Masami Toku on Flickr

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2009年9月21日月曜日

最近始めたこと「AM ヨガ」

この1週間程前、ヨガを始めた。特別は理由とかきっかけとかはあんまりない。うちの旦那ジョンがどこかのガレージセールで見つけたヨガのビデオを元にやり始めていたのは知っていたけど、それが4年も続いていたのは気付かなかった。(サックスの練習と言い、テニスといい、いつもながら一度始めたら継続力のあることには感心させられる。)そういえば、割とすっきりしたボテイにはなっているなあとは感じてはいた。それが毎日続けているヨガのせいとは思わなかった。そのジョンに君もやった方がいいよ。毎朝15分。というわけで始めた。ヨガというよりストレッチ体操に近い感じで、ヨガのイメージのなんとかのポーズというのはあまりない。

昔と比べて胃にもたれやすくなったとか、腰の回りにうっすらと肉がついてきたとか、あまり食べた気はしないのに、体重計の針がなぜか思ったより数キロ多く指しているとか、毎朝起きるたびに身体が重くてやる気がおきないとかとか、、、、一言「年よ年!」で済んでしまいそうな症状をかかえるようになってしばらく、とりあえずヨガというのを始めることにした。

2009年9月11日金曜日

About District 9:映画「District 9」について

一人で映画を見に行ってきた。特に見たいものがあったわけでもなく、9/10(木)はFurlough(無給休暇)を取っていたので、たまには一人で映画でもと思い、手頃なものを映画館サイトで探していた中で見つけた「District 9」

映画のタイトルの下の注意書きに「R (Restricted)」という年齢制限のサインに「ID required」という年齢確認のための身分証明書提示のサインまでついている。どうやら子どもには勧めない映画らしい。エイリアンが出てくるサイエンスフィクションらしいけど、どういうものだろうと気になって批評サイトで検索してみると、86%とすごい高い支持を得ている。これは一つ見てみる価値がありそうと出かけることにした。

感想は一言「ただもうびっくり」そして少々胃が痛くなる後味の悪い映画、でも単なるサイエンスフィクションではない多くを考えさせられる映画だった。

内容はというと、28年前に突然南アフリカのヨハネスバーク上空に現れた数キロにも及ぶ巨大な宇宙船。母星に帰れなくなった宇宙人をヨハネスバークは市内の中に受け入れる地域「District 9」を作って彼らを受け入れることにした。ところが、しばらくしてすぐにその地域はスラム化し、人口が増加、とうとう百万を超すにまでに。人間とのトラブルも増加し、政府は彼らをヨハネスバーク市内から数百キロ離れた場所へ彼らを移すことを決める。そこからがこの映画の始まり。という風にトラブルや宇宙人のスラム生活がドキュメンタリー形式で映され、リロケーション(移転措置)のいきさつがインタビューを挟みながらという風に話は進んでいく。

宇宙人と人間(地球人)という対立で話は作られているが、見てるとすぐにわかる。宇宙人をどこでもいい、地球上に溢れているどこかの難民に置き換えてみればいい。これは今地球のどこかで今起きている出来事を語っているのがよくわかる。この映画の背景を調べてみたら、やはりというかなるほどである。2005年のショートフィルム「Alive in Joburg」社会的人種差別(Social Segregation)を扱ったものがもとになっているという。この映画のタイトル「District 9」も南アフリカのケープタウンにあった悪名高いアパルトヘイト政策の隔離地域「District Six」に影響を受けてとのこと。少々スプラッターで目を覆いたくなるシーンがたくさん出てくるけれど、見る価値のある映画だと思う。(ただこの後食事はのどを通らなくなってしまうかもしれないけど、、、)

映画の最後にナレーションはこう続ける。「この後新しい隔離地域’『District 10』への宇宙人のリロケーションも無事にすみ、現在も人口は増え続け2百万を超えている、、、」と。この後どうなるのかという答えも方向も映画は示唆していない。

2009年9月8日火曜日

オバマから子どもたちへのメッセージ:Obama advises caution in what kids put on Facebook

9月8日(火:米国西部時間)朝9時、オバマ大統領からこどもたちへのメッセージがライブで流れた。場所はバージニア州、アーリングトン市郊外にあるウェイクフィールド高校(Wakefield High School, Arlington, VA)でのスピーチである。全米の学校にオンタイムで流れたが、内容に対してやはり物議を醸し出したようで、途中放送を中止した学校も出たそうである。(息子の海の学校では放送されたとのこと。)

下記はチコ市のローカル新聞(9/8/2009 Chico Enterprise Record)に掲載された記事からの抜粋。

ざっと読む限り、「誰も頼るな、誰にも責任を転嫁するな、自分自身で責任を持って勉学に励め、それができるものしか成功しえない。」といっているように聞こえる。つまり社会のせいにするな、どんなに大変な環境にあろうともそれに耐え、自分自身で切り開けということなのか?オバマ大統領が学校で学生に向かってスピーチしたこと自体は素晴らしいことだと思うのだけれど、それは過去の大統領もやってきたことで、特に目新しいことでない。(日本ではないだろうけど。)内容は一般的なメッセージの域を超えるものではないという感じ。それより気になったのは、こどもの教育環境を整えるべきの政府や親の責任を回避して、その不備を子ども(学生自身)の忍耐と努力でカバーしよと言ってるようにしか私には聞こえなかったこと(ただスピーチ全部を聞いたわけではなく、新聞記事からの感想なので、結論づけるのは時期尚早かも)。スピーチの場に選んだ学校が普通の一般的な学校というより、かなりレベルの高い高校らしいというところも気になった。(たぶんこの学校の生徒たちはほっといてもちゃんとやる子たちなのだろうから。)

"Every single one of you has something that you're good at. Every single one of you has something to offer." "And you have a responsibility to yourself to discover what that is."
..........................

「君たち一人一人全員が何かしら得意なものをもっているはずである。何か身を投じてがんばれるもの(そして誰かに分け与えることができるもの?)を持っているはずである。そして君たちはそれが何であるかを発見しなければいけない(その責任を君たち自身が持っているのである)。」

...........................

"There is no excuse for not trying" he said in the speech. He said students must be individually responsible for their education, and that it's important to work hard, pay attention in school and complete assignments.

「何もしようとしないこと(努力しないこと)に対してなんの言い訳もあってはならない。」オバマは学生に向かい、教育に対して学生一人一人自身が責任を持つべきだと言っている。そしてそれは一生懸命努力することであり、学校において、集中して(与えられた)課題をきちんとこなして行くことであると。

"Whatever you resolve to do, I want you to commit to it," Obama said. "The truth is, being successful is hard. You won't love every subject that you study. You won't click with every teacher that you have."

「解決すべきことがなんであろうと、私はあなた方がそれに責任をもって立ち向かってもらいたい。」「真実を言おう。成功することは困難なことだ。君たちは勉強するすべての科目を好きにはなることはないだろう。また君たちが出会うすべての先生と相性があうこともないだろう。」とオバマは語った。

"At the end of the day, we can have the most dedicated teachers, the most supportive parents and the best schools in the world, and none of it will matter unless all of you fulfill your responsibilities," the president said.

「いつの日か、私たちは最も(教育に)熱心な先生達に、最も献身的に支えてくれる親たちに、そして世界で最もすばらしい学校を持つことができるだろう。しかしそれは君たちが君たち自身の責任を果たした時にのみしか起こりえないことなのだ。」大統領はそう語った。

2009年9月4日金曜日

カリフォルニア州経済破綻(其の二):「Furlough (無給休暇)」のお知らせ自動返信メッセージ

そのカリフォルニア州立大学組合から、メールの自動送信メッセージに入れるように勧めているメッセージが下記の通り。

Faculty members:

Use This As Your

Email Signature or

Out of Office Reply

「あなたのEメールのサインや自動返信にこれを使ってください。」

This year the CSU is suffering the most severe budget cuts in the history of the University. Our Administration is attempting to manage these cuts by increasing student fees and requiring employees to take unpaid

furlough days.


「今年、カリフォルニア州立大学システムは、大学始まって以来の最も困難な財政危機に直面しています。大学側(経営サイド)は、この危機に対して、学生の授業料アップならびに教員/スタッフ全員に強制休暇(自宅待機:給与カット)を取らせることで乗り切ろうとしています。」


As a result I’m out of the office more often than usual and unable to reply to your e-mail messages as quickly as I would like. I will try to answer your message as soon as is possible.


「その結果、通常以上にオフィスを留守にすることが多くなり、メールでの問い合わせに迅速に対応することができなくなります。可能な限りあなたからのメッセージに迅速に回答するよう努力いたします。」

To learn more about faculty furloughs please visit

http://www.calfac.org

「教員(ファカルティー)強制休暇に対する情報についての詳細はこのサイトをご覧ください。」


Thanks,

INSERT YOUR NAME

AND WHATEVER OTHER INFO YOU USUALLY

INCLUDE IN YOUR EMAIL SIGNATURE

ぶっちゃけた話「大学側の決断で経済危機の対応として給与カットの強制休暇を強要されているので、その結果大学を離れることが多くなり、メールの対応も遅れがちになることをご承知置きください。」というもの。つまり、みんなにこの状態を知らしめようというもの。う〜ん。

2009年9月3日木曜日

カリフォルニア州経済破綻(其の一):州立大学は今


だいぶ前に、カリフォルニア州の経済破綻の影響で、学校の現場の先生方の首切りの話をこのブログ(2009年3月25日「166人の先生の行方は?」)でもしたが、その波がとうとう州立大学の方にもやってきた。例えばカリフォルニア州立大学システム23校全体で日本円にして約500億円の削減を迫られた。(単純計算で一校、約22億弱?)

我がチコ校では、ここ数年削減につく削減で、手はすべてうち尽くした感があり、私たち大学教員の給与も据え置きだったし(実質的には物価分の上乗せがない分削減)、パートタームのレクチャラーは極力減らされ、その分私たちに仕事が回ってきていたので、実質的にはかなりハードなコースワークを皆こなす結果になっていた。(この夏は、電気代節約のため、月曜から木曜勤務の週休3日になっていた。それも朝8時から夕方6時勤務。)

またこの新学年(academic year of 2009-2010)は、経費削減のため、既に多くのコースがキャンセルになっている。例えば、この新学期(秋学期)の芸術学部だけで、19クラスもキャンセルになってしまっているというのに。あっそうそう、ついでに学生の授業料もこの新学期から30%も値上がりしている。学生たちの悲鳴が聞こえてきそう(>_<,,,)

これ以上、どう経済破綻危機に対処するのか?と思っていたら、大学側から、私たち教員/教授(ファカルティー:Faculty)へ二つの選択肢が提示された。

一つは、給与を現状維持にするかわりに、経費削減のため、勤続年数の短いファカルティー 、つまりテニュア(Tenure:終身雇用制度)を取っていないファカルティーから、レイオフ(Layoff: 首)にしていく。もう一つはファカルティーをレイオフにしない代わりに、一年間強制的に18日休業(furlough:無給休暇)を取るという形にして、 すべてのファカルティー並びにスタッフの給与から均一に10%ずつカットするというもの。

はっきりいって、二つの選択肢を示されていたけど、私たちにはチョイスは全くなかったも同然。勤続年数の短い若手の教員を黙って首に、見殺しになんか道義的に誰もできない。そんなこと大学側もわかっていて、この選択肢を示しているから人が悪い。なおかつ、この第二の選択肢をとらなかったら、大学自体も閉鎖にというようなことを匂わされていたから、そんなことありえないと思いながらも、結局、予想通り二番目を選ばざるを得ない結果に。

さて、新学期が始まってどういうことになっているかというと、ただでさえ、必須コースの突然のキャンセルで、卒業できなくなった学生たちの救済処置にそれぞれの教員は追われているというのに、この「Furlough」のスケジュール設定にも追われるはめになって、泣きっ面に蜂というのが現状。

まずは年間で、どの日を休業日にするか。授業日を休業にするわけだから、教えているコース内容に大きく影響するのは必死。キャンパスによっては、大学側でこの休業日(furlough)を決めているところもあるが、うちのチコ市キャンパスは、1/3は学校側で全校休業の日を決めているものの、残り2/3、つまり12日は教員一人一人の判断で決めてくれというもの。

これは単純に休業を取って給与が10%カットというだけのものではなく、その影響は授業内容、コミッティワーク、各人の研究プロジェクト、そしてテニュア(などのプロモーション等々、余波は大きく広がっていて、実際にどれくらいのマイナスの影響が出てくるのかは誰も想像できないでいるのが実情。

そういう訳でまだ、大学は揺れている。いつになったら収まるのだろう。それよりもこの10%カットが1年だけの暫定的は処置といっているけれど、本当に1年で済むのだろうか。ほとんどの人は誰もそんなこと信じていないもの。どうなるんだろう。

*詳細は下記のカリフォルニア州立大学教員組合サイトへ(Only 英語サイト >_<,,,)

FURLOUGH & BUDGET CUT INFORMATION (CAF:California Faculty Associationサイトより)

2009年8月29日土曜日

アメリカでの映画考察: PG13見せるの見せないの?どっち?

お昼過ぎ、残暑にぼーっとしながらタイプを打っていると、電話がなった。海の友達から、映画のお誘い「『GI Joe: The Rise of Cobra』を見に行くので、もしよかったら、、、」とのこと。あいにく海はジョンとエアーショーを見に行って留守。海に伝えるわねとそのまま電話を切った後、ジョンの携帯へメッセージを入れておく。帰ってきた海にその旨伝えると大喜びで電話を。もちろん行くとの返事で、そのままジョンと代わって、友達のお母さんと確認の話をしている。その話し振りから、ジョンがあまり乗り気でなさそうなことが雰囲気で伝わってきた。「どうしたの?良くない映画なの?」の私の問いに、「知らないの?コミックが元だけど、バイオレンスだらけだよ。信じられない。子供だけで見させるなんて。」との返事。

慌てて、映画館のホームページでレートを見てみると、うっ「PG13 (*Parental Guidance 13 の略:13歳以下の子供にはお勧めない映画であるという評価)」が付いている。グーグルサーチで最新映画の専門家批評サイトの「Rotten Tomatoes」を見てみるとさらに悪い。評価度は37%で、専門の批評家全体の合意点は「コミックファンにはノスタルジックだけど、ストーリも良くないし、ヴィジュアル効果も矛盾だらけ(While fans of the Hasbro toy franchise may revel in a bit of nostalgia, G.I. Joe: The Rise of Cobra is largely a cartoonish, over-the-top action fest propelled by silly writing, inconsistent visual effects, and merely passable performances.)」とさんざん。

これはいかんとジョンと相談して、やはり断りの電話を入れることにした。聞いたら、親はその映画の内容を良くわかっていなかったみたい。代替の子供向け映画「Shorts (*これも同サイトでチェックしたら45%と低い評価、でもまあPGのレートなので、GIよりもましということで)」もあるけどと遠回しに勧めてみたけど、既に子供たち同士で連絡しあって、行くことになっているので、そのまま行かせるよりしょうがないとのこと。う〜ん、どうすべきか迷ったけど、やはりだめなもはだめだよねと決めた。もちろん海はすごーく不機嫌になって、部屋に引きこもってしまった。

そりゃ11歳の男の子にとって、アクション一杯の映画はバイオレンスがつきもので、わくわくするのは承知。(そういうママもそういった映画は決してきらいじゃない。むしろ結構好きかも。頭を使わずに見れる映画は楽だし、爽快だものね。ジョンは馬鹿にするけど、「ターミネーター(オリジナル版)」なんて、今でもドキドキよ。正直のところ。)

だけど、君たちぐらいの年は、その影響を受けやすいのも承知。現実と想像の世界が時々一緒になっちゃうもの。遅かれ早かれそういった映画を見ることになるのだろうけど、少なくとも今はまだだめだよ、海君。私たちも不注意だったのは、認める。海が喜び勇んで電話をかける前に、映画のタイトルから内容を確認しておけばよかったね。私たちも少し反省(>_<,,,)。 それにしても、アメリカって国は、出版物のコミックの内容に対しては、コミックコードとかでやたらうるさいくせに、映画には甘いのはなぜ?PGのようなレーティングシステムがあるけれど、実際にはチケット売り場でそれをチェックとかしないので、効果的に機能しているとはとても思えない。結構野ざらしだなあ。大丈夫か?

2009年8月27日木曜日

うちのジョンのブログ:Jon's Journeys



ジョン。自然が大好きで、よく息子の海(現在11歳)と二人で自然探索と称してあちこちに出かけている。写真も大好き。この写真は、どうもシュノーケルをしながら試し取りの水中写真を自分の顔でとったものらしい。笑えるね、ハハハ。

うちのジョン。うちのパパ、もしくはだんな。アメリカ人。現在41歳。(いろいろなエスニックが混じっているらしく、ちょっとみにはアメリカ人には見えないかも。)「ジョン」と呼ぶより「パパー」と呼ぶことが多い。「僕は海の父親だけど、君のパパではないからね」と言われたことがある。時々理屈っぽい。

「うちのジョンはね〜」と奄美の友人に話していたら、「うちのジョンって犬みたいね。」と言われた。そう言えばそうだなあと思ったので、犬でない証拠に皆に紹介することにした。ついでに、その時習っていた奄美の蛇三線(じゃみせん)で島唄をみんなの前で披露したら「うわーすごいわね〜。」と褒めてくれたので、犬でないことは証明できたみたい。もうだいぶ前のことである。

ジョンに会った第一印象として、「アメリカ人というより日本人みたいな人だね」とよく言われる。「日本人みたい」ってどういうことだろうといろいろ考えて見た。どうも普通のアメリカ人とは違うねということらしい。じゃあ「普通のアメリカ人」ってどういう人のことを言うのだろう、と考えていたら、日本人のアメリカ人に対する一般的な印象というのが良くわかってきた。要するに「はーい皆さん元気〜!」というように、やたら明るく、愛想をふりまく、フレンドリーな人々というのが、どうも皆の持つアメリカ人ってことらしい。

確かにそういうイメージからはかなり遠いのがうちのジョン。寡黙な人である。だからといって無愛想では決してなく、人の会話に対してよく微笑んで聞いている。私から言わせると外面がよいだけだと思うのだけれど、この寡黙で優しそうな態度がやたらと友人受けしている。

(そういえば、「一家に一人ジョン」とも言われている。昔あったアメリカドラマ「大草原の小さな家」のお父さんよろしく、家の修理や片付けをまめにしてくれるから。島口(奄美の方言)でいうところの、「まりがるな人(「じっとしていないでよく動く&働く人」という意)」である。母もそういう風にジョンのことを言っている。そういえばである。)

ということで、私の友人たちの結論は、ジョンと私は逆転の関係で、ジョンがより日本人的で私がアメリカ人的なのだそうである。私としては、いろいろ反論はあるけれど、アメリカの水が合っているのは確かなので、今しばらくは、そういうことにしておこう。(そう言えば、家での役割も一般的な男女の反対を行ってる。これの説明をすると長くなりそうなので、また今後。)

ジョンについて書くつもりだったわけではないのに、、、いつものようにどうでもいいことに時間をとってしまった。今日は、ジョンのブログ「Jon's Journeys」をここに紹介したかったのだ。

この私のブログの右上にも掲載されているジョンのブログ。名前の通り旅行日誌的なブログで、旅先の出来事やエピソードを写真を中心に彼のコメントを添えて紹介している。改めて今回よく読んでみたら、これが結構おもしろい。私と違ってリンクで情報をつなげていくのではなく、ページに写真をずらっと並べて、旅先のことがいろいろと紹介されている。ひとつひとつの写真の中に、ジョンならではの視点があって、日本人ではちょっと気づかないような、おもしろい情報が満載である。特に日本社会にあふれている Jinglish (Japanese English:一見英語なんだけど、実際の英語としては意味がなりたたない日本語英語)についてのコメントが傑作である。短い簡単な英語でコメントが書かれているので、英語を勉強したい人にもちょうど良いレベルだと思うので、よろしかったら時々のぞいてみてくださいね。

2009年8月25日火曜日

偶然ばったり宮崎さん(8/18/08)その二

(2000年8月10日、30分の予定の取材を45分に延長していろいろお話してくださいました。その後、スタッフのお一人西岡さんがジブリスタジオ内を案内。そのとき宮崎さんの仕事机の横で一緒に。ちょうど9年前。うわっーなんと私が若い!宮崎さんはきれいな白髪にかわっておられましたが、この写真とそれほど変化なしの感じでしたよ。)

宮崎さんとの偶然の出会いが、あまりにもうれしくて、チコに帰ってきてから9年前、宮崎さんに取材をした時の写真を思わず探してしまいました。

もうたぶん時効でしょうから、ここで少しご紹介。2000年、8月10日のことです。ちょうど千と千尋の神隠しの作品作りをされている頃で、取材をした時にはまさかこの後、アカデミー賞をとられ、名実ともに世界で宮崎さんがブレイクするとは、誰が想像できたでしょう?(知っていたら、ジブリスタジオを案内していただいた時に床に散らばり落ちていたデッサンの丸めた紙を拾って家宝にしていたのに、、、ちょっと残念 >_<,,,,)

(アニメのセルに描く前に、必ず宮崎さんがイメージを水彩で描かれるのだそうです。その絵の一つが上記の写真、右のボードの掛かっているのが見えます。ここにあるのもまたその一例。宮崎さんのイメージ水彩画がずらーりと。これだけの手間ひまをかけて、宮崎アニメの特徴である、美しい風景が出来上がるのですね。納得。)

(実はブレントウィルソン、当時ペンシルバニア州立大勤務現在は既にリタイヤ、もコラボで一緒に取材をしていたのですね。一緒の方が案内をしてくださった西岡さん。)

またこの後、宮崎さんは世界から取材が殺到し、新たな取材を受けなくなってしまうのですね。できることならもう一度お会いして、またお話を伺いたいです。(宮崎さん!「こどもには自然を見せることが一番です。自然からこどもは多くを学びますから」とおっしゃってくださった言葉を受けて、うちの息子も自然を師として育ててますよ〜。宮崎さんは私の取材のことなど、きっと多くの中のひとつに過ぎず、お忘れになっていることと思いますが、私はそのとき宮崎さんの言葉から多くを学びました。あっという間に時が過ぎ、もう9年前のことになりました。あのとき「もう僕はすぐ引退するような年になりますから」とおっしゃっていましたが、あれからも作品を作り続けておられること、とてもうれしく思います。どうかこれからもずっと続けて作られることを、そしてアメリカから宮崎さんのご活躍を見続けていきたいと思っています。いやー思わずファンレターになってしまいました。)


偶然ばったり宮崎さん(8/18/08)その一

ところでところでこーんなこともあるんだというお話しを今日はひとつ。

なんとなんと、夏の長期日本滞在を終え、アメリカに飛び立つその日、8/18(火)のお昼、素敵な人に偶然会いました。誰だと思いますか?なんと宮崎駿さん。そうあの宮崎さんなのだよ。

ジブリスタジオは東京の東小金井(中央線)にあるのは周知の事実。実は私の高校時代のバスケの友人友(とも)の家がその近くにあり、奄美から東京へ移動し、日本を離れるまでの約2週間、そこに今回はいそうろうをさせてもらっていました。(というよりほとんど国内をあっちゃこっちゃ移動していて荷物を置かせてもらっていたという方が正しいかも。)

とにかくその日、ドアを開けてスーツケースを出そうとしていたら、手伝ってくれていた友人の娘の渚(なぎさ)ちゃんが「徳さん見てー!」と指差す方向に目を向けて見ると、白い帽子を被った男の人がてくてくと歩いているではないですか。後ろ姿をぼっーと見ながら「だーれ?知っている人?」と聞いてみると、「宮崎さ〜ん!」と一言。(後から聞いた話しなんだけど、なんと彼女の家の前を宮崎さんがよく通るのだそう。でもここんとか半年くらいご無沙汰だったとか。)

その時は「そうか宮崎さんか。いやー近いのは知っていたけれど、お見かけするとはなんと幸運な、、、」くらいに考えて、さすがにアポなしのプライベートの時間を邪魔ちゃ悪いと思い、そのままゆっくりと後ろ姿を拝見しながら、駅に向かって歩いていたのですね。

そこで歩きながらの渚ちゃんの一言。「すご〜い偶然!もし少しでもドアを開けるのが早かったり、遅かったりしたら気付かなかったよね〜。」という言葉に、そうだこれは天の啓示に違いない、ここでご挨拶しなくちゃ、一生後悔するわいと思い直し、渚ちゃんに「やっぱり私ちょっとご挨拶してくるね。」と重いスーツケースをごろごろとすごーい騒音をたてながら、宮崎さんを追いかけたのでした。(横を見ると、しっかり渚ちゃんもついてきておりましたね ^_^。) 途中でそのあまりの音の五月蝿さに宮崎さんが振り向き、私たちのかっこを見て、音の原因を確認してほっとされたのか、また前を向き直して歩いておられました。すみません。うるさくてびっくりされたことでしょう。

追いついた宮崎さんの横に並びながら歩き、息をきらせながら、突然呼び立てたことのお詫びをまず言い、10年ほど前に取材をしたことがあること、そのお礼を一言いいたかったこと、アメリカで宮崎さんの作品をこれからも楽しみにしています、と慌ただしくご挨拶をしたら、声をかけた瞬間は何事かと言わんばかりの驚きの顔をしていた宮崎さんが、にこっと例の笑顔で一言「お忙しそうですね。がんばってください。」と言ってくれました。(渚ちゃんが後で、宮崎さんてあんな風に優しく笑うんですね、とも言ってくれたので、笑顔で対応してくれたのは確かよ〜。とよいふうに勝手に解釈しています。)

本当になんという偶然。こういうこともあるんですねというお話しでした。

実はこれには続きがあって、チコに帰ってきて友達 (ジャズピアニストのしげみさん)にご挨拶の電話を入れたら、「雅美さ〜ん、今週末ポニョを見に行くんだけど、行きます?」というお誘い。ということで、今日ポニョを見てきました。ディズニーの配給という肝いりで、吹き替えも豪華だったけど、吹き替えのポニョの歌が少しラップになっていたのは、やはりアメリカだからでしょうか。(それはそれでおもしろかったけど、やはり日本語版をみてみたいです。)Rotten Tomatoesの批評も90%と高かったですね。でもきっと賛否の意見は二つにわかれると思う。批評文も多少なりともポジティブな意見が90%という意味で、「千と、、、」の時とはこのポジティブ感が違うというのは正直あります。ちなみにこれを最後と決めていたらしい宮崎さん、実は日本での興行売り上げが「ハウスの動く城」に届かなかったことを知り、次回を考えているそうです。しばらくはまだ宮崎さんの作品を見れそうです(^_^)。

2009年7月25日土曜日

美内さんとシモベ達(アマミーナ少女マンガ部会)


終わった〜。アマミーナプロジェクト最後のイベント、クロージングトークとも言える美内すずえさんのトーク「美内すずえ&島んちゅ」と題してが、今日奄美文化センターで開催(1−2時)。昨日一日奄美のユタ神様が降りてくる湯湾岳(宇検村側から)そして瀬戸内町加計呂麻(カケロマ)島を巡り、母の実家のある芝で一泊。早朝市内に帰ってくるという強行軍。それでも前から行きたいとおっしゃっていたカケロマをさっとでも回れてよかった。カケロマは神高い島でもある。

何はともあれ、トークも盛況の内に終わり、もちろん少女マンガ部会で美内さん歓迎の宴を「ほこらしゃ」にて開催。この写真はその最後に皆でぱちりの場面。美内さんを囲んでメンバーの幸せそうな顔、顔、顔。(プロジェクト報告は Visualpopculture Blog 内の項目「アマミーナ」でしますね。このブログTokuToku Journeyではその裏のお話し ^_^)

明日の朝早く、美内さんを空港までお送りし、展示会の撤収作業に入る。奄美でのイベント、アマミーナプロジェクトはこれでオシマイ。(とはいうものの、私は東京国際交流基金東京本部ギャラリーにて再び「4コママンガ展示会」を立ち上げる作業が待っている >_<,,, 私の夏はまだ終わらない。)


2009年7月23日木曜日

いきゅんなかな:奄美より旅立つ人へ贈る言葉:

皆既日食も無事(?)終了。アマミーナプロジェクトも19日の日を過ぎたところで峠を越え、残すところあと三日。お出でいただいたゲストも一人また一人と離島されていく。

昨日22日は空路で萩尾望都さん、岡野玲子さん&手塚真さんご夫婦。船では和太鼓倭のメンバーとその家族、そしてマンガ部会の方々が奄美を離れた。今日23日の夜は、土佐琵琶の黒田月水さん、そしてサプライズゲストの夢枕獏さんが島を離れていってしまった。船でのさよならは、より切ない気持ちになるのはなぜだろう。

それでは贈る言葉ならぬ唄を一つ。島を離れる皆さんへ、島唄「いきゅんなかな」を築地俊造さんの唄で贈りまーす。「いきゅんなかな〜わきゃくうとう忘りてぃいきゅんなかな〜(行ってしまうのですか。私の愛しい人よ。私のことを忘れてあなたはいってしまうのですか〜)」と切なく唄います。築地さんの美しい高温がまたたまらなく切ないです。ちなみに築地さんはちょうど30年前1979年の日本民謡大会の優勝者。この方の哀調を帯びた高温の声に惚れ込んでいる人が多いそう。こんな別れの島唄を築地さんの声で聞くとそれがとてもよーくわかります。(これまた余談ですが、間の手を入れる息子さんの声がまた素晴らしい。築地さんご自身でもいっておられましたが、島唄の後継者が良く育っているとのこと。奄美の島唄の未来はどうやら明るいようです。よかったよかった。)

どうか島のことを忘れずに、また帰って来てくださいな。「面影立つ時、また帰って来てください。」と「いきゅんなかな」の中でも唄っているように。



もちろん帰る人もいれば、来る人も。今日はアマミーナプロジェクト最後のゲスト、美内すずえさんが来島。25日に島んちゅとの対談という形で素晴らしいトークが予定されています。最後のチャンスです。皆さん来てね。

(おまけ)バクさーん!最後に波の上丸上から糸を垂れ、9匹の奄美魚(一匹の東京魚含?)の大漁。「とうとうつれましたね」の大合唱にバクさんの声が聞こえてきそう。「もちろん一匹残らず海に離して帰りますよ。」と(笑)四国でも釣れますように。奄美より。

2009年7月22日水曜日

2009年7月22日奄美にて皆既日食雲厚し



雷ごろごろの音が遠くから聞こえる。今夜から雨になるのだろう。と、書いている矢先から大きな雷鳴とともにざっーという音が聞こえて来た。

今日7月22日は本当にドラスティックな一日。日本で46年振りに見られるという皆既日食が、なんと奄美大島、奄美市(旧名瀬市)以北を含むエリアで観測されることになっていたはず。梅雨明け後の奄美は、ここんとこずっーとお天気続きで、今日くっきりと黒い太陽とダイヤモンドリングが見られることを疑う人は誰もいなかったのに、この肝心要の日に、まさかまさか薄い雲が奄美の空全体を覆うようになるなんて、、、

この皆既日食(7/22)をアマミーナのプロジェクト(7/12~7/26/09)の一つとして、和太鼓倭(やまと)の演奏で盛り上げながら地域の人たちと見るというのが今日の目玉。

そういえば今日あの霊感あらたかな岡野玲子さん(マンガ「陰陽師」の作者)が鶏飯(けいはん)を食べながら言っていました。「太鼓はもともと雲を呼び、雨を呼ぶ物なのよ〜。でもね雲を払うともいうから、大丈夫だと思っていたの。*倭の太鼓はその使い分けができる力を持っていると思ったから、、、」と。

*7/19の演奏を見られた岡野さんは彼らの演奏に感動してそう思われたそう。そういえば、今日の倭の皆既日食パフーマンスの太鼓には大きな雷模様が。あれを見た時、ちょっとよぎるものがあったけど、まさかあの演奏は雨乞いのパフォーマンスだったの(?笑)

ということで、まずはビデオにてその時、有良(アッタ)の集落で和太鼓倭(やまと)のパフォーマンスに盛り上がった中で見た奄美での皆既日食の様子をここに紹介。(ちなみにこれはモノクロではありません。ちゃんとカラーで撮っていまーす。)

それではそれでは、詳細についてはアマミーナプロジェクトの様子とともに、また後ほど。


2009年7月10日金曜日

ネリヤカナヤ10周年公演:アシビにて(6/27/09)


島出身のネリヤカナヤ(奄美の伝承の海の向こうにある天国)というグループがいる。2002年にカリフォルニアは我が街チコで、奄美大島展示会「Voices from a Minority Culture in Amami Ohshima(紬展示会、奄美の歴史&自然写真展、浮世絵に見る着物展)」をやった時、招待した舞踊グループ「東京伊是名の会」が使っていた音楽を唄っていたのが、彼ら。それ以来のファンだったのだけど、なんと男性ボーカリスト平田君がアマミーナプロジェクトの太鼓部会の顧問を引き受けてくださった西平さん(西平酒造)の義理の弟さんとのこと。世間は狭いというけれど、奄美は特に狭い(笑)。

今回結成10周年記念公演を奄美の音楽喫茶「アシビ」でやることに。その情報を聞きつけ家族で聞きにいってきました。たくさんの人で一杯。アシビの中だけ違う空間が広がっていました。

あっそうそう多くの黒糖焼酎が皆既日食記念ボトルを発売していますが、奄美の老舗西平酒造でも皆既日食記念ボトル「加那(かな:愛しい人という意)」を出しています。こだわりのボトルでラベルがなんと大島紬の泥染と同じ、泥染で作られた特別版です。味はもちろん、視覚的にも美しい一品です。次に奄美で皆既日食が見られるのは300年毎も言われています。この機会にぜひにどうぞ。


2009年7月5日日曜日

坪山豊さんもう一曲:よいすら節





さてさて坪山豊さんには何曲が披露していただきましたが、これが最初の曲。前回のワイド節の途中で予想外の展開になってしまってワハハ状態でしたので、ここでは坪山さんの一曲をじっくりと聞いてみましょう。「よいすら節」です。

2009年7月4日土曜日

アマミーナイベント:唄者「坪山豊」祝い唄


アマミーナプロジェクトの4つのイベントの内の最初、岩崎透氏(三菱東山農場代表)の奄美講演(6月25日)には奄美本島市町村の重鎮が多く参加してくださり、岩崎さんのブラジル東山農場の話しに皆耳を傾けくださいました。また有り難いことに、この講演を盛り上げてくださるために、奄美を代表する島唄の唄者「坪山豊」さんがアマミーナの顧問、松田秀樹さんとのご縁で賛助出演をしてくださいました。祝い唄を何曲が披露。そこに7/19(日)の公演の下見のために奄美に来島してくれた、和太鼓倭(やまと)のリーダー、小川さんと元(げん)さんの二人も飛び込みでコラボを披露。小川さんは初めて手にする奄美のちぢん(太鼓)を道具につ坪山さんの「ワイド節」にあわせて即興の演奏です(^_^)。

そこに、、、なんとなんと、、、何が起こったか知りたい人は、このビデオをぜひクリックしてその様子を見てください。私はびっくりしてひっくりかえりそうになりましたよ。まさか、、、わははです。

2009年7月2日木曜日

アマミーナTシャツ少女マンガ版:キュートな女性用もできるかも


早速昨日デザイナーの盛岡史郎君に頼んで女性用Tシャツのイメージを作ってもらいました。ボランティアというのに忙しい中、さっさかやってくれました。さすがです。これはピンクの下地のイメージですが、この他さらに白地もいいなあと考えています。どうでしょう。これら女性版Tシャツができるかどうかは興味がある人(つまり注文数です)が多いかどうかにかかってますので、皆さんよろしくです。もうすぐ他のグッズ同様アマミーナサイトで詳細を紹介しますね。

アマミーナ少女マンガT−シャツ紹介その一:男女兼用版




アマミーナプロジェクト少女マンガ版のTシャツ案です。三人の作家さんよりアマミーナポスター(少女マンガ版)からデザインを使用しての作成の快諾をいただき、限定版での販売ということになりました。最初は女性用T−シャツのみでの作成を考えておりましたが、いろいろ意見を聞いたところ、男性群でも欲しいという方が結構いらっしゃったので、やはり男女兼用T−シャツ(ユニセックス:SMLサイズ)、¥2,800円で販売決定。(100枚の限定販売です!)

このT−シャツ用デザインはオリジナルの少女マンガ版ポスター(デザイナー:Max Inhelder)の中心部分のデザインを加工する形で、私の高校時代の友人、盛岡史郎君にただ働きで作ってもらいました。予算がないので、無理をいってお願いしました。グットデザインでとっても気にいっています(^_^)。

売り上げが出たら、君にもデザイン料をお支払いします〜と言いたいところだけれど、売り上げが出ても、きっと展示会準備費用に回してみんな消えてしまうと思うので、とりあえず、デザイン料はこのT−シャツ一枚に図録ということで今回は許してね。持つべきは友、本当に感謝です。Thanks!!!

もし評判が良いようだったら、左記のような女性用T−シャツ(参考イメージ)でも、なんと白とピンクの2色での作成も考えています。こんな形のT−シャツに同デザインが乗っかります。

T−シャツが売れてくれると、展示会の赤字が少しはカバーできると思うので、皆様どうかご注文ください。奄美皆既日食展示会限定でーす。興味のある方は、徳までご一報を(mtoku@csuchico.edu)。

詳細が決まり次第、アマミーナホームページの「関連商品」のところで、ご紹介します。その他のグッズ(例えば下記でもご紹介した大島紡ぎ泥染「アマミーナ&倭」T−シャツ、4コマ展示会図録やアマミーナポスター英語版、皆既日食限定版「黒糖焼酎」などなど)もここでご紹介しますよ。乞うご期待。


奄美大島泥染皆既日食祝いT−シャツ

今日アマミーナ実行委員会メンバーで和太鼓部会の野崎さんの作る泥染T−シャツの作成行程を見学してきた。アマミーナプロジェクトのメンバーのために、特別T−シャツを作ってくれていて、私も欲しいと追加注文をしたら、その後すぐに「徳さん、せっかくなので、実際にどのような感じで作られているか、見学に来てみませんか?」の電話が野崎さんからあった。「行く行く〜」と即答して、30分後に車で迎えにきてもらい、早速その泥田を見学しにいった。

一言「よかった〜」。大島紬行程のたいへんさと複雑さは聞いていたし、またその様子を見学させてもらったことはあったけれど、同じ行程でのT−シャツ作成を見させてもらうのは初めて。いや〜参りました。全く同じように手間ひまをかけて作られているのですね。

*写真は野崎さんのご両親とアマミーナプロジェクトのために特別に作ってもらった和太鼓倭(やまと)バージョン皆既日食デザインTシャツ。最終的にこの皆既日食デザインの中心に「倭(やまと)」の文字が入ります。右の赤のハートマークが入ったTシャツは子供用のみの特別デザインだそう。そして大人と同じ行程で手間ひまかけて作られていますが、特別に子供サイズということで、2千円でわけてくださるとのこと。

黒に見えますが、実は黒に限りなく近い焦げ茶です。ティーチ木(車輪梅:しゃりんばい)を煮出した液で20回そして奄美特有の鉄分を多く含んだ泥田で染め上げるという行程を2回繰り替えるとこういう色になります。(つまり40回以上の染の行程)ちなみにこのTシャツは通常6千円のところを4千円という安値で特別に作ってもらいました。ラッキー!

野崎奄美大島泥染店では泥染体験ツアーを最初に始めたお店の一つだそう。約2時間(〜5時間)の体験+Tシャツ一枚で2,500円!(上の小さい写真の一つはその泥染体験で作られたTシャツとのこと。そして絹のショールも泥染体験で自分用オリジナルを作ることができるそうです。さすがに絹のショールは木綿のTシャツ体験より、少々高めですが、それでも4千円でっマイデザインショールが作れるそうです。)