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2010年7月29日木曜日

加計呂麻(カケロマ)島巡り: Tour in Kakeroma (7/24-26/'10)

78歳の母が急に何を思ったか、実家のカケロマ(芝)で泳ぎたいと言い出した。毎年夏帰郷のおり、私たち家族は芝行きを慣行しているのだけれど、その時誘ってもいつも「私はいいわ」の人がどうしたこと?ハピネス浦上に居をかまえてからポジティブ元気思考になったけど、これもその一環?と思いながらもこれは良い機会と、一緒にレンタカーを借りてカケロマ(加計呂麻)を一周することにした。

奄美市(旧名瀬市)から車で1時間半、古仁屋(こにや)の街に着き、そこからフェリーで約20分カケロマに渡ることになる。かつてはそれぞれの集落からいくつものぽんぽん船が古仁屋を一日数度往復(芝ー古仁屋間約1時間は「平佑丸(へいゆうまる)ね^_^)していたもの。港はそういった小さな船で、そしてそれぞれの集落の人々で賑わっていたものだけど、今はそういう景色は見られなくなった。フェリーでつなぐ2カ所の寄港地のみ、もしくは高速船の貸し切り船での往来の方法しかなくなった。

そういえば、私の子ども時代、芝では船着き場の岸壁近くの木陰でお年寄りが日がな一日海を眺めながら船の到着をそしてそこから降りてくる人々を見ていたものだったっけ。そしてお年寄りと一緒に小さな子ども達も一杯いたもんだ。今では過疎化して子どもの声や船着き場の岸壁で熱い日差しをさけるお年寄り達も見かけることもなくなった。さびしい。

カケロマの寄港地にはフェリーの時刻に合わせて、小さなマイクロバスがいくつも待機していて、そこから各集落へ人を物を運搬することになる。(このマイクロも赤字なんだそうだが、過疎化の進んだ集落のお年寄りにとっては、生命線なので、赤字覚悟で運営しているのだとか、、、そういえばこのマイクロの話がNHKのドキュメンタリーになっているのを見た事がある。)

話を戻す。ついてそうそう実家の芝ではなく、珊瑚礁で有名な「スリ浜」に直行。まずはここでシュノーケル。母にも試したら、何でもやりたいとのこと。それじゃあとマスクをつけてあげたら、さすがにちょっと無理かもということで、波打ち際で母は遊んでもらい、私たちはそのままシュノーケリングへ。ジョンのお薦めの場所だけあってやはり海の中は竜宮城ならぬ魚たちの天国。そして芝、母の実家(現在は母の弟である叔父の家)で一泊。

翌朝、祭りの前のそうじがあるとの放送を聞き、これも良い機会とジョンと一緒にお手伝いに出かけることにした。懐かしい人々に会った。その後、私が帰ってきているからと、わざわざ会いにきて下さった方々もいた。小学校の頃、毎年夏はここ芝で私は親と離れ、弟達と一夏を過ごしていたもの。その時を覚えてくださる方がまだいらっしゃる。「はれ、たるーかち思ったら、みーやのまさ〜みちゃん〜」耳に優しいカケロマ方言である。二日間をカケロマで過ごした後、帰路へ。古仁屋の船着き場のレストランで食べた海の幸丼がう〜んとうなる一品でした。(忘れちゃったけどこれで確か8百円とかそんなものだったような記憶が、、、写真の真ん中ののり部分の下にうっうにがあ!結構たくさん隠れていたのでした。1,500円のウニ丼にするかどうか迷っていた私にお店の人がこっちがお得よと勧めてくれたの。正解&至福^_^。。。)

2010年7月27日火曜日

2010 海の日:Ocean's Day (7/19/'10)

3月に名瀬小学校の卒業式に参加するために帰国して以来、数ヶ月ぶりの奄美。たった3ヶ月なのに、今回の帰郷は海にとって大きく違ったみたい。8月から新学期が始まる海と違い、みんな一足先に中学生になってしまっていたのだ。夏休みになったら一緒に遊べるとたかをくくっていた海。そう事は簡単に進まなかったのね。日本の中学生は、学校が終わっても、そして夏休みになっても、塾だクラブだとみんな忙しい。がっかりしている海に、チコでやるみたいに小学校時代の友達を誘ってバーベキューをしたらと提案。そこで夏の定番ソーメンそしてバーベキューパーティを急遽開催。これがその時のもの。私が下ごしらえをして、ジョンがいそいそとバーベキュー係に。育ち盛りの男の子の胃袋はさすがに大きい、最初は遠慮がちだった子ども達が、、、きれいに平らげてくれました。にわか作りの案で、急の連絡だったので、何人集まるかと心配していましたが、誘ったこどもたちみんな来てくれました。それがこの海の笑顔に表れています(^_^)。予想以上に楽しかった。この写真の後、子どもたちはみんなそれぞれ持ち寄ったゲームに夢中。それぞれのポケットからプレイステーションが出てきたときにちはちょっとびっくり。今時の(日本の)子ども風情(ふぜい)。きっと日本中のこどもたちがこうなのかも。それを見かねたジョンが皆を誘って近くの矢之脇公園に花火に。この時の写真はジョンのブログ(7/23付け:Amami Dog Days)に掲載されてます。後で聞いたらすっごーく楽しかったと言ってたけど、写真を見て納得。男の子の花火はワイルド!)

2010年7月12日月曜日

海と見た2010年ワールドカップ南アフリカ大会

スペインとオランダの決勝、そしてスペインの初優勝(13回出場の後、ようやくみたいだよ)で終わったワールドカップ。今年2010年ワールドカップ(南アフリカ)は例年以上に楽しかった。内容ももちろんだけれど、今回初めて息子の海と一緒に最後まで見通すことができた。1994年アメリカ大会から見始めたワールドカップ。最後まできちんと見たのは今回が初めて。

その1994年大会はちょうどイリノイ大(アーバナシャンペーン校)の大学院にいて、開催地がシカゴだったこともあり、また友だちにサッカー好きなドイツ人もいたので、個人的には盛り上がったいたけれど、なにせアメリカではサッカーはまだまだマイナーなスポーツだった頃。みな騒いでいるようにはとても見えなかったな。PKを外して天を仰ぐロベルトバッジオの顔と共に記憶に残る大会。1998年フランス大会は私が卒論ディフェンスでうなっていた頃、そして海が1月に生まれた年で、ワールドカップは全然見なかった(ジダンのことは知っていたけど、、、)。そういえばインシア東京大会もあった夏で、六ヶ月の海をつれて日本に里帰りした夏でもあったね。2002年日韓大会は日本で、共同研究者のブレンドウィルソンと一緒に日本戦を見ていた。ちょうど日本が決勝リーグに進んだ大会で、仕事の話しに身が入らず、それどころか試合に一喜一憂で叫んでいた私。それ以来ちょっと引き気味になったブレント(笑)。今思い出しても懐かしい。2006年ドイツは、ここ奄美で母と一緒に見ていた。3月父の他界。一人残った母と一緒に夏を過ごしていた。そして2010年夏。今回も奄美にて、そして今回は12歳になった海と一緒に。6歳からチコのユースでサッカーをやり始めた息子と一緒に夜更かししながらの連日のサッカー(TV)観戦。忘れられない夏になりそう。次2014年ブラジル大会も一緒に見れるかな?の質問に「わからん」と島口(名瀬言葉)で、かわされてしまった。その頃は16歳になってるけど、また一緒に見れるといいな。

多くのスター選手を始め、予想外の日本の活躍でも楽しめたワールドカップだけれど、一番感激したのは、たぶんカメラ技術の発達で、改めてサッカーが格闘技だというのがわかったことかな。引っかけ(スライディング)、引っ張り、押し倒し、に加え、ひじうち、けり、なんでもありね(笑)。次は情熱の国、南アメリカのブラジルだから、もっと格闘度は高まるかも。オリンピックもブラジルだし、時代は南米へ。ブラジルに春(しゅんだね、きっと)。

そういえば2006年、 2007年と2年続けて南米へ、そして7カ国で20回以上講演してまわったけど(あの頃は「少女マンガプロジェクト」がしゅんでした)、また行けるとよいなあ、特にアルゼンチンへ!

2010年7月7日水曜日

2010年7月奄美にて梅雨まだあがらず!

今年の夏奄美の梅雨は長かったね。でもそのおかげで、きれいになった和室で布団を三枚、親子川の字で寝そべり、雨音を聞きながら、カエルの大合唱を聞きながら眠りについておりました。

うち(矢之脇の実家)はこんなにも自然の豊かな音で満ちあふれているのだと、改めて感激。梅雨明けの後、また家族で奄美をいろいろ回ることになるのだけど、ヘンゼルとグレーテル(だっけ?)の青い鳥ならぬ、奄美に私の青い鳥がいるのではないかと悟った一夏を過ごすことになるのでした。

梅雨が長かったせいか、例年は赤しょうびん (King Fisher)の「ひゅーひゅるひゅるひゅる」という甲高い鳴き声で起こされるのが、今回はなかなかその鳴き声が聞こえず、心配していたのですが、梅雨明けとともにその声が戻ってきたので、一安心。いつも聞こえていた物が聞こえないというのはさびしいものだと改めてこれまた感じてしまいました。

2010年7月5日月曜日

2010 夏だ奄美だ!いやその前に八重山諸島さ!(6/20-6/29/10)

ジョンと海を奄美で待つ事約3週間。とうとう日本にやってきた。私は奄美から彼らを迎えに一路東京へ。6月は国際線つなぎの国内線がとても安いので、6月中に国内を回ろうと、今回は前々から希望しながらなかなか実現しなかった島巡り紀行へ。それも八重山諸島へいざゆかん!

羽田から直行便で約2時間半、石垣島へ。そこを拠点に竹富島、西表島、そして日本最南端の島波照間島を10日間で回ったのでした。いや〜お肌の曲がり角どころか、曲がりくねってしまった年も気にせず、今回はとにかく泳ぎまくり、もといシュノーケリングのしまくりでした。これこそ本当の命の洗濯旅行。今年は、春学期は公私ともにしんどい学期を過ごしたので、本当に夏が待ち遠しかったよ。

いつもは仕事を背負っての帰国ですが、今回は母の介護という表向きの目的で、仕事の部分をそぎ落とし、自分のための時間そして家族と過ごすための時間として帰ってきました。一言「やっとこの日が、、、」。うっ感無量。

*上の写真は海の友だちペンギン君達(わざわざチコから持って、もとい連れてきた)もビーチでお昼寝。
*下の写真は由布島(ゆぶじま)の水牛のマグネット(それをイヤリングにしている海)

それぞれの島の様子はジョンのブログにたくさんの写真とともに掲載されていますので、そのブログにリンクします。そこに書かれたコメントも一緒に楽しんでもらえたらうれしいです。

The Stone Gaki (July 4, 2010 Up)
Ishigaki P.S. (July 4, 2010 up)
Yubu-Water Buffalo Island (July 10, 2010 up)

2010年7月4日日曜日

2010年矢之脇の家そうじプロジェクト其の一 (6/7-13):恒例の夏本番前の一大行事

今年の夏、ジョンと海が合流するのを待たずに、3週間早く一人で帰国したのは訳がある。そう矢之脇の家(実家)大掃除プロジェクトの敢行なのだ!!!いつもが母との捨てる捨てないの口頭バトルに疲れ果て、お茶を濁したようなそうじしかすることができなかったのだが、母がこの1月からハピネス浦上(高齢者賃貸住宅ー半介護付き)に居を移したのをこれ幸いと大掃除を敢行することにしたのだあああ!でもなんせ数十年分のものがそれも3世帯に分かれていたものが一緒につまっているものを一人でやるのは不可能(といっても毎年帰郷のメイン行事はそうじだし、2年ごとに大きなそうじをしてはいたのですが、限界があったのね)。ということで助っ人を頼む事に。写真に移っているのが、そのお二人(私の高校時代の同級生のおとうとさん夫婦でごみ回収業を営んでおられる)。特に奥さんの方「ゆかりさん」が素晴らしい人で、私のゴミ処理のナビゲーターをかってくれた。箱一つをあけるたびに、手が止まったり、いろいろ読み始める私を、徳さあ〜ん、読むのは後にして、必要なものとそうでないものにわけましょうね。と優しく、そしてきっぱりと言って下さった。なんだごみを処理できないと母をしかっていたけれど、私も同じじゃないのと自問自答しながら、せっせと一週間。写真に移っている軽トラック約7台分(粗大ゴミを含めるとたぶんそれ以上)のゴミが出たのでした。

整理しているうちに、父の遺品の中から、晩年父がいろいろ習い事をしていたことや(詩吟や書道)、それで段位等をいろいろとっていたこと、そして趣味でやっていた郷土史の史料集めを熱心にしていたのを発見。父はもしかして郷土史の本を出版したかったのではなかろうか?そういう風に思えるほど充実した資料がありました。さすがにこれは箱にまとめて、できたら私のライフワーク、父の後をついで、力不足ながら努力して編纂してみようかなあと思わず思ってしまいました。できたらいいね、お父さん。あまり期待せずに待っててね。