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2009年3月30日月曜日

カリフォルニア州立大学 vs. カリフォルニア大学: CSU (California State University) vs. UC (University of California)

カリフォルニア州には2つの大きな公立(州立)の大学ネットワークシステムがある。ひとつはカリフォルニア州立大学 (CSU)でひとつはカリフォルニア大学(UC)である。

カリフォルニア州立大学は、全米で一番大きな総合大学ネットワークで、カリフォルニア州立大学の名の下、カリフォルニア州全体で23校存在する。大学院の修士まで取得できる。(博士号の取得のためには、例えば下記のカリフォルニア大学のように研究母体大学へ進むことになる。)カリフォルニア州立大学チコ校はそのひとつ、学生数約1万6千人を有する中規模校、カリフォルニア州北部の教育の中心である。それぞれのキャンパスの規模はそれぞれだが、小さいキャンパスで約一万人弱、大きいところで約三万五千人の学生数を有する。全キャンパス23校全体の学生数は約45万人。

また研究母体の大学としてよく知られるカリフォルニア大学は、そのシステムのもと、実は10校存在する。有名なUC-Berkley (University of California, Berkley) はサンフランシスコ近郊バークレー市にあるカリフォルニア大学ということである。UCLA (University of California, Los Angeles) は同大学ロスアンジェルス校というわけである。ここでは博士号まで取得できる。10キャンパス全体の学生数はやく22万人。

これらは、同大学名のもとに、このようにいくつかのキャンパスがあるが、日本のようにそれらはメインキャンパスの元分校として成り立っているわけではなく、それぞれが独立した大学であり、各大学の場所(地域)名が大学の名前の後(もしくは前)についている場合が多い。例えば California State University, Chico (これはカリフォルニア州立大学チコ市にあるキャンパスという意)また San Francisco State University (サンフランシスコ市にあるカリフォルニア州立大学)。

余談だが、カリフォルニア州立大学は全米の州立大学でも学費が安いことで有名。50州の中で、もっとも生活費の高いカリフォルニア州の学費が安い?ちょっと以外かも、でも事実。(*州立大学システムを作るにあたって、州民全体の高等教育レベルの向上という理念のもと、先人達の努力で、州がその学費をかなり負担するということになったらしい。でも皮肉なことにそのことが原因、つまり州の教育予算の具合によって、大学運営が一喜一憂することになる。このことは前回3/29付けのブログでも一目瞭然。)

州の学生であれば、1年間の学費が約4千ドル〜5千ドル(関係費用も含めて)。州外の学生はその約2倍の学費を徴収される。ただ州外の学生でも一年カリフォルニアに住んでいることが証明できれば、カリフォルニア州住民とみなされ、その学費ですむ。または1年後には州価格での授業料となる。ただし、海外からの留学組、例えば日本人留学生などの場合は、この例に入らない。何年住もうと(グリーンカードを取得しない限り)、外人価格の授業料、約通常の3倍の授業料を徴収される。(ということで、留学の際に、貯金通帳の残高証明が必要書類のひとつになっているのですね。つまり留学している間、働かなくても授業料を払える経済状況にあるということの証明が必要になっている。)何れにしろ、それでも米国の学生達にとっては、安い金額ではないので、ほとんどの人が働きながら大学にかよっている。また大学の通う学生の年齢も民族(エスニック)同様、様々である。

(ここチコには約150人の日本人留学生がいるとのことである。チコに通う約1万6千人の学生にまぎれてしまって、私はそういった日本人学生をほとんど見かけないのだが、ほとんどが高校出て数年の若い学生達であるらしい。彼らの学費はもちろん留学生価格である。そしてそれにプラスして生活費もいる。そういう学生達の留学費用のことを思うと、それを背負っているであろう親の苦労をついつい思ってしまう。この150人の中で、いったい何人がちゃんと卒業できるのだろう。みんな〜!親の血と汗と涙の結晶を無駄にしないで、がんばってくれ!!!)

(*余談ついでに、もちろん公立以外、私立も多数の大学が存在するのは周知の事実。有名なところで、東のハーバードと比較される、ここ西のスタンフォード大学、そして日本関連研究で著名な南カリフォルニア大学など、多数。でも学費が目の玉が飛び出るほど高い。米国の私大は、日本の医学部並みの授業料をぶんどるのである >_<,,, 上記のように、州立大学の学費も日本の国立大学と比較してとても高いです。)

カリフォルニア州の大学システムの概要(英文)のサイトからの抜粋は下記をご参照のこと。


The CSU is a leader in high-quality, accessible, student-focused higher education. With 23 campuses, almost 450,000 students, and 47,000 faculty and staff, we are the largest, the most diverse, and one of the most affordable university systems in the country. We offer unlimited opportunities to help students achieve their goals. We prepare graduates who go on to make a difference in the workforce. We engage in research and creative activities leading to scientific, technical, artistic and social advances. And we play a vital role in the growth and development of California's communities and economy.

The campuses of the University of California provide exciting environments that foster world-class educational and research opportunities and generate a wide range of benefits and services that touch the lives of Californians throughout the state. The UC family includes more than 220,000 students, more than 170,000 faculty and staff, 37,000 retirees and more than 1.5 million living alumni. Opened in 2005, the UC system's tenth campus at Merced—the nation's first public research university to be built in the 21st century—is the first new UC campus in 40 years. UC is also actively involved in locations beyond its campuses, national laboratories, medical centers and neighboring communities — in places throughout California, around the world and online.

2009年3月29日日曜日

カリフォルニア州立大学2校の閉鎖?:Info from CFA (California Faculty Association)


"We are a union of 23000 professors, lecturers, librarians, counselors and coaches who teach in the California State University system."

先日3/25付けのプログで教育費破綻のあおりを受けて、今チコ市では10億の予算カットのため、160人余りの小学校教員の削除を予定しているという情報をあげたが、それ以上の驚くべきニュースをついさっき CFA (California Faculty Association: カリフォルニア州立大学教職組合)のミーティングの夕食会で知った。この数年予算カットが続いて汲々としている現状の中で、さらにカリフォルニア州立大学全体(23校)で200億の予算削減が現実となった。その対応策として、カリフォルニア州立大学システム、23校(全体で約45万人の学生)の内、2校を閉鎖する計画があがっているとのこと。学生数約3万人あまり、そして全体で3千人余の人たちが職を失う事になる。これは私立ではない、州立の大学でのことである。日本では考えられない現実だと思う。(米国では総合国立大学は存在しないので、州立が公立大学で一番大きな組織となる。)

さすがに明日大学閉鎖ということにはならないらしいが、今後学生をとらずに、すべての学生が卒業するのを待っての閉鎖のプロセス。これに大学院の学生の卒業も含まれるのかどうかは定かではないが、少なくとも今後5−6年かけて、閉鎖に向かうということらしい。実際に候補に挙がっているのは、23校の内5校、その内の2校が確実視されている。(*23校のロケーション地図はここをクリック!

(まだ確定ではないので、大学名はここでは伏せておく事にする。カリフォルニア州の中部と南部エリアで大学が拮抗している地域で、比較的中規模のキャンパスが候補にあがっているとのこと。チコは幸いな事に北部エリアの中心を担っているので、これらの候補には挙がっていないとの事。しかし、他のキャンパスとはいえ、安定していたはずの職場を失う恐怖というのは人ごとではない。)

そういえば数年前に、チコ市で小学校3校の閉鎖があった。教育予算の縮小、その結果の削減が目的で、その3校になった理由はコストパフォーマンスというより、前ブッシュ大統領が2001年にサインした NCLB (No Child Left Behind: 落ちこぼれをなくすな教育政策)の一環、テストパフォーマンス (NAEP: National Assessment of Educational Progress:全国一斉学力テスト)の低いところが閉鎖のターゲットになったらしい。米国では、現場の先生方にとって教職は聖職どころか安定した職業でもなんでもない。それでも他の職業に比べて比較的安定している(と思われている?)せいか、いつもで教員養成プログラム (Credential Program: Single & Multiple subjects) は一杯である。


2009年3月28日土曜日

Mt. Shasta (シェスタ山):カリフォルニアの霊峰「富士山」


チコの街から北へ州道99号線、そして国道5号線を北上すること約1時間半(〜2時間)でシャスタ山に着く。ここはカリフォルニアで2番目に高い山で4千m級の山。富士山より高い。霊峰でかの地にいた先住民シェスタ族がこの名の由来になっているとのこと。サンフランシスコ空港で、プロペラ機に乗り換えて北上すること約1時間の距離チコ(車だと約3時間)。その機内の中でちょうど進行方向に向かって遠く、すくっとそびえたつ単峰(?)を見る事ができる。この山を見てあっやっと帰ったきたと実感する私にとっては、アメリカの富士山のような存在。うっ美しい〜。(余談だけど、羽田からJALで奄美に向かう途中で進行方向向かって右に富士山をみることが出来る。「富士は〜日本一の山〜」と唱われるけれど、「世界一」に変えて私は唱っている。私は本当にそう思う。新年に飛行機の窓から見る富士の雪山は絶品である。)

実は毎年冬はここでスキーをするのは我が家の年中行事にもなっている。カリフォルニアにはかつてオリンピック会場にもなった有名はタホ(タホ湖)というスキー場あるが、それとは違いかなりローカルな、リフトも4機のみの小さなスキー場。3/14&15とちょうど私の方の春休み入りの週末に行って来た。もちろんスキーをしにのはずだった、、、のだけれど、ぼけの入っていた私は週末明けに締め切りの原稿(本の批評)があることを宿についたその夜に発見。ジョンと海がスキーをしている間、ロッジのテーブルで一日中原稿を読むはめになってしまったのでした。超悲しー(>_<,,,) 読みがいのある良い原稿だったので良かったけれど、楽しみにしていたスキーが出来なかったのは痛かった。まさかこれが今シーズン最初で最後のスキーになったりしないでしょうね。う〜、、、













写真上は1番下のリフト。日曜なのに、混んでもこの程度 ^_^ ちなみに右から5&6番目の黒い影が海とジョン。実はこの渋滞も機械の問題で、リフトがストップしている状態で、自然渋滞ではない。このあとすぐジョンは渋滞に待ちきれず、歩いて近くのもう一つのリフトへ。写真左に「Mt. Shasta」の青いのぼりが見える。今の時期こどもたちのレースが毎週末行われているとか。私の学生で、11歳になる娘がその競技に出ているという、30代の学生からの情報。地域のスキー場&ファミリースキー場という感じでとてもよい。去年のシーズンから息子の海も一緒にすべれるくらいのレベルになって、毎年2〜3回程、通っている。私はスキー以上に宿でのジャクジー(公共バブルお風呂)が実は目当て。もちろん水着着用。アルコール抜きである。ちょっと残念 (>_<,,,)

2009年3月26日木曜日

博士号への長〜い道?:ArtEd Doctoral Thesis Paper in the U of I (University of Illinois at Urbana-Champaign)


この写真はちょうど私の卒業式の時のものだから、今から11年前、1998年の5月中旬。海が生まれて3ヶ月半ということになる。月日の経つ早さを思うとめまいがしそうだが、あの時の自分の生活を振り返ってみて、あのタイミングでよくすべて終了できたなと感嘆。いまだったら絶対できないことで、若さ(その時ですでに30代後半だったけど)と、海が生まれてくるまでに、すべて終了させなければという崖っぷちの気分に近かった。結果的には、それがモチベーションになって、終わらせることができたのだろう。

米国に来た(日本から見ると「行った」かな?)いきさつについては、原稿を美術教育ニュースで「思えば遠くへきたもんだ」というのをだいぶ前に書いたことがあるし、博士卒論についても、つい最近別の研究ブログ Visual Pop-culture blog(3/26付け)に書いたが、ここでは博士号取得のプロセスとその裏話も少し。

博士課程に入ってから卒論を書くまでには、米国でははっきりとした段階的プロセスがあって、私の出たイリノイ大学(University of Illinois at Urbana-Champaign)も同様。もちろん修士号終了後、博士課程に進むのだが、美術教育の場合、修士の資格の他に少なくとも公立学校で3年間の教師経験が必要ということになっている。とはいえ、教師経験以外の現場の経験、例えば美術館での仕事経験等、けっこう他の経験でその代替にもなっているようで、特に海外からの博士課程組にはそういうケースが多いような気がする。ちなみに私の場合は、日本人学校での教師歴5年(それも美術ではなくて、中学での国語専任と小学校の担任としての経験)と私立カソリックスクールでの美術教師歴4年(小学校1年〜中学2年)がそれを満たすということで、オッケーが出た。(結構いいかげんである ^_^)。ようは学校をストレートに学問だけして博士課程に進むのではなく、現場の経験が大切ということなのだという理屈なのだと私は解釈している。

1. Quality Examination: 博士課程のコースワーク終了後、いよいよ博士論文執筆に入るわけだが、その前にQualify Examination という、資格試験(博士論文執筆に入るだけの基礎知識を会得しているかどうかの確認試験)を受けなければいけない。これが第一関門で、論文試験である。結構状況によってその内容や方法が、(そして特に試験監督教授によって)異なるらしいので、私の場合はというと、二人の教授からそれぞれ、論文のタイトルを与えられ、それに回答する形で論文を1週間以内に作成してくるというものだった。あっそうそう博士課程に入る前に、美術教育関連の読んでおくべく本のリスト(約100冊)を与えられているので、基本的にはそのテストに入るまでに、これらの本を全部読んでおく必要があるということになる。(*うちの先生達は優しくて、本人の卒論方向に沿った質問をちゃんと考えて出してくれていて、これらの作成論文がその卒論作成にちゃんと役にたつように考えてくれている。感謝。そういうことで、この時集中してまとめた論文、特に描画や美意識の発達論の比較表などは、今でも結構役にたっている。)

2. Committee選択: そのテストにパスした後、今度は卒論を審査するコミッティーを選ぶことになる。全部で4人。その中に少なくとも一人は、美術教育専門以外から選ぶということになっている。が、私の場合、全く逆で、一人のみ美術教育から、他の三人は他の専門分野からお願いした。特に認知心理学と研究方法論の専門分野からお願いしたが、自分の研究の方向性を指導してもらうためなので、このコミッティーメンバーの選択は特に重要である。お願いしても、皆超多忙な教授陣なので、皆が皆引き受けてくれるとは限らない。私の場合はその美術教育からの一人(つまり私の卒論指導教授)と相談をして、良い組み合わせのメンバーを選択し、お願いした。結果はラッキー!(*この時、コミッティーメンバーの中が良いかどうか、少なくとも敵対関係にない人々を選ぶのが大切と先輩方から教えてもらったので、この辺も確認。)

3. Preliminarily Examination: この後、本格的に卒論の執筆を始めることになる。最初の3−4章(研究の方法論のところまで)まで書き上げたところで、Preliminarily Examination というのを受けなくてはいけない。これが第二の関門。コミッティーメンバーの教授陣に書き上げた論文を送付し、内容を確認してもらい、メンバーを全員収集しての口頭試問テストとなる。そこで研究の方向性や方法論が妥当であるかどうかの厳しいチェックが入る。たくさんの修正案が出され、それに対して更新論文を執筆しなおさなればいけない。へたをすれば、ここで論文の完全変更ややりなおしを命ぜられることにもなる。(そうなのここで結構足踏みをするケースも少なからずある。)私の場合は、それぞれの提案や修正案が提示されただけで、そのまま論文を書き進めて良いという許可をもらうことができ、ひとまずほっと。そして、ここで最終ディフェンス(最終試問テスト)の日程を来年2月ということに。

それがだ。ここからが問題。まずい妊娠してしまったのだ。出産予定日が1/25/98。すぐに指導教官(アドバイザー)のティナに連絡。最初はちょっとあきれたように、「しょうがないわね」。の一言にあと、「私も覚えがあるから、とにかく中止にしないで、口頭試験の日にちを少し前倒しにできるかどうかの確認をコミッティーメンバーにしましょう。その後はもう運だから。おなかの赤ちゃんによく頼んでおいてね。」と笑顔。(実はご本人も修士号の時に同様の経験をしているとのこと ^_^)

それからはもうなんとも長ーい(そして他人には退屈にすぎない)話しになるので、ここでは省略。とにかくこの時も学生と美術教師の二足のわらじをはいていたので、仕事と論文執筆の両方を日に日に大きくなるおなかと格闘しながら、やっておりましたね。とにかく試験の前、2ヶ月前までには余裕を持ってコミッティーメンバーに卒論の完全版を送付。ということで、遅くとも年内12月初めまでに全員に送付。試験にそなえてもらわなければいけない。大変大変できるかなあ、、、

ひとつエピソード。試問試験一日前(1/23/98)の病院での最終検診の時、血圧が異常にあがってしまい、看護婦さんから至急入院をすすめられたのだが、明日試験なのでそれまでは待っててほしいと懇願すると、「あなた赤ちゃんと試験とどっちが大切なの?!」ときつくしかられることに。でもでも私は思わず悲痛な声で答えてしまいました。「赤ちゃんはもちろん大切。でもこの子はまだおなかの中に9ヶ月しかいないけど、私はこの研究に5年使ったんです。」看護婦さんはあきれたように、私をにらみつけていたけど、そばにいた私の担当の先生(お医者さん)が、「じゃあ一時間後にもう一度検査して、血圧が通常値までさがったらオッケー、高かったら至急入院てことでどう?」と。結果は正常値に。ほっ。看護婦さんの「試験が終わって、すぐに病院に入院よ。わかってますね」という言葉を背中に聞きながら、明日の準備のため、自宅へ。

4. Defense(最終試問試験): ディフェンス当日(1/24/98)、はちきれんばかりに大きくふくらんだおなかで試験にのぞみ、1時間の発表、そして1時間の質疑応答。計約2時間の試験。妊婦に対して同情して少し優しくしてくれるかなあという下心がなかったとは言えないけど、、、その期待は完全に裏切られ、たくさんの質問が飛んできましたよ。試験が終わり、隣の部屋でコミッテーの話し合いを待つ事15分。Dr. Tina Thompson の 「Congratulations! Dr. Toku」の笑顔にテストにパスしたことを知ったのでした。その時の彼女の言葉を私は一生忘れないと思う。「You are not my student anymore, but my colleague from now on. (これであなたはもう私の生徒ではないの。今日から美術教育を指導する同僚の一人よ。」おもわず涙が出ました。その時、私の試験に何人かの学生も参考にしたいと見学していたけれど、その何人かももらい泣きで「よかったよかった。」とハグ(抱きしめて)してくれました。みんな元気かなあ。

もうこういうこともありましたね、というくらいはるか昔のことになってしまいましたが、昨日のことのように思い出します。(予定日より早く生まれたらどうしようと心配していましたが、結果は、居心地が良くなってしまったうちの息子は翌日の予定日にも出てこず、2日遅れで1/27に約10時間かかって出てきました。)

5. Paper Deposit(最終版卒論提出): その後、また試問試験の際、指導を受けた修正事項を元に、卒論の最終修正をし、大学出版指定の書式へ変更、決められた日までに提出。というプロセス。期限までに提出できない場合は、卒業式に出れないとあって、4月の締め切りまでの2ヶ月間で、これまた必死に仕上げました。

6. Graduation(卒業式): その後、晴れて卒業式に出れることになった私は、海と一緒にこうやって笑顔で写真にうつることができました。なんていうことはないただのスナップ写真の一枚なのですが、私にとってはその裏に博士号取得への長ーい道のりを思い起こしてくれる記念すべき一枚でもあります。とにかくこれが今の私の原点 (^_^)。その息子、海ももう11歳。(本人はもちろんなんにも覚えてない。)


2009年3月25日水曜日

160人の先生達の行方は:160 teachers who might be lay off in Chico


We can change! 変革を望んだ米国市民によって選ばれた新大統領。しかしオバマ新大統領になったからといって、すべての問題が一気に解決されるわけではもちろんない。いくら彼が教育に力を入れたいと宣言したところで、巨額の経済赤字をかかえた米国では、それは希望にしか過ぎなく、それぞれの州、地域の教育現場において、彼の希望が反映されるには時間がかかるに違いない。今はむしろほど遠い状態。教育は経済赤字の粛正の真っ先のターゲット。そう米国の教育は遠の昔に聖域などではなくなっている。アメリカ人なら誰でも知っていることである。また教育現場で日本だったらまず絶対起こらないようなことが平気がおこるのがまたアメリカである。教育現場もまたビジネス界のように市場原理で動いていることを知って愕然とすることも多い。残念ながら下記の件もその一例である。

つい最近我が街チコ市で約160余の義務教育の先生(K-12th Grade: 幼稚園から高校まで)が首になるかもしれないとの話しで持ちきりになった。(*チコ市教育委員会)人口十万の市である、先生(主に小学校の先生?)がそんなに一気に首になるなんて、ちょっと常識では考えられない。しかしこのうわさは結構現実味を帯びて来ている。チコの教育は10億の赤字なのだそうである。それがイコール約160余人の首切り、つまり人件費(給与)の削減ということになる。そんなに一斉に教員を減らして、義務教育は成り立つのか、削減された教師の分、クラスはどう運営されるのか?答えは一つ。小学校の場合、カリフォルニアでは小学校低学年では、少人数体制で厚い教育をというのが理念で、今まで小学校1年から3年までは人クラス20人制をとってきている。小学校4年から一気に生徒数が増え、20人から35人になる。これをすべての学年で35人体制にし、その分教員を減らすという発想である。

じゃあどういう先生がレイオフ(首になるのか)というとこれがまた実力主義のアメリカとは思えない、教職歴年数の少ない人たちからということらしい。とはいってもこれは教職歴の長さであって、若い方からということではない。あくまでも教職についてからの年数である。具体的には、1995年以後にテニュア(終身雇用システム)をとった先生、つまり教職歴13年以下の先生方が対象になっているらしい。(*日本と違って、大学卒業後すぐに教職につく人は結構まれで、いったん卒業しても他の職業を経たりと、教職に入る時にすでにある程度の年齢になっているケースが多い。大学の教員もまた同じである。もちろん私も10年余の寄り道をしています。)

最近その条件にあたる先生方に、桃色の通知書が手元に届いたのだそうだ。(すぐに日本の徴兵通知の赤紙を不謹慎にも思い起こしてしまった。)まだ決定事項ではないといいながら、この通知をもらった先生方はどういう気持ちで今、教壇にたっているのだろう。その気持ちを思うと、何もできない父兄である自分たちが情けなくてしょうがない。そのリストの中に、今海の担任の先生の名前も、そして次の6年生の先生になる予定の先生の名前もあった。これらの先生はGATE (ゲイト)という、Gifted Program という市全体の小学校から選ばれた子ども達が集まるプログラムの教師達で、そういう意味で教師自身も優れた人たちがついている。そういう人たちも関係なく、教職歴だけでレイオフの教師のリストに入っている。(これが考えられる一番公平なリストだそうだ。腑に落ちないし、その理屈がわからない。)

たぶん似たようなことが全米あちこちで今起きているのだろう。教育が聖域であるかどうかの議論以前の問題。何の話し合いもなく、簡単に予算削減として教員の首が飛ぶ。これが米国の教育現場の現実。それに対して私たちは何ができるのか。答えはなかなか出てこない....(>_<,,,)

最後にこの160人の中に美術(図画工作)の先生は入っているかどうか?実は入ってないとの事。というよりこの160人の教師の数にすらカウントされてなくて、この160人以前に真っ先に首を切られるのが、特に小学校では専科、音楽&美術*の先生だそう。その美術教師になる学生達を指導している私は、その学生達の未来になんといったら良いのだろう。

*(追記)ここチコの街では、小学校の図工の先生は2週間に一回の割合で、各学校を回っていて、一つの学校には所属していない。それだけ聞くと、美術教育の環境は悲惨なように思えるが、その一回の図工の時間は半日授業(3時間)で、計算すると1週間に1、5時間の時間数。それを考えると、日本とそれほど変わらない、むしろ多い計算になる。また米国の担任の先生方(特に小中学校)はアートを各科目指導する上で、効果的な方法として多用しているので (Integration with Visual Art)、全体から見ると、教育環境は「美術を通しての教育」と言えなくもない感じで、日本と比べても美術環境は非常に豊かである。

*また現在日本で話題になっている中学校における美術の選択だが、米国では高校同様、中学でも美術はもともと選択である。しかししかしである。美術を選択した場合、実は毎日「美術」の授業が1時間づつある。そう中学における美術の選択というと、これまた悲惨なように聞こえるが、中身を見ると選択の意味が日本と違っていることがわかる。表だけでは見えない、現状がここにある。(高校でも美術を選択した場合、中学同様、毎日美術の授業がある。)

かつて私は米国の友人達に日本では「図画工作」や「美術」は義務教育では必須なので、米国よりずっと豊かだと言い続けてきた。それは数字だけでなく、私がこども時代に受けた、図画工作の授業を元に感じていた事だけれど(私の時代は奄美でも小学校に図画工作の専任がいた ^_^)、それはもう間違った認識ではないかと最近思い始めている。


2009年3月19日木曜日

ホームパーティ(International Faculty Spring Party:3/13/09)

写真左はうちの裏庭にあるひときわ目立つ椿の木。この時期いつも見事なくらい真っ赤は花を咲かせます。うちの回りにも椿が(中古の)家を買った時から植えられていて、他にピンク、白、斑入りのピンク、そして斑入りの赤、全部で4種類。写真には写っていませんが、その右後ろにはサクラの若木も。引っ越し来てから植えた一重と八重。右の写真は同僚、美術史のAsa(エイサ)の一人娘、Lela (リラ)。超かわいい (^_^)。彼女は、米国と中国のダブル(ハーフとは言いたくないので、2つの文化を持つという意味で、私は個人的にこういうことにしている。半分という言い方がなんとなく好きでないので、細かいかもしれないけど、、、)

別にパーティアニマルというわけではないのだけれど、毎学期数回はうちでなんらかのパーティをやっている。いつもポトラック(potluck:辞書にはありあわせ料理とあるが、持ち寄りの意)パーティなので、主催者側もそれほど負担にはならないので、気楽にやれるこの形式でのパーティがうちの場合は多いですね。

どういう人たちとやるかというと、うちの場合は大きくわけて三つ。ひとつはチコにある日本人グループ(特にChico Japanese Women's Club というだんなが外人の日本人女性グループ ^_^)とのパーティ。これはもちろんおいしい日本食を食べたい時と目的はもちろん日本語でのおしゃべり。ジョンが豚肉を食べないので、自分自身が奄美の豚骨(とんこつ)を無性に食べたくなった時など、思いつきでやることが多い(実は一番多いホームパーティがこれ ^_^)。ひとつは学期末にうちでやる美術教育関係の学生を呼んでのパーティ。そしてひとつ今回のもそうだけど、やはり学期毎にやる同僚とのパーティ。芸術学部全員を呼ぶのは小さいうちでは無理なので、いつもなんらかのテーマで人を(結果的に選んで)呼ぶ。例えばよくやるのが、ひなまつり前後にやる女性の同僚だけでの Girls' Party とかね。

今回はうちの学部も国際的でいろんな国から(もしくは文化背景を持った)人々が増えたので、International Faculty party と称してやりました。同僚本人とその伴侶(パートナー)、子どももウエルカム。(ただし犬などのペット抜き。ごめんね)。日々の料理はめんどくさいのだけど、こういった一日がかりの料理作りは私にとってもメディテーション(meditation: 瞑想/心理療法)にもなるので、結構きらいではない。おいしい料理とお酒(ワインとビール)、音楽、そして友がいれば、パーティそのものが、忙しい時のメディテーション。(*すぐ下の写真は家の中。一番下は裏庭に続くデッキの上で星を見ながら、、、とはいえちょっと寒かったかな。)



2009年3月18日水曜日

海のサイエンスプロジェクト:Kai's Science Project (3/10/09)















春である。サイエンスプロジェクトの春がやってきた。海もジョンもプロジェクトにパニクる春でもある。アメリカの学校は小学校からやたらプロジェクトが多く、通常の宿題のように復習や予習をこなすというより、リサーチ(調査&研究)を課される課題がやたら多い。その内の一つがこれ「サイエンスプロジェクト(つまり理科の実験プロジェクト)」

もともと海の学校関係のこと(宿題等々)やめんどうは母である私はほとんど関知しないで、ジョンが見ているのだけど(私ではもう手に負えない >_<,,,)、このサイエンスプロジェクトは特に熱心に見てあげている。ジョンの専門が環境科学で、仕事先がNature Center (自然科学センター)で自然科学の教育プログラムを学校に提供するというようなものらしいから(私も実はよくだんなの仕事をわかっていないの)、特に熱心にめんどうを見ている。海も海でさすがに小さい頃からジョンのおかげで自然に慣れ親しんでいるから、こういったサイエンス関係のプロジェクトにはまじめに取り組んでいる。ということで親子一緒になって力(りき)が入っているのがこのプロジェクト。

去年(4年生の時)の題材が「Does the depth of a seed affect the germination? (土に埋める深さは発芽に影響を与えか?)」で、今年(5年生)のテーマが「Does Light Affect Plant Stomata?(光は植物の気孔作用に影響を与えるか?)」というものらしい。もうこの辺で私にはちんぷんかんぶん。よくもまあ5年生くらいで、こんなテーマでよくやるわいと思う。でもたぶん他の生徒はこんなにまじめに取り組んでいないと思うけどなあ。良い意味、海の場合、熱心なのは「好きこそ物の上手慣れ」という見本みたいなものかなあ。間違いなく、これはジョンの影響。私のDNAでないことだけは確か。私の役目は、実験結果のレポートとしてカーボードにうまくディスプレイーするののお手伝いくらい。一応美術の先生なので、私は私でここで力(りき)が入ります(笑)。

このプロジェクトは学校にまず提出後、良い物は市の展示へ回されるとのこと。そこでまたいろいろな賞が与えられるらしい。そこがまたアメリカ的。(2年前は何かを培養させるような実験で1等賞をもらって表彰されてみたいだけど、去年は私のサバティカル休暇で日本に滞在してチャンスを逃した。今年はどうかなあ、、、というか本人は賞をもらうかどうかは正直どうでも良くて、こういう実験そのものが好きみたいね。良い事、良い事 ^_^) *下記その気孔(Stomata)を顕微鏡で見た写真とのこと(海より提供)


2009年3月17日火曜日

米国「芸術を通しての教育」:USSEA (United States for Education through Art)

NAEA (NAEA: National Art Education Association: 米国美術教育協会)は非常にうまく学会を運営していて、学会開催時千件もある発表も対象年齢またはテーマ毎に時間軸でよく整理されている。発表時間を見ながら、にその分類を元に、たくさんある発表の中から個人の興味のあるテーマを効率よく確認できるようになっている。見事である。例えば、義務教育における美術教育関連のテーマをを学年毎(K−12th:幼稚園から高校)に、さらに美術教育関連のテーマ毎に細かく分類して、発表を整理している。

またそれとは別にNAEAにはSpecial Issue Group (特別テーマグループ)という風に、分科グループのようなものも存在している。特にあるテーマを中心に興味のある人々が学年や地域を越えて集まり、NAEAの学会開催時に話し合いをするのである。年会費を徴収(一人$20〜30程)して、毎年、もしくは隔年でそのテーマを中心として論文集を出していることも多い。参加自由、また離れるのも自由とオープンな組織で一人でいくつも入っている場合も多い。とはいえちゃんとした組織なので、中心となる組織委員会 (Board members)をNAEAとは別に組織して運営している。(NAEA学会の場を利用して、集まっていると行った方が良いかもしれない。)

この USSEA (United Society for Education through Art) もその一つで、昨年8月に大阪で国際学会のあった InSEA (International Society for Education through Art) の米国版のようなものでもある。ということでインシアとも強く結びついていて、米国だけでなく世界を視野にいれた美術教育「芸術を通しての教育」を理念に集まっている。

私もいつのまにかイリノイ大学の先輩, Dr. Alice Arnold が代表者 (President) だったときに誘われて入って5、6年目に入るのではないかと思う。昨年は大阪インシアのお手伝いをさせてもらったので、このUSSEAにはお世話になった。特に隔月に発行されるNAEA新聞にはこの特別テーマグループの情報提供のコーナーがあり、そこでも2度程大阪インシアのことを紹介してもらった。

またUSSEAでは NAEAの学会開催中、メンバー全体が集まっての昼食会(Luncheon)も開いていて、そこで例年、米国人の中から一人、また外国人(米国人国籍ではないという意味)から一人、美術教育に最も貢献のあった人を選び、Ziegfeld Award という賞をあげている。ありがたいことに昨年2008年度はその外国人として私がその栄誉に預かった。残念ながら昨年2008年度の学会は日本にいたため行けず、開催地ニューオリンズには、私の同僚 Dr. Teresa Cotnerに代理発表並びに賞を受け取ってもらった。ところがところがインシア大阪学会のとき、そのメンバーがわざわざ私の発表時に花束と表彰を再度してくれたのである。メンバーの厚意には本当に感謝である。さらに現在の代表 Dr. Allan Richard より、今年2009年度ミネアポリスでの昼食会で、私に大阪での報告発表をしてくれとの依頼があった。たぶん昨年出れなかった私にみな気を使ってくれているんだと思う。優しいなあ。有り難い気持ちで一杯。

2009年3月5日木曜日

米国美術教育協会:NAEA (National Art Education Association)


春だ3月だ。NAEA学会の季節である。米国では、各州に学年を超えた美術教育協会があり、例えばカリフォルニア州ではカリフォルニア美術教育協会 (CAEA : California Art Education Association)、それを総括する形で米国美術教育協会 (NAEA: National Art Education Association)が存在する。毎年3千から5千人の参加者があり、論文発表だけで6百件余、ワークショップや招待基調講演、特別シンポジウムなどを’入れると千件近い発表がある。それを五日間で消化する、全米最大(というより世界最大)の美術教育関係の学会。参加者も幼稚園から大学までに教員、美術館関係、そして学生と広い。また語られるテーマも学年ごとのカリキュラムの実践や一般的な教育理論から時代に応じてまた社会のニーズにあわせて、関連理論を含め多岐にわたる。

そして米国の学会でありながら、実は世界中から参加者がやってくるといっても過言じゃない。(昨今ではアジアから、特に台湾&韓国から多くの人がやってくる。日本ではちょうど卒業シーズンと重なる時期であることや、日本での美術教育学会の開催時期とも重なってしまうので、日本からの参加者が少ないのでとても残念。特にもっと現場の先生方の発表をここでどんどんして欲しいのに、、、何度が日本からの先生方の発表をお手伝いしたが、いつも大盛況。参加者からもっと日本からの発表をという声も高いんですよ。ほんとにほんとよ!!!)

例年3月に米国のどこかの大都市(西、中央、そして東と回る)で開催されるのが常だが、今年は北のミネアポリスで4/17(金)~4/21(火)にかけての五日間(寒い土地なので4月)の開催です。(この時期ならもしかして日本からも来れるのでは?)

発表応募締め切りはなんと8ヶ月以上も前の6月の中旬〜7月初旬の間頃。なにせ一般発表6百件が上限のところ、例年倍の1,200〜1,500件のプロポーザルが届くので、それぐらい時間をかけないと選別できないのだろうと想像する。ということで、応募する側も一件だけでは落ちる可能性が大きいので、当然2〜3件応募して、1件、運がよければ2件くらいの発表と見越して、多く応募するのが、結果的に倍以上の応募が例年届くという事になる。



1995年の学生時代から毎年参加発表している私ですが、なんと昨年はサバティカル (sabbatical: 研究長期休暇)で大学で教鞭をとる義務から解放され半年日本に滞在して仕事をしていたので、昨年なんと締め切りをすっかり失念。(カレンダーにも忘れないように、しっかり印をつけていたのに〜 >_<,,,)。この学会は大学卒業後、全米に散り、各地で仕事をしているかつての学友達や恩師にも会える、同窓会のような場でもあるので、今回はみんなに会いに行ってこようと思う。と思っていたら別の同僚から共同での発表を依頼されたのと、USSEA: (United State Society for Education:InSEAの米国版)のランチパーティで昨年8月の大阪でのInSEA (International Society for Education through Art)のことを少し発表することになった。それでもいつもの個人での論文発表に比べれば、精神的にずっ〜と楽。久しぶりに皆とわいわい情報交換をしながら交遊を暖めることにしよう。

*米国では大きな学会開催場はホテルで開催されることが多い。日本では、ホテル=結婚式場として使われることがスティタスになるわけだが、米国では、ホテル=学会会場というわけである。また学会会場先が参加者に取っての宿泊先となるので、便利。今年のミネアポリスでの学会会場はヒルトンホテル。5千人も収容するだけのキャパシティがないと行けないわけで、大きなホテルが使かわれるということに。また多くの教材&教科書会社が出店する場所も設けられていて、ホテル内で、通常ダンスホールのような大会場があてられることが多い。百件余の出店があり、宣伝のためたくさんの無料サンプルを配布してくれるので、「空のスーツケースをいつも一つ用意してくるのよ〜」という強者もいるとか。(ちなみに私ではありません ^_^)

2009年3月4日水曜日

米国大学での査定&昇格システム (RTP: Retention, Tenure, & Promotion): 助教授と准教授のはるかなる違い

2月初旬、私の所属するカレッジ、HFA (College of Humanities and Find Arts) の RTP committee (昇進査定委員会)から公式文書が届いた。「教授への昇進を推薦する。」というもの。「やっとここまできたか。」うれしいというより安堵感で一杯。実はまだまだ最終決定ではなくて、内定の段階。このあとProvost (副学長)の正式の承認書が4月頃届き、それで決定ということになる。

2/26の記事で、米国で大学教員を正式公募する時の公募方法、そして採用方法についてちょっと紹介したように、どこの大学でも似たような内容&条件で公募を行う。そして大学で博士号を取得後就職する際、年齢に関係なく、「助教授 (assistant professor」でまず採用されることになる。が、採用された後、どのようにステップアップ(昇格)していくのかも、かなり体系的なルールに基づいて決められている。例えば、「教授」が退職して、ポストが一つ空いたので、そこを埋めるために准教授の中から誰かが選ばれて、晴れて教授になるというようなことはない。ポストの数に関係なく、また年齢に関係なく、査定時期に従って、「助教授」から「准教授」にそして「教授」へと査定され、昇格というプロセスを踏むのである。

それでは、どういう風に昇格していくのかというと、まず米国の場合、「テニュア(Tenure)」というシステムを説明する必要がある。このテニュアという言葉を手元の辞書で調べて見ると「(特に大学教員の)終身在職権:通常 Associate Professorに昇格すると取得できる」と書いてある。つまり、助教授から准教授に昇格して初めて、その大学でのポジジョンが保証されるということ。逆に言うと、准教授に昇格するまでは、極端な言い方をすると、まだ仮採用の段階で、査定の結果によっては、首になってしまうこともあるということである。そう、「助」と「准」ではポスト的に雲泥の差があるのである。

通常「助教授」から「准教授」に昇格するまで、毎年査定委員会によって査定され、6年目の年に最終査定が行われ、うまく行けば7年目から晴れて「准教授」、これで肩たたきからの不安からは解放されることになる。

うちの大学では、大学共通の査定項目と条件(Standards:下記の4つの項目)があり、その内容は、また学部ごとに詳細に決められている。

A. Teaching and related activities (教授&指導の効果性)
B. Research, scholarship and creative activity(研究)
C. Service to the department, college, university, profession and/or community (大学や地域へのサービス&貢献度)
D. Contributions to the strategic plans and goals of the department/unit, college, and university. (大学への貢献度)


Aはどのように効果的に指導しているのか、指導内容&環境作りにどのように対応努力しているのか。これは、まず毎学期実施される「学生の評価結果 (Evaluation)」が一番大きい。さらに、同僚が授業を視察して評価報告もこれ。
Bは「研究」なので、論文を含む出版物、また学会等での発表回数とその質。また研究費をどれだけとってきたかも大きい評価判断になる。
Cは大学内での数ある委員会活動に奉仕しているかどうか、また地域にどれだけ貢献したか(学校とのコラボのイベントの実施やボランティア活動などの)サービス活動が評価の対象。
DはCに近いが、大学(の名前をあげるために)どれだけ貢献したか。(大学外部からの研究助成金の取得など、また外部のアカデミックの役員活動等もこれに入る)

それぞれの項目毎に、明記して Dossier (個人書類ファイル)という報告書類を作成して査定委員会へ提出。(*書類だけで通常100〜200頁くらい。補填参考資料がこの他に加わるので、かなりの量)まず学部の査定委員会が査定、その後それを受けて、大学の査定委員会が査定、最終的に副学長がそれを了承して、最終結果が個人へ正式に通知されるというシステム。

テニアを取得するまで実施される毎年の査定「Retention」は書類提出後、数ヶ月で結果が通知されるが、「Tenure(助から准教授への昇格)」と「 Promotion(教授への昇進)」の場合は、半年の査定プロセスである。(*もちろん書類を作成して提出する方も大変だけど、それを査定する委員会の仕事を半端じゃないくらい大変 。大学にはいろいろな委員会があるけれど、なるべくやりたくない嫌煙される委員会の一つ。同僚を査定するなんて、誰も好んでやりたくないもの。>_<,,,,)


*ユニークなのは、結果に不満がある場合は、最初の通知から2週間以内に反論する権利を与えられていて、書類を提出できることである。(だからといって、結果が翻るとは限らないけれど、、、)余談ですが。

日本ではどのようなシステムなのでしょう?