思いだして一人ほくそえんでしまった。岡野玲子はやはり天才でアル!)

そして二日目の夜にウィーン国立歌劇場でスタンディング2階席(立ち見:なんと一人3ユーロ)で見たバレエ「ジゼル」が本当に素晴らしかった。ここでもプラハ同様、みてらっしゃいよってらっしゃいの観光客狙いのクラシック音楽の夕べの誘いがこの美術館の回りだけでもたくさんあったのだけれど、おかしかったのは、その客引きがすべてあの貴族の鬘をかぶり宮中の衣装を着たコスプレ(たぶんモーツアルト?)だったこと。さすがウィーンである。

2011年6月22日水曜日

Visit to a medieval town, Cesky Krumlov, in Czech (6/21-23/'11): ユネスコ文化遺産小都市「チェコ中世の街クロムロー」へ


プラハの四日を終え、今日から二日はユネスコ文化遺産の街チェコの「チェスキークロムロー」の街へ。プラハ城に続く第二の大きさを誇るクロムナル城を中心に中世の街がここにはそのまま残っている。プラハからローカル列車そしてバスを乗り着いて夕方着。プラハのホテル(アパートメント形式)も結構よかったけど、ここは特別によかった。古い中世の建物の中にモダンな作りのブティックホテル。スイートとも言えるくらい結構な大きさ(これで朝食なしの一泊トリプルで1,300KC=$80)。

ここでは本当にゆっくり二日間を過ごした。続く、、、

(追記:7月3日フィレンチェにて)さてクロムローの街である。今回の旅のルートは私の小講演の仕事先とインシアの学会先ブタペストを考慮しながらジョンが選んだので、彼にすべてまかせっきりで、このクロムローの街もユネスコ世界遺産ということで選んだらしいが、これが本当に素敵な街だった。日本でどれほど知られているかは知らないけれど、お勧め一番。

初日は夕暮れの街を自分らの足でゆっくりとアイスクリームをなめなめ歩いた。二日目の午前中は上記に書いたクロムナル城を三人で回り、午後からはジョンと海はカヤックへ、私はエゴンシーレ美術館で午後を一人で過ごした。

そうなのまさかここでシーレに会えるとは思っていなかったけど、ここはシーレの母親の実家のある街だったとのことで、一時期ここで過ごしていたらしい。シーレのあの特徴ある風景街並のほとんどはここでの作品と始めてしった。

実は、シーレは私の一番好きなFigurative painting artist。シャンペーンアーバナで近代美術史をとった時にシーレを知り、当時のメインの派に属さないオーストリアの独立派の一人と確か習った。クリムトとの子弟関係。そして30前の若さで亡くなった事等。よくある貧乏作家の一人と思っていたら、実は結構裕福な家庭の出で、亡くなった時期がクリムトの亡き後、彼がウィーンでの中心として脚光を浴び始めたその矢先き、当時ヨーロッパを襲った例のスペイン風邪で六ヶ月の身重の奥さんの亡くなったその3日後に彼もなくなったこと等々、、、いろいろ歴史を追う事が出来て、思いがけなくも良い一日をゆっくりと過ごすことができた。

そしてここでの私の思い出は、琥珀のそれも緑色のペンダントを$50で購入できたこと。うれしい!(^_^)(現地の人によるとポーランド原産らしい。緑色は本物と店の人は言っていたけれど、なんらかの方法で着色しているのではないかとはジョンの弁。あとで調べてみようっと。)

(7/10追記)ついでに一つあっと驚く早業の思い出をひとつ。最後に中華料理で夕食をとった時のこと。広場を見下ろすグットロケーションにあるそのお店は15世紀の建物の2階にありインテリアも百年以上は前に描かれたという壁画に囲まれたなかなかの場所。客はうちら家族だけ。そこで一番安いチャーハンらとチェコビール(これがバドワイザーだったので、ここではじめてチェコのビールと知った私)を私達は注文。ここまでは普通。300KC余お勘定となった時、私達はまず500KC札を出そうとした。そのウェイトレスは小銭を出せば200KC札でおつりを渡せると札をテーブルにおき、私達がその小銭を勘定しているのを待っていた。支払いを済ませ、帰ろうとした時のこと、その200KCがない。ジョンは君がとったといい、私はいやジョンでしょうと少々もめた。フム、、、いや確かにもらっていないと判断した私は彼女が私達が小銭を勘定している間にその200KC札をもどしたと見た。「まさか〜」というジョンを横目に「Excuse me」と奥で他の従業員と談笑している彼女に「あの〜おつりは」と聞く私。「300KCしか払ってないでしょ。」としらばっくる彼女。「いや確かに500KC+小銭を渡しましたよ。」と丁寧にでもきっぱりとつめよる私。かんねんしたのかどうか、その彼女はお財布袋(ここではレジではなく、それぞれのウェイトレスが勘定の際それを持って客を回るのが普通みたい)をあけ、さっと200KCを私にわたしてくれた。むむっこうやってきっと何人もの観光客はとられているに違いない。(こういう時男は頼りにならない。めんどいのか、こんな細かいことを聞くのがプライドにさわるのか、、、確かにドル計算でたかが$10ほど。されど$10である。でもっー私はこういったこずるいのは許せないのだ!Do you know who am I?またもやデニーロになった私! )

2011年6月20日月曜日

Museum visits on the last day in Praque (6/20/'11):プラハ最後の日は美術館巡りとクラシックナイト再び

観光客でにぎわうショッピング通りの中、それも資本主義の象徴とも言えるマクドナルドの隣、カジノホテルの2階にその博物館はあった。その名も「Communism Museum (共産主義博物館)」。うーんエスプリというか超皮肉。博物館の入場料も資本主義的(結構高い!大人180KC=$11/子供120KC=$7)。古びた廃校の2階という雰囲気でチェコの共産主義の歴史がレーニン&スターリンの銅像と共に時代を追って説明されていた。6カ国語でラベル表示。チェコ語、ドイツ語、英語がメインに、その下にフランス語、スペイン語、&イタリア語が一回り小さく表示。(ちょっと感激)

改めてチェコという国が第一次世界大戦後まで存在しなかった国であることを再確認。そうなのである。オーストリアハンガリー大帝国の中心に位置していて、その中心としてプラハという街が花開いたのだ。プラハの街の財産はその時のものである。高校時代世界史を習ったときは年表の羅列でそれぞれの時代や歴史を実感することなくひたすら覚えるだけで、ちぃーっともおもしろくなかった(いやいや実はすごーく退屈だった)。実際にその国に来てその国の文化というか空気に触れてみると、始めてその歴史の重さを実感することができるものですね。

話しがそれたけど、未だに共産主義社会主義の違いがよくわかっていない私ではありますが(実は資本主義の理念もわかっているようで、、、というレベル)、チェコがどうして共産主義になっていったのかも、ここでよく理解できた。私的感想だけど、決してイデオロギーの勝利というようなものではないと思う。生きるためのパン欲しさに目の前に出された救いの手が共産(社会)主義だったというのが本当のところだ。それも20世紀初頭のあのアメリカのブラックフライデー(株価急落)の結果で。それまでは両イデオロギーの中で揺れ動いていてどちらかというと社会主義よりだったとはいえ、中道だったのではないか。ある一つの事件(時としてささいな)が引き金でどっーと歴史が動いてしまうというのは世の常でアル。それまでたまっていたものが、それをきっかけに溢れ出てしまう。それがどの方向に流れるのかは神様だけが知るのみ。ここの博物館の中ではその共産主義時代の生活や教育も写真パネルや関連物で知る事ができたけど、芸術の世界の中でも「Social Realism (社会主義リアリズム) 」の意義を再確認出来たような気がする。アメリカではこの派はどちらかというと美術史の中で無視されがちだけど、再評価されてもよいのではないかと思う。プロパガンダに利用されたとは言え、その中でも夫々のアーティスト達はそれぞれの個性をその中で表現していると思う。(私の「鑑賞学」の教科書の中ではちゃんと語ろうと思う。)

感想。一言予想以上に面白かった。この後頭の中でイデオロギーと美術なんて比較論がごちゃごちゃになって渦巻いてしまった。この後今日のメインだったはずのアールヌーボーの旗手ムッハ(Mucha)の美術館へ。感想。予想通りよかった。そして日本人ツアー客がたくさんいた。さすが日本でも人気のアーティスト。作品はアールヌーボーの特徴である装飾的デザインと優美な女性が中心だったけど、その中でマッハがアーティスト人生の後半自分にアイデンティティーに目覚めてスロバキア的民族以上のデザインを多く描くようになってからのものが必見。その中女の子がきっとこちらを睨みつけるようにペンと本を持って立っている絵が一番印象的だった。なぜか奈良美智さんのナイフを持つ女の子を思い出してしまった。

この2つのミュージアムで今日は目一杯。この後最後の締めくくりはプラハの中心広場のゴシック教会の中でのクラシックコンサートへ。今回は弦楽器の他ピアノにトランペットそしてボーカルが入る。もちろんよかったのだけど、先日の弦楽五重奏があまりにもよかったので、今回はそれほど感激しなかった。何事も最初の印象が第一番というところでしょうか。プラハ最後の日。美術館(博物館)巡りをして最後にやはりクラシックで締めくくったのでした。

The 2nd & 3rd day in Prague (Praha), Czech Republic (6/19 & 20): プラハでの日々は続くよ














6月19日(日):プラハの思いがけずクラッシック(音楽)な夜を満喫した翌日の日曜日(6/19)、再びプラハフリーツアーに参加することにした。今回はオールドタウンと言われる中世の街並を中心に回るツアーで昨日のプラハ城観光よりさらに人気のコースとか。
午前の10時半出発のやはり2時間半コース。シティホールの広場に出かけ、ツアースタート前の朝食とばかりに私は自家製のソーセージの看板にひかれてまたもやである。ジョンと海はジロスを(私達はアメリカではギリシャ料理と呼んでいるけれど、ドイツもそうだったけど、ここでもトルコ料理と皆呼んでいるみたい)。

おっいたいたネオングリーンの傘の下に昨日のジェンナ(ヨナ)がいる。別のガイドでのツアーを体験するのもよいかとも思ったのだけれど、10人くらいの比較的小グループであることが気に入ってまたもやジェンナのツアーに参加することに。

広場の回りが既に中世の歴史的建築物だらけ。まずはシティホール横の有名は「プラハの天文時計」の11時の鐘の音と生トランペットの演奏をスタートにオールドタウンの中世建築ツアーへ出発。バシリカ(ロマネスク様式教会に発展する前の教会様式)、ロマネスク様式、そして18世紀に追加されたロココ調の外観、ユダヤ人街の教会、そしてこれらにまつわる歴史実の裏話、そして現代アートもと盛りだくさん。ニュータウンにも出かけた。おもしろかったのがニューといいながら15世紀後の地域をそう呼ぶらしいところ。ここプラハではそうなのだろう。(これらはまた写真とともに詳細は後でね。いろいろあってここではとても書ききれない ^_^。。。。)

カフカの銅像の前で解散の後、ジョンと海はTorture Museum (中世の拷問器具の美術館)へそして Black Light Puppet Show(操り人形ショー)観劇に。私はさすがに二日間の歩き疲れでちょっとお疲れホテルで休む事にした。

6月20日(月):プラハ最後の今日は美術館巡りそしてまたクラッシックの夜で最後を締めくくろうと決めていた。はしょらないでゆっくり見るには一日せいぜい美術館は2つまでが限度かなということで共産党美術館(Museum of Communism)アールヌーボーの旗手チェコ出身のムッハ(Mucha)の美術館へ。これまたちょっと長くなるので、この続きはこの後のブログページで。

(余談がつきませんが、、、そうあの「変身(メタモルフォーゼ)」のカフカもチェコのユダヤ人。ドイツ語で執筆しているのでドイツ人と思われているようですが。スメタナといいドボルザークといい、そしてこのムッハ(日本語カタカナでは「ミュシャ」?)といい、チェコ出身の偉人は思いのほか多いのですね。)

2011年6月19日日曜日

Continued A Superior Classic Music Night in Praha (Prague), Czech (6/18/'11): 続き「クラシックミュージックなプラハの夜」

先の「プラハのクラッシックな夜」がちょっと長くなってしまったのでそのまた続き。ちなみにそのクラシックコンサートの演目は下記の通り。

Praque Echo Ensemble Concert in Lichtenstein Palace (Sat., 6/18/2011)

J.S. Bach (1685-1750): Loure from the Cello Suite No.3
G.F. Handel (1685-1759): Largo from the opera Xerxes
A. Vivaldi (1678-1741): The Four Seasons selection
L. Boccherini (1743-1805): Menuet
A. Dvorak (1841-1904*チェコ出身): Largo from the New World Symphony and Slavonic Dance
R.Schumann (1810-1856): Dreaming
G. Puccini (1858-1924): Aria
P.I. Tchaikovsky (1840-1893): Waltz of the Flowers from ballet the Nutcracker
F.Schubert (1797-1828): Ave Maria
J. Strauss (1825-1899): On the Hunt Polka and On the Beautiful Blue Danube Waltz
J. Brahms (1833-1897): Hungarian Dance

A Superior Classic Music Night in Praha (Prague), Czech (6/18/'11): クラシックミュージックなプラハの夜

プラハの初日のまだ続きである。英語ガイドツアーでチェコのそしてプラハの歴史を一通り学んだ私達。その夜はあちこちで開催されているクラシックコンサート(室内アンサンブル)を聞こうと決めていた。(動機は単純。たぶんこの後行くウィーンよりはきっと安いに違いないと踏んでいたから。なんてチープな私達。)

ここでは日本の観光地の茶店の呼び込みのように、軽い感じでクラシックコンサートの開催の呼び込みをしている。「はーいお兄さんお姉さんよってらっしゃい。見てらっしゃい。」って感じ。こう呼び込みムードではそのレベルは本当はどうなの?と一抹の不安をよそに、とりあえずたくさんの広告の中から適当に選んだその内の一つ7時スタートにものにまとを絞って、さあまずはその前に腹ごしらえ。今日はチェコ料理を。そして、そう今日は時折小雨がぱらつく肌寒い日だった。それが何だといってはいけない。こういう日はアルコールで身体をまずは暖めねばいけないのは世の常識。チェコは世界一と豪語するピルーズナーではなく、ツアーガイドのジェナに教えてもらっていたホットワインかグラッグ(grog:お湯でわったホットラム酒)をぜひ注文しようっと。

大聖堂からの帰り道石畳の坂道沿いに小さなレストランやお土産屋が軒を並べているそのひとつ。ツアーセットメニュー160KC($1=16KC)の看板に「おっ安い」と入る。私はミートスパゲッテッパスタセット(サラダ付き)、海はチキンとポテト料理のセットにジョンがチェコ料理のグラーシュっ(豚肉のワインソテーのような感じ)セット。共にデザート付き。それに飲み物をジョンがピリズナーの小(それでも400cc)、私がグラッグを注文。シュガーがついてきて、ホットラムにお砂糖を入れるのが好みらしい。入れてみた。おいしかった。癖にらしそう。

レストランを出たのがなんと既に7時5分前。予定のクラシック音楽会場をうまく探せずうろうろ。見つけた時には7時10分過ぎ。今日はあきらめて明日にと二人で話しているところを「ちょいちょいお二方」と近寄ってくるあやしげな呼び込み。なんとそのクラシックコンサート関係で私達がもう始まっているでしょうと回答すると「いやいやまだ始まって5分くらいだし、安くしますよ。それによい席を準備するから、、、」と近寄って来る。結果最初に聞いていた値段が大人一人500KCで子供が300KCのところを、大人一人300KCでこども(海)は無料とのこと。ジョンと私は無言で顔を見合わせるとオッケーのサイン。そっーと遅れて入った私達はなんと本当に前から2列目に座って聞く事ができた。(といっても1列目は誰も座っていず空けてあった。今回の私達のようにあとからの呼び込みで遅れて入って来る客のためにきっととっておいてあるのだろう。)

さてその肝心のその音楽はというと、、、一言素晴らしい。室内管弦音楽「Prague Echo Ensemble」のクラシック演奏に、特にチェコの作曲家スメタナの「我が祖国」の中の一曲「モルダウ川」が流れた時と「アベマリア」が流れた時には涙が思わず流れてしまった。ビデオを取る事ができたので最後の一曲ブラームスの「ハンガリー舞踊曲」とアンコール曲をここに近い内に擧げたいと思います。Enjoy!(生は比較にならないくらいよかった)。

2011年6月18日土曜日

Praque as a City of Gold in Czech:「黄金の都市」プラハの第一日目は?

列車の予想外の顛末でチェコのプラハに夜遅く着いた私達。あやうくタクシーにぼられそうになったり、宿のアパートメントの鍵がなかなか開かなかったり、窓から聞こえてくる酔っぱらいの大声にと、、、ドイツでの旅のスタートが好印象だっただけに、プラハの第一印象は正直よくなかった。(宿は一泊トリプル朝食なしで約70ユーロ=$100)

ドイツでは時差ぼけもあって早起きだった私達は、昨夜の夜遅くの到着が効いたのか、皆で爆睡。9時過ぎにのろのろとベットを這い出し、さてプラハの一日はどうなったのでしょう、、、続く。

現在6/19(日)の夕方7時過ぎ(チェコ時間。でもとてもまだ明るい)続きを書いている。それが最初の一日をチープな表現だけれど「素晴らしく!」過ごすことができたのだ。

いつものように旅の最初の地では必ずインフォメーションセンターに立ち寄ることにしている。今回も同様でてくてく歩くこと20分。途中で屋台(出店?)でサンドイッチやホットドックを買い(この街もまたドイツ同様ソーセージがめちゃうま)、立ち食いしながらプラハの街の中心地元シティセンター(これまた古い12−3Cの建築)の中で情報を。ドイツのハイデルバーグやケルン同様「観光デイバス」で美術館巡りをとするべきかどうかまよったが、ここプラハは街全体が中世美術館ともいうべき中世建築の宝庫。もちろんユネスコ世界遺産に登録。今回は「百塔の街」のニックネームを持つというこの街を足で回る事にした。そうプラハの街の観光ガイドフリーツアーである。

モルダウ川を中心に発展したこの「中世の街プラハ」は東西冷戦の不遇の時代を超えて今は超観光地として賑わっている。本当にヨーロッパ全体からそして世界からここプラハには人が集まってくるらしく、とにかく町中は「人人人」の群れ。私達ももちろんその一人。これらの観光客を対象にフリーツアーというのがさかんで、いくつかの会社が林立しているらしくカラフルな傘の色でそれとわかるようにしているらしい。私達は午後2時スタートの英語フリーツアーのひとつ(ネオングリーンの傘が特徴)、モルダウ川向こうのゴシック建築の大聖堂がある(Cathedral) プラハ城ツアーへ。時間は約2時間半。参加者は私達家族三人を入れて9人。アメリカ人。アジア系カナダ人。ドイツ人。オーストリア人。インド系アメリカ人。私を日本からとするとたった9人の参加なのに5カ国(8文化)からの多文化参加。

ツアーガイドのジェナのまずはチェコの歴史説明からはじまり、モルダウ川にかかるカール橋へ(神聖ローマ帝国の最初の王カール大帝の名にちなむ遺跡が街のあちこちに)。ここはコミュニズム体制へプロテストした青年が憤死(自火)した場所も近く。宗教(カソリックvs。プロテスタント:*何とルターの宗教改革より百年も早い宗教改革者フスによる)や政治(コミュニズム)に翻弄されたチェコ(そして首都のプラハ)は歴史実の宝庫でもある。ジェナのツアーガイドを聞きながらその歴史の重さにめまいがおきそうになったほど。橋を渡り大聖堂への道すがら多くの建物やそれにまつわる歴史の説明を聞きながら大聖堂に到着した時にはすでに2時間を軽く超えていました。

ツアーの最終地広大なプラハ城の敷地の中にお目当ての聖ヴィード大聖堂へ。これまたケルン同様ゴシック建築の粋を集めた壮大な建築物。ケルンの大聖堂では見られなかったゴシック建築の特徴の一つローズウィンドーのステンドグラスに会えて感激。そこで解散することになるのですが、フリーツアーといっても実はこれはフリーではない。広告収入でまかなっているとは言えツアーガイドの収入源はどうもチップらしいということで、私達も200チェコクラウン($1=16チェコ)を。一人100というのがどうも相場っぽい。細かい紙幣がなくて少なくてもごめんなさい。海の分は子供料金という事で今回は許して。

サンダル履きで参加した私の足は石畳を3時間近くも歩き回った私の足はがたがただったけれど、ツアーのおかげと参加した良いメンバーで思いがけず楽しい歴史文化学びのツアーとなった。実はこのツアー解散の後、もっと素晴らしいことが待っていたのでした。続きはまたこの後に、、、

Good-by Germany and Hello to Czech (Fri. 6/17): いよいよ「さよならドイツ」&「こんにちはチェコ」へ

ヨーロッパ最初の国ドイツでの1週間を終えて、次は東欧の国チェコのプラハへ。ドイツからチェコまで最初はユーロパスを使って鉄道でと考えていたのだけれど、通訳の四戸(しのへ)さんにも手伝って調べてもらった結果、高速バスも使えることがわかり、結局JFケルンの佐田さんに先に教えてもらった高速バス利用の最速最短ルートで行く事になった。

ビッシンゲン発11:29 シュトゥットガルト着11:46 (列車)
シュトゥットガルト発12:07 ニュルンベルク着14:18 (列車)
ニュルンベルク発14:41 プラハ着18:18 (高速バス・要予約)

ところが、、、上記シュトゥットガルト発の電車が出発10分程前にプラットホームが急に変更になっていて、私達はそれを気付かずに見逃してしまったのでした。後で聞いたところ各ホームの入り口に時間表が電光掲示板があって、変更はちゃんと掲載されていたとのこと。そんな〜です。プラットホームで電車を待っていた私達には知る由もなしでした。

結局の所、2時間後の次の汽車に、そして高速バスも次の便に無事変更。ただしプラハの駅に着いたのは夜の9時過ぎ。8時までにホテル(アパート形式)に入ることになっていたので、これまた少しあせることになるのですが、プラハの駅で電話を入れ、ちゃんと入ることができました。それよりも駅でタクシーをのろうとして、最初に言われた額が約50ドル。そんなアホなと、、、いう顔をしたのでしょう。タクシーの運ちゃんはすかさずじゃあ半分の25ドルは?そしてじゃあ20ドル。これが最低の額だからという声に、やっぱりあやしいとキャンセル。ジョンの地図によると近いはずということで15分程徒歩で無事ホテルへ。でも探しながらの歩きってどうしても遠くそして長く感じるんですよね。

あっそうそうこの高速バスは2階建てて、セカンドクラスが2階席、ファーストクラスがゆったりと1階席。ユーロパスでチケットそのものはフリーですが、この高速バスは要予約でその予約料金がとられます。セカンドが一人10ユーロ、ファーストが一人15ユーロ必要なのでした。セカンド席が既に一杯だったので、ファーストにせざるを得なかった私達でしたが、よかったですよ。飲み物一杯無料とかだったし、席も全部で16席しかなかったので、すごーくゆったり。ドイツのアウトバーンをかっとばして走る「約3時間半の快適旅(ニュルンベルクープラハ間直行)」は鉄道を使うよりなんと数時間も早いのでした。

(*予断ですが、少ししかお話しする機会がなかったのだけれど、このJFの佐田さんがまたすごくパワフルでユニークな人。海外でがんばる女性って個性的で楽しい人が多いのはなぜ?四戸さん、この方もまたすごーく優秀な通訳者。通訳しているメモを横目でちらりと覗いてみたらそこにはびっしりとメモ書きがあるはずの私の予想に反して、文字というより記号のはしり書きが並んでいるのでした。ハイデルバーグ大学の日独通訳科の第一期の卒業生とのこと。)

*追加予断:高速バスの出発地ニュールンベルグはなんと版画家デューラの生家があるところだったのでした。(後でジョンから聞いて、そうとしっていたら1時間の待ち時間の見にいったのに、、、と後悔したのは後の祭り>_<,,,)

2011年6月16日木曜日

To the 4th site & the 2nd Talk in Germany related to Character Big Culture in Japan(6/16/"11):「キャラクター大国ニッポン」会場にてのトーク第二弾ビッシンゲンにて

ケルンの街を後にして、再び小講演の仕事で次はこれまた古い中世の街並が美しいビーティヒハイム&ビッシンゲンという街へ。ここへは昨夜通訳をしてくれた四戸(しのへ)ようこさんと一緒に(そしてジョンと海も)。そこには市の博物館の学芸員で日本文化研究家でもあるスザンヌが迎えに来てくれたいた。スザンヌは慶応大学で日本文学をマスターされたとのこと。

ここのシティセンターでJF(国際交流基金)主催の巡回展示会「キャラクター大国ニッポン」が開催されていることもあり、そのご縁でケルン国際交流基金でのトークの後、ここでもということにあいなった次第。ここでのトークの様子もまた別のブログ Visual Pop-culture Blogにて詳細はご紹介。続きはそこで。

A Talk of Visual Pop-Culture at Japan Foundation-Koln (6/15): ケルン国際交流基金でのトークナイト

さあてさあて、先にケルンの中央駅に着くなり目の前にどかーんと表れた「ケルンの大聖堂」、その天を射抜くかのようにそびえる威風堂々の姿に感激した話しを書いけど、実はケルンには観光目的ではなく、仕事でこの街にやってきたのである。2005年の巡回少女マンガ展示会以来お世話になっている国際交流基金(JF:Japan Foundation)のドイツ事務所がケルンにはある。そしてそのJFの松本さん(NY事務所勤務時代にお世話になった)お誘いを受けて、ここで小講演を持たせてもらうことになり、ご縁でケルンの街にやってくることになった。

ここでのトークは一応仕事なので、別のVisual Pop-Culture Blog(*大学の仕事や研究関係はこっちのブログに書くと一応書き分けをしているつもりなの)で詳細は書く事にして、やっぱりケルンと言えば、中世の街、そして伝統的な中世絵画彫刻だけでなく、実は近世&近代アート(それも私の好きなポップ)のコレクションで有名な美術館がたくさんある。その代表がルートヴィヒ美術館(Museum Ludwig)と ヴァルラーフ・リヒャルツ博物館 (Wallraf-Richartz Museum)。

先にも話したが、鑑賞教育学の教科書に掲載する図版(の使用権)に頭を悩ましている私は、ここでもたっぷり写真を撮って来るつもり。特にケルンの大聖堂のゴシック様式の細部をしっかり写真に収めて来るのだ!(続きはまた写真とともに後でね。)

あっそうそう忘れていけないことがありました。トークの後でJFの皆さんには晩餐会を開いていただいて、ずうずうしくもジョンと海も一緒に参加させてもらい、今旬で特産だという白アスパラガス料理ともちろんのドイツビールに舌鼓をうったのでした。多謝。

To the 3rd site Koln by Rhine River Cruse in Germany (6/13-15/'11):ライン川城塞巡りクルーズから古都ケルンへ

ユネスコ世界文化遺産にも登録されているドイツと言えば「ロマンチック街道」(と日本ではよく紹介されている)もとい「ライン川流域の古城巡りのクルーズ」へいざ出発。

朝ハイデルバーグの宿を出発して汽車でメインツ(Mainz)まで行き、そこからクルーズでドイツの旅のメインの目的地であるケルンへ。の予定だったのだけれど、どうもメインツからケルンまでのクルーズは一日一本、それも朝の10時発。もう過ぎている。なんと汽車なら数時間の距離もあちこちの寄港地で客を広いながら船上で20以上ある古城を楽しみながらの丸一の旅ということになるらしい。

これはまずい、、、と見逃したか?とメインツ行きの汽車の中で地図を広げながら思案していたら、親切なおじさんが、自分もつい最近親戚のためにプランしたのだけれど、、、と近寄って別のアイディアを提供してくれた。クルーズの出発点メインツからでなく、その先のビンゲン(Bingen)までそのまま汽車で行き、そこから寄港するクルーズに2時の予定で乗船、そしてコブレンズ(Koblenz)まで4〜5時間の船旅をエンジョイ(おじさん曰く、この区間の古城巡りがベストとのこと)。そしてそこから再び汽車で約一時間程でケルンへ。これだとそう遅くない夜の8時頃には最終目的地ケルンまで到着することができるというもの。

ライン川沿いに多くの古城を見ることができる。船上ではドイツ語の他に英語、フランス語、日本語、中国語などのガイドが流れていて、いかに観光客が多いのかが想像できる。日本人ツアー客もたくさん。(そいういえばハイデルバーグでやはり多くの日本人観光客とすれ違った。ガイドさんに3/11の影響はどうですか?と尋ねたところ、かなり戻って来ていて今は例年通りの賑わいですよと答えていたのが印象に残っている。)

ライン川の難所と言われる「ローレライ伝説」を生んだ岩山ももちろんこの途中にある。

船旅をエンジョイ。コブレンズで降りた私達は、ライン川沿いの街並(これがまた美しい)を散歩がてら駅まで歩く事15分程。そこで汽車に飛び乗り、そこから1時間程でケルンの駅へ。駅を降りるとなんと目の真ん前にそびえるゴシック様式のケルン大聖堂が威風堂々と私達を迎えてくれたのでした。この時の感動はきっと一生忘れることができないと思う。「うあっーなんだこれは!」という感じでしたもの。まさか駅の本当に土真ん前にたっているなんて、想像だにしていなかったので、さすがに驚いてしまいました。ケルンではそのライン川沿いのブティックホテルに3泊の宿を取ってある。中世の街ケルンを満喫する予定。ドイツでの旅はまだまだ続く、、、(^_^)


2011年6月14日火曜日

The 2nd site in Germany - Hidelberg (6/10-13/11): ドイツ最古の大学町ハイデルバーグへ

旅二日目(6/11)フランクフルトからハイデルバーグまで列車で約1時間。とても快適な汽車の旅。「ハリーポッター」の映画なんかで見るのにちょっと似てる。コンパートメントがあってランクによって分かれているのだけれど、それぞれ質が高くてヨーロッパの趣がある。今回の旅に先立ってユーロパス(1等グループバス:8day travels within 2 months:about $650/per person X 3 = about $1,950 US)というのを購入したのだけれど、8日の移動日で購入しているので、今回のような1日一回だけの短い旅行の場合は、別途チケットを購入することにした。(ホテルから中央駅までの地下鉄料金がやく10ユーロ=$15&ハイデルバーグまでの2等チケットが一人38ユーロ。13才の海のチケットはこれは無料だった。ラッキー。でもちょっと不思議。)

ハイデルバーグ(日本語ではハイデルバルグ)に着くとすぐインフォーメーションセンターへ。そこで2日間のファミリーパック(二親に子供一人:28ユーロ)を購入。これで公共の乗り物にキャッスルの無料入場にほとんどの美術館などがディスカウント。駅から33番のバスに乗って約15分で、ハイデルバーグのオールドタウン(古都)ハイデルバーグ地区に到着。川沿いに開けた街自体がもう遺跡ともいえるような歴史のぎっしりつまった街。赤砂岩といわれる岩でつまれた街並。そこにドイツ最古の大学ハイデルバーグ大学(16thC)がある。なんとノーベル賞受賞者を9人(?)も出したとこらしい。そしてマルティンルターに寄る宗教改革のスタートの地でもあるとのこと。現在は大学は別の地区(現在6万を超える学生数)に移っているが、建設当初の建物を今でもみることができる。目玉はなんと学生牢(といっても飲酒で乱暴を働いたり悪ふざけをしたりの学生達に謹慎牢みたいなもので、学生時代にここに入るのがスティタスだったとか)で、謹慎中に学生達が退屈しのぎに書いた落書きが所狭しを描かれていて、ちょっとしたギャラリー。

この街の中の古ーいホテルに宿を取った。街の中心の広場が見える4階の良い部屋。でもこれがエレベータがない。涙。一月分の荷物をぎゅうぎゅうに詰めたスーツケースをよっこらしょっと三人三様でかつぎあげる。(サイトで探していっちばん安ーいホテルを探したのだけれど、ここは歴史地区で宿も高いらしく、一泊朝食込みで120ユーロ。約180ドル。円高の今日本的感覚だと一人朝食付きでこの値段は安いのだろうけど、う〜家族旅行で一泊100ドル以下で旅している私達には高額よ。)

荷物を置いて、早速広場すぐのゴシック様式の教会へ、そして川向こうのキャッスルへ。
5時くらいにもどってきて、私はそのあと時差ぼけと旅の移動疲れでそのまま朝まで爆睡。

翌日12日は美術館巡り。まず市制歴史の美術館といっても貴族の屋敷を改造したもので地下にはローマ時代の遺跡彫刻もある本格的な美術館。そしてハイデルバーグのオールドタウンからちょっと離れて歩くこと約20分、Institutional Art(精神病患者とか受刑者達の正式なトレーニングを受けない人たちによるアート)作品のコレクションで著名なミュージアムへ。実際の精神病院の中にある。第一次大戦前後から心理学者でもあった???博士が国の許可を得てドイツ中の精神病棟を尋ね集めたというコレクション。心理治療の目的というより精神病患者の特異性を調べるための調査のためだったらしい。おもしろい。気付いた事のひとつ同じ主題を執拗に繰り返して描いている点。その後オールドタウンの宿へ帰りがけにバッケージ美術館にもよったけれど、これはちょっと期待はずれ。

結構歩いた。今日はジョンと海が時差ぼけが今頃という感じで宿に着いたとたんベッドにダウン。そのまま朝まででした。明日はいよいよライン側を上流へクルーズラインへ城めぐりの旅へ。そして目的地国際交流基金のあるケルンへ。そこでトークをすることになっている。

2011年6月13日月曜日

A trip to Europe after one after another:「あ〜次から次へ」の後のヨーロッパへいざ出発!

うわっ、、、というか「次から次へとっあ〜涙」といういつもの旅行前のパターンをこれまたいつものようにどうにかやり過ごし旅立つことができた(でも今回はちょっと無理矢理かも,,,これまた後のことを考えるとちょっと涙。でもいいのである。あがいてももう無駄なので、旅の間はそんなことは忘れることにした)。

6/9(木)の朝10時チコからサンフランシスコでUnitedの直行便でドイツのフランクフルト(Frankfurt)へ降り立ったのが10時間のフライトの後、翌6/10(金)の朝10時頃。乗り換え待ち時間を入れるとチコから約丸一日の旅。フランクフルト空港から市内へのアクセスはいたって簡単。サブウェイで1本でNHcity Hotelへ。格安ホテルサイトOrbitzで調べて格安(でも約$100US)快適なホテル。ドイツはどうもバウハウスのイメージが強くてデザインが良いはずという先入観が今回は外れてなくてうれしかった。その日は一日Cathedral(ゴシック形式の教会)や美術館を巡り、写真を撮りまくった。もちフランクフルトソーセージをランチにビールと一緒に食べたぞ〜(発祥の地として期待していた分、アメリカで食べるのとそう変わらないというよりそれほど、、、という感じだった。残念。でも他のソーセージやハムが美味なのは期待通りでした。これはドイツの旅行全体を通して感じたことでも。)

そう今回の旅行の目的の一つは現在執筆中の芸術鑑賞学の視察資料作成の旅でも(^_^)。教科書作成にあたって版権の問題が否応無しに目の前に、そしていろいろ学んだんだけど一応1923年以前のアートを自前の写真として掲載するには版権フリー(一応原則ということで絶対ではないけど)ということで、自前で処理した方が超楽ということを再認識。この話しはまた長くなるので次回に。

翌6/11(土)はドイツ最古の大学があるハイデルバーグへ。電車(これがまたすごーく快適)で約フランクフルトから一時間とのこと。明日が楽しみ〜と思う間もなく睡魔が、、、夕方5時過ぎに美術館から戻って来てホテルのベットにそのまま飛び込んだ。「夕飯はどうする〜」というジョンの声を遠くに聞きながら、記憶はそこで途切れている。

2011年6月8日水曜日

End of Semester Party with Usual Friends (6/5/11) & Monday's Jazz at Cafe Culture in Chico (6/6/11): 学年末パーティと第一月曜日のジャジーな日

いつものメンバー!いつもの学年末パーティ!(6/5)である。今学期はいつも以上に予想外予定外の展開で学年末後もばたばたとした時間を過ごしていた。今回は無理かなあ〜といつもの学年末終了後の日本人グループでのパーティを半分あきらめていた。(なぜかいつもうちでやることになっているので、自他ともに認める「仕切りや(笑)」の私が声をかけないと始まらないというのがたぶん実情。)

ところが、長期で留守にする間の庭の世話をグループのメンバーの一人淳代さんのだんなさんと息子(マイケルとアンディ君)に頼むのでその説明を夕食でも食べながら、、、ということになり、それならせっかくなので、やっぱりみんなに声をかけてみようということになった。数日前の声かけにもかかわらず(日本に帰っている恵子さん一家以外は)皆集まった。皆楽しみにしていてくれたのね。うれしい〜(ということにしておこう ^_^)。

持ち寄りのポトラックでわいわいごはんを食べた後は、男どもは卓球バトル。私達はいつもの井戸端会議。そして最後は(皆音楽の多才な才能の持ち主なので)即席のファミリー音楽会で締めくくり。いつものメンバーにいつものパーティ。そしていつもの楽しいひと時。

その翌日。月初めの月曜の夜はジャズナイトがあるという情報をジョンが持って来た。それもしげみさんや大学のロッキー。トランペットの教授。ちょっとミッキーロークを一回り太らせたような感じだけど、物静かな感じ。同僚と言えば同僚なんだけど、話した記憶があまりない。2005年に少女マンガ展示会をチコからスタートした時、オープニングのシンポジウムでアニメのテーマソングをジャズで演奏してもらったことがあるから実は恩アル人でもある。

マイルズデービスのナンバーで、夕食付き(インディアンかイタリアンのチョイス)でジャズつきで$20(日本円で2千円弱よ)。やすーい!

慌ただしい日程をかいくぐってジョンと海と一緒に出かけた。よかったよ〜。

2011年6月7日火曜日

Monoprint Workshop at CSU-Chico (5/30-6/3/'11): モノプリントワークショップ & 即売会&レセプション


5/30(月)〜6/3(金)の1週間、モノプリントワークショップが開催された。版画家10人余を招待して1週間かけて実際に芸術学部のプリント(版画)ショップで作成してもらい、最終日の金曜の夕方展示即売会をやるというもの。だいたい1年おきに開催される人気のイベントになっている。

いつも夏休みに入ってからのイベントで私は今まで見逃していたのだけれど、今年は6月のヨーロッパ行きのプランのためチコの街にまだいるのだ。まだたまった仕事をしこしここなしている毎日。でもその私のオフィスの隣がプリントのワークショップ会場(何の事はないプリントのクラスで皆やっている)、ラッキー。毎日オフィスに通いがてらその様子をしっかりと写真にパチり。版画家の皆さんとも知己を得る事ができた。詳しい話しは Visual Culture Research Blog の方で、、、

2011年6月6日月曜日

2011 Spring Kai's Piano Recital (5/29): 海君のピアノリサイタル

昨年に続き春のピアノリサイタル。海にとっては2度目の発表会。
今年の海の演目は「タッタターラ、、、、」そう(これではわからないよね)「ピンクパンサーのテーマ」。すごーく海にあっててよかった。数十名の発表者の中で唯一譜面を見ないで弾いていたのは海だけ。それもみんな(上級者も含めて)結構間違いが多いのにびっくり。日本だと、発表会なんていうとみんな必死で練習するから極端な間違いっているのは(よっぽとちいさい子が上がったりして忘れたりとはあるかもだけど)自分の時を思い出してもそうないような気がするけど、、、それにみんな(うちの子も含めて、というより海は特にラフなかっこうだったなあ)よそ行きでおめかしなんてあんまりしていない。女の子は結構おしゃれしたいたけど、それでも日本と比べるとやっぱりずいぶんカジュアル。カリフォルニアだからかなあ、、、

肝心のピアノはジョンのメッセージと共に「Theo plays the Pink Panther on Sunday. Short but sweet! (Jon)