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2011年4月24日日曜日

マミーナ番外編ー霧島にて:Other Amamina's Matter in Kirishima

自分たちにご褒美。(諸事情によりチコ行きをあきらめなくてはいけなかった)久代ちゃんと一緒に鹿児島へ温泉旅行。そこで中山さんとも合流、霧島へ皆で一泊。これらの写真(一部)がその時のもの。霧島神宮ではいろんな緑が神宮の(ハレの)赤橙に映えて美しい。まだまだ昨年のNHK大河「龍馬伝」(龍馬とお龍最初の霧島新婚旅行?)の影響があちこちに。二人の邪魔をねらって間にパチり。まるで背後霊のようになってしまった私(笑)。その他いろいろ南先生(大島高校時代の恩師)も一緒に既に春を通り越して初夏模様の霧島をエンジョイしたのでした。
国際霧島ホテルでの夕食。霧島神宮のご神木の前で。高千穂の峰(頂上に有名な矛が)とミヤマキリシマ。霧島温泉から立ち上る湯煙。(東北関東震災のことが中心でメディアには登らなくなりましたが、新燃岳の噴煙はまだ。そして現在桜島もとのこと。)

2011年4月21日木曜日

あ〜改めて「食い倒れ飲み倒れの奄美島(あまみしま)」実感:4 Nights in Amami


奄美に皆で帰郷。母をハピネスに帰して正直ホット。あらためてハピネスの偉大さに感謝。やはりこれは、理屈ではなく、身内では難しいことを再確認(身内だからこそ余計な感情がからんで難しいというべきでしょうか、、、>_<,,,)。他人でありそして介護のプロである方々に見てもらうことの必要性と有り難さを、、、何度もしつっこく繰り返して恐縮ですが、再々確認。母もベストフレンドと自他ともに認めるOさんと手をにぎりあって帰宅を喜びあっている。そうか、そうだよね。旅は楽しいけれど、帰るところがあるからこそ。しばらくはゆっくりと旅の疲れをとってね。

さてさて、和代さんのご主人にハピネスまで送っていただき、私もハピネスでおりる。スーツケースの荷物を片付け、そしておみやげを皆さんに。夕方5時頃、再度和代さんに迎えに来ていただき、矢之脇の実家へ、、、という予定が、そのまま夕食のお誘いを。「おいしい魚を食べさせてくれるところがあるんですよ。」の甘ーい誘惑に勝てなかった私。その言葉に偽りなし。浦上のちょっと先、たぶん大熊近くでしょうか「たか」という吉田さんの大島高校時代の同級生のお店。ということは私の先輩でもありますね。ご自分でとってきた魚を調理してくださる。また奥様が育てているという有機栽培の食材で作られた料理の一つ一つのおいしいこと(写真は「しぶり(冬瓜)」で奄美でよく見られるしょうゆではなく、だし汁での煮付け。絶品よ)。手術後始めて飲んだ生ビールのおいしかったこと。う〜はらわたに染み渡るというのはこのことでしょうか。とりたての魚のおさしみに、私の大好きな煮付け、それも奄美でも滅多にとれない石垣鯛(バター焼きの「とこぶし」と写っている写真の魚がそれよ)まで。(なんとご主人&吉田さんのご主人&私の三人で720ccの焼酎を二本空けたのでした。)そして最後に手作りのチーズケーキとコーヒーまで(ここの写っている料理はそのごく一部)。うわっ、これでなんと一人3千円強よ。(私は吉田さんご夫婦にごちそうしていただいたのに、値段を書いていいのでしょうか?和代姉さんにこっそり聞いて、感激したので、お知らせしておきます。奄美に行かれる方、ここは絶対お勧めですよ。私はまた行きまーす。ずえったい!)(写真のお二人が「たか」経営のご夫婦 ^_^)

Safely arrived at Japan (4/17/11): 旅を終え無事日本到着


長旅の最後は、東京にて「新高輪プリンスホテル」にて宿をとる(いつものように楽天トラベルサイトでお得にとりましたよ)。和代姉さんのご友人で関さんという私の大島高校の大先輩でもある方が、宿まで来てくださり、一緒に夕食を。(アメリカ行きの時にも来てくださったとのこと。)この方がばりばりの島口(瀬戸内弁と思ったらかさりんちゅでした。ご本人より訂正受諾 ^_^)でメールを書いてくださるのでどういう方かなあと想像していたら、お若ーいとても素敵な方で、とても還暦を過ぎているようには見えませんでした。世界は狭ーいの典型的な例で、関さんのお兄さんのお嫁さんが母の同級生だった方とかで、アメリカ行きの時の出会いの際にそれを発見し、母と盛り上がったそうです。写真にもあるように、この時も母の腕をさりげなく組んでくださっています。こんな感じで、アメリカでも皆さんに手を引いてもらいながら旅を続けることができました。無事何事もなく帰ってこれたことに感謝。そして皆さんに感謝。(写真左から、高野さんご夫婦。私と母。関さんと和代姉さん。)

(予断ですが、外にでる元気がなく、ホテル内のレストランで夕食をとりましたが、セットでついて来た、ケーキ&ムースのおいしかった事。アメリカでも結構おいしいものをたくさん食べましたが、スイーツに関しては見た目も味も日本にはかなわないとは私の個人的意見です。予断ついでに失礼ですが、震災後の自粛の影響でしょうか、ホテル内の電気も制約。レストランもかなりお休みしていました。ホテルのロビーが薄暗かったのが今回印象的でした。)

Last Night in San Francisco (4/15/11): 旅の最後はサンフランシスコで

シカゴ&ワシントンDC訪問の皆さんとラスベガス旅行帰りの私達は4/14の夜にサンフランシスコで合流。日本に帰る前日の4/15(金)の一日を目一杯サンフランシスコ観光で楽しんだのでした。たくさん撮った写真の中からセレクトしたものをご紹介。2番目の写真は、ご存知ゴールデンゲート(日本語では確か「金門橋(きんもんきょう)」と訳されるはず。これでだいたい年がばれますね)。サンフランシスコと言えば、ここでしょ!というわけで、早速ここへ。実はこの周辺はゴールデンゲートパークという巨大な公園エリアでその中にいくつもの美術館や博物館、そして植物園などがある娯楽エリア。花の季節で橋の周辺は花盛り。最初は歩いて橋を見学(母と私は端っこに立ってそれだけで満足)。

そしてせっかくなのでということで、車で橋を渡りきり、そこの見学エリアからサンフランシスコの街の全貌を眺めたのでした。その橋の下には、かつての海軍の駐屯所(?)見たいなところがあり、そこがハイクラスのヨットハーバーに現在なっているのでした(最初の写真はそこで水兵さんの銅像と女性軍はパチり。写真を撮ってくださったのは、もちMr.Takano)。

その後、再び車で今度はこれまた観光名所の「Fisherman Wharf (漁師波止場)」へ。まずかつての倉庫群(現在観光スポットのマーケット場や博物館になっている)の中から、一番人気の倉庫へ。(ここでも義援金支援ポスターがあちこちに。)近くにアルカポネも収監された有名な牢獄島「アルカトラズ」への観光ボートが出る波止場がある。そして広場へ。政治的な集会が始まろうとしているのか、たくさんの警官が大きな公共彫刻の前に並んでいるのが少し不思議な光景(写真)。

その後、再び車に乗り込み、いよいよ有名はケーブルカーへ(漁師波止場の端っこに乗り場あり)。ただすごーい列で、皆さん見るだけで満足ということで、そのままショッピングへ。ここはお土産屋さんが所狭しとずっと並んでいるところでも有名。もち母も私もここでおみやげを。そして小腹がちょうどよいくらいにすいたところで、夕食、ディナーへ。もち場所は考えてある。私達がここによる時は必ずと言って良いほど寄るイタリアンのお店。名前はいつも覚えていないのだけど、場所だけはしっかり覚えている(今回はじめてその名前がPonpei、、、ということを発見)。実はここ、2002年、私がチコで始めて企画した「奄美大島展」に奄美の方々と渡米した時にも、最後に立ち寄ったお店。その時に食べた魚介類パスタのことを母は今でも懐かしく語ることが多いので、ここにしようと決めていた。そしてその日は母の79才の誕生日でもある。お店の人にそのことを告げると、食事の後、デザートの時にアイスクリームに線香花火(よりもちょっとはでにきらめく)をたてて、ハッピーバースディの歌とともに持って来てくれた。それにあわせて、レストランにいた人たちも一緒に合唱。こういうところはアメリカの良いところ。皆で祝ってくれる。

お腹も気持ちも満腹の身体を抱えて、少し散歩。これまた有名は Sea Lion(あしかやあざらし)がたむろしているところへ(下から2番目の写真がそれ)。たっくさん。これでも少ない方で夏になると遠くから匂いでそれとわかるほどたむろっています。そして空港近くの宿へ。(ここで道に迷ったりしてちょっとたいへんだったのですが、一応無事到着)その夜は高野さんのご主人がフィッシャマンワーフの倉庫マーケットで買われた赤ワインで乾杯。最後の夜に乾杯。

最後の写真はサンフランシスコ国際空港。母も一緒のアメリカの旅。たぶんこれが最後かな。そう思うとちょっとさびしいけど、良い思い出締めくくることができて私は(そしてたぶん母も)満足。皆さんのおかげで良い旅になりました。多謝。

Life in Las Vegas (4/11-14):母と一緒のラスベガス旅行


和代さんや高野さんご夫婦が東海岸へ出かけた翌日の4/11(月)、母と私もキャンセルしかけたラスベガス旅行へ(4/11-14)。そこでシカゴ時代の恩人日山さんとそのご主人に11年振りの再会。お二人とも全然変わっていない。栞(しおり)さんは銀色のベリーショートな髪型でよりクールになっておられました。シカゴからラスベガスに、環境の変化がその影響?

写真はその最後のラスベガスを離れる日のお昼。ラスベガス郊外にある有名はお寿司屋さんのランチブッフェ。写真の通り、日本では見られないいろいろはバラエティにとんだ巻物(軍艦巻きも)が圧巻。にぎりは新鮮なねたに限りのあるアメリカにはあまり期待できないけれど、巻物はびっくりするくらいユニークでおいしいものがたくさん。(私はこれが結構気に入っている。)お寿司以外のメニューにデザートもふんだんで食べ放題。これで一人約$17(日本円で1,500円)。アメリカ人が太る理由は明白ですね。

母とのラスベガスの三泊四日の日々は、夜に居場所を把握できずに少し部屋内を歩き回ったり、鍵を開けようとしたりと、少し私自身眠れない夜と過ごしましたが、すべて想定内の出来事だったので、あまり問題なし。それよりもリオのスイーツの部屋一杯の窓から見えるラスベガスの見事な夜景やネオンに輝くホテルを見ても、ここが日本で矢之脇だと言い張るところがおかしかった。皆で「回りをみてみて、ここが日本で皆日本人に見える?」との問いに「うん。最近の日本人の顔がずいぶん変わって来たのね、、」の回答。そうか、こういうことなんですね、、、等々この数週間すごーく近くでいろいろ一緒に体験したので、新たな発見もいろいろありました。こういうことなんだと私達自身もそして回りの人たちも「認知」の症状そしてその進行について改めて確認できたことはよかったと思う。

最初の日は夜10過ぎにホテルにチェックインでその日はぐっすり。
翌日は日本人マッスルグループ「Matsuri」のパフォーマンスをImperial Hotelで、そしてその翌日は前々から見たかった Cirque Du Soleil の「ミスティア(Mystere)」 をTreasure Island ホテルで 一緒に。昨年12月のラスベガス訪問で安売りチケットなどいろいろ調べることができたので、今回は目一杯そのメリットを使いましたよ。それに母と一緒だと、席もとても良い席でパフォーマンスも目一杯楽しめました。お母さん、たぶん具体的なことは何も覚えてないと思うけど、「楽しかった」という感じだけでも覚えておいてくれるとうれしいです。

2011年4月14日木曜日

Last Night in Chico (4/10/11): 一足早い79歳のバースディパーティ

イベント無事終了。そのお祝いはちょっとお預け。イベントの翌日の今日(4/10)は朝からそれぞれ他の訪問地への移動。それにあわせて私達も早起き。早朝6時過ぎのフライトにあわせて、和代姉さんと高野さんご夫婦をサクラメント空港まで。帰路朝日を望みながらチコへ。その日はゆっくり。

そしてその夜、ジョンと海、それにジョンのお母さんクラウディアも一緒に、うちのお母さんの早めのお誕生日(4/15)を今日一足先にサプライズで。(下記ビデオはその時のもの。お母さん「Happy Birthday to You in Chico ^_^!」)

2011年4月12日火曜日

2011 Far East Fusion for Relief Efforts in Japan (3/11/11): イベント当日 (4/9/11)


Click here to view other pictures of the event (他のイベント写真はここをクリック!)

さていよいよイベント当日Far East Fusion for Relief Effort in Japan。メインの午前の「お茶席」と午後からの「アートオークション」、そしてその間のアート作品その他の即席販売会。どんなに準備をきちんとやったつもりでも、ぎりぎりのところでいろいろあるのが常。快晴の中、野点のための畳敷きや椅子、そして裏方の水屋の準備を済ませ、いざ三席のお点前に。当初の三席異なるお点前を客は皆違うということで、結局同じ「平手前」にすることに落ち着いてスタート。最初は泰子さん、和代さん、そしてさやかさんと、つつがなく進行。一席ずつ入れ替え制にして、その間の質疑応答にも皆さん活発にするどい質問が、、、(うっもっと勉強しなくては)。(写真は左から学長のポールジンク、フィアンセの泰子さん、裏千家の教授、高野さやかさん、裏千家の講師、和代さん、そして右端は正客を何度もやってくださったさやかさんのご主人洋司さんー元民俗学教授。)

午前中から同時進行でオークション会場ではこちらはこちらで準備が進行。寄付してもらった同僚たちの作品を白いテーブルクロスの上に、University Art Galleryの学芸員のジェーソンとジェニーが作品とサイレントオークションの紙を並べておいてくれる。(茶席が終了する1時からスタート予定。)

MLを通して日本から送っていただいた被災の写真を元に急遽美術教育コースで指導したプロジェクト「What's going on in Japan?」のパネルポスターを窓際に。何が起こったのかそしてそれがアメリカにもどういう影響を与えるのかを皆で考えるために。(同じものを野点会場の入り口にも。皆が食い入るように見ていたのが印象的。)

そして会場内には、これまたボランティアでチコ在住うん年になる青(せいこう)さんが生け花(草月)で会場を飾ってくださる。(これがあるのとないのとでは華やかさが全然違いますね。)急遽「寿司コンテスト」から義援金のための「アートオークション」に変更したための宣伝不足が、こちらの方は予想程人は集まらなかったけど、とてもよいオークションになりました。これに参加した人はとてもラッキー。信じられない安価でアーティストの作品をゲットできたので本当の幸運(実は私もその一人^_^)。これらのイベントに参加して小論を書く事を義務づけていたのでたくさんの学生達が今日のイベントに参加してくれたのですが、その中中東からの学生はこのオークションにも貢献(競り勝って本人達もご満悦の様子)。

2011年4月11日月曜日

One day before 2011 Far East Fusion for Relief Efforts in Japan:イベント前日(4/8/11)


4/6(水)にチコ空港で無事到着の感激のご対面(和代姉さんのほっとしたお顔と「無事お母さんをお届けしました。」の安堵のお声が忘れられません。感謝。)その足で韓国&日本レストラン「Annie's」で昼食後、ホテルへ。夜はタイレストラン「Chada Thai」へ。

翌4/7(木)は午前中皆さんにうちに来ていただき、母と一緒にゆっくりしてもらい、午後からチコダウンタウンのファーマーズマーケットへ。私は授業後合流。4/8(金)はいよいよイベント準備へ秒読み開始。午前中はジョンにNature's Center とBidwell Parkを案内してもらい、一足先にオークション会場の準備を済ませた私と午後3時に美術教育の教室(Taylor 201)にて合流。そこでお茶会席のお手伝いに入ってくれる学生達との打ち合わせ。三席のお茶席にあわせて、学生達を三つのグループ(お運び、水屋でのお茶たて、水屋での洗い物)に分け、それを茶席毎に役割を回してやってもらうことに、そしてそれぞれの茶席でJCWC (Japan Chico Women's Club)のメンバーからこれらの学生グループを統括する責任者を一人ずつたててもらうことに。さすがお茶の先生と思ったのは、さやかさんや和代さんが学生さん達にお運びのデモと練習をさせてくださったこと。改めて私も勉強させていただきました。(最初の写真はその記念写真 ^_^)

また、青光(せいこう)さんが、同時に翌日の生け花の準備をしてくださり、それを見させていただきました(写真下)。これまたさすがです。長い事やっていないからといつも生け花のご教示の依頼にうんとおっしゃってくださらなかったのに、今回は義援ブロジェクとということで、こころよく生け花をしてくださることに。それをずっと拝見させていただいて、私だけでなく学生たちにとってもとても良い経験になりました。これまた感謝です。

2011年3月26日土曜日

コロンキャンサー顛末記4:Colon Cancer Diary 4

3月24日にこのタイトルをアップして、何と既に4月の20日(日本時間)。実は日本の奄美でこれを書いている。手術を受けてから早一ヶ月あまり。もう遠い過去の出来事のよう。前回手術までの顛末を記しましたが、今日はその続きを。(写真はけいさんのお見舞い茶碗蒸し ^_^)

3月14日(月):病院にて手術&入院初日。テリサが7時45分に迎えに来てくれ、一緒にエンロー病院へ。8時。時間通り、手術着に着替え、手術準備室のようなところで手術台にのったまま順番を待つ。

9時ちょうど、手術台にのったまま手術室へ、のはずが、そのちょっと前、さらに待機部屋のようなところで今度は麻酔の準備。麻酔医がいろいろ質問(アレルギーはあるかどかなんとか)を、それに答えながら、、、麻酔を点滴のようなもので、、、ということろで、記憶はここでぷっつり切れている。

たぶん午後2時過ぎ。看護士らの遠い声、、、「手術は無事終わったわよ、起きて、大丈夫?」というような声で強制的に麻酔から覚めさせられる。ぼんやりとした頭の中、いろんな看護士が次々と名前と今日の担当は自分で、、、というように挨拶しているのが何となくわかる。ぼっーとした頭にはほとんど記憶に残らないよ〜。

夕方アイビー(点滴)で栄養をとって(とらされていて)、やたらトイレにいきたくなる(1~2時間おきくらい)。腹腔鏡手術とはいえ、切っているおなかが痛み、普通に寝返りをうてず、ベットから起きることができず、そのたびに呼び出しベルで看護士を呼び出し、トイレにつれていってもらうことに。それでも最初の看護士(君)は、大学で日本語をとっていたとかで、日本人である私にとても親切で嫌な顔ひとつせず、つきそってくれる(この後、たくさんの看護士がついてくれたのだけで、一番親切だったのが彼だった)。この日は一人で二人部屋を占領。(ジョンと海が見舞いにきてくれる。テリサも。)

3月15日(火):病院2日目。朝8時頃、執刀医Dr. Ludwigが様子を見にきてくれる。何の会話をしたのか記憶になし。この日の看護士から、点滴棒(?)を支えに、もう早病院の廊下を歩きながら回復に勤めるように致しましょう、、、うんぬんのアドバイスを受ける。うっこんなに痛いのに、冗談でしょう。(日本では絶対ありえない対応?)寝ている内に窓際におかれた花。恵子さんからのお見舞い。午後から淳代さんも。ジョンと海も、そしてテリサも毎日来てくれる。食事はまだほとんど液状。固形物なし。

その日の午後隣人到来。おばあさん。すごーい鼾に悩まされて眠れず。特に点滴替えのブザーの音に看護士は対応せず。もちろんおばあさんはその音に気付かず熟睡。堪えきれずにナースセンターに痛いおなかを引きずりながらどうにかしてくれと泣きつく。結局そのおばあさんをナースセンター近くの部屋に移すことで対応。これで眠れる、、、と思いきや、やはり点滴の影響でトイレが近く痛いお腹を押えつつトイレに数時間毎に通う夜を過ごすことに。

3月16日(水):3日目。お昼近くにDr.L登場。経過順調。午後ジョンと海が来て、一緒に廊下を散歩して運動。午後早く別の隣人到来。またまたおばあさん。転んで腰の骨を折って手術入院。昨日のおばあさんと違い比較的お元気。しかしである。点滴替えのブザーの音に、ナースコールのボタンがわからず「ヘルプーミー!」の連呼。急遽プライベートナースとなった私はナースセンターへ救いを求めること数度。この日の夕方からようやく点滴をはずしてもらった私は(トイレに頻繁に通う必要もなく)比較的自由に動けるようになったのがせめてもの救い。明日には絶対退院をお願いしようと誓った私。

3月17日(木):退院日。8時頃Dr.Lと相談。もう一日入院しても、、、のアドバイスに「ノーサンキュー」。許可を得て、その日の午後お昼を食べた後退院できるよう準備を進めることに。午前中シャワー室で体を洗い着替えをすませる。2時過ぎにジョンに迎えにきてもらって、3日ぶりの我が家へ。(写真は私の退院を祝って海がチョコレートケーキを。が、記念のカメラを向けると本人照れて自分で食している。サンクス海君!)

3月24日(木):Dr.Dとの退院後のアポ。経過すごぶる良好。摘出したガン細胞の精密検査の結果も転移全くなし。キモセラビーなどの術後治療もなし(だろう)とのこと。一月後4/27(水)に再度経過チェックのアポを。そしてポストトリートメントの専門医とのアポを4/29(金)に予約。これですべて終了となることを期して、これら日本から帰ってからの確認ということで。

2011年3月22日火曜日

A Message from Masami: Need your help for the disaster in Japan (3/11/11)

以下、日本東北(関東)地区での甚大な災害への義援金サポートして、この春(4/9)予定の日米交流文化イベントを急遽義援金集めのプロジェクトに更新することになった。それに伴い、効果的に義援金サポートの手段として、芸術学部の関係者へ作品寄付のお知らせをすることに。多くの作品寄付の連絡が集まりつつある。感謝。

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Dear colleagues at Dept. of Art:

As you already might know, Japan (Tohoku region – North part) suffered a big earthquake (M9) and tsunami on March 11. More than 18,000 people passed away and are missing so far. Thank you so much for your many messages. All my family and relatives are living in the central and southern part of Japan and they are okay. But I have many friends around the area and am still waiting for contact from them since it happened.

The entire country of Japan is devastated due to the tragedy and they are still suffering under the cold & snowy weather. US TV, CNN, is dramatically announcing the tragedy and how Japanese people are quiet and patient regardless of such a huge disaster. Although they don't speak out or shout, they deeply suffer ...

Some of you might remember my friend, Prof. Koichi Watanabe who came to participate in the first cultural event of the Way of Asia in 2008 to organize his art show and give his talk. He is from the area, Fukushima, of the nuclear plant crisis. Since the earthquake, he has been having a tough time contacting survivors, and he will be finally able to evacuate from the Fukushima area after the final meeting on Saturday, 4/19. He is one examples of what my Japanese colleagues are doing in response to the disaster.

I would like to do something for them and to do so, I need your HELP.
This is an E-mail to ask your (and your students’) help to participate in my cultural events to raise funds for the suffers of Japan’s earthquake and tsunami (and the fear of nuclear plan crisis >_<,,,). 1. Art Students’ Club fund-raising art sale & workshops (10 AM – 3 PM, Sat., April 9 at Selvesters’ Café):

I am planning to organize the 3rd annual cultural event of Far East Fusion at Creekside Plaza and Selvester’s Café on Saturday, 4/9 (*Please see the attachment). I decided to make this event a fund-raising event for the Japan disaster. However, the event does not produce much money in general. So, I’d like to also have fund-raising workshops (10 – 3 PM) at Selvester’s Café that will be organized by Art Department students (or student clubs such as ArtEd DaDa). If you could encourage your students (especially your area’s student clubs) by selling any of their artworks for the fund-raising, I would really appreciate it. NO need to make anything new. Just bring the left-over artworks from the past classes or so. If you could let me know the possibility, I would really appreciate it.

2. Art Department Faculty Fund-raising Auction (3 PM – 6 or 4-7 PM, April 9 at Selvesters’ Café):

In addition, I am also planning to organize a fund-raising art-auction with your help at Selvester’s Café (3-6 PM or 4-7 PM on Saturday, 4/9). If you could donate any art items (small is great), I would really appreciate it. Again, no need to create any for this event, but look around your office and/or studio to find something for this event. If you could donate your artwork for this fund-raising auction, I would truly appreciate it. Also please let me know the possibility via this mail, hopefully sometime soon (^_^)! (I don’t have my own artworks much anymore, so I am planning to donate a traditional Japanese wedding kimono and/or a manga art created by a female’s comic artist for the auction.)

Jason, University Art Gallery, and his wife, Jenni, are now kindly helping me to organize this idea in a little more detail. I (or maybe Jason) will let you know about it sometime early next week too.

I know that this is a very short notice, but your HELP is essential. I truly appreciate your HELP!

Lastly, the President Office contacted me last Thursday, 3/17 to support all my fund-raising events as co-sponsor and/or collaborator.

Cheers,

Masami
J-faculty

2011年3月20日日曜日

A Message from Masami: Colon Cancer

This is Masami again.
As some of you might already know, I found a colon cancer as a result of colonoscopy in 2/16 and had a surgery at Enloe hospital in 3/14. As the lab result, there is no spread to any organs. I need to have a post-surgery appointment next Thursday, 3/24 to discuss the post-treatment. According to my Dr., it is less likely to have chemotherapy, rather to take pills as the post-treatment for next 5 yrs. due to my good condition. I will be able to back to normal in 2-3 weeks.

At the beginning when I found my problem, I decided not to share this news with not many except for some who are working with me closely this semester such as ArtEd and RTP committee members to ask extra helps for my work and committee duties. I just simply did not want to give you any extra worry about my medical condition. I came back to home yesterday on Thursday, 3/17.

(Oh dear how it was wonderful to stay in a hospital to continue to hear the beeping alarm everywhere such as nurse calls, but they’ve seldom shown up on time. And my neighbor, a 78 yrs senior lady, started to scream “Help me someone, help me ...” So I became her personal nurse to contact her real nurse to take care of her. Dr recommended me to stay one more night, but 3 nights experiences were good enough for me. I gently rejected his offer and decided to come home to recover in 2 weeks at my lovely home.)

Well, simply to say that everything is under control. Thank you all who worry about me. Especially, thank you to Tom and Nanette, my RTP committee members’ big helps, all review papers are already done away before the due date of 4/1 and review meetings are also scheduled well. I should not forget to say big thank you to Teresa, my ArtEd colleague and chair of Art Dept. She was with me from the early morning of surgery and waited for me for a looooong time so that it took over 5 hours. She came to check up me every day to see if I am okay and also took all my duties at the NAEA conference, Seattle as my sub to organize two panel discussions in addition to her own presentation on Saturday, 3/19 (and might be many more in the near future depending on my condition).

Lastly, I will let you know my story that the reason of my colon cancer. I was scheduled to have the colonoscopy test sometime early last year of 2010, but I was too busy to follow my schedule as you might be the same situation. If I took it last spring, my problem might has been just a polyp and did not grow as the lemon size of cancer. So please don’t wait! Take the test ASAP if you feel something wrong (or even not, if you are certain age, take it since the colon cancer is the most popular one in the US and the ratio of colon cancer is increasing with your age.)

Looking forward to seeing you in a couple of weeks,

Masami
A survivor from cancer

2011年3月18日金曜日

網膜剥離(予防)手術:Laser Eye Surgery for Retinal Detachment (3/10/11)

先の「予期せぬ厄年?」のところでも書いたけれど、気軽に遠近両用眼鏡を作るための新しい処方データーを貰うために定期検診にいったところ、網膜剥離の危険性高しとの診断を受け、急遽レーザー手術を受けることになった。

3月10日に執刀医に再チェックをしてもらった後、手術の契約書と準備情報を看護士と打ち合わせ、明日3月11日に手術のできる別の施設へ午前中11時頃に(急遽飛び入りということで、大まかな時間帯だけを指示される)来るようにと言われる。

当日、待つ事1時間程。看護士に迎えは来るのかと問われ、自分で運転して帰れるとの事で誰も予定していないと告げるとえらーく叱られた。そんなことを言われても、昨日確認をとった時にお宅の別の看護士が大丈夫必要なしと言ったのよ、、、との弁解に、その看護士は何も知らないから私の言うのが正しい、と言われてもそれはそっちの問題ではないの(と直接は言わなかったけど)ちょっと憤慨。「友だちはいないのか?」至急誰かと連絡をとって迎えを頼むようにと言われた、、、「いるよ友だちもだんなも、でもね急に仕事時間帯に連絡しろってものが無理だよ〜。」等々いろいろすったもんだ。結局医者の一言でオッケー。術後30分程休んで自分で運転して帰宅よしの許可。

肝心のレーザー手術は?というと、通常の検査みたいな椅子に座って機器に目をあてるところまでは一緒だけど、頭をベルトのようなもので固定されるところが違う。これでは逃げようなないっ、ちょっと不安。

目の中に術中閉じないようにとの目的か、小さい望遠鏡のような枠のついたコンタクトレンズを左目に入れられ、そこを通してレーザーをあてられ、亀裂部分(網膜剥離部分)を焼いていってるのがわかる。音は実際には何もしていないのだと思うのだけど、感覚的にジージーと焼いている感じ。痛くはないと言われたけれど、眼球の奥に重くにぶい痛みを感じた。時々うっと頭がのけぞりそうになるたびに個体されたベルトで押さえつけられて、動けない。ベルトの効果は大ね。

10分程で終わりと聞かされていたけど、もっと数十分かかったよう。後で聞いたところによると、亀裂部分が複数あり、そこをレーザーで照射していくので時間がかかったとのこと。

今回の手術で左目の網膜剥離の可能性からはどうにか脱出したけれど、リスクの高い目だそうで、今年一杯は2ヶ月に一回はチェックをする必要があるとのこと、、、当分要注意というところ。(右目も?との質問に、もちろんと言われた。そして原因は?の質問に特になし強いて言えば加齢だと、、、う〜  >_<,,,)


2011年3月13日日曜日

お見舞い:Thinking about you for March 11, 2011 in Japan

泰子さんがうちの家の裏に咲く木瓜(ぼけ)の花を使って、そして私がずっーと昔コイル巻きで作り上げた壷に生け花をしてくださった。その写真「木瓜と菊の花」でのお見舞いにここに。少しでも心の慰みになりますように。心から。

2011年3月11日金曜日

東北地方太平洋沖地震 (3月11日午後2時46分頃): M8.9 Japan Earthquake & Tsunami hit Tohoku Bay!

3月10日夜10時頃(日本時間の3月11日午後3時頃)、いつものようにTV Japan (NHK)をバックグランドミュージックに机上で仕事をしていた。途中お茶を湧かしにたち、もどったら画面が速報に変わっていた。最初は、日本の津波警報の迅速なことにさすがと感心し、(続いて、何も問題なく無事に難を逃れたことを知らせる速報が流れることを何も疑わす)、ただその様子をまるでスローモーションのドキュメンタリー映画のように見続けていた。

それが、、、それから4時間眠れないまま、テレビに釘付けに。昨年10月の奄美の豪雨の時もそうだったけれど、、、それ以上(いや比較できないくらいの大惨事)。2004年のスマトラ沖地震の津波の時を思い起こさせる。TVのアナウンサーが淡々と伝える被災者の数を伝えるたびに、なぜ日本でこれほどの災害にと自問自答しながら、ただただ胸が痛くなる時間を過ごしていた。

2011年3月6日日曜日

平和な雨の日の日曜日:Peaceful & Rainy Sunday (3/6/'11)

2月の中旬以来、予想外のいろんなことが身の回りにおきてしまって、慌ただしく過ごした3週間。お願いできることは同僚やTA(Teaching Assistants)の学生たちにまかせて、仕事を少し整理。やっと少し落ち着き(じたばたしてもはじまらないと開き直り 笑)、現在「まな板の鯉」状態。

あっそうそう進めている教科書「芸術鑑賞学」執筆で毎週が締切状態のきゅうきゅうの数ヶ月を過ごしていた私でもありました。こういうことになって、急に締切が守れなくなるのもよくないということで、たまたま先週の月曜(2/28)進捗状況を確認にチコの街に訪れた担当者に相談。いざという時にはいろいろバックアップの方法があるので心配しないでまずは自分の体のことを考えてのあったかい言葉にほっと。案ずるより産むが易し。やっぱり相談してよかった。そんな気持ちで迎えた少し小雨まじりの日曜の朝。一日ぼっーと本を読みながら、すごーく幸せな一日を過ごしたのでした。(結果オーライ?少し時間をもらって、教科書作りの参考資料もゆっくり読める状態になりました。これも神の思し召し?)

2011年3月5日土曜日

海とエマーソンの「Na Na Na」:Emerson & Theo's first gig, "Na Na Na!"

中学に入って海にベストフレンドができた。名をエマーソン。小学校は別々で中学に入ってからゲートのプラグラム(GATE)で同じコースをいくつかとって知り合ったらしい。ギター仲間でもある。たぶんエマーソンの影響なのか、海もこの1月からギターを始めた。それもベース。時々一緒にといっても、バンドを組んでとまではいかないようで、まだまだビギナーの海はお呼ばれで遊びに行って練習というところ。今日もお呼ばれ2時に車で送り届け、5時前に迎えに行くと、エマーソンのお父さん(ダン)がドアを開け「聞いてみる?」ということで、はじめてのギグを聞く事になった。ミュージックのタイトルは「Na Na Na ....」。初心者同士ではなかなかのもの(?)。思わず記念にデジカメでビデオを。お母さんはドイツ人のコーネリア。海と同様両親が2つの文化を持つということになるのかな。小学校の時のベストフレンド、インド人のビスマン同様、長ーい友だちになると良いね。

時期外れの厄年?:One after Another

One after another .... 一つ何かおきると(特によくないこと?)結構続いたりするものですが、実感する出来事がありました。先週の金曜日(3/4)に目の定期検診で網膜剥離(ちょい手前の亀裂)が見つかりました。ほっとくと失明することもあるということで、担当した眼科にできたら今日にでもレーザー手術を受けた方がよいと言われてしまった。

10分程の簡単な手術で、術後30後くらいには通常にもどれて、痛みも何もないから大丈夫大丈夫とは言われたものの、、、いくらなんでも今日今すぐなんてとあせる私。(正直英語の専門用語がきちんと理解できているかどうか自分でも少々不安だったので)、当日中にどうか主人に☎にて説明してみてもらえないかとお願いをして、来週の水曜(3/9)に手術の予約を一応して帰ることにした。担当の医者では手術ができない(その資格がないというわけかしら)とかで、執刀できる眼科医が来るのが来週の水曜ということらしい。

実はそれが「網膜剥離(Retinal Detachment) 」と理解できたのは、自宅に帰ってしばらくしてから。情けない事に、ジョンと海からサイトで「これのことだよ〜。でも先生の話しではtear(亀裂)が入っているだけで、まだそこまではいってないから、レーザーでその部分を固める治療で大丈夫だよ〜」と言われて、やっと納得。そしてもしかしてこれって日本語でいうところの「網膜剥離」っていうやつと気付いたのでした。

One after another ...とはまさにこのこと。それにしても、左目の横に黒い点が見え始めたのはもう4年くらい前の事。そして左目の視野が右目に比べて極端に狭いと気付き、ちゃんと眼科で検査を受けたのに異常なしの結果。2年前の定期検診でも眼底異常も何も見つからなかったのにだ、、、。

いろいろ続きます新たな発見。それとも神の啓示?さすがにこれにはちょっとショック。これを機会にがたがきた体(と今頃になって始めて自覚した私、おそっ!笑)をちゃんと直してきますね。

2011年3月4日金曜日

予期せぬ出来事ーコロンキャンサー日記3:Colon Cancer Diary 3 (3/4/'11): 

50才からこちらでは、通常自腹だと$1,000ドルほどする大腸がんの検査を保険でカバーしてもらえるらしい。毎年受けてる定期検診の時、打診され受けることにしたのは、1年前の話し。それから約1年、検査日程(その医師は火曜日のみ)がどうしてもあわず、通常の血液検査でも異常は見られなかったので、延ばし延ばしにしていた。それが1月のある日、通常のトイレ時(すみません汚い話しで)激しい痛みを感じで、見てみると粘液がからんだようなものが、、、これはおかしいと思いながらも、それでもそれ以外に腹痛とかも何もなかったので、一ヶ月後くらいの毎年の定期検査の時、主治医に相談。日程のある検査医に替え予約しなおし、ようやく2月の中旬に検査を実施することにした。でもその時も、それほど真剣に何かあるとは思ってもいなかったの。

それが、、、下記検査を受けてからの顛末記。(自分自身の記録のために、そして友人達へのメッセージとして、ブログにではありますが、掲載することにしました。みんな〜受けてね。日本でだとたぶん無料だと思うし、本当に待たずに行ってね。)

⦁2/16(水):ホームホスピタルであるMangrove Medical にて内視鏡検査 (colonoscopy) を受ける (Dr. Williams)。結果、肛門から25cm上の方、結腸部分(左脇腹付近)にガン細胞(colon cancer)が見つかる(>_<,,,)。
⦁2/18(金):North Valley Medical にて、CTスキャン検査。(結果、他の臓器、肝臓&肺への転移は見られないとの事(ほっ)。
⦁同2/18(金)夕方:内視鏡検査を実施してくれた医師と☎にて、説明を受ける。翌週ジョンと一緒に実際のデーターを見せてもらうことに。
⦁2/22(火):Mangrove Medicalにて予約していた2時半にジョンと待ち合わせ。昨日(2/21)がリンカーン記念日で病院は休みだっとせいか、休み明けのこの日は混雑。珍しく1時間待ちの3時半にようやく面会。(既にレモン大の大きさになっているが、転移はないので、開腹手術ではなく、比較的簡単な「腹腔鏡下手術」を実施することになるだろうとのこと。数日中に執刀医と打ち合わせをすることに。)
⦁2/24(木):執刀医、Dr. Ludwigとの打ち合わせにジョンと出かける。現在のガンの状況の説明を丁寧に受ける。ガン化している部分を摘出のため、その前後を含めて12〜20cmほど腸をカット、そしてその結腸部分をつなぎ縫い合わせることで大丈夫だろうとのこと。その後手術の日程調整に。月曜&火曜のみが手術日ということで、一番早くても3/14(月)にしか執刀できないとのこと。一週間早めてもらえるよう依頼して帰途に。
⦁3/4(金):手術の準備担当看護士(?)との打ち合わせ。既存の疾患がないかどうか、常備薬の有無、そして薬(麻酔も含)のアレルギーがないかどうかの口頭質問と確認。この後、手術を行うエンロー病院(チコで一番大きい大学病院)にてレントゲンを受けるようにとのこと。(その時点でも手術予定日は変わらず。)
⦁同3/4(金):Walk-in(予約なし)でエンローへ。待つ事1時間でレントゲン撮影。
⦁3/13(日):手術前日は内視鏡検査時同様、夕方から腸内をきれいにするために飲み薬(下剤?)を。
⦁3/14(月):当日は準備のため8時に病院へ。9時半に大腸がん手術執刀。

その日から数日は病院にて調整とか(詳細は実際に執刀するまで未定)。 (術後数日で退院できるとのことですが、退院後1週間ほどは様子見のため自宅療養を勧められている。その後は通院にて数ヶ月に一度程度、定期的にチェックという流れだそう。また担当医&執刀医と話し合ったところ、「実際に手術をしてみないとわからないが」の前置き付きで、順調に行けば、今のところ3月後半の日本行きも予定通りで大丈夫ではないかとの話しで、これまたほっ一安心。)

以上、期せずしての出来事に、この数週間は大学での授業やコミッティの仕事調整や予定していたその他の仕事の調整に少々慌ただしい日々を過ごすことになってしまいました。が、それもようやくだいたいの目処がついてほっとしているところです。

遅ればせながら、この数週間いろいろネットでも調べてみました。大腸がんは初期の場合は症状がでにくく、症状が出た時(血便、下痢、便秘、腹部の膨張感、排便時の出血、腰痛等々)には、すでにガンにかかっていることが多いそう。また症状から痔と間違うケースが多いとの事で、痛みも感じないことから多少の事では、きちんとした検査を受けないケースが多いらしい。私もその一人でした。実は、私も毎年定期検査をしていて、ひっかかってきませんでした。ここのところ半年程体重が増え、食後腹部の膨張感がなかなかとれないでいたのは、更年期障害のせいで、消化能力が衰えたせいだとばかり思っていました。

私の知っている限り身内に大腸がんは聞いたことはなかったし、私自身食生活は他のアメリカ人より健康食(牛肉などの赤肉をほとんどとらずにチキン中心、そしてえびかに類が中心)でたばこは全く吸わないし、ここではお酒もせいぜい週末にこびん一本程度です。ジョギングもしているし、、、便秘になったこともなく快食快便の日々(笑)で、大腸がんのリスクとは無縁の生活と信じていました。

私自身、こうなってみて、1年前の最初の検査予定を受けていれば、ポリープ程度で済んだのではないかと、今頃後悔しています。(実はTVの「ためしてガッテン」で「痔をあまく見ることなかれ、、、」みたいな特集を見る機会があり、もしかして、、、と思ったのも今回の内視鏡検査に行く一つのきっかけにもなったのでした。再びしつこいようですが、皆さん、本当にちょっとでもおやっと思うようなことがあったら、検査に行ってみてね。)

とりあえず、あがいてもしょうがないので、手術がうまくいくことを信じて平常心。それまでは通常通り大学の業務をこなしながら、あとは手術を待つばかり。

2011年3月3日木曜日

The 1st Japanese Speech Contest in Chico (3/3/'11): 日本語スピーチコンテストの賑わい

チコの日本語学部の講師である(そして我がJCWCの中心メンバーでもある)徳田恵子さんと唯一日本語クラスがあるチコのPV高校の教師ミッシェルが今年、はじめての開催である日本語スピーチコンテストを開くことになった。画期的!さすが恵子さん、その行動力に感服!

今日はその記念すべき日。海の小学校時代の親友で今も仲のよいビスマンがビギナーレベルでエントリー。私も日曜に頼まれて原稿チェック、そして発音練習のお手伝い。海の親友のためならと、ジョンや海、そして私も応援に出かけることにした。初級、中級、上級と三段階のレベルで約15名程の学生が参加(下はこのビスマンの中学1年から上は20才くらいまで)。応援もたくさんかけつけ、部屋の中は若い熱気で暑いくらい。

下がそのビスマンの発表風景。(先日彼の原稿を読ませてもらった時、そのライティング能力の高さに驚きました。確か中学1年の彼が特別にPV高校で日本語クラスに参加し始めて、まだ1年くらいのはず。どうみても海よりも上の感じ。これは海もまじめにやらないと、、、、発音はさすがに君がまだ上だけど、その内、、、継続は力なりの見本ですね。これは。)ちょっと完璧主義者的はところがある海は、今回の参加は即座に「ノー!」だったけど、(みんなのレベルにちょっと手応えを感じたのと)現金な海は賞金が想像以上によかったのに刺激されて(たぶん、笑)、来年は僕も、、、とちょっと考えているみたい。出ようよ、海くん。結果はともかく、目標があるのとないのでは、やはり上達が違うとママは思うよ。

2011年3月2日水曜日

3月1日に木瓜(ぼけ)の花を:Cerebrate March 1 with Japanese Quince

3月1日は父の誕生日。今年は命日(3/30)に帰省できないので、その代わりというわけでもないのですが、毎年この時期に家の角に咲き始める徳&オール家の「春告げ花」でもある「木瓜(ぼけ)」の花を飾って祝うことにした。

ちょうど雛祭りにも近いこの日、桃の花みたいでちょっといい感じ。海と二人で、「じゃあおじいちゃんもお花見だね。」と日本酒ならぬ奄美の黒糖酒、父の大好きだった「加那(かな)」をそばに置く事にした。2009年度の奄美皆既日食特別記念版(西平酒造)である。西平さんご夫妻からおみやげにいただいたもの。きっとこの日は最高のお花見日和。写真の中の笑顔の父。心なしかその顔がますますほころんでいるような。

3月の声と共にチコの街中もそしてうちの回りも春のきざしが一杯。例年より少し寒かったチコの街。花の咲きが今年は遅いねといっていたのも束の間。うちの回りにも春が、この後、椿、紫木蓮(しもくれん)、桜と続きます。