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2011年6月18日土曜日

Praque as a City of Gold in Czech:「黄金の都市」プラハの第一日目は?

列車の予想外の顛末でチェコのプラハに夜遅く着いた私達。あやうくタクシーにぼられそうになったり、宿のアパートメントの鍵がなかなか開かなかったり、窓から聞こえてくる酔っぱらいの大声にと、、、ドイツでの旅のスタートが好印象だっただけに、プラハの第一印象は正直よくなかった。(宿は一泊トリプル朝食なしで約70ユーロ=$100)

ドイツでは時差ぼけもあって早起きだった私達は、昨夜の夜遅くの到着が効いたのか、皆で爆睡。9時過ぎにのろのろとベットを這い出し、さてプラハの一日はどうなったのでしょう、、、続く。

現在6/19(日)の夕方7時過ぎ(チェコ時間。でもとてもまだ明るい)続きを書いている。それが最初の一日をチープな表現だけれど「素晴らしく!」過ごすことができたのだ。

いつものように旅の最初の地では必ずインフォメーションセンターに立ち寄ることにしている。今回も同様でてくてく歩くこと20分。途中で屋台(出店?)でサンドイッチやホットドックを買い(この街もまたドイツ同様ソーセージがめちゃうま)、立ち食いしながらプラハの街の中心地元シティセンター(これまた古い12−3Cの建築)の中で情報を。ドイツのハイデルバーグやケルン同様「観光デイバス」で美術館巡りをとするべきかどうかまよったが、ここプラハは街全体が中世美術館ともいうべき中世建築の宝庫。もちろんユネスコ世界遺産に登録。今回は「百塔の街」のニックネームを持つというこの街を足で回る事にした。そうプラハの街の観光ガイドフリーツアーである。

モルダウ川を中心に発展したこの「中世の街プラハ」は東西冷戦の不遇の時代を超えて今は超観光地として賑わっている。本当にヨーロッパ全体からそして世界からここプラハには人が集まってくるらしく、とにかく町中は「人人人」の群れ。私達ももちろんその一人。これらの観光客を対象にフリーツアーというのがさかんで、いくつかの会社が林立しているらしくカラフルな傘の色でそれとわかるようにしているらしい。私達は午後2時スタートの英語フリーツアーのひとつ(ネオングリーンの傘が特徴)、モルダウ川向こうのゴシック建築の大聖堂がある(Cathedral) プラハ城ツアーへ。時間は約2時間半。参加者は私達家族三人を入れて9人。アメリカ人。アジア系カナダ人。ドイツ人。オーストリア人。インド系アメリカ人。私を日本からとするとたった9人の参加なのに5カ国(8文化)からの多文化参加。

ツアーガイドのジェナのまずはチェコの歴史説明からはじまり、モルダウ川にかかるカール橋へ(神聖ローマ帝国の最初の王カール大帝の名にちなむ遺跡が街のあちこちに)。ここはコミュニズム体制へプロテストした青年が憤死(自火)した場所も近く。宗教(カソリックvs。プロテスタント:*何とルターの宗教改革より百年も早い宗教改革者フスによる)や政治(コミュニズム)に翻弄されたチェコ(そして首都のプラハ)は歴史実の宝庫でもある。ジェナのツアーガイドを聞きながらその歴史の重さにめまいがおきそうになったほど。橋を渡り大聖堂への道すがら多くの建物やそれにまつわる歴史の説明を聞きながら大聖堂に到着した時にはすでに2時間を軽く超えていました。

ツアーの最終地広大なプラハ城の敷地の中にお目当ての聖ヴィード大聖堂へ。これまたケルン同様ゴシック建築の粋を集めた壮大な建築物。ケルンの大聖堂では見られなかったゴシック建築の特徴の一つローズウィンドーのステンドグラスに会えて感激。そこで解散することになるのですが、フリーツアーといっても実はこれはフリーではない。広告収入でまかなっているとは言えツアーガイドの収入源はどうもチップらしいということで、私達も200チェコクラウン($1=16チェコ)を。一人100というのがどうも相場っぽい。細かい紙幣がなくて少なくてもごめんなさい。海の分は子供料金という事で今回は許して。

サンダル履きで参加した私の足は石畳を3時間近くも歩き回った私の足はがたがただったけれど、ツアーのおかげと参加した良いメンバーで思いがけず楽しい歴史文化学びのツアーとなった。実はこのツアー解散の後、もっと素晴らしいことが待っていたのでした。続きはまたこの後に、、、

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