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2009年5月3日日曜日

皆既日食(7/22)まで3ヶ月弱:Count Down to a Complete Solar Eclipse in Amami Ohshima



*上写真「名瀬港と奄美市(旧名瀬市)市街地」をおがみ山から望む
(奄美市は今回の皆既日食が見れる最南端の地。ここから1分程見れるとのこと。奄美市から北へ一時間程で奄美本島最北部では約4分とか、、、)

奄美での皆既日食(7/22)まで3ヶ月を切った。アマミーナのプロジェクトの準備の方も佳境を迎えている。イベントの講演者やパフォーマー受け入れ準備は完了。イベントのポスター等の準備も着々と進んでいるものの、アマミーナツアー(7/18〜7/20の2泊3日)参加者の中、皆既日食観測希望の延泊希望者への対応がまだ、というより宿泊地の確保がまだまだ予測がつかない状態。延泊希望者ご自身で延長分の宿並びに帰りの足を確保してのみ延泊可能ということでお願いしているものの、地の利をご存じない方々が、自分自身でそれを対処するのは至難の業。やはりアマミーナ側のお手伝いは不可欠ということになる。そこで下記のようにお勧めしている。

1. 奄美入りと出の交通手段マルエーフェリー & マリックスライン

1)奄美ー鹿児島間のフェリー利用 (船中にて一泊。約9時間)
2)鹿児島より乗り継ぎで各地へ帰路(飛行機、電車、or 車)

皆既日食直後7/22&23での飛行機での帰りはまず、不可能。そこでお勧めしているのが、船(フェリー。下記写真参照)。東京からも大阪からも奄美へ船が出ていますが、毎日でないことと、やはり東京や大阪からの船での奄美入りは船中に24時間以上と時間がかかるので、これはお金はないが、暇だけはたくさんあるという学生やバックパッカー(古〜い。笑)にのみお勧めの方法で、通常は船を利用するといっても、奄美ー鹿児島間のみがベスト。毎日夜出航。船で一泊して翌朝早くに鹿児島港着というよく出来たスケジュールで、島の人たちがよく利用している方法でもある。(ホテル代一泊の値段で、宿泊と移動が同時にできるという風に考えれば、実は時間的にも実はロスは少ない。)そして鹿児島から各地へ飛行機で、もしくは九州からの参加者は電車や車で各地へお帰りいただくという方法である。ちなみに皆既日食は7/22の午前11時頃の数分間なので、当日に奄美を離れるのは大丈夫。

もちろん外人さん(これも古い表現かも)のように海外からの参加組は、1〜数週間の滞在で、込む時期を外して、7/25&26日以降であれば、それほど帰りの足を心配することもないのですが、、、日本ではまだなかなかですね。

*写真:船舶会社2社の内の1社、マルエーフェリーの船(確か7~8,000トンくらいの大型)


2. 延泊の際の宿の確保:キャンプもしくはつてを頼って公共の宿泊施設利用(公民館等)

実はこれが一番大変。皆既日食前後の宿はもうすでに昨年2008年で観光業者に押さえられていて、個人でさがすのは無理。浜辺でのキャンプ施設の確保を市の方でやっているが、これも正直あてにならない。一番確実なのは、皆既日食が見れる奄美本島北部での宿泊はあきらめ、カケロマ島を含む南部で宿を取るという方法。(*それでも、インターネットで検索できる宿はたぶん一杯なので、市町村観光案内所のようなところで電話連絡をするのがベスト)ただ奄美大島南部からだとそこから皆既日食の見れる奄美市以北への移動手段をさらに手配する必要がある。等々、、、バックパッカーのように、どこででも寝れるという人以外、また個人での参加ではなく、家族等での参加など、ケースバイケースで宿の対処方法は異なってくることと思うので、まずはアマミーナ実行委員会へ要相談というところでしょうか。(*何れにしろ、6月に入るまではプロジェクト準備のため、これらのご相談にはアマミーナも対応できない状態です >_<,,,)


3. とびっきりの裏技

奄美に入るのではなく、沖縄へ。そして沖縄をベースに船で皆既日食前後に奄美入り。沖縄ー奄美間は同フェリーにて。時間は鹿児島ー奄美間とほぼ同じ。

以上です。上記の情報が少しでもお役にたてれば幸いですが、、、
以下奄美への交通手段の一般情報へのサイトリンクです。

その他奄美大島の情報(ウィキベディアサイト)はここをクリック!

*以下の写真上段左から:私の母の実家、加計呂麻島(かけろまとう)の村落、芝(しば)のタンマの浜(子供時代、この浜辺の座って、海行く船を眺めながら未来を考えていたものでした、、、/古代の自然「ヒカゲヘゴ」原生林/名瀬港を望む/マングローブカヌーツアー
*下段左から:息子、海の腕とその上のトカゲ/瀬戸内(せとうち)側から大島海峡を望む/ハイビスカスの花/水族館の珊瑚






2009年5月2日土曜日

2008年夏奄美の一日:2008 Summer in Amami Island


IMG_9316
Originally uploaded by MasamiToku

 2008年夏の奄美の様子
 スライドショーはここを
 クリック。写真サイトに
 リンクします。
 また左の写真をクリックし
 ても、写真サイトにリンク
 しますよ。奄美の夏をまず
 は写真にて満喫してみて下
 さい。うちの息子の海は小
 1の夏(2004年)から毎年
 6月から一月程、奄美市(旧
 名瀬市)の名瀬小学校で体験
 入学をしています。

2009年4月28日火曜日

ヒルトンホテルの忘れ物:My missing item in Hilton Hotel at Minneapolis

ちょっと今日はいい話し。先週まで美術教育関係の学会でミネアポリスへ行っていた。チコに帰って来た翌日、見知らぬ人から「ミネアポリスの学会に行ってませんでしたか?」との突然のメール。何だ何だと思いながら「行ってましたよ。」と返事をした。すぐに「ヒルトンホテルに何か忘れ物をしませんでしたか?」というさらに問い。何を忘れたかということは一言も書いていないので、あっこれは本当に私かどうかを疑っているんだなあと感じたので「今帰って来たばかりなので、何を忘れたかにまだ気付いていないけれど、もしヒルトンに忘れ物をしたのだとしたら、そこには宿泊していないので、たぶん発表会場かお昼を食べたカフェだと思う。」そして「どうして私が忘れ物をしたとわかったの?それに私の名前があったの?もしよかったら何なのかを教えてもらえませんか?」と回答しておいた。

するとまたまた返事「フラッシュドライブが見つけたので、たぶん君のではないかと思う。必要だったら中身を何件かメールで送りましょうか?」と。それに対して私は「もしそれが私のだったら、2つのドライブがくっついていて、色はシルバーと黒のツートンカラーのはず。」とさらに回答。それに対する彼のメールが「ビンゴー!君のだ、よかった」と一緒にこの写真が送られてきた (^_^)。

以上のやりとりはたった一日での出来事。このメールの後、お礼のT−シャツと返却用の切手をつけた封筒をこちらから送付して、無事数日後に忘れ物は私の手元にちゃんと届いたのでした。

いやはやいやはやである。ヒルトンホテルの従業員としか説明がなかったけれど、たぶん彼は私が発表した時、設定を手伝ってくれたテクニシャンではないかと思う。こんなことがアメリカで起きるのね。(容量の大きなフラッシュドライブ2つなので軽く$100ドルはするもの。返ってこなくても不思議ではない。)本人も覚えていない忘れ物が、返ってきました。ちょっとうれしい、そして有り難い出来事。

それにしても、私ってどうして、いつも何か一つホテルに忘れてきてしまう。今度こそはと思っていましたが、、、

2009年4月27日月曜日

シェラネバダビール醸造所エコフェスティバル(4/26/09):Sierra Nevada Brewing Company Eco Festival


チコを基盤にビジネスを展開するシェラネバダビール。これはもうチコのレジェンド(伝説)。30年程前に自宅の小さなガレージからスタートしたという地ビール会社。今や大手のビール会社も含めて米国でトップテンに入るというチコローカル地盤の優良企業である醸造会社。ここの顔とも言えるのが、緑のラベルで有名なPale Ale。全米の酒屋で販売していますよ。チコを知らなくてもこのビールは有名かも。私自身、このビールを最初に飲んだ時はこんなおいしいビールがこの世にあるのかと思ったくらい(それも大学のインタビューのランチでの出来事。今だに当時のチェアは雅美の飲みっぷりが良かったので採用を決めたと笑いながらいうくらい。ジョークだとは思うのだけど、、、以外と本音かも。)

シーズン毎の銘柄などたくさんあり。レストランで確か15種類くらいのティスティング(もちろん小さいコップで、でもずらっと並んでね ^_^)がわずか$15(1500円)くらい。これはお勧めで、日本から友人たちが来るときには必ず行くようにしている。

今日はそのシェラネバダ醸造所の敷地内でのエコフェスティバル。何でも数億をかけてソーラーシステムに変えたのを記念に?(写真のパーキングの屋根がそれね)バンドも呼んで、チコ市民への還元イベントという感じですな。今は全米どこでも「Sustainability(環境保護)」という言葉のオンパレード。我が職場、カリフォルニア州立大学チコ校もこの言葉をキーワードにいろんなプロジェクト(研究やイベント活動)を推進しています。

家族で、ちょっとのぞきに行ってきました(ちなみにシェラネバダの宣伝文句を並べましたが、ここから私はもちろん何ももらっておりません ^_^)。それにしてもこういったイベントにはいつものメンバーが一杯というか、、、チコがこんなにヒッピーな街であることに驚かされますね。いやはやです。(うちももしかするとあっまた来てると言われている家族のひとつかも知れません。笑)

2009年4月26日日曜日

交通事故後遺症関連イベント報告(4/25/09):Thoracic Outlet Syndrome (TOS) Awareness Event


昨日 Cafe Flo でTOSのAwareness Eventが開かれたが、その時の様子をここに紹介。写真はそのご当人、TOS と闘っているけいさんのプレゼンテーション。TOSの種類やそれがなぜ起こるのかの説明や治療法など、具体的な情報をパネルにして、ジョークを交えながらのプレゼン。えてして重くなりがちなこういった病気に関するプレゼンが、けいさんの明るい人柄もあって、とてもなごやかでそして楽しい会となりました。

またこのイベントは音楽あり、おいしいワインにおつまみあり、そしてけいさんのプレゼンのフィードバック的なクイズ(とその景品^_^)ありと、とても楽しいものになりました。ワインは慶子さんのご主人のワイナリーからの提供 (5/2にはワイナリー25周年を記念してのパーティが、そして新しい銘柄「タンゴ (Tango)」が紹介されるそうですよ。皆さん〜奮ってご参加くださいね ^_^!) そしておつまみは Japan-Chico Women's Clubの面々からの提供。場所を提供してくれた Cafe Flo にも感謝ですね。

下記のビデオは、そのプレゼンの前後のジャズ演奏。ピアノはこのイベントの発案&まとめ役のお二人(後藤慶子さんとしげみさん)の内のしげみさんの方(大きいおなかのプレママさん。もうすぐです)。そして、クリスティン(Christine, ベース)、ケイシー(Casey, ドラム)、& サックスはうちのジョン(Jon:しげみさんのお誘いで、公でのプレイはこれが初めて。聞いている私もちょっとどきどき。)

そしてビデオには、チコ在住の日本人女性を中心にそのだんな衆、こどもたちと、チコの日本人コミュニティーを凝縮したようなわきあいあい状態の様子が写っていますよ。とても良い土曜の午後でした。チコはもうそろそろ初夏の陽気。今夜の夕食はクイズの景品でもらったカレーのルーでカレーライスに決まりです (^_^)!


2009年4月25日土曜日

交通事故後遺症Awarenessイベント(4/25/09):Chico's first Thoracic Outlet Syndrome (TOS) Awareness Event!

チコの友人、けいさんが2年程前、交通事故にあった。車の助手席に乗っているとき、そこにちょうどストップサインを無視した車(なんとパトカー)が追突したのである。車が大破するような大事故には至らなかったが、その追突の衝撃(ちょうど助手席側)で、けいさんの身体は大きく横にふっとばされる形になった。当初はむち打ち程度と思っていた痛みが、首、肩、腕へと痛みは広がり、よくなったり悪化したりの繰り返しで、ひどい時にはドアのノブを回すことさえできない。はっきりとした病名がわからずに悩んでいたところこのTOSというものだと知った。外傷もなく、はためには普通に見えるところから、他のひとたちには当人達の苦しみがわからず、それがなおさらこのTOSの人たちを精神的にも苦しめることになっている。今回有志達でこの病気をまずは理解してもらおうというイベントを行うことになった。上記はそのお知らせのちらし。これから出かけてきます。詳細についてはまた後ほど。下記はそのTOS サイトからの説明文を抜粋。(*またウィキペディアの情報サイト(日本語版)ここをクリック!)

What is Thoracic Outlet Syndrome?
TOS is an umbrella term that encompasses three related syndromes that cause pain in the arm, shoulder, and neck: neurogenic TOS (caused by compression of the brachial plexus), vascular TOS (caused by compression of the subclavian artery or vein) and nonspecific or disputed TOS (in which the pain is from unexplained causes). Occasionally, neurogenic TOS and vascular TOS co-exist in the same person. Most doctors agree that TOS is caused by compression of the brachial plexus or subclavian vessels as they pass through narrow passageways leading from the base of the neck to the armpit and arm, but there is considerable disagreement about its diagnosis and treatment.
Making the diagnosis of TOS even more difficult is that a number of disorders feature symptoms similar to those of TOS, including rotator cuff injuries, cervical disc disorders, fibromyalgia, multiple sclerosis, complex regional pain syndrome, and tumors of the syrinx or spinal cord. Symptoms of TOS vary depending on the type.


2009年4月24日金曜日

海のプレゼン「ルーズベルト大統領」について:Theo's Presentation in Social Study


左の写真は海がルーズベルト大統領のかっこう(の真似)をしてのスピーチの練習風景 (4/23/09)。

社会(アメリカ歴史)の授業の一環だそう。何でも歴史上の有名人を選んで、リサーチ。その人となりや人生を写真等と共にまとめたパネルを作成し、それをもとにその人物になりきって、5分のスピーチを行うというもの。2週間の課外授業の結果発表としての宿題。

(現在はどうはわかりませんが、少なくとも私がこどもだったころと比べて)日本の社会や歴史の授業よりかなり主体的なアプローチのような感じがします。こうやってアメリカの子ども達はスピーチ能力を鍛えられていくのでしょう。やはり自分のこどもだった時代と比べて、こういった授業を受けているこどもたちとは、自分の言葉で表現するという能力に関しては、もう勝負にならないという気がしますね。(でもそれが本当に良いかどうかはまた別の議論になるかとは思いますが、、、)

下記のビデオは発表の最後の部分。スピーチを終えて、パネル紹介に入っているところ(ここはかなり気が楽みたいで、本人ものりのりの感じ)

4/24(金)の発表は本人曰く、上々だったようです (^_^)。

2009年4月23日木曜日

カリフォルニア州共通テスト(STAR): Standardized Testing and Reporting (STAR) in California


California Department of Education

4/21 (火)早朝にチコの街に帰って来た。ミネアポリスで開催されていたNAEA (National Art Education Association)の学会参加を終えての帰宅。学会先で母校の友人達を会える楽しいイベント、年一度の恒例イベントなのだが、よる年並にかてず、さすがに帰って来るとぐったり。また留守にしていた間、机上にためておいた書類の山を見るとまたぐったり。

それはともかく、少ない睡眠時間にぼっとしながら翌朝、息子の登校準備を見ていると、いつもばたばたと慌ただしく準備をしている息子の態度がおかしい。なんかゆっくり、ゆとりすら感じられる。「海君どうしたの?」と一応母としては聞いてみる。どうもこれから2週間程、午前中は学校はお休みで、午前中遅くの登校ということになっているらしい。どうなっているのと主人と息子に改めて聞くと(息子の学校事情をだんなに聞くというのも母としてちょっと情けないけど、、、)、どうも州の共通テストの方針/やり方(存在そのもの?)に抗議して、反対する親達がこどもたちにそのテストを受けさせない事を決めたらしい。そのそのテスト期間中は自宅待機だったり、うちの息子のように、ひとりのこどもの家に集まって(家庭学習?)ということになったらしい。

ふむふむ、、、知ってはいたけれど、その共通テスト(STAR)とはそもそも何なの?どういうところに親達は抗議しているのだろう?自分も子を持つ親、当時者の一人ということはすっかり忘れて、完全に傍観者(それでいいのか?!いいのである ^_^)興味がむくむくとわいてきたので、ちょっと調べることにした。。。続く、、、、

2009年4月22日水曜日

テーブルマウンテンの春&野草達:Wildflowers in Table Mt. (Mon. 4/13/09)


チコから州のハイウエイ99号線を南下すること約30〜45分ほどで、オーロビル市の郊外、テーブルマウンテンという火山の溶岩が浸食されてできたという高台(台地)の自然保護区がある。チコ市は2月の初旬、アーモンドの木にサクラのような白い花が先始まる頃から、春の装いが始まるが、ここテーブルマウンテンは野草の宝庫で、3月の中旬〜後半がちょうど旬。4月の中旬はもう春の終わりに近い。それでも色とりどりの野草が風に揺られながら背一杯(そうそういう感じで)咲いていた。

花々は白や黄色が目立ち、少しブルー系やピンクも見られる。そういえば野草に赤があまりないなあとジョンにその理由を聞いてみると、花粉の媒体の中心である蜂はどうも赤色を認識できないらしい。野草にとって花粉を運んでくれるかどうかは命取り。この辺いったいは蜂が媒体の中心なので、彼らが認識できる色が残るということらしい。自然に神秘である。

もともとここらいったいは火山地帯だったということで、土地は痩せていて、樹木も大きな木は育っていないけれど、小川に沿って歩いていくと森林に行き当たる。痩せた広大な土地にはやはり放牧がされていて、もうーもうーだんが草をはもっている風景にも行き当たる。

4月中旬、乾燥した土地柄のカリフォルニアの太陽はすでにぎんぎんで正午を過ぎると風は涼やかなのに、太陽に日は射すように痛い。初夏の季節はもうそこまで来ているのだろう。

2009年4月16日木曜日

アマミーナポスター紹介(和太鼓倭&少女マンガバージョン2種類))



詳細はここをクリック!アマミーナサイトのWhat's New! (新情報)にリンクします。リンク先のポスターをクリックすると拡大ポスターが見れますよ。

アマミーナポスターができましたよ。イベントの和太鼓倭(やまと)を中心にしたものと特別少女マンガ展示会(三人展:岡野玲子&萩尾望都&美内すずえ)を中心にしたものの2種類。それぞれに日本語版と英語版も作りました。

ここでは「和太鼓倭アマミーナポスター(英語版)」と「特別少女マンガ展示会アマミーナポスター(日本語版)」の紹介です。

皆さんこの夏はぜひぜひ奄美大島にいらしてくださいね。

2009年4月10日金曜日

米国の習慣「Baby Shower!」(4/5/09):生まれ来る赤ちゃんへの女性だけのプレゼントパーティ



(*写真中央でプレゼントを開けているのが、今日のパーティの主役しげみさん、とその中央左の横向きの人が、パーティの主催者クリスティン。)

私もやってもらったことがあるのだけど、アメリカでは出産間近の女性を囲んで「Baby Shower!」という女性だけのパーティを開く習慣がある。といってもバチュラーパーティのようなものではなく、非常にPractical(実利的?)なもの。出産をひかえて、もうすぐ生まれてくる赤ちゃんのために必要そうなものを、母間近の女性の友人達が集まって、プレゼントするのである。

プレゼントが重なったり、必要でないもの(もしくは好みでないもの?)を贈られても困るので、必要なものをリストにしておいて、その中から金額にあわせて、好みで選んでプレゼントしたり、購入出来る場所も決めておいて、それらの店で、先に選んで登録されていた買い物リストを元に購入、プレゼントということもよくある。

今回の主役はチコに来て以来の友人木見(しげみ)さん。ご主人は私の大学の同僚でもある数学の教授で、ご本人はジャズのピアニストである。私の企画するプロジェクトやイベントにお手伝いに来てくれたり、イベントに花を添えるためにバンドで良く演奏してくれている。息子の海のピアノの先生も2年程お願いしていました。ということで、私にとってもうちの家族にとっても、大切な友人。

今回のベービーシャワーは、しげみさんのバンド仲間で本人はベースのプレイヤーという超かっこいいークリスティンが主催者。写真はパーティの最後のクライマックスで贈ったギフトをそれぞれ開封して皆に紹介する場面のひとつ。この前にクリスティンはいろんなゲームを用意していましたよ。2時間があっという間。しげみさんを中心に女友達が集まるので、もちろんお互い知らない人同士もいるんだけれど、こういったゲームで場を盛り上げるのは、さすがにクリスティンだと思いました。(ところで、彼女はまたすごーくおもしろい話しを一杯持っていて、存在そのものがアートな人。彼女についてはいつか機会がある時に、ブログで紹介したいと思っています。あっそうそう彼女はチコ市で大きな新聞「CN&R」の記者でもあって、私のイベントのことをよく紹介してくれる恩人でもありました。あっまた横道で長くなりそうなのでこの辺で、、、)

そうそうしげみさんの話しね。今回はプレゼントをリストの中から選ぼうかとも思ったのですが、うちで海が小さかった頃、頻繁に利用したアンブレラストローラ(折りたたみ用の簡易乳母車)のことがどうしても頭から離れずに、しげみさんにちょっと確認をして、それを贈ることに。うちの場合、よく車で出かけたので、取扱いの楽な簡易乳母車は普通の大きなものよろ重宝したもの。しげみさんの場合はどうかなあ〜。(でも出産間近のパンパンなおなかでいまだにギグでピアノ弾いてるくらいのアクティブな人だから、きっと大丈夫、と思う事にした。)

海と二人であちこちをまわってようやくお気に入りのデザイン(色はう〜んまあまあだけどね)のものを発見。ラッピングは私。海にペンギン親子の絵のカードを描いてもらって贈りました。(このギフトが必要なかった場合を考えてレシートを付けてプレゼント。必要なかった場合は、レシートを付けて返却するとお金がちゃんと返ってきます。アメリカでは良く見られます。合理的というべきかな。)

後からしげみさんからお礼のカードで使いまーすのお手紙をもらいました。気にいってもらったようで、よかったよかった。大変だけどおなかにいる時が楽なのよね。出て来たら、、、そりゃ毎日大変大変な生活が待っています。(もちろん後から考えるとそれもまた至福の時の思い出になりますが、、、^_^)

2009年4月6日月曜日

CSU-Chico 芸術学部ファンドライジング展示会:Best of Best in ”10-10-20”Show


先日芸術学部全体の学生を対象にしたファンドライジングのためのアートショーが開催された。タイトルは「10-10-20(テンテントゥウェンティー)」。

仕組みはこう。学部から、縦横それぞれ10”X10”(10インチ=約25センチ)そして厚さ1”(2.5センチ)のパネルを学生が一つ$3ドルで購入。それに自分のアートを作成しコンテストに参加。

集まった作品は写真のように、展示され、一般に公開となる。これらの作品はすべてファンドライジング(資金集め)の目的のための展示会なので、見学に来た人たちは、もちろん見学だけでなく、購入目当てで集まって来る。サイズだけが限定されているだけで、どのようなテーマで、そしてどのような材料を付加して作品を作っても可。というわけで絵画あり、彫刻、インステレーションありと、多種多様な作品が10”X10”というパネルの上に表現されていた。

これらの作品の中に、気にいったものを見つけた場合、早いものがちで、それぞれ$20ドルで購入するという仕組みである。またコンテストで優勝者には$200ドルの賞金が出るので、たかが学生の作品と侮るなかれ。とても優れた作品が多く集まっていた。これらの売り上げ費は芸術学部へのファンドライジング(資金)となるが、学生達にとっても展示会参加し展示してもらえるという名誉と、もしかして優勝ということになれば、$200ドルの賞金というわけで、皆にとってもハッピーは企画。(もちろん私もひとつ買いましたよ。これから毎年ひとつかふたつづつ集めていこうかと思っている。)

今回が初めての企画ということだが、とても好評だったので、毎年開催の展示会にするという話しが今持ち上がっている。ところで、この第一回の優勝者は数あるスタジオの学生を押さえて、なんと美術教育の学生、アリソンが優勝とかっさらいました。上記の写真がそれ。テーマは5つのアート「美術、音楽、演劇、ダンス、そしてライティング」を表現。まさに州のスタンダードの視覚的再現(^_6)。テーマよし、作品よしで、やったね。別にスタジオと競争しているわけではないけれど、通常美術教育の学生の実力はスタジオの学生より過小評価されがちなので、スタジオの学生をおさえての優勝はとてもうれしい(本音)。

2番目の写真は私の学生の一部(Art592: Cultural Diversity in Art Education *このクラスは美術教育専門の3コースの最内のひとつ。通常一番最後にとることになっている)。アリソンの優勝を知り、授業の中で皆でギャラリーを訪問した時のもの。左から唯一の男性学生のアレクシー(ふたりの女の子のお父さんでもある)、スーザン(彼女もお母さん)、レイチェル(なんと1歳半の男の子を含む三人のお母さん)、もう一人のレイチェル、今回の優勝者のアリソン、私、メイシー、マウリーン。

一番下は美術教育の同僚テレサもお祝いにかけつけてくれたところ。右から4番目で、アリソンと会話中。


2009年4月5日日曜日

春サッカーシーズンの終わりに (4/4/09):at the end of Spring season of Chico Youth Soccer


チコ市のユースサッカーについてはこのブログの2/25に紹介したが、その毎週土曜日のサッカーの試合もとうとう今週(4/4)で終わり。チコ市は本当に恵まれていて、広大な天然芝の運動パーク(なんとサッカーグランドが10個も入ります)。

実際にプレイするこどもたちはもちろんのこと、週末のひと時、サッカーグランドの回りに思い思いに簡易チェアーを広げ、真っ青な空、流れ行く雲を眺めながら、コーヒー片手の応援は気分爽快そのもの。親にとっても至福の時。2月初旬から毎週土曜日の午後は何はさておき、海のサッカーの応援にいそいそと出かけていたので、これから毎週土曜は何を楽しみにすごせばいいの?なんて思わず思ってしまうくらい、最終日の今日はちょっと寂しい気分。

そして、最終日はいつもの如く、ゲームの後、ピクニックパーティがグランドで開催されるのが恒例の行事。一家族(一選手)$10ドル(千円くらい)出し合って、ピザやケーキでのランチパーティ。これには各選手に渡されるちょっとしたトロフィーも含まれている。渡されるトロフィーにはそれぞれの名前がちゃんと刻まれていて、とてもよい記念。今年はトロフィーのボディにチームカラーの紫が入っていて、さすが今回はコーチが女性だけあって、ちょっとした心配りが憎いです。

春と秋学期それぞれ(日本の三学期と違い、ここは春の秋二学期制)、サッカーの他にバスケットとか野球とかのユーススポーツがあり、春はサッカーで秋学期は野球という風に、交互にスポーツを選んでいる子ども達も多い。海は秋学期にもまたサッカーを選ぶとのこと。1週間に一度の練習にすぐ試合というようなそれほどハードはクラブ活動ではないのだけれど(コーチも参加選手の親の中からボランティアで引き受けてくれます)、さすがに1年の時から続けているので、それなりに上達はしているよう。特に今学期はあっと驚くくらい成長した気がする。発達論ではないけれど、直線を描いてゆるやかに成長するのではなくて、あるとき突然次の段階のレベルの到達するのですね。今学期はそう思えるくらい上達したような気がします。(親馬鹿と言われればそれまでですが、、、^_^)もともと足は速かったのだけれど、身体が平均値より小さかったので、はでなポジションではプレーすることはほとんどなく、ディフェンスのポジションが多いのだけれど、今回はあちこちをやってました。サッカーをやり始めて5年、先週は初めて、ワンゲームで2得点。期待していなかっただけに、うれしいびっくり。もうこんなことはないだろうと(海君に失礼)皆で大喜び。ゴーリー(ゴールキーパー)も結構いけることを発見。来学期はどのポジションをやるのでしょう。

今回、海の参加したチームカラーは紫、チーム名は「シャーク(Shark)」でした。かっちょいい!5年生ともなるとプレイもそれなりに見応えがあります。6年生はもっとかな。今から楽しみ。サッカーの時期が終わると、この学期も後一月半程で、夏休みに入る。

2009年4月4日土曜日

2009年度チコ市サイエンスフェアー (4/2/09): Chico Science Fair 2009

チコ市で本年2009年度のサイエンスフェアーのセレモニーが4月2日(木)に展示会場で開催されました。今年は、個人、グループ作品全部で約500件のサイエンス作品参加があったようです。

(*写真にはそれぞれのサイエンスプロジェクトの内容をまとめたディスプレイ用のカーボードがテーブルの上に所狭しと並べられているのが見えます ^_^)

実際の参加者は31の小中高の学校から、約700人の参加だそう。聞いた話しによると、チコ市(10万の人口)は、かなり大きなサイエンスフェアらしい。

大学やそしていろんな地元企業のサポートの元、今年2009年で設立25周年を迎えたとのこと。司会(非営利団体サイエンスフェアープロジェクト代表)の説明によると、ノーベル賞受賞者(米国の?)の約50%の人々が子ども時代に米国各地で開催されるサイエンスフェアーに参加しているとのこと。本当かなあ?でも確かにこういったフェアはこどもたちのサイエンスに対する興味を持たせるとても良い企画だと思う。(日本では、アートや作文コンテストなど、人文関係のコンテストはよく聞くけれど、確かこういったサイエンスコンテスト的なものはあまりなかったような気がする。)

きっとチコのフェアーに参加する子どもたちも皆未来の夢見る科学者たち。参加は皆自由とのこと。ただほとんどの場合、まず学校でのフェアーに参加して、その中で選ばれたものがこの市のフェアーに出るとのこと(でももちろん本人の自由参加)。もちろんコンテストで賞が決まるのだけど、このフェアでとても感心したのは、参加者全員が何らかの賞を貰えるところ(1〜4位まで)。(でもたぶん私の想像だけど、1〜3位まで決めて、それに選ばれなかったこどもたちに皆4位というのをあげてるような、、、正直4位なんで中途半端だなあと思っていたら、参加作品皆に賞が与えられているところを見ると、そんな感じ。でもとても優しい良いアイディアだと感心しました。)

今回、海 (Theo)は、まず1等賞に選ばれました。そしてその中でも学年毎にベストの作品、ロゼッタ賞 (Rosette Award)というのを今回受賞。たくさんの良い作品の中で、選ばれたのはラッキーでしたね。海君。海の作品作りの様子は3月18日のブログでも書いたのだけれど、結構こどもも親も力(りき)がついつい入ってしまいます (^_^)

最後の写真は海とそのプロジェクト「Does Light Affect Plant Stomata? (光は植物の気孔機能に影響を与えるのか?)」のディスプレイボード。いっちょまえに、このボードには「Introduction(導入)」「Hypothesis( 仮説)」「Procedure(方法)」「 Graph(グラフ)」「 Materials(実験材料)」「Data(データー)」「 Results(結果)」「Conclusion(結論)」「Future Research(将来の研究)」「 Thanks to(感謝)」と10のプロセスが写真とともにまとめられています。こういう風にして、アメリカのこどもたちは、小さい時から物事を論理的に組み立てていく訓練を受けているのですね。こんなことをなんと小学校1年生からやってるんですよ。自分自身の子ども時代と比べて、ちょっとかなわないと思ってしまいました。正直本当に驚きです。

2009年3月30日月曜日

カリフォルニア州立大学 vs. カリフォルニア大学: CSU (California State University) vs. UC (University of California)

カリフォルニア州には2つの大きな公立(州立)の大学ネットワークシステムがある。ひとつはカリフォルニア州立大学 (CSU)でひとつはカリフォルニア大学(UC)である。

カリフォルニア州立大学は、全米で一番大きな総合大学ネットワークで、カリフォルニア州立大学の名の下、カリフォルニア州全体で23校存在する。大学院の修士まで取得できる。(博士号の取得のためには、例えば下記のカリフォルニア大学のように研究母体大学へ進むことになる。)カリフォルニア州立大学チコ校はそのひとつ、学生数約1万6千人を有する中規模校、カリフォルニア州北部の教育の中心である。それぞれのキャンパスの規模はそれぞれだが、小さいキャンパスで約一万人弱、大きいところで約三万五千人の学生数を有する。全キャンパス23校全体の学生数は約45万人。

また研究母体の大学としてよく知られるカリフォルニア大学は、そのシステムのもと、実は10校存在する。有名なUC-Berkley (University of California, Berkley) はサンフランシスコ近郊バークレー市にあるカリフォルニア大学ということである。UCLA (University of California, Los Angeles) は同大学ロスアンジェルス校というわけである。ここでは博士号まで取得できる。10キャンパス全体の学生数はやく22万人。

これらは、同大学名のもとに、このようにいくつかのキャンパスがあるが、日本のようにそれらはメインキャンパスの元分校として成り立っているわけではなく、それぞれが独立した大学であり、各大学の場所(地域)名が大学の名前の後(もしくは前)についている場合が多い。例えば California State University, Chico (これはカリフォルニア州立大学チコ市にあるキャンパスという意)また San Francisco State University (サンフランシスコ市にあるカリフォルニア州立大学)。

余談だが、カリフォルニア州立大学は全米の州立大学でも学費が安いことで有名。50州の中で、もっとも生活費の高いカリフォルニア州の学費が安い?ちょっと以外かも、でも事実。(*州立大学システムを作るにあたって、州民全体の高等教育レベルの向上という理念のもと、先人達の努力で、州がその学費をかなり負担するということになったらしい。でも皮肉なことにそのことが原因、つまり州の教育予算の具合によって、大学運営が一喜一憂することになる。このことは前回3/29付けのブログでも一目瞭然。)

州の学生であれば、1年間の学費が約4千ドル〜5千ドル(関係費用も含めて)。州外の学生はその約2倍の学費を徴収される。ただ州外の学生でも一年カリフォルニアに住んでいることが証明できれば、カリフォルニア州住民とみなされ、その学費ですむ。または1年後には州価格での授業料となる。ただし、海外からの留学組、例えば日本人留学生などの場合は、この例に入らない。何年住もうと(グリーンカードを取得しない限り)、外人価格の授業料、約通常の3倍の授業料を徴収される。(ということで、留学の際に、貯金通帳の残高証明が必要書類のひとつになっているのですね。つまり留学している間、働かなくても授業料を払える経済状況にあるということの証明が必要になっている。)何れにしろ、それでも米国の学生達にとっては、安い金額ではないので、ほとんどの人が働きながら大学にかよっている。また大学の通う学生の年齢も民族(エスニック)同様、様々である。

(ここチコには約150人の日本人留学生がいるとのことである。チコに通う約1万6千人の学生にまぎれてしまって、私はそういった日本人学生をほとんど見かけないのだが、ほとんどが高校出て数年の若い学生達であるらしい。彼らの学費はもちろん留学生価格である。そしてそれにプラスして生活費もいる。そういう学生達の留学費用のことを思うと、それを背負っているであろう親の苦労をついつい思ってしまう。この150人の中で、いったい何人がちゃんと卒業できるのだろう。みんな〜!親の血と汗と涙の結晶を無駄にしないで、がんばってくれ!!!)

(*余談ついでに、もちろん公立以外、私立も多数の大学が存在するのは周知の事実。有名なところで、東のハーバードと比較される、ここ西のスタンフォード大学、そして日本関連研究で著名な南カリフォルニア大学など、多数。でも学費が目の玉が飛び出るほど高い。米国の私大は、日本の医学部並みの授業料をぶんどるのである >_<,,, 上記のように、州立大学の学費も日本の国立大学と比較してとても高いです。)

カリフォルニア州の大学システムの概要(英文)のサイトからの抜粋は下記をご参照のこと。


The CSU is a leader in high-quality, accessible, student-focused higher education. With 23 campuses, almost 450,000 students, and 47,000 faculty and staff, we are the largest, the most diverse, and one of the most affordable university systems in the country. We offer unlimited opportunities to help students achieve their goals. We prepare graduates who go on to make a difference in the workforce. We engage in research and creative activities leading to scientific, technical, artistic and social advances. And we play a vital role in the growth and development of California's communities and economy.

The campuses of the University of California provide exciting environments that foster world-class educational and research opportunities and generate a wide range of benefits and services that touch the lives of Californians throughout the state. The UC family includes more than 220,000 students, more than 170,000 faculty and staff, 37,000 retirees and more than 1.5 million living alumni. Opened in 2005, the UC system's tenth campus at Merced—the nation's first public research university to be built in the 21st century—is the first new UC campus in 40 years. UC is also actively involved in locations beyond its campuses, national laboratories, medical centers and neighboring communities — in places throughout California, around the world and online.

2009年3月29日日曜日

カリフォルニア州立大学2校の閉鎖?:Info from CFA (California Faculty Association)


"We are a union of 23000 professors, lecturers, librarians, counselors and coaches who teach in the California State University system."

先日3/25付けのプログで教育費破綻のあおりを受けて、今チコ市では10億の予算カットのため、160人余りの小学校教員の削除を予定しているという情報をあげたが、それ以上の驚くべきニュースをついさっき CFA (California Faculty Association: カリフォルニア州立大学教職組合)のミーティングの夕食会で知った。この数年予算カットが続いて汲々としている現状の中で、さらにカリフォルニア州立大学全体(23校)で200億の予算削減が現実となった。その対応策として、カリフォルニア州立大学システム、23校(全体で約45万人の学生)の内、2校を閉鎖する計画があがっているとのこと。学生数約3万人あまり、そして全体で3千人余の人たちが職を失う事になる。これは私立ではない、州立の大学でのことである。日本では考えられない現実だと思う。(米国では総合国立大学は存在しないので、州立が公立大学で一番大きな組織となる。)

さすがに明日大学閉鎖ということにはならないらしいが、今後学生をとらずに、すべての学生が卒業するのを待っての閉鎖のプロセス。これに大学院の学生の卒業も含まれるのかどうかは定かではないが、少なくとも今後5−6年かけて、閉鎖に向かうということらしい。実際に候補に挙がっているのは、23校の内5校、その内の2校が確実視されている。(*23校のロケーション地図はここをクリック!

(まだ確定ではないので、大学名はここでは伏せておく事にする。カリフォルニア州の中部と南部エリアで大学が拮抗している地域で、比較的中規模のキャンパスが候補にあがっているとのこと。チコは幸いな事に北部エリアの中心を担っているので、これらの候補には挙がっていないとの事。しかし、他のキャンパスとはいえ、安定していたはずの職場を失う恐怖というのは人ごとではない。)

そういえば数年前に、チコ市で小学校3校の閉鎖があった。教育予算の縮小、その結果の削減が目的で、その3校になった理由はコストパフォーマンスというより、前ブッシュ大統領が2001年にサインした NCLB (No Child Left Behind: 落ちこぼれをなくすな教育政策)の一環、テストパフォーマンス (NAEP: National Assessment of Educational Progress:全国一斉学力テスト)の低いところが閉鎖のターゲットになったらしい。米国では、現場の先生方にとって教職は聖職どころか安定した職業でもなんでもない。それでも他の職業に比べて比較的安定している(と思われている?)せいか、いつもで教員養成プログラム (Credential Program: Single & Multiple subjects) は一杯である。


2009年3月28日土曜日

Mt. Shasta (シェスタ山):カリフォルニアの霊峰「富士山」


チコの街から北へ州道99号線、そして国道5号線を北上すること約1時間半(〜2時間)でシャスタ山に着く。ここはカリフォルニアで2番目に高い山で4千m級の山。富士山より高い。霊峰でかの地にいた先住民シェスタ族がこの名の由来になっているとのこと。サンフランシスコ空港で、プロペラ機に乗り換えて北上すること約1時間の距離チコ(車だと約3時間)。その機内の中でちょうど進行方向に向かって遠く、すくっとそびえたつ単峰(?)を見る事ができる。この山を見てあっやっと帰ったきたと実感する私にとっては、アメリカの富士山のような存在。うっ美しい〜。(余談だけど、羽田からJALで奄美に向かう途中で進行方向向かって右に富士山をみることが出来る。「富士は〜日本一の山〜」と唱われるけれど、「世界一」に変えて私は唱っている。私は本当にそう思う。新年に飛行機の窓から見る富士の雪山は絶品である。)

実は毎年冬はここでスキーをするのは我が家の年中行事にもなっている。カリフォルニアにはかつてオリンピック会場にもなった有名はタホ(タホ湖)というスキー場あるが、それとは違いかなりローカルな、リフトも4機のみの小さなスキー場。3/14&15とちょうど私の方の春休み入りの週末に行って来た。もちろんスキーをしにのはずだった、、、のだけれど、ぼけの入っていた私は週末明けに締め切りの原稿(本の批評)があることを宿についたその夜に発見。ジョンと海がスキーをしている間、ロッジのテーブルで一日中原稿を読むはめになってしまったのでした。超悲しー(>_<,,,) 読みがいのある良い原稿だったので良かったけれど、楽しみにしていたスキーが出来なかったのは痛かった。まさかこれが今シーズン最初で最後のスキーになったりしないでしょうね。う〜、、、













写真上は1番下のリフト。日曜なのに、混んでもこの程度 ^_^ ちなみに右から5&6番目の黒い影が海とジョン。実はこの渋滞も機械の問題で、リフトがストップしている状態で、自然渋滞ではない。このあとすぐジョンは渋滞に待ちきれず、歩いて近くのもう一つのリフトへ。写真左に「Mt. Shasta」の青いのぼりが見える。今の時期こどもたちのレースが毎週末行われているとか。私の学生で、11歳になる娘がその競技に出ているという、30代の学生からの情報。地域のスキー場&ファミリースキー場という感じでとてもよい。去年のシーズンから息子の海も一緒にすべれるくらいのレベルになって、毎年2〜3回程、通っている。私はスキー以上に宿でのジャクジー(公共バブルお風呂)が実は目当て。もちろん水着着用。アルコール抜きである。ちょっと残念 (>_<,,,)

2009年3月26日木曜日

博士号への長〜い道?:ArtEd Doctoral Thesis Paper in the U of I (University of Illinois at Urbana-Champaign)


この写真はちょうど私の卒業式の時のものだから、今から11年前、1998年の5月中旬。海が生まれて3ヶ月半ということになる。月日の経つ早さを思うとめまいがしそうだが、あの時の自分の生活を振り返ってみて、あのタイミングでよくすべて終了できたなと感嘆。いまだったら絶対できないことで、若さ(その時ですでに30代後半だったけど)と、海が生まれてくるまでに、すべて終了させなければという崖っぷちの気分に近かった。結果的には、それがモチベーションになって、終わらせることができたのだろう。

米国に来た(日本から見ると「行った」かな?)いきさつについては、原稿を美術教育ニュースで「思えば遠くへきたもんだ」というのをだいぶ前に書いたことがあるし、博士卒論についても、つい最近別の研究ブログ Visual Pop-culture blog(3/26付け)に書いたが、ここでは博士号取得のプロセスとその裏話も少し。

博士課程に入ってから卒論を書くまでには、米国でははっきりとした段階的プロセスがあって、私の出たイリノイ大学(University of Illinois at Urbana-Champaign)も同様。もちろん修士号終了後、博士課程に進むのだが、美術教育の場合、修士の資格の他に少なくとも公立学校で3年間の教師経験が必要ということになっている。とはいえ、教師経験以外の現場の経験、例えば美術館での仕事経験等、けっこう他の経験でその代替にもなっているようで、特に海外からの博士課程組にはそういうケースが多いような気がする。ちなみに私の場合は、日本人学校での教師歴5年(それも美術ではなくて、中学での国語専任と小学校の担任としての経験)と私立カソリックスクールでの美術教師歴4年(小学校1年〜中学2年)がそれを満たすということで、オッケーが出た。(結構いいかげんである ^_^)。ようは学校をストレートに学問だけして博士課程に進むのではなく、現場の経験が大切ということなのだという理屈なのだと私は解釈している。

1. Quality Examination: 博士課程のコースワーク終了後、いよいよ博士論文執筆に入るわけだが、その前にQualify Examination という、資格試験(博士論文執筆に入るだけの基礎知識を会得しているかどうかの確認試験)を受けなければいけない。これが第一関門で、論文試験である。結構状況によってその内容や方法が、(そして特に試験監督教授によって)異なるらしいので、私の場合はというと、二人の教授からそれぞれ、論文のタイトルを与えられ、それに回答する形で論文を1週間以内に作成してくるというものだった。あっそうそう博士課程に入る前に、美術教育関連の読んでおくべく本のリスト(約100冊)を与えられているので、基本的にはそのテストに入るまでに、これらの本を全部読んでおく必要があるということになる。(*うちの先生達は優しくて、本人の卒論方向に沿った質問をちゃんと考えて出してくれていて、これらの作成論文がその卒論作成にちゃんと役にたつように考えてくれている。感謝。そういうことで、この時集中してまとめた論文、特に描画や美意識の発達論の比較表などは、今でも結構役にたっている。)

2. Committee選択: そのテストにパスした後、今度は卒論を審査するコミッティーを選ぶことになる。全部で4人。その中に少なくとも一人は、美術教育専門以外から選ぶということになっている。が、私の場合、全く逆で、一人のみ美術教育から、他の三人は他の専門分野からお願いした。特に認知心理学と研究方法論の専門分野からお願いしたが、自分の研究の方向性を指導してもらうためなので、このコミッティーメンバーの選択は特に重要である。お願いしても、皆超多忙な教授陣なので、皆が皆引き受けてくれるとは限らない。私の場合はその美術教育からの一人(つまり私の卒論指導教授)と相談をして、良い組み合わせのメンバーを選択し、お願いした。結果はラッキー!(*この時、コミッティーメンバーの中が良いかどうか、少なくとも敵対関係にない人々を選ぶのが大切と先輩方から教えてもらったので、この辺も確認。)

3. Preliminarily Examination: この後、本格的に卒論の執筆を始めることになる。最初の3−4章(研究の方法論のところまで)まで書き上げたところで、Preliminarily Examination というのを受けなくてはいけない。これが第二の関門。コミッティーメンバーの教授陣に書き上げた論文を送付し、内容を確認してもらい、メンバーを全員収集しての口頭試問テストとなる。そこで研究の方向性や方法論が妥当であるかどうかの厳しいチェックが入る。たくさんの修正案が出され、それに対して更新論文を執筆しなおさなればいけない。へたをすれば、ここで論文の完全変更ややりなおしを命ぜられることにもなる。(そうなのここで結構足踏みをするケースも少なからずある。)私の場合は、それぞれの提案や修正案が提示されただけで、そのまま論文を書き進めて良いという許可をもらうことができ、ひとまずほっと。そして、ここで最終ディフェンス(最終試問テスト)の日程を来年2月ということに。

それがだ。ここからが問題。まずい妊娠してしまったのだ。出産予定日が1/25/98。すぐに指導教官(アドバイザー)のティナに連絡。最初はちょっとあきれたように、「しょうがないわね」。の一言にあと、「私も覚えがあるから、とにかく中止にしないで、口頭試験の日にちを少し前倒しにできるかどうかの確認をコミッティーメンバーにしましょう。その後はもう運だから。おなかの赤ちゃんによく頼んでおいてね。」と笑顔。(実はご本人も修士号の時に同様の経験をしているとのこと ^_^)

それからはもうなんとも長ーい(そして他人には退屈にすぎない)話しになるので、ここでは省略。とにかくこの時も学生と美術教師の二足のわらじをはいていたので、仕事と論文執筆の両方を日に日に大きくなるおなかと格闘しながら、やっておりましたね。とにかく試験の前、2ヶ月前までには余裕を持ってコミッティーメンバーに卒論の完全版を送付。ということで、遅くとも年内12月初めまでに全員に送付。試験にそなえてもらわなければいけない。大変大変できるかなあ、、、

ひとつエピソード。試問試験一日前(1/23/98)の病院での最終検診の時、血圧が異常にあがってしまい、看護婦さんから至急入院をすすめられたのだが、明日試験なのでそれまでは待っててほしいと懇願すると、「あなた赤ちゃんと試験とどっちが大切なの?!」ときつくしかられることに。でもでも私は思わず悲痛な声で答えてしまいました。「赤ちゃんはもちろん大切。でもこの子はまだおなかの中に9ヶ月しかいないけど、私はこの研究に5年使ったんです。」看護婦さんはあきれたように、私をにらみつけていたけど、そばにいた私の担当の先生(お医者さん)が、「じゃあ一時間後にもう一度検査して、血圧が通常値までさがったらオッケー、高かったら至急入院てことでどう?」と。結果は正常値に。ほっ。看護婦さんの「試験が終わって、すぐに病院に入院よ。わかってますね」という言葉を背中に聞きながら、明日の準備のため、自宅へ。

4. Defense(最終試問試験): ディフェンス当日(1/24/98)、はちきれんばかりに大きくふくらんだおなかで試験にのぞみ、1時間の発表、そして1時間の質疑応答。計約2時間の試験。妊婦に対して同情して少し優しくしてくれるかなあという下心がなかったとは言えないけど、、、その期待は完全に裏切られ、たくさんの質問が飛んできましたよ。試験が終わり、隣の部屋でコミッテーの話し合いを待つ事15分。Dr. Tina Thompson の 「Congratulations! Dr. Toku」の笑顔にテストにパスしたことを知ったのでした。その時の彼女の言葉を私は一生忘れないと思う。「You are not my student anymore, but my colleague from now on. (これであなたはもう私の生徒ではないの。今日から美術教育を指導する同僚の一人よ。」おもわず涙が出ました。その時、私の試験に何人かの学生も参考にしたいと見学していたけれど、その何人かももらい泣きで「よかったよかった。」とハグ(抱きしめて)してくれました。みんな元気かなあ。

もうこういうこともありましたね、というくらいはるか昔のことになってしまいましたが、昨日のことのように思い出します。(予定日より早く生まれたらどうしようと心配していましたが、結果は、居心地が良くなってしまったうちの息子は翌日の予定日にも出てこず、2日遅れで1/27に約10時間かかって出てきました。)

5. Paper Deposit(最終版卒論提出): その後、また試問試験の際、指導を受けた修正事項を元に、卒論の最終修正をし、大学出版指定の書式へ変更、決められた日までに提出。というプロセス。期限までに提出できない場合は、卒業式に出れないとあって、4月の締め切りまでの2ヶ月間で、これまた必死に仕上げました。

6. Graduation(卒業式): その後、晴れて卒業式に出れることになった私は、海と一緒にこうやって笑顔で写真にうつることができました。なんていうことはないただのスナップ写真の一枚なのですが、私にとってはその裏に博士号取得への長ーい道のりを思い起こしてくれる記念すべき一枚でもあります。とにかくこれが今の私の原点 (^_^)。その息子、海ももう11歳。(本人はもちろんなんにも覚えてない。)


2009年3月25日水曜日

160人の先生達の行方は:160 teachers who might be lay off in Chico


We can change! 変革を望んだ米国市民によって選ばれた新大統領。しかしオバマ新大統領になったからといって、すべての問題が一気に解決されるわけではもちろんない。いくら彼が教育に力を入れたいと宣言したところで、巨額の経済赤字をかかえた米国では、それは希望にしか過ぎなく、それぞれの州、地域の教育現場において、彼の希望が反映されるには時間がかかるに違いない。今はむしろほど遠い状態。教育は経済赤字の粛正の真っ先のターゲット。そう米国の教育は遠の昔に聖域などではなくなっている。アメリカ人なら誰でも知っていることである。また教育現場で日本だったらまず絶対起こらないようなことが平気がおこるのがまたアメリカである。教育現場もまたビジネス界のように市場原理で動いていることを知って愕然とすることも多い。残念ながら下記の件もその一例である。

つい最近我が街チコ市で約160余の義務教育の先生(K-12th Grade: 幼稚園から高校まで)が首になるかもしれないとの話しで持ちきりになった。(*チコ市教育委員会)人口十万の市である、先生(主に小学校の先生?)がそんなに一気に首になるなんて、ちょっと常識では考えられない。しかしこのうわさは結構現実味を帯びて来ている。チコの教育は10億の赤字なのだそうである。それがイコール約160余人の首切り、つまり人件費(給与)の削減ということになる。そんなに一斉に教員を減らして、義務教育は成り立つのか、削減された教師の分、クラスはどう運営されるのか?答えは一つ。小学校の場合、カリフォルニアでは小学校低学年では、少人数体制で厚い教育をというのが理念で、今まで小学校1年から3年までは人クラス20人制をとってきている。小学校4年から一気に生徒数が増え、20人から35人になる。これをすべての学年で35人体制にし、その分教員を減らすという発想である。

じゃあどういう先生がレイオフ(首になるのか)というとこれがまた実力主義のアメリカとは思えない、教職歴年数の少ない人たちからということらしい。とはいってもこれは教職歴の長さであって、若い方からということではない。あくまでも教職についてからの年数である。具体的には、1995年以後にテニュア(終身雇用システム)をとった先生、つまり教職歴13年以下の先生方が対象になっているらしい。(*日本と違って、大学卒業後すぐに教職につく人は結構まれで、いったん卒業しても他の職業を経たりと、教職に入る時にすでにある程度の年齢になっているケースが多い。大学の教員もまた同じである。もちろん私も10年余の寄り道をしています。)

最近その条件にあたる先生方に、桃色の通知書が手元に届いたのだそうだ。(すぐに日本の徴兵通知の赤紙を不謹慎にも思い起こしてしまった。)まだ決定事項ではないといいながら、この通知をもらった先生方はどういう気持ちで今、教壇にたっているのだろう。その気持ちを思うと、何もできない父兄である自分たちが情けなくてしょうがない。そのリストの中に、今海の担任の先生の名前も、そして次の6年生の先生になる予定の先生の名前もあった。これらの先生はGATE (ゲイト)という、Gifted Program という市全体の小学校から選ばれた子ども達が集まるプログラムの教師達で、そういう意味で教師自身も優れた人たちがついている。そういう人たちも関係なく、教職歴だけでレイオフの教師のリストに入っている。(これが考えられる一番公平なリストだそうだ。腑に落ちないし、その理屈がわからない。)

たぶん似たようなことが全米あちこちで今起きているのだろう。教育が聖域であるかどうかの議論以前の問題。何の話し合いもなく、簡単に予算削減として教員の首が飛ぶ。これが米国の教育現場の現実。それに対して私たちは何ができるのか。答えはなかなか出てこない....(>_<,,,)

最後にこの160人の中に美術(図画工作)の先生は入っているかどうか?実は入ってないとの事。というよりこの160人の教師の数にすらカウントされてなくて、この160人以前に真っ先に首を切られるのが、特に小学校では専科、音楽&美術*の先生だそう。その美術教師になる学生達を指導している私は、その学生達の未来になんといったら良いのだろう。

*(追記)ここチコの街では、小学校の図工の先生は2週間に一回の割合で、各学校を回っていて、一つの学校には所属していない。それだけ聞くと、美術教育の環境は悲惨なように思えるが、その一回の図工の時間は半日授業(3時間)で、計算すると1週間に1、5時間の時間数。それを考えると、日本とそれほど変わらない、むしろ多い計算になる。また米国の担任の先生方(特に小中学校)はアートを各科目指導する上で、効果的な方法として多用しているので (Integration with Visual Art)、全体から見ると、教育環境は「美術を通しての教育」と言えなくもない感じで、日本と比べても美術環境は非常に豊かである。

*また現在日本で話題になっている中学校における美術の選択だが、米国では高校同様、中学でも美術はもともと選択である。しかししかしである。美術を選択した場合、実は毎日「美術」の授業が1時間づつある。そう中学における美術の選択というと、これまた悲惨なように聞こえるが、中身を見ると選択の意味が日本と違っていることがわかる。表だけでは見えない、現状がここにある。(高校でも美術を選択した場合、中学同様、毎日美術の授業がある。)

かつて私は米国の友人達に日本では「図画工作」や「美術」は義務教育では必須なので、米国よりずっと豊かだと言い続けてきた。それは数字だけでなく、私がこども時代に受けた、図画工作の授業を元に感じていた事だけれど(私の時代は奄美でも小学校に図画工作の専任がいた ^_^)、それはもう間違った認識ではないかと最近思い始めている。


2009年3月19日木曜日

ホームパーティ(International Faculty Spring Party:3/13/09)

写真左はうちの裏庭にあるひときわ目立つ椿の木。この時期いつも見事なくらい真っ赤は花を咲かせます。うちの回りにも椿が(中古の)家を買った時から植えられていて、他にピンク、白、斑入りのピンク、そして斑入りの赤、全部で4種類。写真には写っていませんが、その右後ろにはサクラの若木も。引っ越し来てから植えた一重と八重。右の写真は同僚、美術史のAsa(エイサ)の一人娘、Lela (リラ)。超かわいい (^_^)。彼女は、米国と中国のダブル(ハーフとは言いたくないので、2つの文化を持つという意味で、私は個人的にこういうことにしている。半分という言い方がなんとなく好きでないので、細かいかもしれないけど、、、)

別にパーティアニマルというわけではないのだけれど、毎学期数回はうちでなんらかのパーティをやっている。いつもポトラック(potluck:辞書にはありあわせ料理とあるが、持ち寄りの意)パーティなので、主催者側もそれほど負担にはならないので、気楽にやれるこの形式でのパーティがうちの場合は多いですね。

どういう人たちとやるかというと、うちの場合は大きくわけて三つ。ひとつはチコにある日本人グループ(特にChico Japanese Women's Club というだんなが外人の日本人女性グループ ^_^)とのパーティ。これはもちろんおいしい日本食を食べたい時と目的はもちろん日本語でのおしゃべり。ジョンが豚肉を食べないので、自分自身が奄美の豚骨(とんこつ)を無性に食べたくなった時など、思いつきでやることが多い(実は一番多いホームパーティがこれ ^_^)。ひとつは学期末にうちでやる美術教育関係の学生を呼んでのパーティ。そしてひとつ今回のもそうだけど、やはり学期毎にやる同僚とのパーティ。芸術学部全員を呼ぶのは小さいうちでは無理なので、いつもなんらかのテーマで人を(結果的に選んで)呼ぶ。例えばよくやるのが、ひなまつり前後にやる女性の同僚だけでの Girls' Party とかね。

今回はうちの学部も国際的でいろんな国から(もしくは文化背景を持った)人々が増えたので、International Faculty party と称してやりました。同僚本人とその伴侶(パートナー)、子どももウエルカム。(ただし犬などのペット抜き。ごめんね)。日々の料理はめんどくさいのだけど、こういった一日がかりの料理作りは私にとってもメディテーション(meditation: 瞑想/心理療法)にもなるので、結構きらいではない。おいしい料理とお酒(ワインとビール)、音楽、そして友がいれば、パーティそのものが、忙しい時のメディテーション。(*すぐ下の写真は家の中。一番下は裏庭に続くデッキの上で星を見ながら、、、とはいえちょっと寒かったかな。)