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2009年3月25日水曜日

160人の先生達の行方は:160 teachers who might be lay off in Chico


We can change! 変革を望んだ米国市民によって選ばれた新大統領。しかしオバマ新大統領になったからといって、すべての問題が一気に解決されるわけではもちろんない。いくら彼が教育に力を入れたいと宣言したところで、巨額の経済赤字をかかえた米国では、それは希望にしか過ぎなく、それぞれの州、地域の教育現場において、彼の希望が反映されるには時間がかかるに違いない。今はむしろほど遠い状態。教育は経済赤字の粛正の真っ先のターゲット。そう米国の教育は遠の昔に聖域などではなくなっている。アメリカ人なら誰でも知っていることである。また教育現場で日本だったらまず絶対起こらないようなことが平気がおこるのがまたアメリカである。教育現場もまたビジネス界のように市場原理で動いていることを知って愕然とすることも多い。残念ながら下記の件もその一例である。

つい最近我が街チコ市で約160余の義務教育の先生(K-12th Grade: 幼稚園から高校まで)が首になるかもしれないとの話しで持ちきりになった。(*チコ市教育委員会)人口十万の市である、先生(主に小学校の先生?)がそんなに一気に首になるなんて、ちょっと常識では考えられない。しかしこのうわさは結構現実味を帯びて来ている。チコの教育は10億の赤字なのだそうである。それがイコール約160余人の首切り、つまり人件費(給与)の削減ということになる。そんなに一斉に教員を減らして、義務教育は成り立つのか、削減された教師の分、クラスはどう運営されるのか?答えは一つ。小学校の場合、カリフォルニアでは小学校低学年では、少人数体制で厚い教育をというのが理念で、今まで小学校1年から3年までは人クラス20人制をとってきている。小学校4年から一気に生徒数が増え、20人から35人になる。これをすべての学年で35人体制にし、その分教員を減らすという発想である。

じゃあどういう先生がレイオフ(首になるのか)というとこれがまた実力主義のアメリカとは思えない、教職歴年数の少ない人たちからということらしい。とはいってもこれは教職歴の長さであって、若い方からということではない。あくまでも教職についてからの年数である。具体的には、1995年以後にテニュア(終身雇用システム)をとった先生、つまり教職歴13年以下の先生方が対象になっているらしい。(*日本と違って、大学卒業後すぐに教職につく人は結構まれで、いったん卒業しても他の職業を経たりと、教職に入る時にすでにある程度の年齢になっているケースが多い。大学の教員もまた同じである。もちろん私も10年余の寄り道をしています。)

最近その条件にあたる先生方に、桃色の通知書が手元に届いたのだそうだ。(すぐに日本の徴兵通知の赤紙を不謹慎にも思い起こしてしまった。)まだ決定事項ではないといいながら、この通知をもらった先生方はどういう気持ちで今、教壇にたっているのだろう。その気持ちを思うと、何もできない父兄である自分たちが情けなくてしょうがない。そのリストの中に、今海の担任の先生の名前も、そして次の6年生の先生になる予定の先生の名前もあった。これらの先生はGATE (ゲイト)という、Gifted Program という市全体の小学校から選ばれた子ども達が集まるプログラムの教師達で、そういう意味で教師自身も優れた人たちがついている。そういう人たちも関係なく、教職歴だけでレイオフの教師のリストに入っている。(これが考えられる一番公平なリストだそうだ。腑に落ちないし、その理屈がわからない。)

たぶん似たようなことが全米あちこちで今起きているのだろう。教育が聖域であるかどうかの議論以前の問題。何の話し合いもなく、簡単に予算削減として教員の首が飛ぶ。これが米国の教育現場の現実。それに対して私たちは何ができるのか。答えはなかなか出てこない....(>_<,,,)

最後にこの160人の中に美術(図画工作)の先生は入っているかどうか?実は入ってないとの事。というよりこの160人の教師の数にすらカウントされてなくて、この160人以前に真っ先に首を切られるのが、特に小学校では専科、音楽&美術*の先生だそう。その美術教師になる学生達を指導している私は、その学生達の未来になんといったら良いのだろう。

*(追記)ここチコの街では、小学校の図工の先生は2週間に一回の割合で、各学校を回っていて、一つの学校には所属していない。それだけ聞くと、美術教育の環境は悲惨なように思えるが、その一回の図工の時間は半日授業(3時間)で、計算すると1週間に1、5時間の時間数。それを考えると、日本とそれほど変わらない、むしろ多い計算になる。また米国の担任の先生方(特に小中学校)はアートを各科目指導する上で、効果的な方法として多用しているので (Integration with Visual Art)、全体から見ると、教育環境は「美術を通しての教育」と言えなくもない感じで、日本と比べても美術環境は非常に豊かである。

*また現在日本で話題になっている中学校における美術の選択だが、米国では高校同様、中学でも美術はもともと選択である。しかししかしである。美術を選択した場合、実は毎日「美術」の授業が1時間づつある。そう中学における美術の選択というと、これまた悲惨なように聞こえるが、中身を見ると選択の意味が日本と違っていることがわかる。表だけでは見えない、現状がここにある。(高校でも美術を選択した場合、中学同様、毎日美術の授業がある。)

かつて私は米国の友人達に日本では「図画工作」や「美術」は義務教育では必須なので、米国よりずっと豊かだと言い続けてきた。それは数字だけでなく、私がこども時代に受けた、図画工作の授業を元に感じていた事だけれど(私の時代は奄美でも小学校に図画工作の専任がいた ^_^)、それはもう間違った認識ではないかと最近思い始めている。


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