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ラベル アメリカ学校事情 (School Life) の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2010年1月27日水曜日

Kai's 12th Birthday:海12歳小学校最後の年ーどこの中学へ行くか?

今日は海の12歳の誕生日。同じ1/27生まれの有名人と言えば、モーツアルトがいる。(なんとなくうれしい。)
初めての干支の年。年の祝い。昔でいうと元服の年という所かな。

早いもので、この夏(秋)からは中学である。そう考えると、時間が経つ早さを実感する。チコには3つの公立中学校(6th & 7th Grades の2学年)がある。(他にも小中連続の公立学校、チャータースクールとしての中学校、そしてカソリックスクールなどの私立の中学校等もある。)日本と違って校区の学校に必ず行く必要はないので、ペティションの書類を提出さえすれば、割と自由に選ぶことができる。どこにするか迷い時。それぞれの学校を訪問見学させてもらって最終的に決めることにしている。

Bidwell Junior Hight School:

2009年9月8日火曜日

オバマから子どもたちへのメッセージ:Obama advises caution in what kids put on Facebook

9月8日(火:米国西部時間)朝9時、オバマ大統領からこどもたちへのメッセージがライブで流れた。場所はバージニア州、アーリングトン市郊外にあるウェイクフィールド高校(Wakefield High School, Arlington, VA)でのスピーチである。全米の学校にオンタイムで流れたが、内容に対してやはり物議を醸し出したようで、途中放送を中止した学校も出たそうである。(息子の海の学校では放送されたとのこと。)

下記はチコ市のローカル新聞(9/8/2009 Chico Enterprise Record)に掲載された記事からの抜粋。

ざっと読む限り、「誰も頼るな、誰にも責任を転嫁するな、自分自身で責任を持って勉学に励め、それができるものしか成功しえない。」といっているように聞こえる。つまり社会のせいにするな、どんなに大変な環境にあろうともそれに耐え、自分自身で切り開けということなのか?オバマ大統領が学校で学生に向かってスピーチしたこと自体は素晴らしいことだと思うのだけれど、それは過去の大統領もやってきたことで、特に目新しいことでない。(日本ではないだろうけど。)内容は一般的なメッセージの域を超えるものではないという感じ。それより気になったのは、こどもの教育環境を整えるべきの政府や親の責任を回避して、その不備を子ども(学生自身)の忍耐と努力でカバーしよと言ってるようにしか私には聞こえなかったこと(ただスピーチ全部を聞いたわけではなく、新聞記事からの感想なので、結論づけるのは時期尚早かも)。スピーチの場に選んだ学校が普通の一般的な学校というより、かなりレベルの高い高校らしいというところも気になった。(たぶんこの学校の生徒たちはほっといてもちゃんとやる子たちなのだろうから。)

"Every single one of you has something that you're good at. Every single one of you has something to offer." "And you have a responsibility to yourself to discover what that is."
..........................

「君たち一人一人全員が何かしら得意なものをもっているはずである。何か身を投じてがんばれるもの(そして誰かに分け与えることができるもの?)を持っているはずである。そして君たちはそれが何であるかを発見しなければいけない(その責任を君たち自身が持っているのである)。」

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"There is no excuse for not trying" he said in the speech. He said students must be individually responsible for their education, and that it's important to work hard, pay attention in school and complete assignments.

「何もしようとしないこと(努力しないこと)に対してなんの言い訳もあってはならない。」オバマは学生に向かい、教育に対して学生一人一人自身が責任を持つべきだと言っている。そしてそれは一生懸命努力することであり、学校において、集中して(与えられた)課題をきちんとこなして行くことであると。

"Whatever you resolve to do, I want you to commit to it," Obama said. "The truth is, being successful is hard. You won't love every subject that you study. You won't click with every teacher that you have."

「解決すべきことがなんであろうと、私はあなた方がそれに責任をもって立ち向かってもらいたい。」「真実を言おう。成功することは困難なことだ。君たちは勉強するすべての科目を好きにはなることはないだろう。また君たちが出会うすべての先生と相性があうこともないだろう。」とオバマは語った。

"At the end of the day, we can have the most dedicated teachers, the most supportive parents and the best schools in the world, and none of it will matter unless all of you fulfill your responsibilities," the president said.

「いつの日か、私たちは最も(教育に)熱心な先生達に、最も献身的に支えてくれる親たちに、そして世界で最もすばらしい学校を持つことができるだろう。しかしそれは君たちが君たち自身の責任を果たした時にのみしか起こりえないことなのだ。」大統領はそう語った。

2009年4月23日木曜日

カリフォルニア州共通テスト(STAR): Standardized Testing and Reporting (STAR) in California


California Department of Education

4/21 (火)早朝にチコの街に帰って来た。ミネアポリスで開催されていたNAEA (National Art Education Association)の学会参加を終えての帰宅。学会先で母校の友人達を会える楽しいイベント、年一度の恒例イベントなのだが、よる年並にかてず、さすがに帰って来るとぐったり。また留守にしていた間、机上にためておいた書類の山を見るとまたぐったり。

それはともかく、少ない睡眠時間にぼっとしながら翌朝、息子の登校準備を見ていると、いつもばたばたと慌ただしく準備をしている息子の態度がおかしい。なんかゆっくり、ゆとりすら感じられる。「海君どうしたの?」と一応母としては聞いてみる。どうもこれから2週間程、午前中は学校はお休みで、午前中遅くの登校ということになっているらしい。どうなっているのと主人と息子に改めて聞くと(息子の学校事情をだんなに聞くというのも母としてちょっと情けないけど、、、)、どうも州の共通テストの方針/やり方(存在そのもの?)に抗議して、反対する親達がこどもたちにそのテストを受けさせない事を決めたらしい。そのそのテスト期間中は自宅待機だったり、うちの息子のように、ひとりのこどもの家に集まって(家庭学習?)ということになったらしい。

ふむふむ、、、知ってはいたけれど、その共通テスト(STAR)とはそもそも何なの?どういうところに親達は抗議しているのだろう?自分も子を持つ親、当時者の一人ということはすっかり忘れて、完全に傍観者(それでいいのか?!いいのである ^_^)興味がむくむくとわいてきたので、ちょっと調べることにした。。。続く、、、、

2009年3月25日水曜日

160人の先生達の行方は:160 teachers who might be lay off in Chico


We can change! 変革を望んだ米国市民によって選ばれた新大統領。しかしオバマ新大統領になったからといって、すべての問題が一気に解決されるわけではもちろんない。いくら彼が教育に力を入れたいと宣言したところで、巨額の経済赤字をかかえた米国では、それは希望にしか過ぎなく、それぞれの州、地域の教育現場において、彼の希望が反映されるには時間がかかるに違いない。今はむしろほど遠い状態。教育は経済赤字の粛正の真っ先のターゲット。そう米国の教育は遠の昔に聖域などではなくなっている。アメリカ人なら誰でも知っていることである。また教育現場で日本だったらまず絶対起こらないようなことが平気がおこるのがまたアメリカである。教育現場もまたビジネス界のように市場原理で動いていることを知って愕然とすることも多い。残念ながら下記の件もその一例である。

つい最近我が街チコ市で約160余の義務教育の先生(K-12th Grade: 幼稚園から高校まで)が首になるかもしれないとの話しで持ちきりになった。(*チコ市教育委員会)人口十万の市である、先生(主に小学校の先生?)がそんなに一気に首になるなんて、ちょっと常識では考えられない。しかしこのうわさは結構現実味を帯びて来ている。チコの教育は10億の赤字なのだそうである。それがイコール約160余人の首切り、つまり人件費(給与)の削減ということになる。そんなに一斉に教員を減らして、義務教育は成り立つのか、削減された教師の分、クラスはどう運営されるのか?答えは一つ。小学校の場合、カリフォルニアでは小学校低学年では、少人数体制で厚い教育をというのが理念で、今まで小学校1年から3年までは人クラス20人制をとってきている。小学校4年から一気に生徒数が増え、20人から35人になる。これをすべての学年で35人体制にし、その分教員を減らすという発想である。

じゃあどういう先生がレイオフ(首になるのか)というとこれがまた実力主義のアメリカとは思えない、教職歴年数の少ない人たちからということらしい。とはいってもこれは教職歴の長さであって、若い方からということではない。あくまでも教職についてからの年数である。具体的には、1995年以後にテニュア(終身雇用システム)をとった先生、つまり教職歴13年以下の先生方が対象になっているらしい。(*日本と違って、大学卒業後すぐに教職につく人は結構まれで、いったん卒業しても他の職業を経たりと、教職に入る時にすでにある程度の年齢になっているケースが多い。大学の教員もまた同じである。もちろん私も10年余の寄り道をしています。)

最近その条件にあたる先生方に、桃色の通知書が手元に届いたのだそうだ。(すぐに日本の徴兵通知の赤紙を不謹慎にも思い起こしてしまった。)まだ決定事項ではないといいながら、この通知をもらった先生方はどういう気持ちで今、教壇にたっているのだろう。その気持ちを思うと、何もできない父兄である自分たちが情けなくてしょうがない。そのリストの中に、今海の担任の先生の名前も、そして次の6年生の先生になる予定の先生の名前もあった。これらの先生はGATE (ゲイト)という、Gifted Program という市全体の小学校から選ばれた子ども達が集まるプログラムの教師達で、そういう意味で教師自身も優れた人たちがついている。そういう人たちも関係なく、教職歴だけでレイオフの教師のリストに入っている。(これが考えられる一番公平なリストだそうだ。腑に落ちないし、その理屈がわからない。)

たぶん似たようなことが全米あちこちで今起きているのだろう。教育が聖域であるかどうかの議論以前の問題。何の話し合いもなく、簡単に予算削減として教員の首が飛ぶ。これが米国の教育現場の現実。それに対して私たちは何ができるのか。答えはなかなか出てこない....(>_<,,,)

最後にこの160人の中に美術(図画工作)の先生は入っているかどうか?実は入ってないとの事。というよりこの160人の教師の数にすらカウントされてなくて、この160人以前に真っ先に首を切られるのが、特に小学校では専科、音楽&美術*の先生だそう。その美術教師になる学生達を指導している私は、その学生達の未来になんといったら良いのだろう。

*(追記)ここチコの街では、小学校の図工の先生は2週間に一回の割合で、各学校を回っていて、一つの学校には所属していない。それだけ聞くと、美術教育の環境は悲惨なように思えるが、その一回の図工の時間は半日授業(3時間)で、計算すると1週間に1、5時間の時間数。それを考えると、日本とそれほど変わらない、むしろ多い計算になる。また米国の担任の先生方(特に小中学校)はアートを各科目指導する上で、効果的な方法として多用しているので (Integration with Visual Art)、全体から見ると、教育環境は「美術を通しての教育」と言えなくもない感じで、日本と比べても美術環境は非常に豊かである。

*また現在日本で話題になっている中学校における美術の選択だが、米国では高校同様、中学でも美術はもともと選択である。しかししかしである。美術を選択した場合、実は毎日「美術」の授業が1時間づつある。そう中学における美術の選択というと、これまた悲惨なように聞こえるが、中身を見ると選択の意味が日本と違っていることがわかる。表だけでは見えない、現状がここにある。(高校でも美術を選択した場合、中学同様、毎日美術の授業がある。)

かつて私は米国の友人達に日本では「図画工作」や「美術」は義務教育では必須なので、米国よりずっと豊かだと言い続けてきた。それは数字だけでなく、私がこども時代に受けた、図画工作の授業を元に感じていた事だけれど(私の時代は奄美でも小学校に図画工作の専任がいた ^_^)、それはもう間違った認識ではないかと最近思い始めている。