Masami Toku on Flickr

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2009年12月29日火曜日

War Relocation Project:日系キャンプ記念館にて (12/29/09)

クリスマス明けの12/27(日)からまた長いロングドライブの旅の始まり。ジョンの弟デリックが長いシングル生活にやっと見切りをつけて結婚することに、そしてサンディエゴで式をあげることに。ジョンのたった一人の弟ですもの、よっしゃと急遽チコから南下すること約千キロのロングロードに出る事にしたのだ。とはいうものの、ジョンのこと真っすぐサンディエゴ入りなんてもったいないと、夏にはとても暑くて入れないということで冬のデスバレー国立公園へ立ち寄ることにした。朝9時45分にチコを出て約9時間、デスバレーの入り口の街ローンパイン(Lone Pine)の宿に着いたのはすでに日もトッブリと暮れた6時半。ここで3泊の宿をとることに。

翌日28 日は一日かけてデスバレーの名所を回り、29日の今日、午前中は前々から行きたかった第二次世界大戦、もう一つの戦争の歴史でもある日系人強制収容所のひとつ、マンザナー強制収容所跡地(歴史博物館)へ。私たち日本人がほとんど知らない日系人の歴史がここにはある。(*28&29の写真サイトへリンク)


2009年12月26日土曜日

My thought at the end of semester: 学期末にいつも思う事

あれだけ言ったのに、、、と学年末に思う事がある。ちょっと腹立たしい。もちろん学生に対してである。専門である美術教育コースではなく、特にGE (ジーイーと発音:General Education) と言われる一般教養のコース「Art100: Art Appreciation (鑑賞教育)」の野郎どもに。

学年末それも一番最終の週に、成績のことでいろいろ文句や涙ながらにメイクアップ(主にさぼってだけど受けられなかったテストや課題への追試ややり直し)を求めに来る。うちの大学の場合(たぶんほとんどのアメリカの大学も)、それぞれのコースが自動的にウェッブとしてリンクされるているので(WebCT Program: Web for classroom teaching)、授業の進捗状況はウェッブ上のカレンダーで一目瞭然、また私の場合、テストや課題の成績をその都度アップしているので、学生達に記載漏れがないかどうか、また課題等やり残しがないどうか学生自身で確認できるようにしてある。というか学生数が120人を超えるので、こちとら人間である以上記載ミスの可能性を否定できないので、学生達に自分たちでそれを確認し、明らかな記載ミスを見つけた場合、自己申告制で訂正ができるようにしている。(オフィスアワーというのが私たちには義務づけられていて、授業以外に週に5時間、学生の相談やアドバイスのためにドアをオープンにする時間帯を設けてさえいるのだ。)

にもかかわらず、確認しない奴がいるのである。それも結構。そういう奴に限って、学期が終わろうとする頃に自分の成績が足らないことに気付き慌てて相談にやっている。遅ーい!こちとら主観的に成績をつけているわけでなく、各テストはもちろんのこと論文等もすべて数値化してコンピューターにインプット。その結果成績がGP(Grade Point)として出てくるようにシステム化しているのだ。私はその数字をABCに置き換えているにすぎない。つまり私が成績をつけているのでなく、君たち自身の努力&忍耐の結果がそのまま出て来ているのだよ。

ここ数年特に困った事がある。中東からの留学生がすごーく増えて来て、なぜか私のクラスにもたくさんいるのである。その学生の何人かは能力不足でなく努力不足(つまりさぼっているのよ)で落ちる。それを奨学金を打ち切られてしまうからどうにかしてくれとやっている。甘ーい!だいたい奨学金というからには、国の税金できている訳だ。君らは好むと好まざるとに関わらず、国を代表しているんだよ。真面目に学問できないのなら奨学金をがんばれる人に譲るべきだと私は思うよ。冷たいと思うかもしれないけど、奨学金の重さはそれだけ重いという事をもう少し自覚しなくっちゃね。

2009年12月25日金曜日

A day of Christmas: 2009年クリスマスの一日



2009年12月25日クリスマスの一日。昨年はホノルルマラソン参加の後、ハワイで クリスマスを迎え、翌12/26日に私は日本へ、ジョンと海はチコへと東と西にわかれ るホリデーシーズンを迎えていました。が、今年はクリスマス後、何とお正月も久しぶり に家族で過ごすといううれしい冬休みを迎えています。(とはいうものの年明けすぐに私は再び チコを後にし、日本へ向かいます。)

今日はうちのクリスマスの典型的な一日の過ごし方 をここにアップ。今年はクリスマスプレゼントの開封作業の後、海の作ったチーズ&オニオンス クランブルエッグで朝食を。昼食は私の日本的お昼(とはいうもののちょっとフュージョン が入っていて、お寿司はカリフォルニアロールそして春雨春巻きがメイン)、夕食はクリ スマスのメインディナー、七面鳥をジョンがクック。デザートはクリスマスフルーツケーキ(私はなぜかこ れが大好き)。ゆっくりとした一日を過ごすことができました。感謝。

2009年12月24日木曜日

2009 Merry Christmas from Chico: チコよりメリークリスマス

We Wish You a Merry Christmas (^_^)! 
チコよりメリークリスマス!


12月に入るとチコの街もあちこちでクリスマスを迎えるイルミネーション(電飾)が花盛りとなります。散歩がてらにその電飾を見て回るのも12月の夜の風物詩。(特に飾り付けで有名な場所があり、チコ市でもイルミネーションマップというのを新聞に掲載していて、その地図を元に見学に行く車の列がイブの夜は特に多くなります。)

もちろん各家々では、クリスマスツリーが窓際に飾られ、外からも見えるようになっているケースが多く、うちもその例外ではありません。毎年生のクリスマスツリーを飾るより、既成のものを買っちゃえば楽!という声も聞きますが、生のツリーを飾るにはそれなりの理由が。クリスマスツリーのアロマが家中に広がり清々しい匂いで一杯になります。アロマセラピーという訳ですね。

2009年12月23日水曜日

Winter Solstice(12/21/09:冬至):陰の極まる日


12/21/2009(月)今日は一年で一番陰の極まる日。日本でもその陰を払う行事やその日にちなんだ食をする習慣が各地であるけれど、ここチコの街でも、冬至の日に友人達で集まって、この一年のバッドラックを祓い、新しい年に向かって願をかける集まりを例年やっている。

日本程きちんとその方法が決まっているわけではないようだけど、ショーンとキャメロン(夫婦)のうちにいつものように皆で集まり、今年は一人一人ろうそくに火をつけながら願いをかけた。

毎年恒例の行事になっていて、それぞれが食べ物や飲み物(ワインやビール)を持ち寄ってのホームパーティでもある。今年は子ども達も含めて約15人程。いつもは庭に出て薪を集めて火をつけ、その回りに腰かけ、星を見上げながら雑談で時間を過ごすのだが、今年は雨が降り、家の中のみの団らんになった。これがその時の様子。

子ども達にとってはいつものマシュマロクッキーができなかったのが残念。(木の枝にマシュマロをさし、火であぶり柔らかくした物をクッキーではさんで食べるというもの。これがとろけるほどおいしいの)楽しみはまた来年。

2009年12月22日火曜日

Merry Christmas To You 2: 海のピアノでメリークリスマス


海からメリークリスマスの第二弾。「Do you hear what I hear?」をピアノの先生とのデュオで贈ります。

小学校1年の頃から手にしたピアノですが、なかなか続かずにいました。この春から改めて習い始め、12月に入り、クリスマスソングを10曲ほど練習していたそうです。その中で一番のお気に入りの歌(まだ完璧ではありませんが、、、)を贈ります。私も海とデュエットをするために、また習い始めようかな。We wish you will have a merry christmas (^_^)!

2009年12月16日水曜日

Merry Christmas To You I: ヨーヨーで一足早くメリークリスマス









(上の下線部分をクリックすると海のヨーヨーショーが見れます。よかったら見てみて下さいね。)

チコの街はヨーヨーの米国大会が行われるところで、ヨーヨーは子ども達の間でもはやりもの。たかがヨーヨーといって馬鹿にしてはいけない。結構高度なのである。ダウンタウンにある「Birds-in-hand」というおもちゃ屋さん(というより健康安全おもちゃやヘルシー志向のグッズを置いてあるお店)がそのヨーヨー大会の主催サポート店で、毎週土曜日の午後12時から2時まで無料でヨーヨー講習会をやっている。海もクラスの友だちがやっているのを見て、はまったらしい。この数ヶ月こっていて、一ヶ月ほど前から毎週この講習会に参加していて、結果この通り、三段階のレベルの最初のレベルをパスしてこれくらいのことはできるようになりました。

海の着ている赤のTシャツがそのレベル1をパスしたという証明で、10種類の技術があって、それをマスターするとレベル1がパスということで、この赤のTシャツがもらえるのだそう。この上にレベル2(黒のTシャツ)、最後のレベル3(紫のT−シャツ)まで達すると、大会に出れるくらいのレベルだそうです。

このヨーヨーも結構します。まともに買えば約$100ドル。海は友人から中古のお下がり、それでも$50ドル。弘法筆を選ばずではなく、上達するには筆ならぬ良いヨーヨー(つまり高いやつね >_<,,,)が必要なんだそう。

2009年12月8日火曜日

海君の虱取り(12/08/09)

美容院に髪の毛を切りにいった海の頭がどうもへん。今時?というようなビートルスのマッシュルームカットになっている。笑いをこらえて理由を聞くと、「海君の頭に虱(しらみ)発見」なんだとか。髪を切り始めた美容院の人が、虱の卵を見つけたのでカットするのをストップ。きれいになってからまた来てねと追い出されたのだそう。別に美容院のお姉ちゃんが冷たいにでもなんでもなく、安全衛生上の規約でそういうことになっているらしい。早速薬屋さんに行って薬を購入。そして毎日虱探しの日々がここ2、3日続いています。笑っちゃ行けないけど、その様子が猿の蚤取りの親子にそっくりで、思わず写真をとってしまった私。どうも学校でもはやっていて、とうとう海にも移ったらしい。この数日後にはきれいになって、改めて散髪にいってきましたよ。

2009年12月7日月曜日

和太鼓倭が再びチコの街にやって来た Ya Ya Ya! (10/12&13/09)


夏の奄美、皆既日食プロジェクト公演(7/18/09)でお世話になった和太鼓倭のメンバーが再びチコの街にやってきた。2002年秋の公演が初めてで、それからほぼ2年ごとの米国ツアーの際にはチコの大学で公演して下さっていて、 2004年、 2006年、に続いて 2009年今年で早いものでもう4回目のチコである。

写真は公演前日チコに着いたその日にうちにきてもらいホームパーティをやったときのもの。左から右へ順に、建命(たける)君、里美さん、智子さん、美香さん、沙織さん、そして右側ちょっと奥に引っ込んでいるのがリーダーの妹さんでもある晃子さん。前にも書いたけどこのグループの特徴のひとつに技術や演出のうまさに加えて、「女の子がカッコいいー!」というのが私の第一印象。

今回はメイン公演の他に学校ワークショップ公演というのも見てきました。ワークショプというより、チコの学校の子ども達を対象にしての公演といった方が正しいかも。Laxon Audotriamというのがうちの大学のメインパフォーマンス会場で約1,500席、三階席まである。当日は満員御礼。うちの息子のクラスの付き添いの父兄の一人として行ってきた。申し込みが遅れたせいか、三階のそれも一番後ろの席で見る事に。でもそれが逆によかったんだよね。いっちばん後ろからでもその迫力はずずず〜んと伝わってきました。最初太鼓のかけ声の「はっ」とか「やっ」という言葉に冷やかしをいれてた悪ガキども(たぶん中学生くらい)が、公演開始10分後にはしーんとなって食い入るように舞台をみていました。百聞は一見にしかずならぬ多くの注意の言葉よりパフォーマンスのすごさが彼らを釘付けにするのだと改めて感じ入りましたね。終わった後?聞きたい?もちろんワッーという怒濤のような子ども達の歓声に皆スタンディングオベーション。学校公演を初めて今回見させてもらったけど、メイン公演よりむしろ感激しました。倭!よかったよ!

(個人的にうれしかったのは、息子のクラスの先生を始め保護者の人たちが皆私に近寄り口々に「いや〜よかった。ベストだね。」と言ってくれた事かな。別に私がパフォーマンスをやったわけではないけど、なぜか「えっへん!どうだ!」という気持ちになってしまうのよね。不思議と(笑)

2009年12月1日火曜日

To Montrey during Thanksgiving Holiday:感謝祭ウィーク家族旅行「モントレー」へ


モントレー水族館のクラゲコーナにて)

11/26(木)感謝祭の日にサンフランシスコに帰って来た。空港にジョンと海の姿を見つけた時はいつもよりホッとした気がする。そのままモントレーへさらに数時間のドライブ。何年か前のヒットアニメ映画「ニモ (Finding Nemo)」(くまのみの男の子の冒険アドベンチャー記)の元になったカリフォルニアのモントレー湾のあるところ。モントレー水族館があるところでも有名。特にこの感謝祭ウィークエンドは家族連れでとてもにぎあう。その家族連れのひとつがうち。さすがにその夜は私はバタンキュー。翌日は悲しい事に日本でやりきれなかった仕事をこなすためにホテルに缶詰状態。でもそのおかげでゆっくりと(だらだら?)してました。ジョンと海はもちろんハイキングへ。あいかわらず元気な二人。(左下の写真はモントレー近くの「海辺の街」という名前の街「City of Seaside」そばの砂丘にて)

2009年11月28日土曜日

「佐一」と「エッグファーム」(11/25/09): My favorite restaurants in Tokyo

(「エッグファーム」での今日のメニュー:ダシ卵豆腐、とろろのおみおつけ、豚の角煮、鯛の塩焼き、手前 おとうし三種)

日本に帰国して「夏目さん(房之介氏)」にお会いする時によく行くお店が二つある。一つは「佐一」というお寿司屋さん。そしてもう一つが「エッグファーム」。二件とも夏目さんの事務所近くにあり、そこでご飯を食べるために夏目さんとアポを取るのか、夏目さんとのアポが先でそのついでにご飯を食べるのか、最近ではどうも目的が逆転しているようで夏目さんに失礼かもしれない。でもいいのである。おいしい食があって、そこに教えを乞える人がいるというのは最高のシチュエーションではないか。能書きはこれくらいにして、今日はちょっとこの食に関してショックなことがあったのだよ。その「佐一」が〜なんとお店をこの夏に閉めてしまったのだそうだ。知らなかった。ここ数年どうもタイミングが会わなくてずっとご無沙汰していたし、夏は例の皆既日食プロジェクト騒ぎでばたばたしていたので、次秋の帰国のときにずえったい寄ろうと思っていたからショックもショック。

帰国したその日に息子をつれて夏目さんとそこに行き、時差ぼけで疲れた息子をそこのいすで寝かせてもらった事もあった。研究パートナーのブレントとやはり夏目さんと一緒に出かけて、本来の目的を忘れ、そこのTVでワールドカップサッカーの日本戦を大騒ぎしながら観戦したこともあった(それ以来ブレントはちょっと私に引き気味 >_<,,, 笑)。びっくりするくらい安くておいしいお寿司を食べれるお店だったので、本当に残念。閉めることを知っていたら、一言お礼をいいたかった。Thanks for your hospitality and wonderful meal!!!

ということで今日は「エッグファーム」へ。ここはメインを食しなくても、「佐一」に行った帰りには必ずコーヒーを飲みに行くところ。今日のメインは上記の通り。洋食と和食の2種類を用意してくださっていて、「今日は鯛のいいのが手に入ったので〜」というマスターの言葉に迷わず和食を注文。

ご一緒してくださった藤本由香里さんと「夏目さんはいつもこんないいのを食べていらっしゃるのね〜。」と言うと、即座に「いつもこんないいのを食べてないですよ。これは徳さん用の特別メニューです!」ときっぱり言われた。なぜだかとてもおかしかった(笑)。夏目さんはさりげなくいつも気を使ってくださる。そして(お偉くなってしまっているのに)とても気前がいい。今回もたくさん本を頂いた。私は(それに見合うだけの)差し上げるものがなくて、ちょっと困っている。多謝。

2009年11月27日金曜日

2009年度CAEA学会旅行:Getty Center 訪問

翌日11/15(日)の日本帰国を前に、今日11/14(土)は、学会会場を午前中で抜け出し、家族でゲッティーセンターに出かけた。そう美術教育関係者なら皆知っている、白亜の美術館。この続きは詳細はまた後ほど、写真群を更新してからね。

翌朝11/15(日)、ロスアンジェルスから日本へ。目的はアマミーナでいただいた助成金の報告書のとりまとめ並びに今後のアマミーナの活動方向の相談ということだが、ここんとこ調子が悪くなっている母を見るのもひとつ。東京で一泊して翌日11/17(火)に羽田からの直行便で奄美入り。11/21(土)の夕方の直行便で東京にもどり、千葉にいる友人宅で数日ゆっくりとそして仕事という予定が、母の状態(認知)が思ったより悪く急遽11/22(日)に名古屋の弟のところへ送ることに(といっても奄美空港までですが、、、)、その後2、3日後片付けを済ませた後、結局11/24(火)、3日遅れで東京へ。翌日一日で予定の仕事を済ませ、 11/26(木)に日本を離れるという慌ただしい日程になってしまったのでした。

CAEA学会の前に:遊園地「Knott's Berry Farm」での一日


いやはや一日がかりのロングドライブでロスアンジェルスに到着。翌日の11/12(木)は家族サービスならぬ遊園地「Knott's Berry Farm」で一日を過ごすことになった。学会発表前にそんなのんきな事でいいのか。いいのである。ロスアンジェルスの遊園地と行ったら、ディズニー。でも11歳の海にはディズニーは「チチチ」、子どもっぽすぎて、スリルが足りないとか。アトラクションのスリル度(つまりローラーコースターのような高速度アトラクション)の充実度でかの地になりました。いやー本当に心臓ぱくぱく。10時から半日を過ぎる頃にはわたしたちはもうふらふら。海はアトラクション巡り、私たちはゆっくりとショーをと二手にわかれて回る事に。

写真上は海が一人で回転ロープみたいなので回っているところ(目が回りそうで見ているだけで私なんか酔いそう >_<) 左は夕方日が暮れかかった頃。まだまだローラースケートは動いていますよ。影だけみると大きなオブジェみたい。ハロウィーン(10/31)も終わったというのに、天井にたくさんのパンプキンが飾られているところも。これらアトラクションの他に、いろんな見せ物(演劇とかメディアシアターとか)が盛りだくさん。年齢を超えていろいろ楽しめるようにできているところはディズニーと一緒だ!

2009年11月11日水曜日

CAEA学会へ:LAへのロングドライブ

(左は米国の街中ではよく見かける壁のいたずら絵。ここLAにも。ミューラルアート(壁画アート)とも言えなくもないくらいハイレベルなものもよく見かけられる。これはどちらのレベル?)

学期中長期でチコを離れる前の恒例行事となってしまったあたふたと準備に追われる数日を過ごし、どうにか区切りをつけ(つけざるを得ないのだけど)、ロスアンジェルス(LA)へ向けて出発進行。

今回は毎年秋にカリフォルニア州の都市で開催されるCAEA (California Art Education Association:カリフォルニア州美術教育協会)の学会開催がLAでということで、その発表参加が主な目的。今回いつもと違うのは、家族をつれて半分休暇も兼ねての小旅行。チコからのローングドライブ(約8時間)でLAへ向かうことにした。チコからLAまでは約500マイル(約800キロ)の距離だから時速100キロ平均で走ることになる計算。日本では考えられないけど、フリーフェイ州道99号線から国道5号線に乗り換え、ひたすら南下すること約8時間、本当にLAのホテルまで着きましたよ。途中昼食購入やトイレ休憩、そしてガソリン給油の3回ストップしましたが、それでも、朝10時前にチコを出発して、夕方7時前に着いたので、実際のドライブ時間は8時間を切る事になります。日本で8時間のドライブというとえっーという感じですが、回りが開けた広大な土地を横目に高速を走っていると、不思議と8時間がそれほど苦痛ではありません。(私は昨夜ぎりぎりまで準備に追われ睡眠不足だったので、車で半分近く寝ていて、当然と言えば当然ですが、、、ずっと運転していたジョンは大変だったかも。と思いきや本人はいつものことなので全然平気。といいながら、今10過ぎホテルのベットでばったんキュー状態。気持ちより身体は正直。笑)

今日11/11(水)から4泊LAで過ごし、学会最後の日の朝11/15(日)には今度はLAから日本へ私一人で旅立つ予定。明日は家族と一日過ごして、明後日から学会スタート。私の同僚のテリサは学生5人を同伴してやはり今日チコからのロングドライブを経てLA入りしているはず。LA出身の彼女は今日は実家に学生を連れて泊まるとか。無事にちゃんと入ったかな。
(彼女等は皆でゲッティーセンターを始め、明日は美術館巡りをするとかいってたっけ。うちはきっとディズニーランド。たまの家族サービス? >_<,,,)

2009年11月8日日曜日

チコの紅葉:Fall in Chico

チコの街が10月の声を聞き始める頃から色づき始めた。上はPleasant Valley High Schoolを訪問した時に学校前の通りで見た虹と紅葉(10/19/09月曜日)。

そして下は昨日(11/7土曜)Bidwell Mansion (Chicoの街を作ったgeneralの館)前広場で開催されていたFarm Festivalに立ち寄った時のチコの街の紅葉シーン。サンフランシスコの著名な建築家に依頼して作ったというピンクの館の回りが色づき始めている。通りを挟んだ街路樹のチャイニーズピスタッチオが真っ赤に色づいているのが空の青とのコントラストで美しい。

10年前中西部イリノイから移ってきたばかりの頃は、ついつい長年住んでいたイリノイ(特にイリノイ大のあったアーバナ&シャンペーン市)の街全体が燃えるような紅葉、それも一日で真っ赤に燃えるように変化する劇的な紅葉シーンと比べて、がっかりしていたものだけど、慣れてみると住めば都、チコの街の紅葉にここ数年感激するようになりました。

もともと乾燥している土地なので、空は高く澄み渡っているのだけれど、紅葉の黄色や赤、そして常緑樹の緑とのコントラストで特に空が高く、美しく見えますね。11月の声を聞く頃になると、そろそろレイニーシーズン(雨期)だねと皆とうわさをし始めます。この雨期は来年の3月頃まで続きます。植物にとっては恵みの雨の季節の到来ですが、チコでは冬の到来を知らせる季節でも、、、後どれだけ紅葉を楽しめるのでしょう。



2009年11月7日土曜日

和太鼓倭名瀬小学校ワークショップ(7/16/09): Yamato Taiko Workshop in Naze elementary school


今(11月)はアメリカツアーの真っ最中の和太鼓倭。その倭が7月16日鹿児島から10時間の船旅を終えて奄美名瀬港へ到着。皆既日食関連プロジェクトアマミーナ主催の公演(7/19/09)に出演が主な目的。例年恒例の海外ツアー出発の前に1週間程時間をとって奄美に着てくれた。

長旅の疲れも見せずに、到着当日からさっそく活動開始(感謝)。奄美市(旧名瀬市)中心部にある名瀬小学校で総合教育の時間を使ってワークショップを開催してくれた。最初は校庭でのパフォーマンスを予定していたのですが、さすがの暑さに急遽体育館での開催になったとか。

このビデオは倭ワークショップ公演のお礼にと生徒全員で名小の校歌を元気よく歌っています。

ドードド、ドドドドドシラソー不断の流れ黒潮の岩に激して雪と散る、、、
(私も唯一ここの校歌だけはまだ覚えています。さすがに6年間歌い続けた校歌は身に染み付いているよう ^_^)

2009年11月6日金曜日

アトム(アストロボーイ)再び米国参上:"Astro Boy" in the US film market

先日家族でアストロボーイ(アトム)を見てきた。ディズニーのそれもニコラスゲイズが天馬博士の吹き替えをするなどそうそうたる俳優が声優に揃っていて、ディズニーの肝いりが感じられる。

そういえばこの夏、日本からこちらに帰ってくる日(Tue., 8/18)が偶然手塚(眞)さんもロスアンジェルスにアストロボーイのプロモーションで渡米する日ということを、その前日東京の事務所ネオンテトラでお聞きしたことがある*。どうだったのかその後お聞きする機会のないままで映画館へ足を運んだ。

(*アマミーナ「奄美皆既日食関連プロジェクト」関連イベントの一つ少女マンガ特別展示会に参加いただいた岡野さんへその作品をお返しするために伺ったネオンテトラの事務所でそのことを知ったの。)

こちらに帰ってきてからもたびたび映画館に足を運んだが、その際予告でもアストロボーイのことが結構流れていて、その絵柄がやはり手塚さんの絵柄とはかなり異なっているので正直少々抵抗があった。そうなの。手塚さんのアトムの絵柄(特に目がちがう!!!)に慣れている私たち(日本人)には、ちょっと「う〜ん」という感じで、すごーくアメリカ的に変えられているようで、あまり期待もせずに正直出かけた。

それがた、以外というととても失礼だけど、とてもよかった。予想を良い意味でうらぎってくれました。いろいろオリジナルとは違うのだけど(リメイクなので当然といえば当然かな)、「アトム」ではなく「アストロボーイ」として見たら、人間設定の白黒がはっきりしているところをさっ引いてみても、コンテンツがきちんとしていて、良い作品だと個人的にはとても感動した。

とびおが亡くなるところが交通事後ではなく、、、(見てない人は見てみてね)に変えられていたり、キャラクターの絵柄(アトムだけでなく、天馬博士やお茶の水博士、そしてオリジナルではアトムを天馬博士から買い取ったサーカスのオーナーのランプとかとか)もかなり違うし、設定がかなり今風に異なっていたけれど、たぶん手塚さんが意図されていたアトムを通してみた社会のひずみとか差別とかが今風にアレンジされていたと思う。

例えばロボットと人間の権利設定やメトロ(Metro:裕福な都市部)とサーフェス(Surface:地上の貧民街)の二層に分かれた社会構造問題などなど、、あっそうそうジョンなんか天馬博士に感情移入してしまったのか、映画を見終わったあと、涙ぐんで一言「よかった。」でしたもの。父親と息子の関係としても見れますね。(こどもを愛していながらも忙しくなかなかこどもと過ごす時間がとれない父親とそれをさびしく思いながらもその父を尊敬している息子、、、それがそれが、ここから先は映画をみてくれ!)そういう意味では、2時間足らずの短い時間の中、きちんと現在社会の問題を反映させていて深く読める。(でも終わり方には意見がわかれるかな。)

それにね。このディレクターは絶対手塚治虫崇拝者だと思わず笑ってしまうシーンがいくつもあった。作品の背景の中にひょうたんつぎがビルの壁画(いたずら書き)に出てきたときには、息子の海(11歳)と目を見合わせて笑ってしまった。そういうところがいくつも出てきて、日本語をよく読めないながらもアトムを全巻走破したうちの息子はそういったところを見つけるたびに私に「見てみて」と話しかけてきた。(よしよしちゃんとわかってるなあとうれしくなったけど、こういう楽しみ方でこの映画を見ているアメリカ人はそう多くないにちがいない。いやいやアメリカ人を侮ってはいけないかも。おたくは一杯いるしね。)

この次の帰国の時、もし手塚(眞)さんとお会いする機会があったらこの話をきっとしよう(^_^)。

下記ちなみに米国批評サイトの情報です。参考まで。

IMDB (The Internet Movie Database:ここは実際に見た観客の批評データ): 全体平均6.4/10 (*ちなみに18才以下の男子が一番高く9.1/10)
Rotten Tomatoes: ここは観客ではなくプロの批評家のサイト):全体平均48% (ちょっと残念。もっとたぶんアストロボーイではなくアトムを期待したいたとしたらこうなるのかも。)

批評家の全体共通批評は下記の通り:
Consensus: While it isn't terribly original, and it seems to have a political agenda that may rankle some viewers, Astro Boy boasts enough visual thrills to please its target demographic.


2009年11月5日木曜日

海君の学校生活(2009年秋学期編):Kai's School Life in Fall, 2009


この秋を振り返って、海君の学校生活(In/After School Life)で既にいろいろありました。10月以降何も更新していなかったので、忘れないうちにここでちょっと振り返ってみよう。

1、マラソン大会(Jagson at Marigold School): 毎年恒例のマリーゴールド小学校でのファンドライジングイベント(寄付金集めイベント)が9/26(金)に開催。こどものジャガソン(ジョギングとマラソンの造語:ここでは決められた時間内に校庭を何週できるかを競う持久走大会のようなもの)に対して、子ども達が寄付金を募る。一人$180ドル集めるのがターゲット。結構な額だと思う。ほとんどの場合、親や祖父母など身近な親戚から寄付金を集めて、学校側へ。学校側はそれを教育資金の足しにするというシステム。日本ではちょっと考えられない程、こういった寄付金がらみの行事がアメリカはやたら多い。(海のクラスでは、これらの資金をフィールドワークの参加費の足しにするとか)子どもの時からお金を集める(かせぐ)ことの大切さを学ぶことができるという利点はあるけど、、、ちょっとお金集めに皆加熱気味になるので、やはり善し悪しだと思う。(個人的にはちょっとねというのが本音)。それはそれで、今回も海はクラスで一番走って表彰されたことが、やはりとてもうれしい。これはこれで親としての本音。(今回は足の速いのは私似ねとジョンに。都合の悪い時には君の息子。あなたの息子という会話になるのだけどね。いやはやいやはや。)

2、ブックレポート:アメリカでは学び姿勢としていろいろリサーチやレポートを書かせることが多い。これもその一つ。読んだ本のあらすじやその本の価値を報告するものだけど、今回彼は仲良しのビスマン君と一緒にビデオを作ることに。両方の父親も参加の力作に。明日10/19(月)にレポート提出というのに、前日にまだビデオ取りをしているという有様。結局みんなで編集作業も手伝って、どうにかこうにか。本人曰くレポートの発表はどうだったの質問に本人曰く「Great! Everybody loves it!」ほんとかなあ。

読んだ本は「Artemis Fowl」。ビデオはYouTubeにもアップ。親戚中が見るはめに(笑)

3、チコ市のユースサッカー秋学期シーズン:小学校1年から始めたチコ市のユースサッカーも今年で6年目。今学期のチームはバラクーダ。ユニフォームカラーは赤。今回は親友が出来たとのこと。名前はパーカー(トップ写真右端)。やはりうち同様。アメリカ人と東洋人、2つのエスニックを両親に持つ。9月から始まった毎週土曜の試合も先週で終わり。今日水曜(11/4)は打ち上げならぬピザパーティがありました。私は行けなかったけど、そこで例年通り、記念のグッズ(例年は小さい記念トロフィーだけど今回はメダルだったよう)をコーチから皆へ授与。

8月初旬から始まった海の秋学期も残すところあと一月ちょっと。

2009年11月4日水曜日

ハロウィーンの収穫(10/31/09)


うわっー。とうとう先月(10月)はブログに何もアップしないままに、一月以上が経ってしまった。いろいろ出来事やイベントはあったのだけど、、、日々の雑用に追われ、また明日にでもと思っている内に、あっと言う間に月日は経ってしまった。わかっていることなんだけど、前回のブログ更新日をチエックしてみて改めて実感。

気をとりなおして、まずハロウィーンから。例年のように海はコスチュームを着て、友だちのうちへ。そしてそのお隣近所を回るだけで、なんと8ポンド(約3、6キロ)のおかしをトリッカートリートを集めてきてしまった。

写真上はそのお菓子の収穫の一部。下の写真は上左から海がコスチューム用(死神:グリムリーパー)のマスクを作っているところ。その右はそのマスクをつけて。下左は去年のマスク「ペンギン」を着けて。ペンギンの死神は逆にシュール。下右は友人の娘さん百菜(もな)ちゃん2歳のコスチューム。やっぱりかわいい(^_^)


2009年9月22日火曜日

World Music Festival in Chico (9/21/09)


またまたチコにワールドミュージックフェスティバルの季節、秋がやってきた。新学期(秋学期)の始まりである。今年はいろいろ大学もカリフォルニア州の財政難のあおりをくらって、新学期早々侃々諤々(あたふたといった方がよいかも)しておりました。が、それでも日々は流れていくのですね。

こんな財政危機の時にでもフェスティバルが開催にこぎつけたことは、やはり喜ぶべきだと思う。アメリカの大学は一般に開放されていて、キャンパス内でコミュニティ対象のいろんなイベントが開かれているけれど、チコも例外ではない。年に二回春と秋にあるこのフェスティバル(春はインターナショナルミュージックというタイトル)を目当てにチコ中のコミュニティーから、いつものように人々が集まってきていた。その中には見慣れた人々が一杯。(知らないけど、集まって来る人たちに中に常連はやっぱりいる。うちもそうかも。)

音楽が始まると立ち上がってへんな踊りをするおじさん。フラフープで腰をくねらせながら踊るヒッピーお姉ちゃん。二人の世界に入り込んでチークを踊る初老のカップル。(なんかうまいから踊るというより自分のために楽しんで踊っている感じ。傍目を気にしていないところがアメリカ的というか、さすがヒッピーの発祥地カリフォルニア ^_^)そしてそこら中を走り回る子ども達。微笑ましいというより思わずわらっちゃう光景にあふれていて、そういったへんな人たちがいなかったりすると、思わず探してしまう自分もおかしい(笑)。あっそうそうチコ市(約10万の人口)の平均年齢は36歳とか。若い街。こういうフェスティバルでは小さい子どもをつれた親子連れもよく見かける。

10月の声を聞くとここチコの街だけでなく、アメリカはパーティシーズンの始まりになる。ハロウィーン(10/31)、サンクスギビング(11月の第4週の木曜)、そしてクリスマスとイベントが目白押し。日本とちょっと違い、若者中心というより、家族のためのイベントの季節でもある。