Masami Toku on Flickr

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2010年4月29日木曜日

ちょっともの思い

今日海のクラスの親御さんに展示会のお誘いのメールを出した。学年末の美術教育の学生の展示会に併せて、こどもたちも参加してくれた「4コママンガアート展:Children's Views-What's Going on in Our World?」を開催するにあたってのご招待。

一人の親御さんから返事が来た。娘は今回出せなくで申し訳なかったとのこと、そして前回参加してとても楽しかったとのこと。返事を書こうとしてジョンに話しをしたら、「その子確か原因不明の病気でこの数ヶ月お休みしているはずだよ。」とのこと。胸が痛んだ。知らなかった。

その子は確か親子でオランウータンの保護を訴えていて、その子の前回の絵は森林伐採でオランウータンの森がなくなっていることを描いていた絵じゃなかったけ。図録を見てみたら、載っていた。優れた作品のひとつに選ばれていた絵だった。

そのあとすぐに返事を出した。今週末まで待てるので、もしよかったらそして娘さんが興味があったら、描いてみませんかと。今その返事を待っている。出してくれるとうれしいな。

2010年4月19日月曜日

How To Talk So Kids Will Listen & ...:子どもへの話し方そして聞き方

学会へ出かける準備の最中(さなか)、うちのだんな、ジョンから一冊の本を渡された。「How To Talk So Kids Will Listen & Listen So Kids Will Talk (by Adele Faber and Elaine Mazlish)」飛行機の中でもちょっと読んでみたらという。

こどもとの会話の仕方&聞き方の勧め(子どもが耳を傾けるようにするにはどのように話すべきか、そしてこどもが心を開いて話すようにしむけるにはどのように聞いてあげるべきか、、、等々)、俗にいう「How Toもの」の本らしい。だんだん扱いが難しくなってきているティーンエイジ前の息子(12歳)への攻略本というところ?

「全部読まなくてもよいから。マンガも入ってわかりやすくなっているから、時間つぶしにその部分だけでも読んだら。」というわけで、一冊スーツケースに入れることにした。

結局、行きの飛行機では、学会発表の準備の原稿に追われて、精神的余裕はなかったので、本を開く機会はなかったのだけれど、学会も終わりほっとしたところで、帰りの飛行機の中で目を通すことができた。東海岸のバルチモアからシカゴへ、そしてサンフランシスコ、最後にチコへと、全部で約7時間の飛行時間。中に挟まれたマンガ(コミック)でのケース紹介。これらを拾い読みしながら、結構おもしろく読めた。こどもとの会話に手こずっている親御さんにはお勧めの本かも。私は?もちろん読んでいく内に反省することしかり。これはしてはいけない、ということを多くしているのがわかりました。特にいけないことの一つに、学校から帰ってくるこどもに「今日はどうだった?誰と話した?何があった?」などと、多くをあれこれと聞いてはいけないらしい。う〜ん。この他よかれと思いしていることの多くが、どうもいけないことを一杯しているらしいことに気づかされました。それと、どうも何かが違うなと思いながらわからなかったことが、目から鱗がぽろりんこというのもありました。自分が子どもだった頃、嫌だったことを、大人になるとすっかり忘れて結構してしまうものなのですね。(簡単な英語なので、わりと楽に読めます。)

2010年4月17日土曜日

2010 米国美術教育学会に参加して(4/14-18):2010 NAEA at Baltimore, ML (4/13-4.18)

例年のようにNAEA (National Art Education Association)の学会へ今年は東海岸のボルチモアへ行ってきました。今回は4つの発表もあり、準備で四苦八苦といいたいところだけれど、実はシーフード、特にカニ、それもソフトシェルクラブ(脱皮したばかりのカニ!)を食することを楽しみに出かけてきました。同僚のテリサと一緒に毎晩、おいしいシーフードを探し求めて闊歩致しました。今回の学会の感想は、とにかく「おいしかった」の一言。満足の旅。学会参加の名目ながら日々の喧噪から少し離れて、骨休めの旅となりました。よかったよ。



2010年4月11日日曜日

第二回日本文化紹介イベント:2nd Annual "Far East Fusion" Part 1 & 2 (4/9 & 10)


2008年秋に第一回「The Way of Asia」として、日本文化とアメリカ文化の融合(フュージョン)として3つのイベント(お茶会、お寿司コンテスト、着物オークション)を開催したのに続き、第二回開催として名称を少し変更「Far East Fusion」として、今回はは2010年度春学期に開催することになりました。今年も慶子さん、恵子さん、淳代さんにメインにお手伝い願いました。今年は特に学生グループ J-fusionの皆さんにもお手伝いというより、主力でがんばってもらいました。写真はすべて終了してほっとしたところをパチリ。この時気力は既になく来年のことを考えられる状況ではありませんでしたが、もち来年も続けて計画しています。もう少し楽に、そして利益があがるようにやらねばと徳の独り言的反省です。

Far East Fusion Part I (Fri., 4/9): お茶会&着物オークション
Far East Fusion Part 2 (Sat., 4/10): 寿司ランチョン&寿司コンテスト

2010年4月6日火曜日

突然のさようなら:佐藤史生さんへ

今日ヤマダさんから久しぶりにメールが届いた。突然の訃報。佐藤史生さんがお亡くなりになった。乳がんでこの数年闘病生活をおくられていたとのこと。知らなかった、、、

米国巡回少女マンガ展示会に参加していただいた23人の中のお一人。他の先生方と比べて、寡作なせいもあり、戦後を代表する少女マンガ家の一人として選ぶには、、、と疑問をていする少女マンガファンも中にはいたけれど、私個人として佐藤さんを外すことはできなかった。

この巡回展示会はファンの一人としてのスタンスで、私個人の読んだそして好きな少女マンガ家23人を選ばせていただいた。そして自信を持って佐藤さんを私のベスト23の一人として展示させていただいた。30の年に渡米したわけだが、渡米してはじめて読んだマンガがこの佐藤さんの「ワンゼロ」だった。今でも私が一番影響を受けたマンガとして、ベスト3に入っている。作中の佐藤さんの言葉が私を思考の海に放り投げることがしばしばあった。その答えの出ない哲学の時間が今は懐かしい。

佐藤さん、、、展示会用にお借りしたままの単行本「鬼追うもの」はまだ私の手元に残っています。この夏お返しにあがる予定でしたのに、そして世界巡回のプランをお話しする予定でしたのに、私はどうしたらよいのでしょう。ご冥福をお祈りします。

北米巡回用に作ったパネル3枚の内の2枚。作品はすべて佐藤さんご自身が作ったダッシュ原画作品。佐藤さんの自宅におしかけて、日本を離れる日も押し迫った日、夜二人で必死で作品を作ったあの日を思い出す。いつでもまたお会い出来ると信じていたのに、、、もっと早くご連絡をしておけばよかった、、、、

2010年4月5日月曜日

最後の登校の朝に(平成22年3月23日)

母が矢之脇の家を離れて2ヶ月。主の居ない家でもちゃんと五月の花が咲いていた。「、、、主なしとて春な忘れそ」

海は名小の制服を着て、最後の登校日。
長かった6年間の体験学習の夏。でもあっという間だったような気がする。よくがんばったとほめてあげよう。(母)

2010年3月31日水曜日

平成22年度名瀬小学校卒業式:2010 graduation from Naze Elementary School

写真一段目;左(卒業式風景)右(海と4年生時の担任里美先生)
写真二段目:左(卒業式:右前方に6年1組担任のあき本先生が)右(親子三代名瀬小学校卒業生: 母、私、海 ^_^)
写真三段目:左(見送られながら校門を出る6年生)右(金久校長先生と:先生も今年でご退任に)
写真四段目:左(ベストフレンド?)右(6年1組のみんなと)








2010年3月12日金曜日

2010 Spelling BEE competition in Butte County: 海のスペルビーコンテスト第2段 (3/12/'10)


海の学校、マリーゴールド小学校の学校選抜大会を終え、2週間後の郡大会の今日(3/12/'10)。まさかと思っていたけど、、、びっくり。ビュット郡にいくつ小学校があるのか詳しくは知らないけれど、各学校二人の代表者のはずだから、85人の参加ということは、単純計算で40校以上の学校の代表が集まって来ている事になるのかな。第一ラウンドでその85人が半分に減り、、、第八ラウンドまで進んだところで、とうとう二人の最終対決に。その最後の二人に君が入るなんてね。そして最後の一人に。朝の8時にスタートして、かかった時間は約3時間。ここまでやれるとは正直思っていなかったから、お母さんもう何も言えないよ。

次はカリフォルニア州の大会(5月12日)。ここまで来たのが出来過ぎだから(こんなことを言うのは君に失礼かもしれないけど、、、パパも憤慨するね、きっと。笑)、楽しんでこようね。州大会は、ワイナリーで有名なソノマでの開催だし、一泊二日のドライブ旅行をしてこよう。(でも、やっぱり見ている方がどきどきで、ゆっくりできないのは私の方かも。友だちにはブルータスお前もかの「親馬鹿」と笑われるね、これまたきっと。)

Theo wins the Butte County Spelling Bee! (*スペリングビー大会の様子のスライドショー)

2010年3月7日日曜日

春到来 Part III (Sun.3/6/10): International Students' Invitation Party (留学生招待ホームパーティ)

(写真左から時計回りに、ジョン、留学生ロン、ハン、海、淳代さん、アンディ君、マイケル、トーマス、そして手前右しげみさん、さやちゃん)
毎年春、国際学部(International & Graduate Program)が留学生を招待しての交流パーティを催している。とはいっても学部は企画をして、ボランティアで主催してくれる大学教員を募り、日程を調整して、各教員宅へ学生を紹介するという形式で、実際にパーティを開くのは各ボランティア教員。交流パーティ開催に興味のある教員はいついつまでに国際学部へ連絡してくれというメールが入ったのは約一月前。迷いながらも今までは手をあげなかった私も今年はやってみようかなと手を上げることにした。自分たち家族だけではつまらないので、日本人友人の中から(いつもの)二家族に白羽の矢を立て、参加をお願い。いつものメンバーはいつものように快諾してくれ、いつものようにポットラックパーティでやることにした(^_^)。

私たちのところには二人の中国人留学生と中国系アメリカ人学生が参加希望。実際には、二人の中国人留学生(ビジネスと会計学の大学院学生)が来てくれた。昨年チコに来たばかりの留学生なので話しは盛り上がるかなという不安をよそに、経済、政治、文化、、、、そして中国人からみた驚くべきアメリカ人学生気質などなど、いろいろな話しで盛り上がり、笑い一杯。楽しい時を過ごすことができました。5時スタートで数時間くらいかなと思っていたのが、学生達も10時頃まで、お開き後、しげみさんには後片付けまで手伝ったもらって、結局11時過ぎまでわいわいしてしまいました。予想していたよりずっと楽しかったので、来年もこの留学生パーティを開こうかな。

2010年2月28日日曜日

春到来 Part II (228'10):「Far East Fusion」のミーティングにて










今日はこの4月開催の文化イベント「Far East Fusion」の打ち合わせに中心的役割を担ってくださる方々に参加をお願いして、全体の流れを確認のため、ミーティングをうちで開くことに。写真はそのミーティングも終わって、内の前でパチり。先週はつぼみだった紫木蓮も開き始め、木瓜(ぼけ)の花は満開。春を少しおすそわけ。

2010年2月25日木曜日

海君の Spelling Bee Contest 2010

海が学校内のスペルビーコンテスト(Spelling Bee Competition: 英米単語のスペルを口頭で答え正否を問うコンテスト)にクラスの代表として昨年5年生の時に続いて今年も参加。そして優勝。学校代表として次は郡(County)の大会に出る事に。その次は州、そして6月の全国大会ということになりますが、、、そこまで勝ち抜く程勉強しているとは思えないので、とてもとても遠〜い道のり。それにしても見ている方はドキドキ。一緒に練習していたジョンはもっとドキドキ。ビデオが揺れまくっているのはその表れ?!(写真は海の優勝を祝ってクラスのみんなが胴上げしてくれているところ。アメリカにもあるんですね^_^)


2010年2月23日火曜日

春到来:Spring comes to Chico (2/21/10)


うちの回りにも春がやってきた。家の回りを散歩しながらいろいろと写真を撮ってみた。
一番上の写真は家の裏庭に咲いている赤い椿。左上は家の前庭の紫木蓮のつぼみ。もうすぐです。左下は家の北西側にある物置小屋(白壁)の角、ちょうどお隣さんとの境に生えている木瓜(ぼけ)の灌木。ここも今は盛り。ここから南を望む形で一枚パチリ。家の塀が向こうへと伸び、お隣さんとの間の小道の先に椿の木のアーチも見えます。(写真で見ると、大きな屋敷のように見えますが、イヤーこれはアングルのせいですね。実際は、、、^_^。)
下にある4つの写真の内、上左は家の回りに咲いている白椿。右はピンクの椿。家の回りに4種の椿(赤、赤の斑入り、ピンク、白)が咲き、その花びらが絨毯のように家の横の小道を飾っていました。一番下左はサクラに見えますが、実はこれはアーモンドの花。お隣さんの家の庭に今が盛りと咲いていました。例年今頃がちょうどシーズンで街中あちこちで見られます。(これが日本だったら木の下に花見の宴が開かれるところですが、ここではそれが見られないのがちょっと残念。)右は、バレンタインの日、偶然お店に入ったら、たくさんの花々が。ついつられて、今回は自分で自分のために買って来てしまいました。どれにするか迷いましたが、百合とかすみ草を。ちょうど家にあったモクレンの花瓶に生けてみました。2/14に買って一週間ですが、まだまだ元気で咲いています(^_^)。


2010年2月13日土曜日

One day before the Valentine's Day: バレンタインデイの前日














餃子の皮を買いにセーフウェイ(SafeWay:スーパーマーケット)に行ったら、お店中お花だらけ。何事かと思ったら、そうでした。明日2/14はバレンタインデー。日本と違って女の子が男の子にチョコと一緒に愛を告白する日ではないけれど、やはりお互い親しい間柄で花束を贈ったりする日であることは確か。特に男性から女性に贈るというのが一般的。お父さんと息子の二人でお母さんの花束を選んでいるような感じの風景も。微笑ましい。私も雰囲気に飲まれて、百合とかすみ草($6.99+$4.99)の花束を、そしてチョコレートムースケーキ($9.99)を買いました。すごーく安く上げて、それでもハッピー。餃子の夕食にちょっと似合わない組み合わせだけど、バレンタインのムースチョコをおいしく家族でいただきました。満足。バレンタインの次はセントパトリックデイ(緑のクローバーがトレードマーク)、そして春の訪れを祝う、復活祭へとまだまだ続きます。

2010年2月12日金曜日

米国版ハリーポッター?(2/12/'10):PERCY JACKSON & THE OLYMPIANS: THE LIGHTNING THIEF

今日オープニングの映画「PERCY JACKSON & THE OLYMPIANS: THE LIGHTNING THIEF 」を見て来た。ハリーポッターの米国版とも言える普通の少年が突然自分の生まれ素性が特別なことからヒーローになっていくストーリー。少年は何とギリシャ神話の中心的な神、ポセイドンを父に持つ、生まれながらヒーローになるべくして人間社会に生まれた運命の少年だったのだ。ジャーン!ディレクターもハリーポッターのプロデューサー、クリス コロンバス(Chris Columbus: 「Harry Potter and the Prisoner of Azkaban」2004)。作品もハリーポッター同様、シリーズ物で原作者(Rick Riordan)がいる。既に4冊出ていて、子ども向けの本として著名なものらしい。(うちの息子も去年、ということは小学校5年の時に読んだらしい。)

明らかに柳の下のどじょうを狙ってますね。結果どうだったかというと、、、映画批評サイト「Rotten Tomatoes」見て、私も納得。5割以下の評価でした。スペシャルエフェクト(特撮)は確かによかったけど、プロット(ストーリー構成)もいまいち深くない。何かがよくないというより何かがものたりないという感じ。神々と人間の間に生まれた子ども達が実は現在もたくさん存在していて、、、という設定がおもしろいのに、そのギリシャ神話の神々、ゼウスを代表として、それぞれの神のことを表面的にさらっと流しただけで、なんの特徴も伝わってこなかったところ。批評家の中にも同様のコメントがやはりありました。そうでしょうそうでしょう。あれだけ神々のオンパレードだったんだから、もう少し神々自身のことを深く掘り下げてほしかったなあというのが私の感想。さすがにハリーポッターに慣れてしまった目には、Special Effect(特撮)それほど驚くものではなかった。ポッターのようにイギリスの暗くよどんだ空気の雰囲気が全体を覆って雰囲気を作っているのと違って、さすがに舞台がアメリカ、それもハリウッドやニューヨークではあまりにも明るすぎて、そういったミステリアスな雰囲気を醸し出すにも無理があったのかも。


たぶんこれも続きがあると思うので次回に少し期待しましょう(とはいうもののこれがあたらなかったら次もないかもしれませんが、うーん。私の想像ではないかも。) 左はおまけの写真。映画の後にみんなで「パンダエキスプレス(中華のファーストフード店)」に夕食に行ったところ。うちの息子と友だちはここでもヨーヨー三昧。集中して毎日やっているとこれだけうまくなれんだという良い見本。もっと他のことに集中してくれるともっとうれしいのだけれど、、、(^_^)

2010年2月7日日曜日

海のバースティパーティ其の二:雪山へそり遊び (2/7/10)

(今日パーティに参加してくれた海の友人達。海はどこかな?右端にボランティア参加のレベッカとその手前にうちのジョンも一緒。)

ここ数日続いた雨模様にどうなることかと心配していた今日の海のお誕生日パーティ。チコの東側に位置するパラダイス市の先にかっこうのそりスポットがある。そこでの雪そりパーティ。(海の誕生日は1/27なのだけど、日をずらして週末にパーティ。)今日は昨夜までの雨が嘘のように朝からピーカンの青空。車2台でドライブすること約1時間。チコ市内の緑の景色からすっかり雪景色の風景へ。海の仲のよい同級生6人を招待して、午後一杯雪ぞりとランチパーティ。海の友だちの一人のお母さん、レベッカもボランティアで車を一台出してくれた。スポットに着くなり、ランチの準備。ジョンが今朝早くからぐつぐつやっていたコーンスープをキャンプ用ストーブであっためて、サンドイッチをみんなでほおばる。ランチを早々と済ました後はもち子ども達はそり遊び。ノンストープのそりに直滑降、そしてごろごろ(笑)。2時間程やった後、ホッとチョコレートブレイクにバースティケーキタイム。私たち大人はなーんもやってなかったのだけど、なぜかとっても疲れた一日でした。(でも楽しかったよ〜 ^_^)

2010年2月4日木曜日

「ハピネス浦上」にて其の二:「グリーングリーン」のランチセット

(日替わりランチ例「和風ハンバーグセット」+コーヒ=¥500 ^_^)

奄美大島(奄美市浦上)に高齢者賃貸住宅(養護施設)「ハピネス浦上」がある。そこのレストラン「グリーングリーン」のランチがおいしい。縁あって母と体験入居なるものを2日間やってみた。そこで毎日出されるランチに一目惚れ。値段が安くておいしいというだけでなく、その器のこだわりに惚れてしまいました。聞く所によるとシェフ(若い!)がひとつひとつ選ばれたのだそう。これまたうれしい。

ハピネスは3階建てで、2、3階が居宅スペース。1階に事務所、居宅介護支援事務所、ヘルパーステーション、デイサービススペース等々、そしてこのレストラン「グリーングリーン」もある。このレストランは入居者のためだけでなく、一般にも開放されている。1階の施設の中に、女性専用の岩盤浴も併設されているせいか、このレストランは外来の一般客の利用も多い。

器がちゃんとしているのは、一般客がいるからそのためかと思ったら、そうではなくて、入居されている方々の食事も美しい陶器に配膳されて出てくる。それも食事にあわせて毎回異なった器で。それにちょっと感激。

上の写真はある日(私が奄美を離れた1/19/10)、私が注文したランチの和風ハンバーグセット。これにコーヒーがついて、たったの五百円。そのコーヒーも白地にブルーの美しいカップ&ソーサーで出てきました。その心意気がうれしい。

(*2つ目の写真は食事の後、空港へ向かう私をスタッフの方々、母の友人、そして私の友人等が玄関で見送ってくれた時のもの。)

2010年2月3日水曜日

奄美の「ウニ丼&まだ汁セット」:食することはアートすること!

(ウニ丼定食:手前左からウニ丼とまだ汁(イカスミのみそ汁)。上左から、パパイア漬けにさざえとにがうりのつぶみそあえもの)

奄美に帰って来ていつも楽しみにしている場所がある。もちろん食べ物屋さん。「番屋(ばんや)」という。定食屋さんである。奄美の友人、中学の同窓の久代ちゃんからいいところがあるからと連れていってもらったのが始まり。もう5〜6年前のことである。奄美の北、空港へ行く途中竜郷町というところ、ちょうど目の前に桟橋があり漁船がいくつも停泊している。その漁師さん相手の定食屋がもともとの始まり。それが新鮮な魚介類をたくさん使ったそしてその安い値段が口コミで広がって人気の店。
私がいつも頼むのはこれ。奄美のウニ丼定食(上記の写真)。馬糞ウニと違って汁気の多いオレンジの色鮮やかなウニ(しらひげウニ)を使っている。それを惜しげもなくごはんの上にどびゃ〜と乗せ、それについているまだ汁(いか墨のみそ汁)がもう絶品中の絶品。これにパパイヤ漬けのおつけものに、小鉢(今回はさざえとにがうりのみそ和え)がついて、ななんと「1,500円」なのだよ。さらに、千円追加するだけで、このまだ汁を伊勢エビのみそ汁に変えてくれる。もちろん私もこれを何度か注文してみました。この伊勢エビのみそ汁は私にはちょっとしょっぱくて(漁師用の味になっているのかも)、私の個人的嗜好では「まだ汁」の方がぐー。そう私はここのまだ汁の大ファン(^_^)。

2010年1月27日水曜日

Kai's 12th Birthday:海12歳小学校最後の年ーどこの中学へ行くか?

今日は海の12歳の誕生日。同じ1/27生まれの有名人と言えば、モーツアルトがいる。(なんとなくうれしい。)
初めての干支の年。年の祝い。昔でいうと元服の年という所かな。

早いもので、この夏(秋)からは中学である。そう考えると、時間が経つ早さを実感する。チコには3つの公立中学校(6th & 7th Grades の2学年)がある。(他にも小中連続の公立学校、チャータースクールとしての中学校、そしてカソリックスクールなどの私立の中学校等もある。)日本と違って校区の学校に必ず行く必要はないので、ペティションの書類を提出さえすれば、割と自由に選ぶことができる。どこにするか迷い時。それぞれの学校を訪問見学させてもらって最終的に決めることにしている。

Bidwell Junior Hight School:

2010年1月14日木曜日

「ハピネス浦上」にて其の一:島口島ゆむた(カケロマ方言)



母の島ゆむた(奄美の方言)を久しぶりに聞いた。奄美大島本島のすぐ南に位置するさらに小さな島、加計呂麻(カケロマ)の西の端「芝」集落の言葉である。「ハピネス浦上」というホームのレストランにお勤めの叶(かのう)さんとの会話の様子がこのビデオ。叶さんご自身は「薩川」のご出身で、そこは母が小中学校を通った土地でもある。

私は奄美大島の中心地で唯一の「市」でもある旧名瀬市(現奄美市)生まれ/育ちで「島ゆむた(方言)」が話せない。田舎の中の都会っこだったのだ(笑)。といっても東京弁と属に言われる日本の共通語で育った訳ではなく、「名瀬言葉」を使っていた。これは、奄美大島諸島の共通語と言われるもので、現在テレビのドラマとかで話されている奄美の方言は実はこれ。奄美大島諸島には、島々によって異なる方言(島ゆむた)が存在するが、奄美大島本島の中でさえ、その地域ごとに異なる方言は多種に及ぶ。ということで、奄美諸島全体に通じる奄美共通語とも言える「名瀬言葉」が生まれたわけである。

奄美各地のそれぞれ方言の中には、日本の古語や音韻がそのまままだ残っているそうで、そこが音楽(島唄)や演芸(踊り)についての研究(民族学)のみならず、言語学の宝庫ともいわれる由縁でもある。残念な事に、昭和40年代頃から、皆で共通語をモットーにした共通語統一運動が教育の場で広がっていて、子ども達が方言を話すたびに罰金というような懲罰も起きていたくらいで、その影響か名瀬出身の私のようなものはもとより、それぞれの出身地においてさえ奄美各地の方言を話せる人が少なくなっている。現在は地域活性化と評し、地域の文化を推進する運動が教育の場でも広がりつつあり、「総合教育」の中で、ふるさと奄美大島の再発見をと方言を再評価する動きも出てきているとのこと。この運動が大きく広がる事を祈るばかりである。

さて母の言葉である。久しぶりの母のカケロマ方言は優雅で美しい。芝が瀬戸内(せとうち)という穏やかな内海に面しているせいか、ゆるやかで耳に優しい言葉でもある。カケロマには他の多くの土地のように、平家の落ち武者伝説が残っていて、関連の史跡もいくつか存在し、平家によって伝えられたという「諸純(しょどん)しばや」(国指定重要無形民俗文化財)もある。

ちなみに父の田舎の小湊(現在は奄美市の一部)の方言は荒い。小湊はもともと漁師村で、母に言わせると太平洋の荒海に面していて、その波音にまけないように話しているので、芝の言葉と違い荒くなってしまっているとの事。かなり母のバイアス(偏見)がかかっている解釈のような気もするが、あたらずとも遠からずというところかもしれない。

これまた余談だが、奄美(あまみ:古くは「海見」とも記された時代もある)は、遣唐使(7c)の頃より、日本の歴史の中にすでに存在するそうで、海のシルクロード(奄美では「道の島」と呼んでいる)の貿易中継地であったとのこと。琉球や島津の圧政支配下、悲惨な歴史をたどったことで知られているが、それでも奄美の人々はそれなりの(精神的に)豊かな生活をいとなんでいたのではないだろうか。そうでないとこんなユニークで豊かな文化は生まれなかったような気がする。そう信じたいというこれまた奄美出身の私自身のバイアスかもしれない。母の事は笑えない。私も同類である(笑)。