奄美市(旧名瀬市)から車で1時間半、古仁屋(こにや)の街に着き、そこからフェリーで約20分カケロマに渡ることになる。かつてはそれぞれの集落からいくつものぽんぽん船が古仁屋を一日数度往復(芝ー古仁屋間約1時間は「平佑丸(へいゆうまる)ね^_^)していたもの。港はそういった小さな船で、そしてそれぞれの集落の人々で賑わっていたものだけど、今はそういう景色は見られなくなった。フェリーでつなぐ2カ所の寄港地のみ、もしくは高速船の貸し切り船での往来の方法しかなくなった。
そういえば、私の子ども時代、芝では船着き場の岸壁近くの木陰でお年寄りが日がな一日海を眺めながら船の到着をそしてそこから降りてくる人々を見ていたものだったっけ。そしてお年寄りと一緒に小さな子ども達も一杯いたもんだ。今では過疎化して子どもの声や船着き場の岸壁で熱い日差しをさけるお年寄り達も見かけることもなくなった。さびしい。
カケロマの寄港地にはフェリーの時刻に合わせて、小さなマイクロバスがいくつも待機していて、そこから各集落へ人を物を運搬することになる。(このマイクロも赤字なんだそうだが、過疎化の進んだ集落のお年寄りにとっては、生命線なので、赤字覚悟で運営しているのだとか、、、そういえばこのマイクロの話がNHKのドキュメンタリーになっているのを見た事がある。)
話を戻す。ついてそうそう実家の芝ではなく、珊瑚礁で有名な「スリ浜」に直行。まずはここでシュノーケル。母にも試したら、何でもやりたいとのこと。それじゃあとマスクをつけてあげたら、さすがにちょっと無理かもということで、波打ち際で母は遊んでもらい、私たちはそのままシュノーケリングへ。ジョンのお薦めの場所だけあってやはり海の中は竜宮城ならぬ魚たちの天国。そして芝、母の実家(現在は母の弟である叔父の家)で一泊。
翌朝、祭りの前のそうじがあるとの放送を聞き、これも良い機会とジョンと一緒にお手伝いに出かけることにした。懐かしい人々に会った。その後、私が帰ってきているからと、わざわざ会いにきて下さった方々もいた。小学校の頃、毎年夏はここ芝で私は親と離れ、弟達と一夏を過ごしていたもの。その時を覚えてくださる方がまだいらっしゃる。「はれ、たるーかち思ったら、みーやのまさ〜みちゃん〜」耳に優しいカケロマ方言である。二日間をカケロマで過ごした後、帰路へ。古仁屋の船着き場のレストランで食べた海の幸丼がう〜んとうなる一品でした。(忘れちゃったけどこれで確か8百円とかそんなものだったような記憶が、、、写真の真ん中ののり部分の下にうっうにがあ!結構たくさん隠れていたのでした。1,500円のウニ丼にするかどうか迷っていた私にお店の人がこっちがお得よと勧めてくれたの。正解&至福^_^。。。)