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2012年2月28日火曜日

NAEA学会ニューヨークへ出発前夜:One day before leaving for NAEA conference New York

昨年予定外の出来事でキャンセルしたシアトルでの米国美術教育(NAEA)学会から、あっという間に1年。いつものようにルーチンワークの授業の合間に、発表の準備や留守の間の取り次ぎ対応に慌ただしく数日を過ごし、とうとう明日の朝にはニューヨークへ向けて出発。

今年はニューヨークとあって、例年以上に多い参加者が。約6千人の美術教育関係者が米国内外から集まる。私も久々にブレントと共同で発表することにしている。それに昨年夏インシアで発表したメンバーでもシンポジウムを組む。楽しみ。

も一つ楽しみなことが。学会の後、ブルックリンに住む美香ちゃんちに2泊することになっている。彼女はシカゴの美術学院時代の同級生。一回り年しただけど、なぜか縁が続いている数少ない学生時代の友人。昨年ママになった。海のお古を携えて、そのママぶりを見に行ってこよう(^_^)。

2012年2月25日土曜日

JINを見て思う事:Thinking from a TV drama, "JIN"

この数週間土曜日のTVが楽しみ。今民放(この表現古いかも ^_^) TBS開局60周年記念作品「JIN-仁-」を見ている。去年不評だったNHKの大河「江(ごう)」より、よっぽど大河らしいと評判の作品だったらしい。とにかく遅ればせながらこれがおもしろい。

今見ているのは「完結編」とかで二シーズン目全11作品。命題は「ライムスリップして過去に関与してしまった場合、史実を変えてしまうかどうか?」というやつ。通常なら答えは「そうだ。だから関与してはいけない。」となるんだろうけど、、、このドラマ(漫画が原作)はもう一歩踏み込んでいて、タイプスリップするということ自体が「過去に関与しその過去を変える使命を与えられているのではないか。」というもの。そして「もしその行為が過去において一時的に変化を与えることになるとしても、最終結果的には未来において史実を変える事にはならない(つまり変わらない?)」ということを示唆している。こう文章にしてみるふーんてくらいだけど、これが噂通り本当におもしろい。毎回毎回いろいろ考えさせられる。

今日はその中の6作品め。今日見ていて思ったのは、人間も含めて生物の生存目的が(DNA)を残すためというのは常識になっているけど、実際は「種」のためというよりもっと利己的で「自分自身だけのDNA=血」をつなげることのみが目的なんだなあと再認識した事。頭では理解しているつもりだったけど、感覚的にちゃんとわかっていなかったことが逆にわかった。それを改めて実感。15年くらい前に日本語訳でもヒットしたリチャードドーキンスの本「利己的な遺伝子」をこのTVドラマで、やっと感覚的に同感。TVドラマをみながら「そうなんだよ。やっぱり人間としての種を残したいというような高尚なものでなくて、自分だけの血を永遠につなげたいということなんだ。結局のところ、、、」ちょっと感激した。

2012年2月24日金曜日

インタビュー終わって日が暮れて:After the inteview ...

今日は朝3時半起きだった。さすがに全て終了した時にはぐったり〜。それもインタビュー(面接)がうまく言ったとは正直思えなかったからなおさら。う〜涙。今回の面接をちょっと甘くみていたとかなり反省。

最終審査の連絡をもらい、その後私が1年間留守にする間の費用の金額を含めて、その場合の許可願いの手紙がうちのキャンパス(チコ校)のProvostにもいっていた(*学長のしたに責任部門ごとに5人くらい副学長Vice Prisidentがいるがそれを束ねるつまり副学長のトップ)。その時点ですでに私は選ばれていて、今回の面接はそのご挨拶のようのものだとすっかり思い込んでいた。

それがである。最初はよかった。面接は二種類にわかれていて、最初は日本語レベルチェックの確認で、日本語の先生との会話が20分程。もちろんネイティブの私にはなんの問題もなく、楽しく話せた。その後がよくなかった。次に通された面接室には、円卓テーブルを囲んで7人のコミッティーメンバーが私を待ち構えていた。もちろん満面の笑顔でフレンドリー。面接の質問は大きくわけて二通り。最初の質問は「ディレクターに申請した理由をまず3つあげよ。」から始まるこの仕事に対するモチベーションに関する質問を7人それぞれが1〜2の質問を。これらはまあまあ。

最初の大きなテーマ質問が1巡したあと、次の大きな質問群は、実際に何か問題が起こった場合の対処方法や日本の大学(留学先である早稲田)のアカデミック環境についてのけっこう具体的な質問をそれぞれがしてきた。これにはちょっとお手上げ。正直この仕事のスタートが来年度2013年度9月からなので、あと1年半もある。最終連絡が来てからゆっくりと勉強すればよいと思っていた私は、ディレクターシップの書類(200頁近い)にもざっと目を通しただけで、ちゃんと読んでいなかった。あ〜あ反省することしきり。

まず日本のエスニックやアカデミック環境についての質問「What about the issues of disability and sexual oriantation in Japan?(ハンデキャップやゲイやレスビアンに対して日本社会は、、、?」。そして「早稲田大学の留学プログラムのコース内容についてどう思うか?」なんて知らなかった(こんな具体的なことは書類も書かれてなかったよ〜)。それに問題対処に関する質問「What do you addoress if one of our students ....?」から始まる「もしうちの学生が飲酒で誰かを傷つけ留置所に入れたら?」とか「もし不慮の事故でけがをして急遽アメリカに帰国する必要が出た場合の対処方法は?」なんて、これは正直お手上げで、、、常識的はことを言うのみで、具体的な対処方法については、全く答えられなかった。どうにかうまく答えられたと思ったのはひとつのみ「この経験を踏まえて、将来どのように生かしたいか?」というものくらい。

最後に私に何か聞きたいことは?という問いかけに私自身も二つほど質問をした。一つは「日本在住のディレクターはひとつコースを教えることになっているが、そのコースは自分で選べる/作れるのか?それとも早稲田大学の方から指定されるのかどうか?」というもの。これは妥当な質問だったらしく、この後のCSU全体のインターナショナルプログラムのディレクターと会うことになっているので、それを直接聞いてみるのがよいと思うと回答された。でも次の質問がよくなかったかも。実際の給料の他にaccomodatioan(住居費)は支給されるのでしょうか?というもの。回答は赴任地や赴任大学によっても異なるだろうが、この仕事は大学教員の通常の仕事契約期間の10ヶ月(夏休みの二ヶ月が含まれない)から12ヶ月契約(夏休みの二ヶ月も仕事期間として追加)に変わるので、その分の二ヶ月分の給料アップと赴任手当がさらに10%加算されるので、全体で25%アップ。そこから対処すると考えていた方がよいとの回答に、おもわず「現在の円高と東京に住むというのは想像以上に高額になるので、それを考慮していただけるとありがたい。」と続けて質問してしまった。これがよくなかったかも。これはコミッティメンバーにする質問ではなかった。後悔先にたたず(彼ら自身も大学教員であり元各国のディレクター経験者というだけで、それぞれの国事情については知らないはず)。

45分ほどのこの面接が終了した時にはぐったりそして沈没気分。その後総合ディレクターとの最終の面接。これは本当にご挨拶程度で5分もなかったと思う。私に対して何か質問は?と微笑んできたディレクターに先の面接での二つの質問に加えて、もしディレクターに選ばれたら息子も数ヶ月日本につれていきたいと思っているので、その際の留学先の可能性について質問をした。

全ての面接が終了したのが12時過ぎ。全体で1時間半ほどか。シャトルカーのピックアップを3:45にしていた私は余った時間を近くのレストランで食事をしたり、持参していたラップトップで時間をつぶしすことに(時間が足りないのも問題だけど、知らない土地で余り過ぎるというのもこれまた所在なく退屈)。5/1までに結果が知らされるとのこと。だけど、、、まず今回はないと思う。そんな甘いものではないだろう。気持ちを切り替えて、今回はよい勉強をさせてもらったと思い、次にはちゃんと備えられるように面接の質問に対する準備を怠らないようにしておこう!今回程早くうちに帰りたいと思った事はなかった。

カリフォルニア州立大学ヘッドオフィスにて:From CSU Chensellor's Office in Long Beach, CA

実は今ロングビーチのカリフォルニア州立大学ヘッドオフィスから、これを書いている。朝3時半起き。チコ空港早朝5時20分発のサンフランシスコ行きで飛び。そこで乗り換えてロスアンジェルスへ。そしてシャトルカーで10時前に着いた。

何のため?これまた実はである。昨年11月公募のあった日本在住のインターナショナルレジデントディレクターなるものに申請していた。これは我がチコキャンパスだけでなく、カリフォルニア州立大学(23校)全体の学生が対象の留学プログラム。その数ある国の中でも主な国(日本、中国、スペイン、ドイツ、フランス、等々)には在住のディレクターをおくことにしているらしい。1年間の在任期間で毎年新規でカリフォルニア州立大学に勤める教員を対象に公募。各キャンパスからの応募が集まる。それの最終メンバーに選ばれたとのこと。そしてインタビューの日程の連絡が入ったのが2月の初め。ということでそのインタビューを受けるためにここに来ている。10:40分の予定よりかなり早く10時前に着いてしまったので、ロビーでメールを確認。それでも時間が余ったので、こうしてブログを書いている次第。

ちなみにこのディレクターに選ばれれば、少なくとも来年2013年8月から翌年6月一杯日本に滞在することになる。日本のオフィスは交換留学システムを構築している早稲田大学にあるとのこと。さてどうなるでしょう。結果は5/1までに届くらしい。

おっと10時半。そろそろインタビュールームに移動かな。

2012年2月22日水曜日

海の身長が伸びた理由:The reason why Theo's hight was grown up!

1週間病院で寝ている間に、海の身長が伸びたような気がする。立ち上がった時私との目線がほぼ同じくらいになりつつある。私の身長が約160センチ弱なので、私の身長を超すのももう少しかな。

海は割といやとても小柄な男の子で、本人も(口には出さないけど)気にしている。特に周りの男の子達(もちアメリカ人)が中坊にもなるとこの数年でぐ〜んとのびていて、それと比較するとすっかり前から一番目あたり。ジョンに言わせるとパーセンタイルで5%だったとか(百人いる中で前から5番目ということ)。それが今は35パーセンタイル(百人中35番目くらい)に挽回中。

うちの家系は私も同世代の日本人女性と比べて平均より上だし、うちの弟たちときたら二人とも結構でかい。下の弟なんて180以上ある。その彼らの子どもたち(海と同世代)ときたら、男の子も女の子も見事なくらいすっーと身長が高く、日本人としてはうらやましいくらいかっこいい体型をしている。

その従兄弟である海はハーフなのに、今頃の日本人のこどもと比べても小さい。それが、ちょっと寝ている間にである。そういえば、母から聞いた話では、うちの父もとても小柄でいつも一番前で朝礼では「腰に手をあてて前習いだった^_^」と冗談めかしてうれしそうに話していた。それが中学(旧制)に入る前後に何か大病をしてひと月ほど入院していたら、すっかり大きくなって同世代でもまあまあ以上の身長になっていたといってたっけ。海もそのくちかもしれない。

(ちなみにうちのジョンは170センチないので、アメリカ人としてはかなり小柄だと思う。もし海がこのまま小柄だとしたらたぶんジョンの家系だと思う。それはそれで良いと思うけど、それをいうとジョンに「君だってかなり小柄だよ〜」とちょっとむきになって言われる。そうなの。ジャイアンの国アメリカに住むと私もかなり小柄の部類。でもそれ以上に大小さまざまで、ここは私よりずっと小柄な人も結構いる。アメリカって本当にいろいろ。)

2012年2月20日月曜日

7日目にて海の退院&学校への手紙:Out of Enloe on the 7th day

2/14(火)に入院してからちょうど1週間目の2/20(月)。全てのテスト結果はまだ出揃っていないが、だいたいのところ病名決定という事で、退院の許可が出た。予想通り「クローン病(もしくは類似の病気)」という診断結果。今後は薬と一緒の共存生活へ。まずは3種類の薬を毎日。3ヶ月様子を見て、その後の対応を再度決定ということに。そして定期的にこの病気に伴う症状に関する先生方とアポを取ることに。さっそく明日火曜日にも足のチェックにドロリー先生とアポをとることに(私も授業の間の休みに一緒に行ってこよう)。

1週間の入院生活だったけど、先週の金曜と今日月曜は祝日の「プレジデントの日」。結果的には火水木の三日間のお休みで済んだ。よかった。

それでもその2週間程前から体調を悪くして何度かお休みや病院通いで早引けをしているので、授業に遅れているのは明らか。事情のわからない先生方への連絡のため、結果が出た所でメールでお知らせをすることにした。日本と違って、中高校は担任不在で中心になるクラスというのが存在しない。全ての連絡はオフィス(窓口)が連絡係となる。ちょっとさびしい。こういうところは、日本の学校システムの方が「クラス」という拠り所がある分、なにかとまとまりがあるしよいなと思った。(以下はその先生宛へのメッセージ。)

....................
Dear Theo's teachers, Mr. Bishop, Mr. Hobbs, Mr. Marshall, Ms., Salado, Ms. Smith, and Ms. Thayer:

This is Masami Toku, Theo's mother.
Thank you so much for understanding his health problem and responding to his E-mail below about ten days ago.

I'd like to share his problem with you. He has been suffering unknown pains and nausea for one and a half years and no doctors could find out the reason. The best explanation we had was "growing pains." About two weeks ago, his ankle and knee were badly swollen and he could not walk by himself anymore.

Because of the severity of his symptoms, he was finally admitted to Enloe hospital for care and testing. After one week stay in Enloe (2/14-2/20), the diagnosis was narrowed to Crohn's disease or a similar disease. Unfortunately, there is no cure, but fortunately with proper medical care he will be back to almost normal life.

We are so happy that he will go back to school this week; however, he often misses classes to see doctors. Especially, he will not be able to participate in PE for a while.

We hope that you can understand his problem and can give him extra days to catch up any assignments that he missed and might miss in the near future. We will also encourage Theo to continue to work on his studies in all subject areas.

Again thank you so much for your understanding in this matter.
Please feel free to contact us if you need to know any further information in this matter.

Masami Toku
Theo's mother

2012年2月19日日曜日

入院6日目の海:The 6th day in Enloe Hospital

今日(2/19日)もまたタン先生が再診に。昨日は海と私二人が話を聞いたので、ジョンに電話をかけ、直接先生と話してもらうことにした。(今までも小児科を始め、骨、内科の先生などなどたくさんの先生が多岐に渡る検査をして、説明をしてくれたけど、個人的には今回の中国系のタン先生の説明がクリアで良くわかった。海の症状と検査結果から可能性のある病名をいくつかあげ、その中からとクローン病と判断する理由を明確に示してくれた。「It is still not 100% sure, but more likely ...」とのこと。)

今日現在いくつかのテスト結果がまだ。それが明日(2/20)には確認できるとのこと。それ次第で明日、遅くとも火曜(2/21)には家に帰れるだろうとの事。約1週間に及ぶ予定外の海の入院に私たちもちょっとストレス気味。今日やっと帰宅の日程を示してもらって、私はほっ。海の原因不明の症状が出てから1年半に及ぶ?の後、やっとというのが本音。(昨日はやっぱり原因不明の症状に苦しんだけいさんがお見舞いに来てくれて、お互い「おかしいと思ったらあきらめないで、原因がわかるまで先生を捜し続けることは大切だよね。」と結論。本当だよね。)

海はこれまた自分の友人達のうちお見舞いに来てくれたのが一人だけで、ちょっと不満。携帯をチェックしながら「今日もメッセージがない。」とつぶやいていた。というわけでもないだろうけど、海は病院で「王子様」状態だったのもあって、月曜には帰れるかもとのお知らせにそれほど感激はしてない様子。(日本と違って学級や学級担任がいないからみんな心配はしているけど、たぶん入院のこと知らないんだと母は思うよ。早く元気になって学校にもどろう。それが一番。)

追記:夜8時過ぎに淳代さん夫婦がアンディ君と一緒に来てくれた。心なしか海の不満(不安?)がちょっと解消?(^_^)。

海の最終診断「クローン病」の可能性:Possibly "Crohn's Disease"

昨日2/18(土)に「GI(gastroenterology(消化器学)」のDr.Tanが海の病室を訪問。今までの検査結果からして「クローン病:Crohn's disease)である可能性が高いとのこと。この病気の症状として、腹痛、下痢、吐き気、発熱が継続的にあり、また関節等ジョイントの痛みを伴うことも多く倦怠感あり(食欲不振から当然体重減)。それを聞くと確かに海の症状と一致。遺伝的要素が強いとか、西欧先進国に多いことから食生活が関与などと説はいろいろあるが、基本的には確固たる原因は不明。完全治癒は今のところなし。ちょっとショックな宣言(これを当の本人海の前で話すところがアメリカ。これが日本ならまずは親に話して子供には話さないのが普通だと思うのだけど)。

でもグットニュース イズ 、、、と先生が続けるには、完全治癒の対処はまだ見つかってないが、現在の症状を和らげる治療法は薬物投与を中心にたくさんあって、海の症状にあわせて薬物治療を続けることにより通常の生活を送れるとのこと。

昨夜はそのまま、私が病院に泊まった。ベットの横においてある椅子を広げて一人分のベットに変身。思ったより寝心地は悪くなかったけど、予想通り枕が柔らかすぎて首が痛み、夜中に何度か目が覚めた。7/19朝7時前に最初の体温チェックの回診。朝日が病院の窓から上がるのを見ながらぼんやりそれを見ていた。海はそれが終わるとすぐまた眠りにぐーすか。私はそのまま昨日から読み始めた「まんがの社会学」というのに没頭(長年のつんどく状態からやっと解放。もう10年以上前の出版だけど、現在執筆の本のため頭を整理するのにすごく役立った。海のおかげで本を読む時間がとれた^_^。)

2012年2月17日金曜日

入院4日目の海:The 4th Day in Enloe Hospital

バレンタインの日(火)に入院したから2/17(金)の今日で4日目。昨夜病院からの帰り軽い夜食をと「Safeway」に立ち寄ったら、かわいい花束が。思わず買ってしまった。たぶんバレンタインの残りかも。あまりにピンクピンクの配色に、男の子の海には申し訳ないので、チョコを足した。これまたバレンタインの残りが明らか(海のためというより私のためかも笑)。


ジョンと交代のためお昼過ぎ病院に入った私に笑顔無し。今日は朝10時過ぎに内視鏡検査があったので、昨夜から何も食べてない。お腹すき過ぎが無口の理由。でもこれで大きな検査は一段落。血液検査ではあまりわからなかったことが、この内視鏡検査で海の体調不良の病名が絞られているとのこと。でも全ての結果が出るのはまだ少し先。やはり今週一杯は入院が続きそう。


お昼に流動食が出、しげみさん家族がお見舞いに持って来てくれたチョコを食べた海。心なしかちょっとほほが膨らんでもとの海にもどりつつある感じ。それにしても病院内でも各部屋ラップトップが無線でオッケー。おまけにプラズマTVがベットそれぞれに付いている。ちょっとしたホテルである。去年私が入院した時は、確か二人部屋だったけど、ちゃんと二台あった。私の場合、さすがにお腹を切って、食事もずっと流動食。3日間の入院中、病院や病室を観察する余裕は全くなかったけど、今回海のつきそいで結構な時間を病室で過ごしてみると、至れり尽くせりなのがわかる。そういえば、海を生んだ時、ここでなく、イリノイだったけど、その時も個室で、さらにソファーベットがついていて、付き添いもそこで泊まれるようになっていた。食事もいろいろ選択できて、ちょっとしたレストランだったのを思い出した。14年前のこと。

2012年2月16日木曜日

第二の本の表紙案にわくわく気分:My second book's front & back cover - YaHoo!


海のことといい人生には予想外のことがいろいろあるが、それでも仕事は待っていてくれない。容赦なく次から次へと。休んだらその分しわ寄せがくるので、自転車操業どうにかこなしているというのが正直なところ。たぶん私の同僚達も皆そうだと思う(そうであってほしいと願っている私かも ^_6)。

そんな山積の仕事の中でも、時々おっとうれしくなるような結果が出ることがある。これがそう。昨年に続き出版することになっている私の第二の本の表紙&裏表紙デザインのアイディアがだんだん形になり始めている。これはその最初のテストバージョン。前回に続き大学の同僚スタッフであるエレンにヘルプをお願いしてのデザイン。

この本は2005年に米国巡回として立ち上げ現在にまで続いている少女マンガパワー展の報告本のようなもの。昨年に続きKensall Hunt出版会社とタグ組んでの仕事。前回は向こうからぜひにと頼まれて書く事にした(ちょっと不遜偉そうでしょ。でも一般教養コースの教科書「芸術鑑賞教育」関連は顧客=学生の数が確保でき、必ず一定の数が売れるので出版社にとってはおいしい?)が、実はその時私の研究本を出してくれるならと条件をつけた結果がこれ。最初の「芸術鑑賞教育学」の執筆の約束をとりつけるまでの口約束で、これを守ってくれるかどうかは半信半疑だった。担当のフランクはそれをちゃんと守ってくれた。でもこんなにすぐにとは思ってなかったからちょっとあせっている私。原稿の最終締め切りが5月で8月出版予定だそう(完全に人ごと状態)。う〜とうめきににた声がどこからともなく〜(もち私自身の声)。デザインの出来にうれしさ半分原稿の締め切りを考えると涙半分。

でも最終的にはどうにかなると思う。この楽観性でアメリカ人生を乗り切っている私。

2012年2月15日水曜日

うちのちょっとしたとこ気に入った理由:Why did we choose this house?


ファミリールームの左側の壁、ダイニングテーブルの横は私のモダンアートのテリトリー専用に。そしてお気に入りのオリジナルアートを飾るようにした。セラミックの彫刻は同僚の陶芸の教授スーのアブストラクト作品。モレキュラ(分子構造)のような彼女の作品は理屈抜きに好き。これは昨年春の義援金集めのアートオークションで私自身がせりとったもの。その右の白い額装のプリント(版画)は数年前BFAの学生の卒業展示会の中の作品から購入したもの。この右に実は大きなスペースを残してある。ここにはMFAの版画が専門の学生で長年うちの学部でTAをやっていたメゴンの大きな作品を飾る予定。サイズのあう額縁がなかなか見つけきれずにひと月程前やっとリサイクルショップで見つけた。もともとの黄色の壁にマッチした同じ配色系統の作品がここに並べることになる。今からを想像して楽しみが募る。(*ここにあるダイニングセットも新年早々アンティークショップで安価で手に入れた1920年代もの。私たち的には超掘り出し物であるよ。)

そのダイニングの右側同じファミリールームの中心にガスストーブが。その後ろの壁には木彫りや張り子のマスクを飾ることにした。ちょうど栗材のアンティークの水屋箪笥の木目が床の竹のタイガー模様にマッチしたのでここに水屋を配置。お面類はその上さらにマントルピースの上に。最初はここに絵を飾る予定だったけれど、ちょうどスカイライト(天窓からの朝日)がちょうどこの壁に当たるので急遽変更することに。予定はあくまでも未定。実際に住んでみないとわからないものですね。今の時期朝の9時頃ちょうどこの壁に飾ることにした「弥勒菩薩」のお顔あたりに朝日があたり神々しい。思わず手を合わせてしまいます。ガスストーブの後ろマントルピース上のちょうど中間あたりにはジョンの父方の方の祖母(美術&音楽の元先生)のこれまた版画作品を飾ることにした。鮮やかな三原色の作品。

その右横写真はリビングから観音開きのステンドグラスドアからキッチンを通してそのファミリールームを覗いた様子。最後の2枚は玄関のガラスステンドグラス戸。そのひとつから外の景色を覗いた拡大写真。これらのステンドグラスドア(と内輪では呼んでいますが、たぶん真鍮枠の磨りガラス?)はこれまたお気に入り。この家が気に入った理由の一つ(^_^)。

うちの自慢のJ−ルーム&その他のちょっとしたとこ:A new J-Room & others


うれしいことに新しい我が家は全体的に前の家より広い。(もちろんそういうように探したのだけど、、、)そして何より4番目の部屋(Bed room: 寝室)「ゲストルーム」を確保することができた。これは長年の夢。これでゲスト(特にジョンのお母さんね)が来た時に私のオフィスや海の部屋を提供する必要がなくなる。ほっ。

(*アメリカでは「ベッドルーム:寝室」というとクローゼットがついた部屋のことをさす。個室になっていてもそこに服などをしまう戸でしきられたクローゼットスペースのない部屋は通常記載されないで、「エキストラルーム:スタジオとかオフィススペース」があると追記情報。ちなみにうちは「4B2B」と記載されていた。寝室が4つにバスルームが2つという意味。実際には、これにダイニングキッチン+リビング+ファミリールームがある。それに「Attached one space garage:家に隣接する車1台分スペースのガレージ」も。実際に見てみないと実際の部屋数はわからないのですね。必見ね。)

さて、そのゲストルームはこのJ−ルーム(日本部屋)。前のうちのリビングの中に枠で囲って作った4畳半の畳スペースがこのフロアリングの部屋の奥にすっぽり入った。畳の上にはおこたを(*15年以上前シカゴに住んでいた頃、最小限の機能のアウトデイトのものだけど、なけなしのお金で購入。今でも憶えている日系スーパーバーゲン価格$299。当時の¥だと4万くらい?高いよね。さすがに今でも捨てれない^_^)。ドアの開閉部分に1畳分の床スペースも残すことができたし、クローゼットスペースのドアをはずし、作り付けの棚をそのまま利用してちょうど2畳ほどの「床の間」スペースもできた。スペースがなくてずっと寝室にぎゅうぎゅうに置いておいたアンティークのケヤキの和箪笥もここにやっときちんと置くことができた。壁には香港で買って来た旧い町並みの絵柄のヤシの皮のコラージュ作品を。

そして何よりも私が気に入っているところ。窓には午前中、朝日に照らされた樹木と玄関先の柱が影絵のように映る。これを偶然見つけた時には感激した。予想外の偶然の自然のギフトに感謝。

検査は まだまだ!でもちょっと元気な海に一安心:Another very busy day about Kai's treatment

昨日(2/14)はそういえばバレンタインディーだったのだ。海のことで余裕無くすっかり失念。一日明けでまだいろいろな検査が予定されているけど、「まな板の鯉」状態なので、ここは病院におまかせ。ジョンは昨夜は海につきそいで病室で一夜の後、朝家に、そして午前中仕事に顔出しして午後から再び病院へ行く事に。私は今日は授業の無い日で家で待機することに。今日配達予定のプラズマTV(引っ越しをきっかけにようやく薄型に切り替えることにした私たち)を予定変更せず受け取ることにもした。その対応で私は家で朝の10時から缶詰状態。お昼すぎに到着したTVを箱のまま家に残し、ジョンと交代のため2時過ぎに病院へ。

病院での海はこの通り。膝はまだ腫れているものの、思ったより元気で、食欲は回復?食事制限はないとかでこれこの通り。入れ替わり検査に訪れる看護士さんらに優しくしてもらい、食事はチョイスができるまるでレストラン対応のよう。

私はその海の横に椅子に久しぶりに手にした本(最近めっきり仕事に関係のない限り出版物の本を手にすることがなくなったいた)、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら(岩崎夏海)」を片手に、すっかり読みいってしまった。(確かこの本は昨年の夏東京で、教育美術の目等さんからいただいたものだと記憶しているのですが、、、、^_6)。

夕方6時半過ぎにジョンと再び交代して私は家へ。そしてこのようにブログを更新しておりますよ。(ちょっと余裕が出て来た証拠ですね。検査結果がでるまで予断は許せませんが、とりあえず一安心。)


ハッピーバレンタインディ&海の入院:Happy Valentain's Day & Kai in Enloe Hospital

2/13(月)ジョンの主治医に先週金曜日のテストの結果確認の電話連絡と右足の膝が大きく腫れ上がっていることを伝える。今まで診てもらった先生にもいろいろ対処してもらったけれど、いまいち遅々として進まないその症状に少し不信感の私たち。セカンドオピニオンのつもりで診てもらったジョンの主治医のDr.リオンがすぐに折り返し電話をくれたのがうれしかった。海の予想外の膝の腫れにすぐに反応してくれ、他のいくつかの専門医にアポをとってくれる。

翌日火曜日(2/14: 1:45PM)には、骨の専門医で数週間前に診てもらったドロシー先生に再検査のアポ。前回は少し腫れただけの海の足首にも原因がわからずに靴の中に中敷きを入れて歩行を変えたり(どうも少し扁平足気味らしい)、少しストレッチの運動などを勧められた程度だったのが、今回さすがに大きく腫れ上がった海の膝に驚いたドクター(正常の足と比べて2倍くらいにぱんぱん >_<,,,)。膝にたまった水抜きで120ccも。それがまた時間がかかって部分麻酔をしてくれてはいたけれど痛みは結構、時々思わず悲鳴をあげる海。処理の後今日にも追加の精査検査を総合病院(Enloe Hospital)でとれるよう専門医と相談して連絡をするからと。授業の合間に来ていた私はその後すぐに再び大学へ。授業を終わりオフィスから家に電話をかけても留守。携帯にかけると今病院で専門医を待っているところとのこと。慌ててそのままちゃりんここぎこぎ病院へ、7時前に着。

骨の専門医ドロシーの他さらに二人の専門医(小児科と骨ジョイントの専門医)にそれぞれ足の痛みの始まった1年半前から今にいたるまでの歴史を説明。それぞれ30分以上かけて、それも先生方が丁寧に細かく状況や痛みの箇所やいきさつを確認しながらの対話だったので、今までと違ってかなり原因追及に本気なのがわかって正直うれしかった。そういう態度に今まで原因のわからない痛みにストレス(本人が一番だよね)の海もほっとしたんだと思う。一生懸命質問に答えていた。

結局私が病院に到着したのが7時前で先生方との問診が終了したのが10過ぎ。(私より1時間も前に海とジョンはすでに病院入り。)先生方の到着を待つ間にも海の食事やいろんな検査も入っていたのでそばにいた私たちも結構ぐったり。途中泊まりの準備のため帰っていたジョンと交代して私が家についたのが10時半過ぎ。冷たい月夜の中自転車こぎこぎ家路へと向かった私。でも気持ち的には正直私もちょっと一安心。これで本気で先生達も海の健康問題の原因追及に向かい合ってくれる。結果よければすべてよしになることを今度こそ祈ろうと思う。

明日はさらに続けて検査。今週一杯は入院検査になるのだろうか。明日海の学校へも行ってこなければ。

2012年2月12日日曜日

海の体調進捗状況その後の続き:Continued Kai's health's problem

2/6(月):海は金曜に続き、今日もお休みさせることに。海が調子が悪くなって1年半。海の主治医に診てもらっているが、原因がわからず対処もなかなか効いていない。ジョンと相談をして、別の医者にも診てもらった方がと相談していたが、これを機会に海の方もジョンの主治医に変え診てもらうことに。まずは海の主治医をも引き受けてもらえるかの電話連絡。メッセージを残し、連絡待ち。その日は返事をもらえず結局翌日2/7(火)にジョンが連絡を入れて2/10(金)にアポがとれ、いろいろ検査してもらうことに。

2/9(木):前々から予約をしていた海の水泳教室。(体調不良でスポーツから遠ざかっていた海のため水泳が良いと勧められていたこともあり、今月から週一回やってみることに。)急に体調が悪くなったので、キャンセルすべきかどうか迷っていたか、無事行けたようで、私が大学から帰って来た時。ちょっと疲れ気味だがちゃんと泳いできたと少しうれしそうに話す海に少しほっとする私。

2/10(金):朝9時過ぎ、私は月一の学部ミーティングへ。ジョンは主治医のところで海を診察検査へ。結果は来週早々とのこと。

2/11(土):海の左足くるぶしの腫れはひいたものの。同時に今度は右足の膝くるぶしが腫れ上がり、また歩けない状態に。どうなっているのだろう。胃腸の調子もあいかわらずよくない。夕方少しもどした。逆にそれがよかったのか、そのまま眠りに入ったみたい。来週月曜にはこちらから電話をして血液検査の結果を聞いてみよう。

2/12(日):2時同僚のテリサで軽トラ(ピックアップトラック)で引っ越しの手伝い(ガレージの残り)をしてもらう。感謝。

海の体調進捗状況その後:Kai's health's problem

1/28(土)の新学期スタート直前のお引っ越しを無事どうにかクリアー。それから新居での優雅な生活スタート。と言いたいところですが、それから毎日新旧の家を往復しながら少しずつ荷物運びこぶ毎日が続いている。

それと同時期。海の体調がまた良くない。足のあちこちが痛むらしく、特に左足のくるぶしが腫れ上がって、前以上に足をひきづるように歩くようになった。また病院通いの海。(足だけでなく、胃腸の調子も悪く食欲もあまりない。体重が減っているのが明らかにわかる。心配。いったい何が原因なのだろう。)

2/2(木):原因がわからず結局いろんな人たちのアドバイスもありカイロプラクテスに通うことにした海。ジョンと初診に。気分よく帰ってきた海をみてほっとした私たち。これから毎週1−2回(保険が利かず初診$90。2回目から$50とのこと)通って様子をみることにしようと三人で話し合った矢先。その夜11時過ぎ海の悲鳴で部屋から飛び出した私。足がその周りの筋肉が引きつるように痛くて足を持ち上げてベットに横になることもできない海。慌てて寝ているジョンを起こすけれど、何もできない私たち。救急で病院に電話をかけるもののすぐに見てもらえるかわからないとオペレーター。結局痛み止めの薬でどうにか眠りにつくことができた海。明日主治医に連絡をとることにして私たちも眠りについた。

2/3(金):数週間前、主治医の紹介で海の足を見てもらった先生とアポをとることに。早くても来週の火曜日にしか見れないとのこと。続けて昨日のカイロプラクテスの先生に海の体調の変化の連絡と何かアドバイスがあるかの連絡を。治療の後筋肉が痛むことがあるが(あんまのもみかえしを言われるものと同じ?)、そういった痛みや足が腫れることはきいたことがないとのこと。氷で冷やして様子を見るようにとのアドバイス(これは言われるまでもなくやっていたけど、、、)。

2/4(土):引っ越しの1週間後2/4(土)にお手伝いをしてもらった淳代さん&しげみさんファミリーに家族へのお礼を込めての引っ越し祝い夕食会を計画していたけど、、、海の調子も今一ということと、たまたま淳代さん一家が日曜の方が都合が良いということで日曜に延期。ちょうどよかった。

2/5(日):海の調子はいまいちだけど、やっぱり人が集まるのはうれしい。三家族の小さな集まりでしたが、引っ越しの大変なお手伝いのお礼のささやかな夕食会。今日はアメフトのアメリカ一を決める決勝の日だとかで、マイケルでうちでもTVの前で盛り上がっていました。アメリカ人でも普通でないジョンとカナダ人のトーマスは全く興味なし。