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2011年7月14日木曜日

Arrived at Amami with Theo:奄美到着!

7/11(月)夕方6時過ぎ、サクラメントの空港からロスアンジェルス空港へ。約1時間半。そこで5時間待ち(その前の旅行の疲れが出て空港でたまらず仮眠)、日付変わって7/12(火)真夜中1時過ぎの飛行機で羽田へ。再び日付変わって7/13(水)早朝5時前着。税関を出て高内線つなぎの奄美行きの便に荷物を預け終わったのが、6時半。出発の11時まで、まだ4時間余り。さて中野の久美(高校時代のバスケの親友)のところまでおはようをと突然のサプライズ訪問。等々、、、東京の街を電車でてくてく羽田と中野を往復してようやく奄美行きの飛行機に。飛行機の中から雪が

奄美空港からいつものように(一応)空港リムジンバスに乗り込み、矢之脇町の実家に着いたのが1時過ぎ。さて自転車で母のいるハピネス浦上(高齢者賃貸住宅)までただいまの挨拶にと思ったら、なんと私と海の自転車二台ともパンクしているのに気付いた。あわてていつもの自転車屋さんに持って行くと3時までにはなおしてくれるとのこと。3時過ぎに自転車をピック。海と二人でさあレッツゴー!しゃかしゃかしゃかしゃか(自転車のペダルを踏む音)30分。ハピネスへ。スタッフの皆さんにご挨拶して、さあ母はどこだ?

デイサービスの部屋から私達を見つけた母がいそいそと廊下まで出て来る。
「わあ雅美ちゃーん!来たのね」とまるで夏休み明けに久しぶりにあった女学生同士の挨拶のように抱きつく79才の母。満面の笑顔。海の名前が出てこないのか「私の孫です。雅美の子です。」と皆に紹介する母。「うみという字を書くのよ。お母さん。」と伝えると「海(かい)君!海君!」とうれしそうに連呼する母。ちょっと照れる海。「お母さん、ちなみに私のだんなの名前覚えている?」の質問に「ジョ〜〜ン!」。みんなで大笑い。

(この笑顔に会いに私達ははるばる海を渡って来たのだ!その価値はあるよね、海君!今年もまた奄美に行きたいと行ってくれた海に母としてはサンクス!)


2011年7月10日日曜日

Let's got to a movie theater to coon down:真夏の昼は映画館へゴー!

あっそうそう昨日(7/9土)は暑さしのぎに映画館へ(いつものように家族三人で)。スピルバーグの「Super 8」を見に行ってきました。Rotten Tomatoes の評価は81%と高かったけど、確かに始まりははらはらどきどきだったけど、結果的にあちこちのパクリにしか思えなかった私。恐怖のエイリアンの目が最後ETの目になった時に笑ったのは私だけでしょうか。

スピルバーグは男の子を(それもグループで)描くのが好きだ。そしてそこには必ず女の子が一人いる(ETは小さな妹だったけど、今回は同級生)。あっ自転車も忘れていけないアイテムね。たぶんそこに自分の子供時代を投影しているのだと思う。その頃のたわいもない馬鹿話や将来の甘酸っぱい夢なんかがうーんと詰まっていた頃のノスタルジーだ。

最後、主人公の男の子が、空に(宇宙船に)吸い寄せられて行く、亡くなった母親のペンダントを自分から手放すシーンは、たぶん父親にとってはたまらないシーンだと思う。母親の思い出との決別、そして父親との二人での生活への新たなる再出発への覚悟だモノ。

批評しているつもりが、私結構ほめてしまったかも。結局決してきらいではないのですね、こういう類いのシナリオが(焼き直しとわかっていてもです)。

2011年7月9日土曜日

Summer (July) in Chico: 7月のチコは暑い!

チコの我が家に一月振りに帰ってきてホットしたのも束の間、来週月曜には今度は日本へ向けて旅立つ。後片付けとその準備で再びばたばたの週末。庭掃除やショッピングの傍ら久しぶりにチコの夏を体感。

そういえばこの7ー8年(特に海と一緒に奄美に帰郷するようになってから)、7月をチコの街で過ごしたことがなかった。毎年大学学期終了の声を聞く5月末(そして時には海の学校の終了を待ち6月明けには)日本に飛び2ヶ月余り、日本の梅雨の時期を含めて夏をほとんど日本で過ごしていたから、チコの夏をすっかり忘れていた。

暑い!とにかく暑い!日本の湿度の高いむっとする夏と違い、湿度の低いチコ(カリフォルニア全体がそう)では、太陽の日差しが直接皮膚に刺さる。華氏100度(摂氏約38度)を超えるのはざらで、110F(43C)前後になるのがチコの夏。

日本の夏とチコの夏、どちらの夏がましか?との質問には答えを窮するけど、これを日本ではなく奄美に置き換えると答えは簡単。もち奄美の夏。18年間を過ごしていたあの夏は身体にしっかり染み付いているもの。

ところで、チコの我が家に帰って来て一番感激したのは、この暑さにもめげずにうちの庭の薔薇やラベンダーはしっかり元気に咲いていたこと。自然の強さは素晴らしい(^_^)!

2011年7月8日金曜日

Come back to Chico, our sweet home (7/7): 一ヶ月振りのスィートホーム

昨夜遅く(チコ時間の7/7木)11過ぎにチコの家に、約一ヶ月振りに帰って来た。ヨーロッパ時間の7/7(木)朝6:45分にローマを発ち、ベルギーのブリュッセルに。そこで飛行機を乗り換えシカゴのオヘア空港に。そこでまた乗り換えサンフランシスコ空港へ。ここで約5時間待ち(そこでもう恥も外聞もなく家族三人空港のベンチで横になって仮眠)、夜9時過ぎの飛行機でチコへ。出発してから家に着くまで約26時間。丸一日余の移動時間の帰途の旅。(その前にローマの国際空港で一夜を明かしているからそれも入れると30時間余り。それにしても空港で一夜を明かす人がこんなに一杯いるなんでちょっと驚き。それも若い人たちばかりでなくて、うちのような家族ずれも結構いた。みんな節約に必死ね。うちと一緒でちょっとにっこりそして安心。)

昨夜は皆どうにかシャワーをあびてそのままころがるように爆睡。一夜明けた今日は今日で昨夜届かなかった荷物(シカゴからの乗り継ぎ便が4時間遅れた。私達自身は早い便に変更してもらえたけれど、荷物はそのままで結局昨夜チコまで届かなかった)を空港まで受取に、そして荷物の整理と大洗濯。

そしてたった今、タイトルをあげただけのブログをどうにか更新しおわったばかり。今回は割とオンタイムでブログを更新できたので、われながらよくやったと思う。これもひとえにこの情報を教科書の参考資料のために使わねばという目論み(下心)のなせる技(^_^)。これから撮りまくった(数?)千枚余の写真(ほとんどがアートや建築物作品)を整理する作業が残っている。が、これはこれから日本(奄美)で時間をかけてやっていこうと思う。そう来週早々今度は海と一緒に日本へ。私達の旅はまだまだ続く。

あっとその前に溜まっているメールの確認&返事を日本へ出発する前にやる作業が残っているのでした。これまた急いでやらないとね。

My personal review after the trip: 旅を終わっての感想一言

今回は(「も」かも)とにかく歩いた、自分たちの足で歩き歩き回った旅。そういやあジョンとの旅はいつもそう。そして途中で疲れはてて私が悲鳴「もういいかげんにしようよ(本当は「してっ!」って感じかな)をあげるというのがお決まりのパターン。まさか今回の長旅までそうだとは思わなかった。でもそのせいか結果的に本当に旅したという実感がある(これまたポジティブに考えることにした)。

とにもかくにも大満喫の旅そして大満悦のアート鑑賞の旅はこれで終了。また機会があることを願いながら中欧を後にした私達。

もしまたマイルが貯まったらの話しだけど(そう今回は三人分ともマイルでのフリーチケット ^_^)、次回はぜひフランス、スペイン、ポルトガル、そしてモロッコを回る西ヨーロッパの旅へぜひ家族一緒三人で。気を使わずに本音が出せるのはやっぱり家族だけだもんね。予想通り侃々諤々の旅ではありましたが、それでもやっぱり家族の旅が一番と再確認した旅でもありました。ジョンと海が同じ気持ちかどうかはちょっと微妙(笑)。

(でも女友達とのちょっと優雅な旅も捨て難いのも本音。これは60代までお預けかも。それまでがんばって健康でいよう!)

2011年7月6日水曜日

At the end of 2011Europe Trip (7/6): 旅の終わりに

今イタリア時間の7/6(水)夜の11時少し前、ローマ空港へ行く直前ホテルのロビーでこのブログを打っている。6/9(木)にチコを離れて4週間。予想通りあっという間の旅だった。
タイトルだけあげて、まだ中身を更新していないイタリアでの1週間はたぶんチコまでにストップオーバーする3空港でもしくはチコに着いてからあげることになると思う。

最後の地がイタリアのローマでよかったと思う。今まで立ち寄った観光地はどこも溢れ返る観光客のその数の多さに圧倒されたが、ここローマはその比ではなかった。昨日(7/5)結局1日づくめだったバチカンのシスティンチャペルや今日(7/6)のコロシアムやトレビの泉、おなじみの観光スポットは人人人だかり。今回の旅の中で25年前にも一度よったことのある地はここローマだけだったけれど、こんなに多かったっけというのか感想。

確かあの時は1月真冬の旅だったっけ。1986年頃だったと思う。¥が$1=360円から220円くらいまで高値になったばかりの時で、夢だった海外旅行が夢だなくなりはじめた頃(20代後半)。確か当時35万前後の南欧の旅2週間でフランス、ギリシャ、イタリアを回る旅だったと思う。

旅の終わりはいつもながらホームシックと旅を惜しむ気持ちのミックスフィーリング。でも今回はそのローマの人での多さと7月の日差しの熱さに少々うんざりで、未練なくアメリカへと帰れそう。これが「最後の地がローマでよかった。」という理由(笑)。

2011年7月4日月曜日

Florence and then finally to Rome (7/5&6): 旅の締めくくりはやっぱりローマ?

(7/8記載)ドイツのフランクフルトから始まった中欧の旅。いよいよ最後の地「永遠の都ローマ」へ。(20代後半に南欧を旅したことがある。もちローマにも行った。けど、観光ツアーだったし、美術史の知識は皆無だった私にはあまりその記憶はない。今回はその再発見の旅になるはっずう!)旅の最初の頃6月の初めは小雨まじりで肌寒い日も多かったのだけれど(ジョンにとっては最高!)、イタリアに入ってから特にこの最後の地ローマは夏真っ盛りの陽気。そうとても暑かった。

7/5(火)フィレンチェから高速列車で2時間弱の快適なファーストクラスの旅で南へローマへ。(ユーロパスで運賃は無料。ただしイタリアでは予約席料にプラス各10ユーロ=$15)セカンドとそれほど席の質は違わないと思ったけれど、ワンドリンクとスナックがサービスについた。ラッキー(なぜかこんなことだけでとてもうれしい)!お昼前にローマ中央駅に着。宿はまたまたジョンのおかげで駅から歩いて約15分のとこ。(ここでも2泊の予定が出発日の7/7(木)が早朝6時過ぎのフライト。相談の結果、数時間の睡眠のために一泊(110ユーロ=$180)するのは高すぎる!ということで、その日は空港で眠ることに決定!2泊目のホテル泊はキャンセルすることに。空港泊は始めての体験、さてさて、、、

初日はもち「バチカン(市国)」。ここも25年前にツアーで訪れている。その時観光バスを降りて、バチカン広場に立ち、ベルニーニの彫刻群を見あげた記憶はあるけれど、システィーナチャペル(礼拝堂)ミケランジェロの「最後の審判」や「アダム創造」は見た記憶が全くないのだ。今回はそのリベンジ(?)。市内バスの乗る事約20分。1時半頃バチカン着。うわっの人だかり。すごーい列である。どうもサンピエトロ大聖堂へ入るための列らしい(ここにはあの超有名作「ミケランジェロのピエタ」が確かあるはず)。ここはパスしてまずはシスティーナ礼拝堂へと向かう。礼拝堂へ向かって右側の方に別の列があるはずと聞きそこへ。うっここもまた長ーい列。でも思った程でなく約45分程で中へ。そう思ったのが大誤算。中に入ってからが大変。すぐにはチャペルには到達しなかった。人ごみと一緒にゆっくりと案内に従ってチェペルへの道を途中途中の各部屋でたくさんの作品群を見学(する余裕もなく)歩くことこれまた約1時間。

でも実はそこへの途中でこれまた超有名作品「ラファエロのSchool of Athens(アテナイの学堂)」に出会えた。二間続きのラファエロの部屋というところでである。思ったより小さな部屋で壁一杯にそれはかかっていた。(ご存知古代ギリシアの哲学者達を描いた物でその中にダヴィンチをプラトンとして描き、そしてミケランジェロと自分ラファエロも描いていることで有名。遠近法で描かれた傑作の一例として私の良く使わせてもらっている。)やっぱり月並みの表現だけど、感動した。「ようやく会えた」という感じかな。絵の右端に小さく遠慮がちにでもしっかりと描かれたラファエロの自画像(鑑賞する私達へ視線)と10分程見つめさせてもらった。

さて長ーい道のりの後辿り着いたシスティーナ礼拝堂。これまた身動きができないほどの人だかり。途中途中で警護の人たちの「シー(静かに)」という声が何度も聞こえる。そんな中天井へ頭を向け中央にあるはずの「アダム創造(あの神とアダムの指と指がくっつく奴ね)」を探し、そして壁一面のマニエルズム(後期ルネサンス)の傑作「最後の審判」を見上げる。暑さと人ごみにくらっとしながら見つめた作品にもちろん感動したけど、それ以上に正直やっぱりお疲れ。(長い道のりやっときたのだからという)貧乏根性でがんばって作品群を見つめ続けていたけれど、15分程で退散。次なる大聖堂へと向かう。

それにしても予想以上に驚いたのはバチカン美術館にあるあまりたぶん知られていないだろう近代作家のコレクション。信仰で集められたお金でたぶん買い集めた作品群。マチスの部屋を見たときには「ここはニューヨーク近代美術館か?」とつっこみを入れたくなるほど驚いた。ゴッホの「キリストの磔図」が楚々と壁にかかっているのにも驚いた。(キリスト教に関係するテーマの近代作品を集めているのかとも思ったけどそうでもないらしい。)システィーナ礼拝堂までへ続く小部屋にはこういった作家達の作品群が多く並べられているのはあまり知られていないと思う。宗教ってもうかるんだ。不謹慎とは思いつつ、そんなことを改めて思いながら礼拝堂までへの道を歩いていた私。

大聖堂へはお昼過ぎの長ーい列とはうってかわって、夕方6時過ぎには列はなくなってスムーズに入れた。お目当てはもちろんミケランジェロの4作品の内唯一完成した「ミケランジェロのピエタ」。7時には閉館になる大聖堂をさっと回った私は、ジョンと海より先に出て、表玄関に座り込み(回りも見ると私と同じ疲れ果てた人々がやっぱり座り込んでいた)そこからバチカン広場と広場の回廊柱の上に立っているベルニーニの彫刻群を眺めることにした。

翌日旅最後の日(7/6)は朝からコロッセオとその周辺古都を回った(これまた入場チケットをとるのに1時間ほどかかった長ーい列)。暑かった。ここで一日がほとんどつぶれた。そして夕方最後の訪問場所パンテオンへ。夕食の締めくくりは再びパスタ「ボンゴレ」を。その後スペイン広場(ワッ人が)とトレビの泉(ぎやっーどこからこんなに人が)を駆け足で巡って10時前にサブウェイへ。なんと夜の9時半に地下鉄が終了ということを(他の多くの観光客同様)知らなかった私達。というハプニングはありましたが、どうにかバスに乗っかりホテルにもどったのは10過ぎ。空港行きの最終列車は10時45分(一人15ユーロ)。ジョンがタクシー料金だと「40ユーロ+荷物料」という情報を発見。ホテルの管理人に確認。そこで「うちの娘が車で送れるかも、、、40ユーロでどう?」「オッケー」助かった。。。慌ただしくローマを後にした私達。

To Florence as the origin of Renaissance (7/3&4): いよいよルネサンス発祥の地フィレンチェへ

慌ただしくも思いがけなく(私達的には)ゆっくりとした二日間を過ごした後、次なる都市フィレンチェへと向かう。ここは今回訪問予定のイタリア三都市(ベニス、フィレンチェ、&ローマ)の中で、私が最も期待する街。なにせルネッサンス発祥の地である。芸術鑑賞教育を教える私としては外せない街。ダビンチにミケランジェロ、ラファエロのハイルネサンスのビックスリーもさることながら、ルネサンスをルネサンスたる所以とした遠近法の発明者(ブルネルスキー)とそれを表現した最初の絵画「三位一体(by マサッチオ)」に会いに私は来たのでアル。続く、、、

(さて続き7/5記)旅もそろそろ終わりに近づいている。7/3の朝船上タクシーでベニス(島)の中心地の反対側にある駅に向かう(一人6.5ユーロ=約$10ドル)。ホームに停車している特急列車に乗ろうとした時車掌に「予約は?」と聞かれる。「へっ高速バスは予約は必要だったけど、列車ではいらなかったはず。」と、「ユーロパスのファーストチケットを持っている。」と答えるとそれでも予約が必要で、車内で購入すると一人18ユーロ、駅での購入は(1&2等席にかかわらず)一人10ユーロとのこと。ジョンは車内購入8ユーロの差額でもオッケーという態度。私が「ちょっとちょっといくらなんでも三人で24ユーロ=36ドルは高いんじゃないの?一本送らせて、その差額でここで朝食を食べて1時間後に乗ろうよ。」とクレーム。そういうことに。残念ながらファーストクラスは既に予約で一杯とかでセカンドに。それでも席は中心にテーブル付きの向かい合わせの良いシート設定。そこで、大学院で中国文化を専攻したというキアラ(母娘でナポリへ向かう途中とのこと)と旅は道ずれに。フィレンチェまでの約2時間の車中、将来は大学教授になりたいという彼女とイタリアのアカデミア事情で盛り上がった。とても純で知的で英語も達者な彼女。イタリアや中国での大学への就職が難しいのなら、アメリカで博士課程をとったらと勧めた私。彼女の仕事探しがうまくいきますようにと祈りながら、フィレンチェで降りる私達。

(ここからは7/8記)宿は駅から歩いて約15分弱のいつものごとく小さなブティックホテル(今回はツインを三人で久しぶり川の字で寝ることにして節約。一泊70ユーロ=$100ドル。ラッキー!)そしてホテルの入り口から振り返ると後ろにあのサンタマリア大聖堂(バシリカ)が見えるではないか。そうなのバシリカからなんと歩いて数分のところの宿(今回もジョンに感謝。不動屋さんの決め台詞ではないけれど、観光するにも宿は、ロケーション、ロケーション、&ロケーションである。)

まずキアラにも絶対お勧めと言われた「ウフィツィ美術館(Uffizi)」へ。そのままでは長ーい列を並ぶことになるとのことで予約センターへ。ラッキーなことに当日2:45入場の予約がとれた(入場料12ユーロ+予約料4ユーロで計16ユーロ:約$24)。ここはあのメヂィチ家歴代のコレクションで有名。でも今まで立ち寄った豪華絢爛の博物館建築と比べると少々見劣りしたのが個人的感想。コの字(U-shape)型に長い回廊(ルネサンス様式建築)にクラシック彫刻群が並びその回廊両翼に展示室が並んでいる。

私がここで最も感動したのは前期ルネサンスの巨匠ジョットーの黄金の「聖母子(Madonna & Child) 1320?」パネル。もちろん鑑賞学の中でも必ず取り上げる作品でよく目にしているものだけれど、正直3mを超えるこんなに大きい作品とは想像していなかった。一見にしかずの良い例。これを実際に見れただけでもここにきた価値はあったかも。その他もちダヴィンチの「受胎告知」を始めミケランジェロラファエロの作品も。その中でも特にボッテチェリの名作群「ヴィーナス誕生」や「「プリマヴェーラ(春)」が有名。その他大作がごろごろ。いつものごとく名作の数とその大きさに圧倒され目眩が、、、博物館を出た私達は広場に立つあの「ミケランジェロのダビデ像」(これはコピー)にもご挨拶を忘れずに。(想像していたよりおっきいのでちょっと驚く。)

二日目はフィレンチェの街観光(美術館巡り)を。朝から宿の近くのサンタマリア大聖堂(愛称はドーム)へ。ムフそう散歩がてらの距離で出かけた。またまた長ーい列を並んで入るまでに約30分。フィレンチェでは聖堂に入るのにノースリーブや半ズボンはだめで、それを知らない観光客はかわいそうに入る直前においかえされる始末。(後でわかったことだけれど、それでやたらショールの物売りが聖堂前に並んでいたんだ。)中は今までの聖堂とちがって、観光客の多さを計ってイスが撤去されていて大きな空間が、、、でもあるべきものがないのはちょっと寂しい感じ。

その後、ちょっとお疲れの海をホテルに残し、私とジョンはいくつかの美術館を急いで回ることにした。まずは近くにあるフィレンチェで一番古い教会(バシリカ)と言われる「サンタロレンツォ聖堂」へ。一番古いバシリカというのもうなづけるシンプルな外観とは裏腹にインテリア内部は荘厳で見事。そしてあのLinear Perspectiveで描かれた最初の作品と言われる超有名作品マサッチオの「三位一体図」があるサンタマリアノヴェリア聖堂へ。ここでとうとう時間切れ。ガリレオやミケランジェロの墓碑があるという「サンタクローチェ聖堂」は表を拝んだだけで今回は残念ながらパス。

そして夕方海を迎えてフィレンチェ最後の場所は、「ミケランジェロの丘」へ。そこから見下ろすアルノ川とフィレンチェの夕刻の街が見事。イタリアの旅はどこも二日間の駆け足で回ることに。さて明日はいよいよこの旅最後の地ローマへ。

2011年7月3日日曜日

To the 5th & Last country of Italy and Venice (7/1&2): ヨーロッパ旅行最後の国イタリアまずはベニスへ

ブタペストでの6日間を過ごした私達はヨーロッパ旅行最後の国イタリアへ向かうことに。4週間の旅行日程の3/4を早過ごし、最後の1週間をイタリアを忙しく3都市回ることにしている。まずは水の都ベニス(ヴェネツア)へ。なぜだかブタペストーベニス間を数時間でと計算違いしていた私達。実際には丸一日11時間の移動時間であることが判明。ヨーロッパ事情でユーロパスのつなぎがブタペストからはウィーン経由でベニスへ入るしかなく、列車と高速バスをのり繋いで行くしか方法が最速のよう。

7/1(金)の朝早く7時過ぎに居心地のよくなった修道院宿を後にし駅へ向かった。列車ー列車ー高速バスと2回乗り継ぎ、最終地ベニスへの船付き場についたのが夕方の6時。そうだったのだ。ベニスは島だったのですね。どうしてだか運河に囲まれた土地という思い込みで島だったとは今日のこの日まで知らなかった私(地図参照)。それにベニスは運河に囲まれた土地を小さな橋でつないでいる場所が多く迷路のようになっている。そこを思い荷物を抱えて登ったり降りたり、宿についた時にはぐてーの私達。疲れたピー。その日は疲れはてて翌朝9時過ぎまで爆睡。(宿はトリプルで朝食抜き一泊90ユーロ=$150)

翌日7/2(土)はゆっくり起きて11時頃に広場にあるサンマルコ大聖堂へ。正直ベニスはそれほど期待していたわけでない。ジョンが20年程前に一度ヨーロッパを旅行(自分のルート探しの旅?)して立ち寄ってとても気にいっていたらしく、ベニスは彼の希望選択の地。私といえばはこの後のフィレンチェ(ルネサンス発祥の地)の方がメインだったので、ベニスではどおれ有名な観光地水の都をちょっと覗いてくるべ〜くらいの軽い気持ちだった。

それがそれがサンマルコ大聖堂を一歩中に入って超感動!何にだ?というつっこみのお答えはその燦然と輝く金ぴかのモザイクにと答えるしかないのだけれど、金のモザイクというと安っぽく感じてしまうだろうけど、それが超半端じゃない室内装飾。1センチ四方の小さな金のモザイクが巨大なバシリカ(初期キリスト今日時代の集合所が始まりでこれがチャーチ=教会に発展することになる)内を埋め尽くしている。たまたま訪問した時間帯が正午前後だったので、外観からわかるようにいくつもあるドーム型天井の回りを囲むように並んでいる窓窓から差し込む光でドーム全体が燦然と輝いていた。ひとつひとつのモザイクに光が反射してそれはそれは神々しい。天国をこの大聖堂で再現(プレゼン?)

ドイツのケルンの大聖堂(これはゴシック様式のカテドラル建築)が駅からおりたとたん目の前に表れた時には感動したけど、今回の旅ではこれと同じくらいの超感動かも。それもベニスは期待していなかっただけにその感動は驚きとともに大きかったのかも。(*東ローマ帝国=現トルコのコンスタンチノープルとの歴史的関係もわかって、そのドーム型バシリカ集合形式からわかるようにビザンチン様式の傑作のたぶん一つでもあろうこの大聖堂の価値がよりよくわかったような気がした。やっぱり実際にこの目でみて体感しないと建築物の価値は写真からだけでは、やはりわからないですね。実感。)

この感動を皮切りにベニスではこのサンマルコ大聖堂周辺(といいうかほとんどくっついている)美術館2箇所を1日使ってゆっくりと。その一つドュカーレパレスにある世界最大の油絵ティントレット親子の絵画には度肝を抜かれました(作成終了年にティントレットは亡くなっているからこれで命がつきたのかも、でもアーティストとしては本望でしょう。きっと)。(*7/10追記:そういえばここではボッシュの絵も何点かみました。やはり不思議なシュールな世界。1980年代に行ったマドリッド美術館で始めて彼の絵を見て、不思議な感動に包まれたのをまだ覚えている。)

初日の夕方は運河前のレストランでパスタをついばみましたが、この日はランチも夕食も運河の前の岸壁に座り込み、ゴンドラに乗り込む恋人たちを眺めながら(乗ると一人$100くらい超高い!)、家族でサンドイッチにかぶりつきワインを飲み飲みの団らん。これはこれで楽しかった。もちろんヴェネチアングラスで有名なベニス私はしっかり小さなイヤリング(超安値の3.5ユーロ=$5)を買いました。満足。